HP1だけどMP1000の俺、異世界で美少女軍団に懐かれる〜女神のギフト『テレパス』で心の声を聞いたら、みんな俺にメロメロだった件〜
勉強も仕事もパッとしない、彼女もいない俺が異世界に呼ばれたのは、ある夜、コンビニからの帰り道だった。
いきなり地面が光ったかと思うと、次の瞬間、2メートルほどの高さからドスンと落とされた。
周りを見渡すとだだっ広い平原で、一目でここが異世界だとわかった。
「クソッ、降ろすならもっと優しく降ろせよな」と、俺は悪態をついた。
遠くに町が見える。
「とりあえずあそこまで歩いてみるか。ったく、どうせなら街の中に降ろしてくれりゃいいのに」
しかし、この時の俺は気づいていなかった。
俺がとんでもなくラッキーな男だってことに。
転移は空間座標上でランダムに発生する。
そのため、地中に埋まったり、空中に放り出されたり、海の中に転移して即死するケースが99%。
俺が「街の近く」に転移できたのは単なる偶然で、このラッキーは無数の屍の上に成り立っていたのだ。
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街に着いた俺は、さっそく冒険者ギルドの門を叩いた。
掲示板を眺めていると、高い声で呼びかけられた。
「お兄さん、冒険者は初めて?良かったら私とパーティ組みませんか?」
長く綺麗な白髪、淡いピンクの瞳、大きな胸と長い足。まさに俺の理想を絵に描いたような美少女だ。
腰に携えている剣を見るに、剣士だろうか。
「おっ、お、俺でよければ!ぜひ!」
俺は二つ返事でOKした。
「そう言えば、お兄さんは武器とか持ってないみたいですけど、魔法職の方ですか?」
「んー、どうだろ?俺もよくわかんね」
「ええっ、なにそれー!そんな人いるの?お兄さん面白すぎるんですけど!」
「あははー、そんなこと言われたの初めてだわ。君も、すっ、すごく可愛いね!」
「えっ、待って、やだ照れる!!」
やべっ、可愛すぎるだろこのヒロイン、と俺は思った。
そう言えば、俺のステータスってどうなってんだろ?
とりあえず試してみるか。
「ステータス……オープン!」
俺がそう唱えると、目の前にステータスウィンドウが表示された。
『MP1000、HP1、SP1』
何だこのアンバランスなステータスは。俺は思わず噴き出した。
「なになに、お兄さんのステータスそんなに面白いの?」
美少女が顔を乗り出してくる。
てか、ちょっ、顔近すぎ!息がかかってるんですけど!
「君、ちょっと顔が…」
「ん?私の顔がどうかしたの?」
「いや、なんでもない…」
クソッ、上目遣いで見つめてくる顔が可愛すぎだ。
「そういや、まだ名乗ってなかったな。俺の名前はトウヤ」
「私はエシャペ・ア・ラ・レアリテって言います。実は秘密なんだけど、私、貴族令嬢なの!」
「やっぱり!どことなく高貴な雰囲気がしてるもんね!それに名前も優雅だし!エシャって呼んでいい?」
「んー、貴族に呼び捨てはちょっと……。でも、トウヤは特別に許しちゃう!」
「……エシャ」
「んっ!!!ちょっ、いったん待って!恥ずかしくて無理!やっぱレアリテ嬢って呼んでもらっていい?」
「しょうがないなあ」
「あはは、冗談よ! エシャでいいわ。……さあトウヤ、早速ギルドで一番簡単な依頼を受けてみましょう!」
エシャが掲示板から引き剥がしてきたのは、『街外れの薬草採取』という、いかにも初心者向けの依頼だった。
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街の北門を出てすぐの草原。
エシャは長い足を軽やかに動かし、腰のレイピアを抜いた。
「……いた! 牙ウサギよ! 意外と凶暴なんだから!」
茂みから飛び出してきたのは、額に一本の角が生えたウサギだった。
「トウヤは私の後ろに隠れてて。私がバババーッて敵を倒してあげるから!」
「おう、頼もしいな」
「はあああぁぁぁっ!」
エシャが鋭い踏み込みで突きを放つ。……が、剣先は空を切り、勢い余って彼女は盛大に前のめりに転んだ。
「あいたた……。おかしいな、練習ではもっと格好よく決まっていたのに……」
「エシャ、危ない!」
転んだエシャの背後から、別の牙ウサギが襲い掛かる。
狙いは彼女の無防備な尻だ。
俺は反射的に手を伸ばした。
HP1の俺が接触すれば即死かもしれない。
しかし、身体が勝手に動いた。
「なんでもいいから、出ろッ!」
MP1000の魔力が、俺の指先に集束する。
ドォォォォン!!
