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…なんだかいつもと違う匂いがする。
「ん…?」
すぐそばに葛葉の匂い。
そっと頬に触れると、モゾモゾとこちらに寄ってきた。
寝ぼけてるのかな。
服をギュッと握られてどうにも動けないから、もう一眠りすることにした。
「ふぁ…」
まだ月が見ていてくれてる…。
お休み…。
目が覚めた。
まず葛葉の寝顔が見えて。
耳をくすぐると、大きな欠伸をして目をパッチリと開けた。
「ねーねー」
「おはよう、葛葉」
「うん。おはよ」
「髪がボサボサだぞ」
「えへへ」
「何が嬉しいんだ?」
「ルウェのくしですいて~」
「あぁ、そういうことか」
たしか、私の書き物机の引き出しに仕舞っていたはずだ。
早速、布団から抜け出して…
「あれ…?」
「どうしたの?」
「あ、いや…」
「……?」
そうか。
そういえば、ヤゥトに来てたんだったな。
道理で、匂いも雰囲気も違うはずだ。
「あ、姉ちゃん。おはよ」
「おはよう。葛葉の櫛、知らないか?」
「荷物の中にあると思うよ。ちょっと待ってね」
そう言って、風華は持っていた箱を床に置いて荷物を漁りだす。
「あ、そうだ。葛葉、おねしょとかしてない?最近は大丈夫だったみたいだけど」
「してないと思うけど。どうだ、葛葉」
「してないよ」
「そう。それなら良いんだけど。はい、櫛。あと、朝ごはん、すぐに作るね」
「ああ」
風華から櫛を受け取り、布団のところに戻る。
葛葉はゴソゴソ布団の中で動き回って、楽しそうにしていて。
「楽しいか?」
「うん!ひさしぶりにかえってきた!」
「そうだな。オレは初めてだけど。それより、ほら。髪をすいてやるから、こっちに来い」
「えへへ」
布団から抜け出すと、私の膝の上にちょこんと座る。
九本もある尻尾を上手く身体に纏わせて。
「そんなにくっついたら、前髪しかすけないぞ」
「ん~」
今度はこちらに振り返って、ギュッと抱きついてくる。
髪をすいてもらうより、こっちの方が好きなんだな。
ひとまず櫛を置いて、葛葉を抱き締める。
「えへへ。ねーねー、大好きだよ」
「ああ。オレも大好きだ」
「ん~」
尻尾をユラリユラリと振って。
久しぶりに故郷へ帰ってきて、気持ちが昂っているんだろうな。
ゆっくり頭の後ろを撫でてやると、胸に額を擦り付けてきて。
「朝から仲良しだねぇ」
「桜か。おはよう」
「おはよ」
「昨日はどこで寝たんだ?こっちにはいなかったみたいだけど」
「そらねぇの家だよ。昔からあそこに住んでるの」
「そうなのか」
「うん。ところで、光、見なかった?」
「いや。いないのか?」
「うん。ボクが起きたときにはいなくてさ。こっちに来てるのかと思ったんだけど」
「オレは今起きたところだからなんとも言えないが、たぶんこの家にはいない」
「そっかぁ。旅団のところに行ったのかなぁ」
「ラズイン旅団はもう発ったのか?」
「さあね」
「もう朝の暗いうちに発っていったよ。クノさんが酷い二日酔いだったから、薬を出してあげたんだけど」
「ほぅ」
ちょうど部屋の前を通りかかった風華が答える。
朝の暗いうちか。
私が一回起きたのはそのせいだったのかな。
「挨拶もしないで、ごめんなさいって。昨日のうちに発つ予定だったのに、ちょっと遅れたから急いでたみたい」
「そうか」
「引き止めてすみませんって謝ったんだけど…」
「そんなのいいわぁ。どうせ、ゆっくり行く予定だったから。楽しい時間をありがとうね。また会いましょうねぇ。…だろ?」
「えっ、聞いてたの?」
「いや。でも、タルニアならそう言うだろうと思って」
「タルニアさんのこと、よく知ってるんだね」
「まあな」
付き合いも長いしな。
三ヶ月に一回の付き合いだけど。
いや、その期間が逆に大切なのかもしれない。
毎日顔を合わせる付き合いも良いが、そういう付き合いも良いものだ。
「あ、そうだ。光だ。風華、光、知らない?」
「光?見てないよ」
「どこに行ったのかな…」
「光のことだから、何も言わないで勝手に遠くに行くなんてこと、ないでしょ。桜じゃあるまいし。村の中にいるんじゃない?」
「ん…?今、なんか気になること言わなかった?」
「気のせいでしょ。それより、光に何か用事でもあるの?」
「ううん。朝起きたらいなかったから心配になっただけ」
「空姉ちゃんは何も知らないって?」
「あ…。そういえば、聞いてなかった…」
「空がどうかしたのか?」
「村の中のことなら、たいがいなんでも知ってる情報屋だよ」
「情報屋ねぇ…。ただの噂好きなんじゃないのか」
「そうとも言うかもしれない」
「正確に言えば、噂好きじゃなくて事実好きだけどね」
「ふぅん。まあそれはそれとして、光の行方は空に聞く、でいいのか?」
「うん、そうだね。じゃあ、ボクは一旦帰るよ」
「寄り道しちゃダメだよ」
「…どこに寄り道する場所があるのさ」
「桜はどこででも寄り道出来るからね」
「むぅ…」
と、そのとき、誰かのお腹の虫が鳴いた。
「あ、そうだ。朝ごはんだった。ごめんね、姉ちゃん」
「いや、今のは葛葉だ」
「おなかすいた…」
「葛葉だったの?もうちょっと待ってね。すぐに作るから」
そして、風華は部屋を出て朝ごはんを作りに行った。
「あはは。大きな音だったね」
「笑い事じゃないぞ。な、葛葉」
「………」
「ほら、ご立腹だ」
「ふふ、ごめんね。それじゃあ、ボクは帰るよ」
「ああ。またあとで」
「うん。あとでね~」
葛葉の頭を軽く撫でると、桜も部屋を出ていった。
私も、話が長引いてすっかりご機嫌斜めの葛葉の背中をそっと叩いて。
「むぅ…」
そんな風に呻きながらも、葛葉の尻尾はまたユラリユラリと揺れていた。