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腕を掴むと、体勢を崩してまた倒れる。
どこか打ったのか、しばらくバタバタとしていたが、すぐに静かになって。
「どこに行くんだ」
「喉が渇いたの」
「水ならお前の枕元に置いてあるだろ」
「水じゃダメ…」
「そうか」
サンを抱えて立ち上がり、屋根縁に向かう。
今は見えないけど、きっと月が高く昇っているんだろう。
屋根縁の柵にサンを座らせ、その隣に自分も座る。
「血でないとダメなのか?」
「うん…」
「そうか。でもな、毎日貧血の患者を出されるのも困るんだ。どうにか血を手に入れる方法も考えたが、どうも難しいらしい。だから、血が飲みたいのならオレの血を飲め。オレは貧血になっても構わないから」
「…うん」
「オレの血に飽きたら、若い男衆のを貰うといい。あいつらなら大丈夫だから」
「うん」
「よしよし。良い子だ」
「えへへ」
頭を撫でると笑ってくれた。
その笑顔を見られないのは残念だけど。
「ほら、好きなだけ飲めばいい」
「………」
面と向かってこんなことを言われるのは初めてなんだろう。
しばらく躊躇していた。
でも、最後には意を決して。
首筋に僅かな痛みが走る。
一滴も漏らすまいとしているのか、傷に口を付けて啜り始めた。
「………」
「………」
どんな顔をして吸っているのかな。
見てみたい気もするが、それは叶わぬ願い。
…それから十分ほど経っただろうか。
確かに相当量の血を飲んだところで、サンは口を離した。
「美味かったか?」
「うん」
「そうか。それはよかった」
「…ごめんなさい」
「なんで謝るんだよ」
「サンが変な子だから、お母さん、サンのこと、嫌いになっちゃうから…」
「なんでそう思うんだ?」
「サンが変な子だから…」
何か強烈な辛い思い出があるんだろうか。
サンの自分を責める声は、次第に震えてきて。
「サンが、いけないの…。こんな、変な子だから…。ごめんなさい、お母さん…」
「サン」
「ごめんなさい…」
手の甲に落ちる雫は、哀しいまでに冷たかった。
何がどうしたのかは分からないけど、サンをこんなにした…サンが元いた環境が憎い。
こんなに小さな子が、自分の個性を否定し、本来あるはずのない謝罪の言葉を口にする。
それがどれだけ哀しいことかは、今感じている通り。
気がつけば、私はサンの頬…涙を舐めていた。
「……!」
「涙は心の血だ。私は今、サンの血を舐めている。サンは、私のことを変だと思うか?」
「………」
「私を変だと思うなら、サンだけが変じゃない。だから、サンが哀しい思いをする必要はない。変だと思わないなら、同じく血を舐めるサンも変じゃない。私とサンは一緒なんだから」
「うん…」
「サンは独りぼっちじゃない。私がいる、みんながいる。だから、泣かないでくれ」
「うん…」
そして、そっと背中を叩いてやると、サンはすぐに眠ってしまった。
前に何があったのかは知らない。
どういう経緯でここに来たのかも分からない。
ひとつ分かることは、サンが心に大きな傷を負っていること。
サン。
時間は掛かるかもしれないが…必ず、癒してやるからな…。
次に目が覚めたときにはすでに夜明け前で、月は出ていなかった。
サンはまだ眠っていて、掛けた覚えはないが、私の羽織を被っている。
後ろを向いてみると、セトもこちらを見ていた。
目が合うと、尻尾をパタリと振って。
「おはよう」
この距離で聞こえるとも思ってないが、いちおう言っておく。
真意のほどは分からないが、セトはもう一度尻尾を振った。
それを見届けてから、サンを抱えて立ち上がる。
サンはいつもより少し温かく、重たかった。
ぐっすりと眠っている証拠だろう。
部屋に入って、サンがもともと寝ていた場所に寝かせる。
蓮と伊織が増えてること以外、昨日の夜と変わっているところはなかった。
「さて…」
こんなに早く起きても、朝ごはんが出来てるわけもないんだけど。
することもないから、ひとまず厨房に向かう。
いつもの廊下を歩き、いつもの階段を降り。
いつも通りの静けさの中で、いつも通りでないものがひとつ。
廊下の真ん中で、大いびきを掻いて眠っている物体。
まあ、放っておいても害はないから、適当に踏み越えていく。
「うべっ」
「邪魔なゴミだ」
「うぅ…。もっと優しく起こしてよ…」
「廊下の真ん中で寝てるやつを優しく起こすほど、心は広くない」
「酷いなぁ…。それより、すっごく気持ち悪い…」
「吐くなら厠に行けよ。オレは連れていかないからな」
「うぇ…。吐きそう…」
「………。はぁ…。仕方のないやつだな…。連れていってやるから、厠まで吐くな」
「保証は出来ない…」
「まったく…」
桐華の肩を担ぎ、厠へ急ぐ。
なんで、朝から二日酔いの看護をしないといけないんだ…。
「うっぷ…」
「………」
「目が怖いよ…」
「気のせいじゃないだろ」
「えぇ…」
「なんにせよ、もうすぐそこだ。そこまで耐えろよ」
「耐えないと、どんな目に遭うか…」
「分かってるならよろしい」
「うぅ…」
角を曲がってすぐのところの厠に入り、個室に桐華を放り込む。
どこかを打ったのか何か呻いているけど、まあいいだろ。
早々に引き上げる。
…朝からついてないな。
これが続かないといいけど。
とりあえず、厨房に向かった。