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「葛葉、美味しいか?」
「ん~」
「よかった。これは、葛葉のために作ったんだ」
「んー」
「でも、オレでもなかなかいけるぞ」
「あっ!紅葉!なんで食べてるんだよ!」
「なんでって、手が届くところに置いてあるからだ」
「食べるな!」
勢いよく皿を引くものだから、山と積まれたいろいろと中身が違う稲荷がいくつか転げ落ちた。
葛葉はそれを鷲掴みにして、手をベタベタにしながら嬉しそうに食べる。
「あーあー、そんなベタベタにして…」
「そら、布巾だ。手を拭け」
「うん」
「ほーら、弁当もこさえて」
「んー?」
葛葉の口の周りに付いていたご飯粒やらなんやらを取り集めて、口に入れる。
「あっ!紅葉、ずるい!」
「え?何が」
「それは私のご馳走だろ!」
「いや、知らないし…。ていうか、お前、葛葉にベッタリだな。風華よりベッタリして」
「当たり前じゃないか。葛葉は私の可愛い妹だからな」
「美希、ごはん~」
「あぁ、ごめん。じゃあ、葛葉。次は箸を使ってみようか」
「うん」
美希に箸を渡され、どうしたものかとしばらく考えていたが、私の持ち方を真似てそれらしく持ってみせる。
ふむ。
なかなかに真似る才能があるみたいだな。
「よしよし。上手いな。でも、ちょっと違うぞ」
「こう?」
「こうだ」
まさに手取り足取りといったかんじで。
と、桜が箸を止めてまでその様子を眺めているのに気がついた。
「どうしたんだ。変わり稲荷が食べたいのか?」
「えっ、あ、いや…」
「…どうしたんだ。桜らしくないな」
「そ、そうかな…」
「そうだな」
「うぅ…」
そのまま俯いてしまい、箸も置いてしまった。
そして、席を立つ。
「ごちそうさま…」
「おい、桜」
「ん?桜?もう食べないのか?」
「ごめんね、美希」
「いや。調子が悪いなら風華に言えよ」
「うん…。ありがと…」
弱々しく微笑むと、まっすぐに広間を出ていってしまった。
美希は心配そうに見送っていたが、葛葉に催促されて視線を戻して。
…どうしたんだろうな、本当に。
「姉ちゃん。桜、どうしたの?」
「風華か。オレにもはっきりとしたことは分からない。何か思うことがあったみたいだが…」
「思うこと…?」
「桜に聞いてみれば早いでしょ?」
「あ、ユカラ。ユカラは何か心当たりがあったりするの?」
「んー、どうかな。桜って、表に出してるようで出してないでしょ?本当に思ってることは、なかなか掴みづらいんだよね」
「そうだよね…」
「よし。夕飯が終わってから、オレが聞きにいってこよう」
「うん。それがいいと思うよ。姉ちゃんが一番相談しやすいだろうし」
「よろしくね」
「ああ」
心配なのはみんな同じ。
美希も聞き耳を立てていた。
…桜は何を悩んでいるんだろうか。
私にちゃんと相談してくれるだろうか…。
ヒヤリとした空気が頬を撫でる。
地下牢は、やはり独特の雰囲気があるな。
「桜。いるか?」
「………」
返事はない。
でも、気配は感じられる。
「入るぞ」
右奥の部屋。
そこで桜は布団を頭から被って丸まっていた。
「桜」
「………」
「何か悩み事があるのか?」
「………」
「さっきのが関係してるのか?美希と葛葉の様子が」
「………」
「お前は、みんなに良い遊び仲間としか思われてないと思ってるんだろ」
「…だって、そうじゃない。ボクをお姉ちゃんとして頼ってくる子なんていない。ボクは身体も小さいし、年下の望より心も幼い。みんなに頼りっぱなしで、全く自立してない。頼られる要素なんて、一個もないんだから当たり前だけど」
ひとしきり言い終わると、さらに布団を巻き込んで、さらに小さく丸まってしまう。
殼に籠るとは、まさにこのことだな…なんて感心してる場合じゃなくて。
「分かっていて、なぜ変わろうとしないんだ。身体の大きさはともかく、心は変えられるんじゃないのか。望と同じように」
「ボクは望じゃないから。そんなの、無理だよ…」
「一度でもやってみたのか。やりもせずに無理だと言うのなら…」
