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「うぅ…」
「薬も飲んだから、もう大丈夫だよ」
「ごめんね、葛葉。古くなってるなんて知らなくて…」
「桐華さんが謝ることはないですよ。朝からたくさんお菓子を食べてる葛葉が悪いんです」
「で、でも…」
「大丈夫ですよ。ね、葛葉」
「うぅ…」
「もう…。医療室で寝てる?」
「ううん…」
「ならいいけど。しんどくなったら言いなさいよ」
「うん…」
「しかし、その様子じゃ昼ごはんは無理だな」
「おひるごはん!たべる!」
「…葛葉?お腹痛いんじゃなかったの?」
「もういたくない!おひるごはん!」
「はぁ…」
「ごはんの力は偉大だな」
「もう…。いつからこんな食いしん坊になったのかな…」
「食べないよりはマシだろ。ほら、葛葉、弥生。行こうか」
「うん!」「行こ~」
ため息をつく風華を他所に、葛葉はすっかりはしゃいで。
弥生と一緒に厨房へ走っていってしまった。
「あっ!待ちなさい!」
「風華、薬箱忘れてるよ!」
「桐華。走ったら転ぶよ」
「あたっ!」
派手に転けた桐華は、薬箱も派手に落として。
でも、余程頑丈に出来てるらしく、コロコロと二間ほど転がっても蓋すら開かなかった。
「まったく…。気を付けろよ」
「いたた…」
「中身は大丈夫?」
「んー…大丈夫みたいだ」
「よかった。…桐華。大切なものを持ちながら走ったらダメっていつも言ってるでしょ?」
「でも…風華も走ってるから、走らないと追い付かないじゃない…」
「厨房に行くことは分かってるんだから、慌てる必要はないでしょ」
「うぅ…」
「ほら、ちゃんと立って。蓮と伊織も見てるぞ」
「………」「ワゥ」
「もう…。子供じゃないんだよ…」
「ほう。それは知らなかった」
「お茶だって飲むんだからね…」
「リュウとかも飲むじゃないか」
「リュウはもう大人だし…」
「いや…。年齢的にもまだ子供だろ…。望よりも下だぞ」
「むぅ…。じゃあ、大人って何よ」
「さあな。それは自分で考えろ。お前自身が大人であるかどうかもな」
「難しい課題が出たね」
「うーん…」
「さあ、昼ごはんを食べに行こうか」
「ワゥ!」「オォン!」
「お前らはここで留守番だ」
「ウゥ…」「オォン…」
「あとで美味しいものを持ってきてやるから。ちょっと待ってろ」
二人の頭を撫でてやると、少し不満そうに尻尾を振っていた。
伊織はまた手を軽く噛んで念を押す。
…癖なんだろうか。
蓮はやらないけど…。
「遙、遙」
「ん?」
「血が…血が出てるよ…」
「んー?なぁんだ。ちょっと擦っただけじゃない。舐めとけば治るよ」
「そ、そんな…」
「いちいち大袈裟なの。ほら、行くよ」
「うぅ…」
遙が急かすと、桐華は半ベソをかきながら部屋を出ようとする。
そのとき、伊織が桐華のところまで飛んでいき、本当に少しだけ擦りむいた膝を舐める。
「い、伊織…。本気にしなくてもいいよ…。あとで風華にでも消毒してもらうから…」
「………」
伊織は舌を出したまま桐華を見上げて、首を傾げる。
それが可愛かったのか、桐華も笑顔に戻る。
…大した傷ではなかったとはいえ、伊織が舐めたことで傷口が完全に治ってるってのには気付いてるんだろうか。
少なくとも遙は気付いてるみたいだけど…。
龍の不思議な能力か…。
噂には聞くけど、セトにはまだ見せてもらってないからな。
実際に見るのは初めて…なのかな。
「伊織のお陰で、足が軽くなった気がするよ。ありがと」
「ゥルル…」
「あはは、くすぐったいって~」
「さあ、いい加減に厨房に行こう。風華たちも待ってくれてるだろうし」
「あ、そうだね。紅葉、行こ」
「ああ」
桐華はもう一度伊織の頭を撫でる。
そして、私の手を取って。
蓮と伊織を残して、広間を出た。
匂いの先。
馬車置き場に翔はいた。
自動三輪に腰掛け、何をするわけでもなく、ただひたすらにセトの額を撫でていた。
「翔。昼ごはんだぞ」
「あ、紅葉さん。わざわざありがとうございます」
「まったく…。普通に話してくれって言ってるだろ?」
「いえ…。そんな失礼な真似は出来ません…」
「言うことを聞かない方が失礼だと思うけどな」
「ゥルル…」
「お前は、もう少し慎ましくするべきだな」
「オォ…」
「ふふふ。それで、お前はここで何をしてたんだ?」
「少し考え事を…」
「考え事?弥生のことか?」
「いえ。弥生は、ああ見えてしっかり者ですから。まだまだ甘えん坊だし、一人になるのが怖いって言いますけどね」
「自慢の妹なんだな」
「はい」
「それで?考え事ってのは?」
「…言わないとダメですか?」
「言ってくれると嬉しい」
「…そうですか」
翔はまたセトの頭を撫でて少し逡巡する。
そして、腹が決まったらしく、こちらを向く。
「俺たちの…いや、俺のこれからについてです」
「これから、か」
「はい。今は自動三輪でその日暮らしの旅をしてるわけですが…。でも、どこかに腰を据えた方がいいのかなって考えて…」
「なんでだ。少なくとも土地には縛られない生活っていうのは、定住生活よりも気楽なんじゃないのか?」
「そうですね。でも、さっきも言った通り、その日暮らしなんです。仕事は全部短期。その土地に留まることがないから、友達も作ることが出来ない。俺はいいですが、弥生が可哀想で…」
「それで、弥生をここに置いていくのか」
「えっ…。なんで…」
「最初、言い直しただろ。だから、そうなのかと思ってな」
「…はい、そうです。面倒を見てやってくれませんか?幸い、ここには友達になってくれそうな優しい子たちもたくさんいますし」
「それは無理だな。弥生の面倒は見られない」
「…そうですよね。何を甘いこと言ってんだろ…。俺が面倒を見ないといけないのに…」
「そうだ。お前が面倒を見ないといけない。それが出来るなら、ここで預かってもいいぞ」
「えっ…?それって…」
「ああ。二人とも留まるか、二人とも旅を続けるか。ふたつにひとつだ。弥生にはお前が必要だ。お前にも弥生が必要だ。それを念頭に置いて、もう一度考えてみろ」
「………」
翔はセトを撫でる手を止める。
弱々しく笑うと、重々しい灰色の空を見て。
セトも雰囲気を察したのか、そっと目を閉じた。
「考える時間はまだあるんだ。今はとりあえず昼ごはんを食べにいこう」
「…はい」
自動三輪から降りると、大きく伸びをして。
相当長い時間、ここで考えてたんだな。
セトは一度翔の頬を舐めて、馬車置き場から出ていった。