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雨は静かに屋根縁を濡らしている。
葛葉も弥生も、お腹がいっぱいになるとお菓子を食べる間もなく眠ってしまった。
二人に布団を掛けながら、望も大きな欠伸をして。
「望。こっちに来い」
「……?」
「ここに座って」
「うん」
胡座をかいた上に望を座らせて。
何が始まるのかと、こちらを見上げる望の頬を引っ張る。
「んー…」
「望は、なんでここに来たんだ?」
「お母さんに呼ばれたから」
「あぁ…そうだよな、うん」
「どうしたの?」
「お前は弥生のこと、どう思う?あと、翔」
「弥生は可愛い妹だと思ってるよ。翔お兄ちゃんは…まだ分かんない。あんまり会ってないし。でも、弥生のことを見てたら分かるんだ。翔お兄ちゃんは、優しいお兄ちゃんだって」
「なるほどな」
「ねぇ、お母さん」
「ん?」
「望ね、葛葉や弥生たちから見たらお姉ちゃんでしょ?」
「そうだな」
「でも、お姉ちゃんたちから見たら妹でしょ?」
「そうだな」
「それでね、いつも分からなくなるの。望は、お姉ちゃんなの?妹なの?」
「…望は葛葉とか弥生たちのことが好きか?」
「うん。大好き」
「じゃあ、風華とか桜たちのことは?」
「大好きだよ」
「それなら、望はお姉ちゃんであり妹でもある。どっちかひとつだけ、なんて選ぶ必要はないだろ?好きなだけチビたちの面倒を見てやれ。好きなだけお姉ちゃんやお兄ちゃんに甘えてやれ。望は両方出来るんだから」
「…うん」
望は私の手を握ると、自分の膝の上に置いて。
そのまま抱き締めてやると、嬉しそうに尻尾の先を動かす。
「ねぇ、もうひとつ聞いてもいい?」
「ひとつと言わず、ふたつでも三つでも聞いてこい」
「うん。さっきの続きなんだけど。望は、お母さんにとっては何になるの?」
「…私にとっては、お姉ちゃんであり妹であり。そして何より、欠けがえのない大切な娘だ」
「娘?」
「ああ。娘」
「でも、望はお母さんの子供じゃないよ?」
「じゃあ、なんで望は私のことをお母さんって呼ぶんだ?」
「だって…。お母さんは…お母さんだもん…」
「それなら、望は私の娘だ。私が望のお母さんなら、望は私の可愛い娘。生みの親かどうかなんて関係ない。望がそう認めてくれるなら、私は望のお母さんだ」
「………」
「この話は望にしたかな。実を言うと、私にはお母さんが三人いるんだ。一人目は、生みの親。顔すらも覚えてないんだけどな。二人目は、小さい頃の育ての親。このお母さんは狼なんだぞ。三人目は、ここに来てからの育ての親だ。美人で強いお母さんだった」
「………」
「みんな、私の大好きなお母さんだ。そして、私は大好きなお母さんの娘だ」
「…うん」
「望は、私の大切な娘か?」
「えへへ。お母さんは望の大好きなお母さん。望は大好きなお母さんの娘だよ!」
「そうか。ありがとうな」
もう一度、望を抱き締める。
望もギュッと私の腕を握って。
…私は望のお母さん。
今まで娘の立場だったのが、この子たちにお母さんと呼ばれてから、母親の立場になった。
お母さんにしてきてもらったことを、今度は私がこの子たちにやってあげる番なんだ。
「ん~…」
「ふふ、寝顔も可愛いな」
望を抱き上げて、葛葉の隣に寝かせる。
布団を掛けて上からそっと撫でると、なんだか満足そうなため息をついて。
…おやすみ、望。
弥生の尻尾は、猫らしく細く長く。
でも、見た目に反して触り心地は良かった。
「んー…」
「おっと」
…ふぅ。
起こすところだった。
お詫びに耳の裏を掻いてやると、喉をゴロゴロ鳴らして。
「ワゥ」
「シーッ。みんな寝てるだろ」
「………」
突然、伊織が部屋に入ってきた。
どこか不安そうにしてるように見えるけど…。
「どうしたんだ?蓮は?」
「………」
「そうか。それで?」
「ゥルル…」
「ふぅん…。セトに聞いてみたのか?」
「………」
「セトに聞いても、たぶん分からないだろうな」
唐突に、屋根縁にカイトが現れた。
…なんで屋根縁?
「望の近くに出て、熱気で目が覚めてもいかんのでな」
「お前もいちおう配慮は出来るんだな」
「まあな」
軽く流されたところで、伊織を連れて窓際まで行く。
カイトは雨を払うように身震いをして。
「それで、さっきの話だが。風華のところには行ったのか?」
「風華?あいつは龍の薬師ではないぞ」
「そうかもしれないが、伊織の一番の理解者であることは間違いないだろう」
「そうだけど…」
「私の見立てを言っておくと、胸の苦しみはたぶん不安や寂しさから来ている」
「………」
「そうなのか?」
「生活の環境の激変に、心が耐えきれてないのだろう。こういうときは、一度元の場所に戻って心を落ち着かせるか、それに匹敵する良き理解者の傍にいるのがいい。下手に溜め込むのはよくない」
「………」
「ん?」
伊織は私の膝に頭を乗せると、そっと目を閉じた。
尻尾をゆっくりと揺らして、何かを求めているようにも見える。
「ふむ」
「オレでいいのか?」
「オォン…」
「でも、風華の方が良いんじゃ…」
「………」
「ふふふ。さっき言っていたではないか。自分が母親だと認めれば、誰でも母親なんだと」
「…なんだ、聞いてたのか」
「すまないな。しかし、面白い話を聞かせてもらったよ。ありがとう」
「お前の方が、たくさん知ってるんじゃないのか?こういう話は」
「いや。長らく生きてはいるが、新しい発見のなかった日はない。今日も例外ではない」
「…そうか」
「そうだ」
カイトはもう一度大きく羽ばたくと、曇天の中、どこかへ飛んでいってしまった。
散歩にでも行ったんだろう。
「ワゥ…」
「分かってる」
カイトが遠い空に消えていくのを見届けて、伊織の頭を撫で始める。
…私に出来ることはこれくらいしかないけど。
私を頼ってくれるなら、喜んで心の拠り所になるよ。