「変えたいよ!ボクだって!でも、周りはそう見てくれない!ボクはまだ子供なんだって!」
なるほどな。
桜は負の螺旋に囚われているらしい。
桜自身は成長したいと思っているが、周りはそう見ていないと思い込む。
そして、"子供の桜"を演じる。
それが"桜は子供"であると周りに思わせてしまい、振り出しに戻る、だ。
今の桜は、回廊をひたすら下り続けている。
入口と出口が同じとも知らずに。
「姉ちゃんはいいよね。頭が良くて、格好いい。なんでも出来て、みんなに頼られる存在なんだから。ボクとは正反対」
「………」
「昔からずっとそうだったんでしょ?ボクとそこまで変わらない歳なのに、衛士のみんなをまとめる隊長だもんね」
「いや、そんなことは…」
「じゃあ、桜に取っておきの話をしてあげる」
音もなく部屋に入ってきたのは桐華だった。
なぜか望もついてきてたけど。
「むかしむかし、あるところに…」
「聞くなんて一言も言ってないよ」
「まあまあ。聞くのはタダなんだから。あ、他でお金を取る気もないよ」
「………」
「じゃあ、もう一回。…むかしむかし、あるところに。小さな女の子がいました。可愛いけど口は悪く、茄子がいつまでも食べられない女の子でした」
…特定の個人を激しく攻撃しているな。
余計なことは言わず、さっさと進めてくれ。
「その女の子はイタズラ好きで、イタズラをしては毎日のように怒られていました。…ある日、その子が大変なイタズラを仕掛けました。そのイタズラはあまりに大掛かりで、引っ掛かった友達の女の子に大怪我を負わせてしまいました」
「………」
「その子は、お母さんに怒られた以上に、相当な衝撃を受けていました。そして、友達の女の子が目を覚ますまで、片時も傍を離れませんでした」
「………」
「友達の女の子が目覚めたとき、その子はもうイタズラをしなくなっていました。友達が傷付かないように。自分自身が傷付かないように」
「………」
「その子が変わったのは、友達の女の子が怪我をしたからだった。結局、みんな弱いんだよ。何か大きなことをきっかけにしないと変われない。でも、きっかけっていうのは、意識を大きく変えるための起爆剤。それが大事件である必要はないんだよ」
「………」
「ぼくは詳しくは知らないんだけど、望の場合は伝令班として認められたことがきっかけだったみたいだね。そのとき、大人になっていくっていう自覚を持って、一歩成長したんだ。そうだよね、望」
「うん…。そんな難しいことは考えてなかったけど、これが大人なんだって思ったら、なんだか周りが違って見えたの…」
「そういうこと。桜も、今、少し違う風に見え始めてるんじゃないのかな」
「………」
「一度、変わってみればいいと思うよ。そしたら、意外とみんなすぐに受け入れてくれるから。そういうものなんだって」
「………」
桜は何も言わなかった。
でも、考えてはいるはずだ。
望よりお姉ちゃんなんだからな。
望では漠然としか分からなかったことでも、桜なら上手く掴み取れるはずだ。
「じゃあ、行こっか」
「ああ」「うん…」
「お休み、桜」
「………」
そして、そっと扉を閉めて、桜の部屋をあとにする。
ゴソゴソと何かが動く音がしたが、誰も何も言わなかった。
階段を上がった先で、ユカラが昼の紐が入った袋を抱えて待っていて。
「ねぇ…」
「今日は戻らない方がいいかもな」
「そう…」
「大丈夫だよ。桜は、今は考えるときだから」
「うん…」
「あと、桐華。ありがとう。助かったよ」
「ううん。ぼくは何もしてないよ。桜が自分で気付いたんだ」
「…そうだな。桐華は何もしてないな」
「あぁっ!そこは、それでもありがとう…とか言うところでしょ!」
「自分で何もしてないって言ったんだろ」
「そ、それは、常套句というか…」
「じゃあ、ユカラ、望。部屋に戻ろうか。風華にも報告しないといけないし。それに、すっかり遅くなってしまった」
「うん」「はぁい」
「あ、ちょっと!無視しないでよ!」
字面通り何もしていなかったとしても、何かしていたとしても。
感謝するよ。
桜にきっかけを与えてくれてありがとう。