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F1品種ってなーんぞ?

作者: 暇庭宅男
掲載日:2026/05/09

レースで有名なフォーミュラワンではなく、フィリアル・ファースト。雑種第1世代。それが百姓にとってのF1品種というものだ。


現代で流通する野菜の大半はこのF1品種で、有名なものだとトマトの「桃太郎」シリーズや、玉ねぎの「ネオアース」にんじんの「向陽二号」はそれぞれ傑作の品種としてよく栽培されている。


ごく簡単に言えば、形や大きさのそろいのよい特長を持った品種と、味のよい特長を持った品種を掛け合わせ、形よく、大きさもそろう、味のよい品種。という欲張りなニーズを満たしたのがこのF1品種である。対して、固定種とは、何代もかけて特定の性質を選び続け、ある程度まとまった性質にそろえたものを言う。私は説明が下手くそなので、多分ネットで検索をかけてもらった方が分かりやすいと思う。


F1品種は店頭に並べるとやはり売れ行きがよい。まあそれは当たり前か。そろいが良いということは、すなわちどの商品を選んでも当たり外れが小さいということ。商売では大切なことだ。


こんにちの日本の八百屋はF1品種がなくては回らない。大きさバラバラのにんじんなんかお客さんには選ばれないし、古い固定種のトマトは青臭さがはっきり前面に出ていてこれも使いづらい。


栽培するにも販売するにも、F1品種というのはなくてはならないものになっているのだ。



だがしかし、F1品種には大きな供給の穴がある。

専用施設で、特定の品種のみを掛け合わせなければ作れないのだ。それはすなわち、専用施設を国内外にもつ種屋さん、種苗企業のみがF1品種の種を供給できるということ。品質にすぐれたF1品種を栽培したいと思えば、企業に依存するしかなくなるのだ。


そしてこれもよく言われることだがF1品種は種採りができない。私が書くよりネットを検索してもらった方が早いが、F1品種からできた種は、遺伝法則上同じ性質を持つことはできない。貯蔵性が良くて大玉のF1品種タマネギから種を採っても、貯蔵性が悪かったり小さかったりする、親の品種の悪い部分が容赦なく出てくる。


上記の理由をもって、F1品種に対して並々ならぬ憎悪をたぎらせる層というのは、生産者にも消費者にも常に一定数存在する。


実は私も生産者として、その気持ちはわからないではない。間違いなく売れるF1品種に関しては、種苗店のお世話になるより他はないわけだ。ちょっと説明しづらいが、生産者が必ず種苗店に金を払わねばならない仕組みが出来上がっているとも言える。ここからもう少し穿った見方をすると、世界の食糧生産はどこどこの巨大企業の手のひらの上……という、いかにもな理屈が出てくるわけである。

全てを否定することはできない。確かに、世界全体の食料供給からF1品種がゴッソリ欠けたら、我々はかなり困るだろう。少なくとも青果物に関しては、今の体制が完全に崩れる。一番分かりやすいのはキャベツや白菜などの葉っぱが球になる野菜だろう。これらは専用施設でないと種採りが難しく、F1という手段を封じられるとたちまち暴騰する。キャベツ1個に2000円払え!などということが無いとは言い切れなくなってくる。ものにもよるが種屋さんのおかげでお安く食べられる野菜は結構いっぱいあるのだ。言い方を変えれば、キャベツの値段は種屋さんの機嫌次第……なのかもしれない(もちろんウソである。市場競争があるからそんな単純ではない)


とまあ、種屋さんが悪者である。F1品種は悪である。という主張はまあまあ同調する人がいるのだが、私個人としてはF1品種を悪だとは言い切れない。


なぜなら、F1品種のおかげで世界中の食料供給はぐっと状態が良くなったのだ。今では普通になったが、今から100年前、まだ冬を越せる貯蔵性のタマネギは全然なく、キャベツは日本の畑では専門家しか作れないほど温度にも水分にも敏感で、トウモロコシは甘みのない、モソモソした、ご飯の増量剤だった。それが今どうなっているかはわざわざ説明する必要もないと思う。


少なくとも、一年中楽しめる食事の土台にはF1品種があり、私も含めて現代人はたいへん素晴らしいF1品種の特性にいつも助けられているのである。F1品種しか作れないというのは問題だが、躍起になって生活や食事から排除しなければいけないほどの悪者ではないはずだと、信じている。



そして、F1品種の供給が難しくなった……つまり大きな天災や、特殊な植物の病気などが出てきたときに、固定種は強みを見せるだろう。


自分で種採りができるというのは固定種の最も大きな武器である。畑と知識さえあれば、毎年、あなたの食卓にその野菜が絶えることはない。

種採りができれば、生きる糧としての食糧は自給できる。固定種は固定種でありがたいのだ。


現在、暇庭は品種にもよるが、茎立菜とスイカ、長ネギは必ず毎年種採りをしている。当然品質はあまり安定しないし、流行りにともなって導入された品種などと時たま交雑して毎年少しずつ姿形や味が違ったりする。そんな野菜、商品としてはド三流だ。でもまあ自分のハラに入るものであるから、許せる。万に1つが起きたときは、メシの保険としても有用だ。


長ネギが年々下仁田ネギのDNAを取り込んで短形になり極太になっていくのはなかなか面白いし、茎立菜がダイコンと交雑したものの中から蕎麦の薬味として使うような超激辛のミニダイコンができたりしてこれもなかなか面白い。スイカも縞模様がハッキリ出てみたり全体に黒っぽくなったり、逆にやや白っぽい外観になることもある。皮の厚みも分厚くて獣の食害を余裕で跳ね除けるものから、雨が降ると吸水した圧力で破裂するような皮の薄いものまで、中身もとびきりの甘さと香りで大当たりのものもあるし、逆に果肉の色味がやけに薄くて種回りの繊維が複雑な紋様を呈していたり。まるで理科の実験のようだ。商品としてはダメだが、育てているとそういう面も愛せるのはよくあることだろう。


えーとなんの話してたんだっけな。

そう、F1品種のお話だ。現在、商品として売り場で見ることのできる野菜たちは、だいたいがF1品種である。冒頭の繰り返しになるが、品質が安定していて、味も良く、商品として間違いない、底堅い価値をもつのがF1品種。


対して固定種は、自分で種採りができ、品質はばらつくがほんとうに無料で種を調達できる。万に1つというときも、食料供給の最後の砦になるだろう。個性はそれなりに色々出るがそれもまた楽しむのが粋というものかもしれない。


人口80億。F1品種前提の食料生産は今のところ、各種問題はありながらも、存亡に関わるような致命的なトラブルには見舞われていない。だが、これからもそれが続くかは、分からない。


私も収入源としてはF1品種におおいにお世話になりながらも、固定種を絶やさないよう、種採りをする。今年も暇庭は、F1品種の誰にでも喜ばれる大きくて甘い絹さやを収穫しつつ、5月の燦々とした太陽のもと、頼もしく花開いたネギ坊主を愛おしく眺めている。

遺伝子組み換え作物の問題が起きてからというもの、巨大な種苗会社への反発はたびたび、極めて刺激的な強い主張となって、賛同者をそれなりの数得てきた。


だがここに来て、F1品種までも悪であると断ずる意見がネットでぽつぽつと見られるようになった。

中にはF1品種と遺伝子組み換えを混同していたり、ある種の陰謀論の域にまで突っ込んでいるものまである。なんぼなんでもそれは行き過ぎじゃねーの?と思い、なるべく軽く、シリアスになり過ぎないよう書いてみた。読み返すとややまとまりがない文章。あとで直すかもしれない。

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