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香具夜は、本に見立てて開いていた手をそっと閉じる。
そして、子供たちが拍手をする。
晴天の下で語られる昔話を、みんな一所懸命に聞いていた。
「さあ。次は紅葉の番だよ」
「え?オレか?」
「他に誰がいるのよ」
「お話聞かせて~」「ふぁ…。眠たい…」
「そうだな…。じゃあ、ちょうどいいし、護国伝説にしようか」
「何がちょうどいいの?それに、私はあんまり好きじゃないなぁ」
「そうか?まあ、聞くだけ聞いてみろよ」
「分かったよ…。さぁて、隊長が護国伝説を話してくれるよ。静かに」
香具夜が合図をすると、子供たちは次第に口を閉じていき。
最後の一人がこちらに耳を向けたのを確認して、話し始める。
優しい、赤い龍の物語を。
蒼い空。
抜けるような、ある秋の晴天の日だった。
子供たちは、半分ほど刈り入れの終わった田んぼで走り回っている。
まだ残っている稲を踏んでは叱られ、干し棚をひっくり返しては追い回され。
平和な一日が、今日も過ぎていく。
「あっ!あれ!」
「ホントだ!」
子供たちが気付いたものは。
親たちも足を止めて、手を振る。
「お帰りなさい!」
大きな欠伸をひとつ。
私は、この平和な村に帰ってきた。
まだまだ運び込まれてくる料理料理料理…。
こんなにも食べられないんだけど…。
「たくさん食べてね」
木の実の炒めものを持ってきた女の子がニッコリと笑う。
…そんな笑顔を見せられたら、食べないわけにはいかない。
なんとかそれを押し込んで笑い返すと、女の子は満足したようにため息をついた。
そして軽く手を振ると、また外へと駆けていった。
もう…打ち止めかな…。
さすがにこれ以上は無理…。
そのまま床に突っ伏すと、旅の疲れもあったのだろうか、私の意識はすぐに遠のいていった。
目が覚めると、さっきの…最後に料理を持ってきてくれた女の子が目の前に座っていた。
「おはよ、英雄さん」
軽く会釈をすると、女の子はまた笑ってくれた。
「わたしね、凜っていうの」
凜…か。
凜とした様子は、まさに名前の通りだった。
ただ、体つきはまだまだ幼く、声も高いので、少しちぐはぐな気もした。
「わたしね、英雄さんと一緒に住むの」
どういうことなのかと首を傾げると、凜も一緒に首を傾げる。
真似っこの遊びだと思っているのだろう。
楽しげに笑われては、問い質すことも出来ない。
とりあえず、もう一度首を傾げておく。
村の者たちによると、先の戦乱で凜は親を失ったようだ。
そして、いつの間にか村に来て、空き家だった私の家にいつの間にか住み着いていたらしい。
そこに私が帰ってきたから、凜は私と暮らすことになった…というわけ。
「お洗濯、行ってくるね」
そう言って、凜は大きな洗濯籠を抱えて家を出ていった。
…小さな女の子に何を任せきってしまってるのだろうか。
慌てて凜のあとを追った。
やけに外が明るいと思ったら、雪が積もっていた。
凜の布団はすでに空で、入り口から田んぼの方へ伸びる小さな足跡があった。
その足跡を追っていくと、子供たちが雪合戦をしているのが見えた。
「あ!敵だ!攻撃しろ!」
「えいっ!」「やあっ!」
どうやら私は敵らしい。
子供たちは、情け容赦なく雪玉を投げつけてくる。
…やられっぱなしなのも癪なので、応戦をしてみた。
「戦線を下げるぞ!退散、退散!」
「わぁ~」「退散~」
声を張っている、陣頭指揮と殿を兼ねている男の子に雪玉をぶつけてやる。
「あっ!隊長がやられた!」
「隊長ーっ!」
「ぐふっ…。あとは任せた…。ガクッ…」
そんな寸劇を挟んで、雪の上に倒れ込む隊長。
そして、泣き真似をしながら撤退していく子供たち。
みんなが森の中に撤退したのを見計らって、隊長を助け起こす。
「へへっ。さすが英雄だな。参ったよ」
背中の雪を払ってやり、森の方へ押しやる。
「すっごい作戦を考えてあるんだからな!覚悟しとけよ!」
隊長は森の中に飛び込むと、あっという間に走り去ってしまった。