「……え?」
目を開けると、そこにはあったのは霧散したウサギの残骸と、草原に穿たれた直径5メートルほどのクレーターだった。
「ト、トウヤ……今のは……?」
腰を抜かしたままのエシャが、震える声で俺を見上げる。
「あー……たぶん、魔法、かな?」
「たぶんってレベルじゃないよ! 街の門が吹き飛ぶレベルじゃん!」
エシャは驚きで目を丸くしていたが、すぐにぷぷっと吹き出した。
「あはは!トウヤってば、ステータスだけじゃなくて戦い方も極端すぎ!HP1なのに攻撃力だけ魔王級なんて、本当に面白いんだから!」
彼女は泥のついた服を払いながら立ち上がり、いたずらっぽく笑って俺の手を握った。
「決めた!私がトウヤの『盾』になってあげる。だからトウヤは、私の後ろからそのヘンテコな魔法で私を守ってね?」
柔らかい手の感触に、俺の心臓はダメージを受けそうになる。
異世界生活、初っ端から前途多難。でも、この可愛い相棒となら、案外楽しくやっていけるかもしれない。
「……まずは、そのクレーターに埋まってる薬草を掘り出すところからだな」
「あ、そっか。……トウヤ、やりすぎ!」
二人の笑い声が、午後の草原に響いた。
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それにしても、異世界の街を歩く人々は、見渡す限り美男美女だらけだ。
なぜここまで美形が多いのか。
あとで知ったことだが、異世界における人類は、数万年にわたり魔族や魔獣との戦闘を繰り広げてきた。
戦闘で男が死ぬため、男の人口は女に比べて非常に少ない。
だから、村に帰ってきた生き残りの男は、村一番の美人と結婚できる。
そういった選択が数万年にわたり繰り返されてきた結果、異世界では美形の遺伝子だけが残っているのだ。
そして、美形は強さの象徴でもある。
裏を返せば、現代日本から転移してきた俺は、現代日本でこそ「平均よりちょい下の容姿」だったが、異世界では「ゴブリンに見間違えられるほどの醜い容姿」であり、また「見るからに弱そう」に見られるのだ。
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それからの俺の異世界生活は、まさに順風満帆だった。
街を歩けば、向こうから美少女が声をかけてくる。
1人、また1人と増え、気づけば俺の周りには5人の美少女が揃うハーレムが出来上がっていた。
ゴブリン並みの容姿の俺に、なぜこれほど眩しい美形たちが群がってくるのか。
俺は考えるのをやめた。
目の前のラッキーを享受することに決めたのだ。
だが、そんな夢のような日々は突然終わりを告げた。
きっかけは、スキル『心の声』を獲得したことだった。
(助けて……誰か、助けて……)
ある晩、宿屋で眠りに就こうとした俺の脳内に、か細い悲鳴が聞こえてきた。
(……やめて、……触らないで……どうして私、笑ってるの?こんな奴のことを「面白い」なんて……。殺して、誰か私を殺して!)
「……っ、うわあああ!」
俺はベッドから転げ落ちた。
声の主は間違いなく、俺の隣で眠っているエシャだ。
一体どういうことだ?
