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いわくつきの宝石(ダイヤ)

掲載日:2026/02/18

『イングランド北部ノーサンバーランドで、模造品だと思われていた宝石が、実は34カラットの本物のダイヤモンドだったことが発覚した。およそ200万ポンド(約3億1000万円)の価値があるという。所有者は70代の女性。自宅の大掃除中に、長年ガレージセールで買い貯めていたものを査定に出したところ、予想外の結果が返ってきた。査定を行った競売会社の担当者M・L氏は、このダイヤモンドの真価を知って「大きなショックを受けた」と語った。このダイヤモンドは今年冬、オークションに出品される予定だ。』


 パリス郊外の公民館での出来事である。この館の玄関口の靴箱の上には、いつからか小さなケースに入れられた朱色の宝石の指輪が飾られていた。ケースはひどく汚れていたし、パリスの街には、安価で派手なイミテーションの宝石がありふれている。この珍しくもない小さな飾り物についても、特に顧みる者はいなかった。


 春も近づいたある日、偶然玄関を通りがかった若い女性が、その宝石に目を止めてしばし見とれる。彼女は吸い寄せられるように歩み寄り、うす汚れたガラスケースをじっと見つめる。その飾り物がひどく気に入ってしまったようだ。そこで公民館のスタッフにその宝石を譲ってくれるように頼んでみたのだった。スタッフたちもそう言われてみるまでは、玄関の人目につくところながら、そのようなちっぽけな飾り物があることを、ほとんど意識していなかった。さりとて、通りすがりの人に簡単に譲り渡すわけにもいかなかった。


「金銭的な価値に目が眩んだわけではありません。この宝石からはどうも運命のようなものを感じるのです。自分のものにしてみたいという衝動が湧いてくるのです」


 その女性がどうしても譲ってほしいと言い張るので、仕方なく、館長に相談してみることにした。


 館長のステマサ氏はその相談について、重く受け止めたりはしなかった。毎朝、館の内部を見て回っている自分でさえ、そんなささやかな飾り物があることを知らなかったし、これまで誰もそれに手を付けなかった以上、外観は本物の宝石に見えるとはいえ、高価なものとも思えなかった。もし、それが本当に高価な宝石であれば、あのような多くの人の手が届く場所には飾らないであろう。しかし、ベテランのスタッフを呼び寄せ、一応、件の宝石はどのようなものなのかについて尋ねてみることにした。


 その返事は、「清掃夫のお婆さんが庭に捨ててあったものを、何かの折に拾って来てあの場所に置いたらしい」というものであった。館長はそれを聞いて安心し、その娘さんに一週間後に取りに来てくれれば丁寧に包装した上でそれを渡す、と連絡した。


 その夜、テレビのニュースが街全体を揺るがすことになる。パリス最大の美術館に展示されていたエレグラードの涙と呼ばれる皇室ゆかりの赤く輝く宝石が、数か月前から行方不明になっているという事件が公表されたのだ。翌日の新聞に大々的に掲載されたその宝石の画像を見て、館長は驚愕する。それはもちろん、公民館の玄関に飾られた宝石と瓜二つであったからだ。館長は泡を食って、その筋の専門家を秘密裏に呼び寄せると、その宝石を見せた。そのプロの鑑定士の綿密な調査の結果は、「今すぐにでも、ここにエレグラードの涙が存在することを世間に向けて公表すべきです」とのことであった。館長はその報告を受けて、心臓に異常をきたすほど驚愕した。


 翌日、遅くなって出勤してきた副館長のカダフ氏は、その一部始終を聞くと、宝石を返却することに猛烈に反対した。今さら、宝石が公民館の玄関に数か月間も放置されていたことを公表しても、それはここのスタッフの落ち度にしかならない。我々は国宝の指輪を、これほど長い期間見つけられなかった過度で懲戒免職をも含む厳しい処分を受けるかもしれない、というのである。むしろ、このことを世間に対して隠し通し、宝石を裏社会に売りさばき、その儲けを等分に分けた方が我々の利益になると主張したのである。館長はカダフ氏がそのような悪事に手を染められる人間だとは思いもしなかった。まさに悪へのいざないであるが、館長自身もその説得を受けて気持ちが揺らぎだした。王室ゆかりの宝石が長期間にわたりこの公民館にあったことを今さら公表することは、責任者である自分も警察からの厳しい取り調べを受ける可能性があるということである。最悪の場合、この公民館のスタッフの中に美術館からそれを持ち出した犯人がいるのかもしれない。そうなれば、自分は責任を取らされて破滅である。どちらを選択しても危険を伴うのなら、自分にある程度の利益が残る選択をした方が良いようにも思えた。


 館長は態度を保留するしかなかった。気休めのために、最初はじめにこの宝石を館に持ち込んだ老婆に詳しく話を聞いてみることにした。しかしながら、彼女は相当に痴呆が進んでいて、まともな話を聞きだせる状態ではなかった。対話が長くなると、「私はこの一件には無関係だ。そんなものを拾った覚えはない」とまで言い出した。もしかすると、この老婆の話もすべてでっち上げなのかもしれない。館長の混乱は頂点に達した。彼は数日の間、問題の宝石を金庫の中に隠し通しつつ、眠れない夜を過ごした。


 事件が判明してから五日後、隣国において、エレグラードの涙を盗み出した犯罪者グループが逮捕されたという重大ニュースが、国営チャンネルにて報道された。それによると、本物の赤い宝石ダイヤは他国の美術館に売りさばかれる直前に警察の手によって取り戻され、そのまま我が国の王室に寄贈されたということであった。市民の間にも安堵の空気が流れた。館長は半信半疑の状態にて、この前とは別の鑑定士に所持している謎の宝石の鑑定依頼を出した。しかし、その汚れたケースの外見のことや、詳しいいきさつを聞かせると、その鑑定士はむべもなく「完全にイミテーションと思われます。公民館の庭に無造作に落ちていた物が価値ある宝石のわけがありません」との返答を寄こした。言われてみれば確かにその通りだ。もっと素直に考えていれば良かったのだ。館長はそのようにすっかり安心して、ようやく素性の知れたその赤い指輪を公民館の玄関の置き場所に元通りに戻した。


 その二日後、幸せそうな表情かおをした若い女性が、その飾り物のケースを受け取りに来た。受け付けのスタッフは館長の許可も下りたということで、立派な包装紙に包んで、その赤い宝石を女性にプレゼントした。「お幸せに。それは、あらゆる市民に長年愛されてきた『飾り物』ですから」この女性が今回の騒動をどのように眺めていたのかは知れない。彼女は三日後に結婚式を控えた妊婦であった。


 さて、彼女はその後幸せになったのか? それは未来のことなので誰にも分からない。そもそも、公民館に飾られていた宝石にはどのくらいの価値があったのか? それはこの物語に登場するすべての人物が知らないことであるし、この私にもまったく分からない。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。他にも多くの短編作品がありますので、できればそちらもご覧ください。よろしくお願いします。

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