…そういえば、逃げる兵士たちの中に凜が混ざってたな。
よし。
敵陣に乗り込もうじゃないか。
平和というものは、誰もが望むものでありながら、全ての人が獲得することは出来ない。
平和は、戦乱の土台となるのだから。
小さな波紋は次第に大きくなり。
遂に、この平和な村にも迫ってきた。
「英雄さん…。わたしたち、どうなるの?」
森の奥の洞穴で、みんな身を小さくしている。
戦う武器も守る防具もない私たちは、ただ波が過ぎ去るのを待つしかなかった。
英雄などと呼ばれた私だが、結局は洞穴の入り口を防衛することしか出来ない。
なんと無力なのか…。
「英雄さんは、すごく頑張ってくれてるよ?」
「そうだよ。英雄さんがいなくちゃ、村でみんな死んでたよ…」
私を励ましてくれた子供たちだが、その声も次第に涙声になっていく。
親たちも必死に慰めるが、やはり不安や恐怖の方が勝ってしまう。
沈鬱な雰囲気の中、向こうから微かに気配が漂ってきた。
軍隊が進軍してきているらしい。
刀に手を掛け、様子を窺う。
「英雄さん…」
不安そうに私を見上げる凜を抱き寄せ、頭を撫でてやる。
そして、こちらに近寄ってきた一団を撃退すべく、洞穴を出た。
視界が赤く染まる。
一団と応戦、罠も使って大半を倒したが、限界が来たらしい。
しかし、洞穴から相当離したから向こうは大丈夫だろう。
洞穴へ向かう気配もない。
腹に突き立てられた刀を引き抜き、もう二人、斬り伏せる。
次の一撃に手応えは無く、勢い余ってそのまま地に倒れてしまった。
維持悪く笑う指揮官らしき男の声も、もう遥か彼方。
…あいつは、やはり指揮官に向いている。
それにしても、名前…聞きそびれてしまったな…。
隊長…。
今度は、本当の隊長になった姿を見せてくれよ…。
そのときに、名前も…。
「英雄さん。約束、ちゃんと守ってね。これからも。みんなを護るって約束…」
ごめんな、凜…。
約束、守れなくて…。
「ううん。英雄さんは、守ってくれたよ。だから、これからも守って」
凜…?
「約束だよ?」
最後に見たものは、優しい炎。
そして、龍だった。
燃え上がるような赤の。
目が覚めると、いつも通り、凜が目の前に座って…いなかった。
私は洞穴に戻ってきていた。
満身創痍で。
「英雄さんの目が覚めた!」
「英雄さん!」
次々に抱きつく子供たち。
傷が痛むが、そんなことは言ってられない。
一人一人の頭を撫でてやるので手一杯だった。
ふと、集まってきた子供たち全体を見てみる。
…凜がいない。
子供たちに凜の所在を聞いてみる。
「凜…?誰?」
「そんな子、村にはいないよ」
大人たちに聞いても同じ答えだった。
凜なんて子は、最初から村にはいなかった。
それが答え。
…じゃあ、凜はどこに行ってしまったんだ?
凜という存在は…。
蒼い空。
抜けるような、ある秋の晴天の日だった。
子供たちは、半分ほど刈り入れの終わった田んぼで走り回っている。
まだ残っている稲を踏んでは叱られ、干し棚をひっくり返しては追い回され。
平和な一日が、今日も過ぎていく。
「英雄さん、凜のお話、もっと聞かせて~」
「英雄さん、もっともっと!」
私は英雄という名ではないのだがな…。
まあ、悪い気はしないからいいけど。
少し空を見上げてから、小さくて優しい龍の女の子の話を始める。
「ある日、凜はこう言ったんだ」
「約束。強い強い英雄さんに、村のみんなを護ってほしいんだ」
はっとして振り返る。
でも、一迅の風が吹き抜けただけだった。
一度咳払いをして、前を向く。
すると、目の前には小さな女の子が座っていた。
女の子はニッコリと笑うと、ギュッと抱きついてきた。
「お帰り」
「ただいま、英雄さん」
蒼い空。
抜けるような、ある秋の晴天の日だった。
「おしまい」
「あれ?私が知ってるのとは違う…」
「凜は、帰ってきたの?」「英雄さんは、約束を守れたの?」
「さあな。それはお前たちが考えることだ」
「えぇ~」
「うーん…」
首を傾げる香具夜の額を弾いておく。
…赤い龍の話。
優しいリュウの話。