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ちょうど腹が鳴り始めた頃、切り立った崖の足元にある大きな洞穴の前に出た。

中からは、水の匂いと微かな獣の匂いがする。


「ここか」

「うん。この奥」

「………」

「もう…蓮が怯えてたら話にならないでしょ?」

「ウゥ…」


ズリズリと後ろに退がっていく蓮。

風華はその首根っこを掴んで、厳しい目で見詰める。


「ウゥ…」

「イヤだ、じゃないでしょ?ほら、行きなさい!」

「オォン…」

「…やっぱり、喧嘩の原因はあなたにあるんでしょ。だから、帰られない」

「………」

「まだ掛かりそうみたいだし、先に行ってるぞ」

「あ、うん。ごめんね」

「…分かってるか?」

「何が?」


…まあいいか。

蓮を叱る風華を置いて、洞穴に入る。

懐かしい。

私の家族も洞穴を住処にしていた。

この上なく快適な家だったな…。


「ウゥ…」

「ん?お前が伊織か?」

「ウゥ…」

「唸っていても分からないだろ」

「………」

「そうだ。良い子だ」

「………」

「オレか?オレは紅葉って名前だ」

「………」


そして、暗がりから少し出てきて空気の匂いを嗅ぐ。

風華や蓮の匂いがしたんだろう。

首を傾げて、もう一度確める。


「どうだ。良い匂いでもするか?」

「………」

「ほら、疑うなら直接嗅げばいい」


一歩、近付く。

すると、少し驚いた様子で身を竦め、牙を見せる。


「警戒することもないだろ?オレが怪しいやつに見えるのか」

「ウゥ…」

「そんなだと、風華にも蓮にも嫌われるぞ」


さらにもう一歩近付く。

伊織は牙を剥いたまま、同じ分だけ退がる。


「つれないやつだな」

「ウゥ…」

「ほら、こっちに来い」


屈んで、伊織と目の高さを合わせる。

それでも、いつでも飛び掛かれる体勢は崩さない。

屈んだまま、ゆっくりと前に進んでみる。

伊織と目線を外さないようにして。


「ウゥ…」

「………」


唸ってはいるが、後ろに退がらなくなった。

ひとつ、進展だな。

そのまま近付いていく。


「ウゥ…」

「………」


すぐ目の前まで来て。

そっと手を伸ばす。


「ガゥ!」

「………」


グッと力を込める。

伊織の牙の間から、血が滴り落ちる。


「あっ!姉ちゃん!」

「待て、風華」

「で、でも…!」

「伊織。これで分かったか?オレはお前の敵じゃない。まだ分からないなら、そのまま食い千切ってしまってもいい。それで分かってくれるなら、腕の一本や二本、安いものだ」

「姉ちゃん!何言ってるの!」

「静かにしていてくれ」


風華に目配せする。

すると、まだ何か言いたげに口をパクパクさせたが、グッと言葉を飲んでくれた。

そして、もう一度伊織を見る。

ギリギリと腕を噛む力は変わらない。

…伊織の目は迷っていた。

私を信用してもいいのか。

それとも、仕留めてしまった方がいいのか。

それでも、真っ直ぐに私の目を見詰め返して。


「………」

「………」


噛む力が弛んだ。

腕を見ると、はっきりと歯形が付いていて。


「姉ちゃん!傷、見せて!」

「こんなの、舐めとけば治るよ」

「ダメだよ!伊織も舐めないの!」

「オォン…」

「うわぁ…酷い…。ちょっとそのままにしてて」

「ん?ああ、分かった」


風華は血がダクダクと出ている腕に手をかざし、意識を集中させる。

何が始まるのか、ジッと待っていると


「ん…?」

「動かないで!」

「あ、ああ…」


なんだ…?

傷がみるみる小さくなっていく。

そして、数秒の後に傷は完全に消えてしまった。


「……?」

「はぁ…。ホント、姉ちゃんって無茶するよね…。ユカラのときもそうだったけど…」

「性格だろうな。しかし、今、何をしたんだ?」

「術式だよ。前にも何回か見せたでしょ?」

「あぁ、雨を降らせたりするやつか」

「うん。今使ったのは"治癒"の術式だけど」

「ふぅん…」


目の当たりにしても…実際に術式の対象となった今でも、信じがたいものは信じがたい。

でも、傷が一瞬で治ってしまったのが、今ここにある真実だ。

不思議な力…なのか。


「それより伊織。どういうことなの?なんで、姉ちゃんの腕を噛んでたの?」

「いや、それはだな…」

「姉ちゃんは黙ってて。伊織がやったことは伊織に説明してもらうから」

「でも…」

「でもも芋もないの。弁護するなら、伊織が話してからにして」

「はぁ…」


こうなると勝てないな。

助けを求めるようにこちらを見る伊織に、首を振って諦めるように諭す。


「伊織?」

「ウゥ…」

「唸ってちゃ分からないでしょ」

「………」

「逃げようたって無駄なんだから」

「……?」

「私だってね、ただなんとなく毎日を過ごしてるわけじゃないんだよ。今だったら、伊織が言ってること、分かるんだから」

「……!」

「だから、声に出して考えてたら分かるからね」

「オォン…」

「ダメ」


キッと伊織を睨み付ける風華。

…なんだか、妹を叱る姉を見てる気分だ。

いや、娘を叱る母だろうか。


「伊織。ちゃんと言わないと、お昼ごはん作ってあげないからね」

「……!」

「じゃあ、早く話しなさい」

「………」

「黙ってちゃ分からないでしょ」

「オォン…」

「謝ってもダメ」


…まだしばらく昼ごはんにありつけそうにないな。

そういえば、蓮はどこに行ったんだろうか。

洞穴に入ってきたのは風華だけだったみたいだし…。

昼ごはんでも探しに行ってるのかな。


「伊織!」

「オォン…」


…厳しいな、風華は。

それだけ愛情を注いでいるってことなんだけどな。

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