145
「ん~」
「葛葉、こぼしてるぞ」
「灯、匙はどこにやった」
「そんなの知らないよ。夏月が持ってるやつじゃないの?」
「いや、夏月の匙を探してたんだけど…。夏月、それはどこから持ってきたんだ」
「んー?」
「それは私のだ」
「美希の?じゃあ、結局夏月の匙はどこに行ったんだ」
「下に落ちてるんじゃないのか?」
「さっき見たけどなかったぞ」
「まあ、片付けたら見つかるでしょ。消えるわけないんだから」
「そうだけど…」
匙の本数なんて把握してるんだろうか。
葛葉なんかは、すぐに噛み潰してしまうし…。
「あっ!俺のを取ったな!」
「食べるのが遅いんだよ!」
「なんだと!?」
「お前ら、喧嘩は外でやれ!あと、子供もいるのに物を投げるな!危ないだろ!」
「す、すみません…」「隊長…」
「まったく…。戦場というより無法地帯だな…」
「そういえば、桜がいないんじゃないか?」
「桜は、今日は部屋から出てきてないよ。ごはんも向こうに持っていって」
「ん?そうなのか?」
「うん」
「何をしてるんだろうな」
「さあ?」
桜、今日は出てきてないのか。
美希は首を傾げているが、たぶん昨日のことでまだ悩んでいるんだろうな。
気になるけど、今は放っておくのが一番だろうな。
私たちの力が必要なら、向こうから来るだろうし。
「そういえば、翔はどうした」
「知らないけど。でも、お昼はずっと馬車置き場にいたみたいだよ」
「またそこにいたのか」
「んー。自動三輪の上が、やっぱり一番落ち着くんじゃない?」
「私も、料理の道具とか覚書を入れる袋は、ずっと使ってきた背負い袋だからな。旅の道連れっていうのは、他の何より愛着が湧くのかもしれないな」
「ふぅん…」
「まあ、セトも明日香もいるし、大丈夫でしょ」
「何が大丈夫なのか分からないんだが」
「んー、それはあれだよ。心の支えとか」
「なんだよ…それは…」
「いいじゃない。夕飯だってさっき食べてたし」
「ん?いつだ?」
「みんなが来る前。先に食べてったよ」
「ふぅん…。なんでだろ…」
「大勢で食べるのに慣れてないんだろ。いつも弥生と二人きりだっただろうからな」
「そういうものなのか?」
「ああ。そういうものだ」
そういうものなのか。
弥生は楽しそうに食べてるけどな。
まあ、歳を重ねれば考えることも多くなるんだろう。
あの年頃の子は特に、な。
「あぁもう…。葛葉、またこぼして…。ほら、もうちょっと椅子を引いて」
「んー」
「それで、皿の上で食べる」
「うん」
「そしたら、こぼれない。な?」
「んー?」
「…まあ、私が食べさせてやるのが一番だけどな」
「それはお前の願望だろ」
「そ、そんなことない」
「昨日は、葛葉を膝に乗せて嬉しそうにニヤけてたくせに」
「ニヤけてなんかない!」
「どうだか」
「ニヤけてなんかないからな!」
嬉しそうにしてたってところは否定しないんだな。
まあ、美希が葛葉のことを大好きってのは、揺るがない事実なわけだけど。
「ほら、あーんして」
「あーん」
「美味しいか?」
「うん!」
「そうか。よかった」
「ほーら、ニヤけてるぞ~」
「なっ!ニヤけてない!」
「ふふふ」
まあ、もはや溺愛とも言えるくらいに可愛がる様子を見ていると、なんだかこっちも幸せな気分になるのも事実なのかな。
部屋に戻ると桜がいた。
先に戻っていたチビたちと一緒に寝ていたけど。
「…何してるんだろうね」
「さあ。まあ、何か用事があったんだろうけど」
「どうする?起こす?」
「いや、いいだろ。用事があるのは桜だけじゃないみたいだし」
「えっ?」
「翔。入ってこいよ」
「…うん」
廊下の暗がりから出てきて、音も立てずに部屋に入ってきた。
たぶん、チビたちを起こさないようにとの配慮だろう。
「腹は決まったか?」
「いや…。まだ…」
「そうか。まあ、ゆっくりと決めればいい。時間はあるんだ」
「………」
「ここに留まるなら喜んで歓迎しよう。ここを発つなら笑って見送ろう」
「…ここに留まる覚悟はない。ここを発つ勇気もない。私にあるのは明日への片道切符だけ」
「え?何?どうしたの?」
「切符を手に明日へ旅立つのなら。決めねばなるまい、汝の行く先を」
「私は…私は…」
「ねぇ、どうしたの?」
「戯曲だ。ある村に立ち寄った旅人の話なんだけど」
「ふぅん…」
「変わったことに、ここから先の台本は一切ない。でも、劇は旅人が決断するところまで続くんだ。どういうことか分かるか?」
「…結末は演じるたびに変わるってこと?」
「ああ。旅人は様々な決断をする。村に留まったり、旅立ったり。そのまま、いつまでもクヨクヨと考えたりもする」
「へぇ~。稽古が大変そうだね」
「劇団で結末を決めているときもあるし、全て劇団員たちの気分次第なんていう即興性の強いところもある。まあ、稽古が大変なのは変わりないだろうが」
「ふぅん…。よく知ってるんだね」
「まあな。父さんが演劇好きだったから、小さい頃によく連れていってもらったんだ」
「へぇ。翔も知ってたんだよね。観にいったの?」
「いや、俺は短期の仕事で。急病の劇団員の代行として、実際に出てたんだ」
「へぇ~。すごいね」
「別にすごくなんてないよ…」
でも、嬉しそうに。
尻尾がせわしなく揺れている。
「じゃあ、旅人よ。お前の決断は?」
「それは…」
「姉ちゃんもさっき言ってたけど、時間はあるんだから。ゆっくり考えて決めなよ。まあ、どこかの旅人さんみたいに、いつまでもクヨクヨ考えるのはダメだけど」
「うん…」
そうだ。
時間はあるんだ。
閉幕もないし、今すぐ決めることはない。
人生は、戯曲のように筋書きに沿って演じていくものではないんだから。
自分の信じる道を見つければいい。