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「ねぇ、伊織。私たちと一緒に来ない?」
「……?」
「なんでって…。伊織のことが心配だからだよ」
「………」
「ねぇ、伊織ってば」
「ウゥ…」
「なんで怒るのよ。心配して言ってるのに」
「心配は押し付けるものじゃない。そうとは思ってなくても、そんな言い方をすると誤解される恐れがあるぞ」
「あ…うん…」
「それと、伊織もだ。すぐには決められないことだとは思う。風華のことも五月蝿いと思うだろうが、そんな態度を取ることもないだろ。嫌なこと、言いたいことがあるなら、ちゃんと伝えるんだ」
「………」
伊織はフイとそっぽを向いて、そのまま前足に頭を乗せて目を閉じた。
あっちへ行けと言わんばかりに尻尾を振って。
「…一人にしてやろう」
「でも…」
「伊織にも考える時間が必要だ。風華じゃないんだから」
「うん…。分かったよ…。って、今の、どういう意味?」
「何の話だ」
「もう!私だって悩み事くらいあるんだから!」
「そうか。それはよかった」
「姉ちゃん!」
頬を膨らませている風華を連れて洞穴から出る。
すぐ外では蓮が身体を丸めて退屈そうに目を瞑っていた。
「お前も早く仲直りしろよ。いつまで強情を張ってるつもりなんだ」
「………」
「そうだよ。ずっと外にいるの?」
「………」
不機嫌そうに尻尾を振る。
…難しいやつらだな、ホントに。
風華に合図をして、しばらく森の中を散歩することにした。
「私たちが帰ってくるまでに仲直りしなさいよ」
「………」
「まあ、無理だろうな」
「もう…。そういうこと言わないの」
「はいはい」
蓮の背中を撫でて森の中に入る。
風華も遅れて付いてきて。
…ここに来てから、ずっと感じていたこと。
それを今も感じる。
懐かしい。
森全体の匂いこそ少し違うが、個々の木や草の匂い、いろんな声や音、何かがいる気配。
あの頃と変わらない…。
「どうしたの?」
「ちょっとな。懐かしくて」
「ふぅん。森で生活してたもんね」
「ああ」
「…寂しい?」
「どうして」
「…ううん。なんでもない」
そう言うと、風華は目を伏せて。
…寂しくないと言えば嘘になるんだろうな。
母さんやお姉ちゃんには、たぶんもう会えない。
私を知ってる森の住人はもういない…。
「オォン」
「ん?」
「あれ?」
そこにいたのは蒼い龍だった。
蒼い鱗の龍。
「小さいね。迷子かな」
「さあ。それにしても、この森は龍の森だな。なんでこんなに伝説の龍が住んでいるんだ」
「うーん。なんでだろ。龍にとって住みやすいのかな」
「まあ、食べ物は豊富だけど」
「オォン」
「オレはお前の母親じゃないぞ。ていうか、どう見ても違うだろ…」
「この子の家族、どこに行ったのかな」
「さあな。その辺にいるんじゃないのか?」
「…適当だね」
「呼んでみればいい」
「呼ぶって…どうやって?」
「それが分かれば苦労はしない」
「もう!真剣に考えてよ!」
「ふむ…」
私たちを不思議そうに見上げる龍の子供。
ときどき、何か嬉しそうに翼をパタパタさせたりして。
「探し回るしかないのかな…」
「オォン」
「どうかな。ジッとしておいた方がいいんじゃないか?」
「あ、そうだ。姉ちゃんが匂いを辿ればいいじゃない」
「こいつの家族が、ただここを通っただけの渡り龍ならいいが、ここを縄張りにしていたら匂いの特定は難しい。ある程度、新しい匂いや古い匂いを嗅ぎ分けられてもな」
「そっか…。でも、やってみる価値はあるんじゃない?」
「いや、もうない」
「え?」
「もう確めた」
「なぁんだ。じゃあ、言わないでよ…」
「でも、この辺に住んでるってことは分かったんだ。それだけでも少し進展だろ」
「そうだけど…」
「オォン」
「そうだ。もっと母親を呼べ。そのうち気付くだろ」
「ゥルル…」
「おいおい…。だから、違うって…」
子蒼龍は甘えた声を出しながら、私のお腹に額を擦り付ける。
うーん…困ったな…。
「思うんだけどさ、姉ちゃんって子供に人気あるよね。みんな、すぐに懐くし」
「こいつは懐きすぎだ…」
「ふふ、いいじゃない。でも、なんでなのかな」
「そんなの、オレが知るわけないだろ」
「まあ、そうかもしれないけどさ」
と、すぐ横の草むらが微かに動いた。
どうやら、本当の母親がこちらの様子を窺っているらしい。
気配を殺してはいるが、動揺を完全には隠せなかったらしい。
風華と母親の間に割り込むように、立ち位置を変える。
…周りに他の気配はないな。
「ガゥ!」
「ひゃっ!な、何!?」
「威嚇なんてするなよ。危害を加えてないのは一目瞭然だろ?それに、こいつも怯えてる」
「え?え?」
「………」
少し間を置いて、草むらから蒼い龍が出てきた。
まだ警戒は解いてないが、子供の怯える姿を見て少し緩める。
「………」
「さあな。こいつが勝手に懐いてきたんだ」
「………」
「そんなの、オレが知るわけないだろ。こいつに聞けよ」
「………」
「オォン」
そして、子龍は名残惜しそうに戻っていく。
それにしても、お姉ちゃんだって?
「母親はどうした」
「…ワゥ」
「えっ、病気でって…。もういないってこと…?」
「………」
「風華」
「あ、うん…」
「………」
「そうか。元気でな」
「オォン」
「ああ。また来るよ」
「約束、だね」
「ゥルル…」
二人では辛いかもしれないが、頑張って生きてくれよ。
また、会いにくるから…。
「あっ」
「え?どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「何よ。変な姉ちゃん」
そうかもしれない。
いや、きっとそうだ。
あの姉弟は、あのときの龍の子供なんだ。
あのときの…。