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「え?吸血鬼?ぼくは知らないなぁ」
「風華。聞く相手が間違ってる」
「酷いなぁ、紅葉は。ぼくだって、謎解き遊話くらいいくつか知ってるよ」
「たとえば?」
「んー…。八坂祐希の事件簿とか…」
「それは推理小説だろ。しかし、意外と最近のを読むんだな」
「むぅ…。どんなのだと思ったのよ」
「探偵グレンとか」
「あ、初めて読んだのはそれだよ。グレンが格好良くて、すっごくハマったなぁ」
「やっぱり、ああいう渋いのも好みなんだな」
「桐華さんはお茶好きだからね~」
「そうだねぇ。八坂祐希が爽やか麦茶で、グレンが番茶かなぁ」
「お茶で喩えるなよ…」
「え?だって、風華が…」
「風華は、お前のお茶好きを言っただけだぞ」
「あれ?」
最中を咥えたまま、首を傾げる。
あまりに無防備なので最中を奪ってやると、不満そうに唸りながら、別の最中を手に取る。
「美味いな。この最中」
「ぼくが食べてたのに…」
「いいじゃないか。まだあるんだし」
「むぅ…」
「私にも、ひとつ頂戴」
「ほら。桐華とオレの食べさしだ」
「もっとちゃんとしたのを頂戴よ!」
「はぁ…。仕方ないな」
「もう…。何考えてるのよ…」
ため息をつく風華を見ている桐華の手から最中を取って。
それを風華に渡す。
「あっ!ぼくの!」
「…姉ちゃん、今日はなんだか桐華さんにイジワルだね」
「気のせいだろ」
「返して!ぼくの最中!」
「んぅ…。何…?」
「ほら。桐華が騒ぐから、サンが起きたじゃないか」
「えぇっ!ぼくのせい!?」
「んー…」
「あ…ごめんね、サン。最中、食べる?」
「うん…」
桐華から最中を貰うと、まだ半分寝ているのか、手に持ったままジッと見つめて。
首を傾げてみたり、翼をはためかせてみたりしている。
「あ。お茶がなくなっちゃった…。ちょっと淹れてくるね」
「ああ」
「最中、残しておいてよ!」
「分かった分かった」
「絶対だからね!」
「はいはい」
何回も念を押して、桐華は厨房へと走っていった。
あんなに急いで、転ばないといいけど…。
「ふぁ…」
「大欠伸だな」
「えへへ…」
「そら。ちょっとこっちに来てみろ」
「うん」
最中を持ったまま、パタパタと少し小走り。
そして、勢いよく飛び込んできて、しっかりと抱きつく。
「よしよし」
「ん~」
「ほら、ちゃんと座って」
「うん」
「最中、美味しいか?」
「うん。美味しいよ」
「そうか。それはよかった」
「えへへ」
頭を撫でてやると、嬉しそうに足をバタバタさせて。
…風華は、まだ少し距離を置いているようだった。
「サンね、夢を見たの」
「ん?どんな夢だ?」
「お母さんがね、サンをギュ~って抱き締めてくれるんだ!」
「へぇ。こんな風にか?」
後ろから抱き締めてやると、その手をギュッと握りしめてくる。
でも、なぜだかは分からないけど、さっきまでとは全く違う雰囲気になっていた。
「ギュ~って抱き締めてくれてね、サンに何か言ってくれるの。でも、聞こえなくて、何回も聞き直したんだけど、全然聞こえなくて…。それでね、お母さん、どんどん消えていっちゃうの…。お母さん…消えちゃって…サンがね…一人ぼっち…」
「サン…」
「お母さん…お母さぁん…。消えちゃヤ…。ヤだよ…」
「オレは消えないから。ほら、ギュッて抱き締めてるだろ?手を握ってるだろ?」
「うっ…うぅ…。怖い…怖い…」
「落ち着け、サン。大丈夫だから」
とは言ったものの、サンは泣きじゃくるばかりで。
…もしかしたら、実の母親と壮絶な別れを経験したのかもしれない。
自分の心が押し潰されないように封印していた記憶が、少し漏れてしまったのだろうか。
サンの小さな手は、強く、強く、私の手を握りしめていた。
と、風華が静かに深呼吸をしたかと思うと
「夕焼け空に何を望む。沈みゆく太陽、昇る月。夜明けの何を恐れている。沈みゆく月、昇る太陽。我らは昼には生きられぬ。我らは夜に怯えている」
「あ…。これ…」
「暗い夜道をただ一人。獣たちに迎えられ、歩みゆく。我らに明日はあるのだろうか。我らに朝は来るのだろうか」
「………」
「歩き疲れて座り込む。我らに光が与えられないのなら、歩く意味も最早ない。静かに眠るときが来たようだ。このまま夢を見ようじゃないか。光輝く明日の夢」
風華は、また深く息をする。
何かを確めるように。
一瞬、風華の瞳がサンのように真っ赤になった気がしたが…いや、違うか。
とりあえず、なぜか落ち着いて、また眠ってしまったサンを布団に寝かせる。
「姉ちゃん」
「ん?」
「私、分かった」
「何が?」
「サンは私の大切な家族なんだって」
「ああ」
「今更だなって思うかもしれないけど、今更分かった。私は、サンのお姉ちゃんなんだって」
「そうか」
「うん。ありがとね、……」
「ん?」
「ううん、独り言」
「…そうか」
「ふふふ」
「なんだ、気持ち悪いやつだな」
「あっ。酷いよ、姉ちゃん」
「思ったことを言ったまでだ」
「もう…。地がこんなのだから、判断が難しいよ…」
「……?何の判断だ」
「えへへ~。秘密だよ!」
「……?」
本当に変なやつだ。
ずっとクスクス笑っていて。
廊下をバタバタと走る音も聞こえてきた。
風華が芦原留作道中記の冒頭を知っていた理由を聞くのは、また今度ということらしい。
…さて、サンの涙が染み込んだ最中を、いかにして桐華に食べさせるかが問題だな。