「ようこそ、私の箱庭へ」
突然、部屋の空気が凍りついた。
空間がガラスのように割れ、そこから眩い光を放つ美女が現れた。
彼女は俺の錯乱ぶりを眺め、慈母のような微笑みを浮かべている。
「私はこの世界をつかさどる女神、ラタント・デュ・レクトゥールよ」
「女神様……? これは、何なんですか。あいつら、助けてくれって……」
「あら、感度が良すぎたかしら? せっかく『心の声』なんてギフトをあげたのに、余計なものまで拾っちゃったのね」
女神は優雅な所作で、俺の頬を撫でた。その指先からは、生き物に対する体温が微塵も感じられない。
「いい?トウヤ。あの子たちは、あなたがこの世界を楽しむために私が用意したおもちゃなの。元の人格のままじゃ、あなたみたいな異物を愛するはずがないでしょう?だから、ちょっとだけ脳の回路を繋ぎ変えてあげたのよ」
「繋ぎ変えた……? 人格を、操作してるってことか?!」
俺の叫びに、女神は心底おかしそうに肩を揺らした。
「操作だなんて人聞きが悪いわね。これは『調整』よ。彼女たちの本来の意識は深く深く沈めて、あなたの好む『エシャ』の人格を上書きしてあげただけ」
女神は空中を指差した。そこには、エシャの精神構造がホログラムのように投影されていた。
「見て。この子が本来持っている『プライド』や『嫌悪感』を、無理やり『献身』と『照れ』に変換しているの。本来の彼女は、今も心の中で悲鳴を上げているけれど、肉体は私の命令に従って、あなたに愛を囁き続ける……。素敵だと思わない?」
「どうして……どうしてそんな酷いことを!」
俺の問いに、女神は少しだけ困ったような顔をして、こう断言した。
「だって、あなた、この子たちの本当の顔なんて見たくないでしょう?」
女神の瞳に、ゴミを見るような冷徹な光が宿る。
「あなたのために用意したおもちゃが、実はあなたを殺したいほど憎んでいたら、なんとかして懐かせてあげたいと思うでしょう?さあ、トウヤ。知らなかったことにして、また明日から楽しいハーレムごっこを続けるといいわ。よ~くお眠りなさい」
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チュンチュン、チチチ。
窓から差し込む柔らかな朝陽を浴びて、俺はゆっくりと目を開けた。
「……ん、朝か」
なんだか、ひどく恐ろしい悪夢を見ていたような気がする。
冷や汗でシーツが少し湿っている。
だが、その内容を思い出そうとしても思い出せない。
「トウヤ、まだ寝てるの?もー、お寝坊さんなんだから!」
扉が勢いよく開き、エシャが飛び込んできた。
長く綺麗な白髪を揺らし、淡いピンクの瞳を輝かせて俺を覗き込む。
「ほら、早く起きて。今日はみんなで森へピクニックに行く約束でしょ?」
「ああ、そうだった……ところで、エシャ」
「ん?なあに?」
小首を傾げる彼女は、最高に愛くるしい。
だが、なぜだろう。
あんなに可愛くて仕方なかった彼女の笑顔が、今はまるで、精巧に作られたロウ細工のように見えてしまう
「……いや、なんでもない。すぐ準備するよ」
「えへへ、楽しみだね!私、トウヤのためにサンドイッチ作っちゃった!」
エシャは俺の腕に抱きつき、豊満な胸を押し当ててくる。
いつもなら鼻の下を伸ばして喜ぶところだ。
しかし、彼女の肌が触れた場所から、氷のような冷たさが伝わってくる気がした。
(……助けて……)
幻聴だろうか。
彼女の明るい声の裏側で、押し殺した悲鳴が聞こえた気がした。
「トウヤ?顔色が悪いけど、大丈夫?」
心配そうに上目遣いで覗き込んでくるエシャ。
「ああ、大丈夫だ。……行こうか、エシャ」
俺は彼女の手を取った。
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森に到着した俺たちは、木漏れ日が差し込む美しい泉のほとりに腰を下ろした。
「さあ、トウヤ! 私が作ったサンドイッチ、あーんして?」
エシャがいつも通り、蕩けるような笑顔でパンを差し出してくる。
しかし……。
(不潔。汚らわしい。この豚の口に、私の指が近づくだけで指先を切り落としたくなる……)
心の中に流れ込んでくる、拒絶の叫び。
すべて思い出した!!!!
女神が俺を喜ばせるために維持している、この歪んだ幸福の真実を。
「……もう、いいんだ」
俺はエシャの手を優しく、だが力強く押し戻した。
「えっ、トウヤ……?」
俺は空を見上げ、震える声で叫んだ。
「女神様!見ているんだろ!出てきてくれ!」
空気がパキリと割れ、あの眩い光とともに女神ラタント・デュ・レクトゥールが降臨した。
彼女は泉のほとりにふわりと舞い降り、慈母のような微笑みで俺を見つめる。
「あら、ピクニックの最中に私を呼ぶなんて。トウヤ、もっと甘い時間が欲しくなったのかしら?」
「違う……! こんなの、もう終わりにしてくれ!」
俺は膝をつき、拳を地面に叩きつけた。
「エシャも、みんなも……泣いてるんだ! 俺のために、彼女たちの心を檻に閉じ込めるのはやめてくれ。お願いだ、彼女たちを『本当の姿』に戻してやってくれ!」
女神にとって、俺は「異世界という名の箱庭」に招き入れた愛玩動物、いわばペットに過ぎなかった。
猫の飼い主が、愛猫が寂しがらないようにぬいぐるみやキャットタワーを買い与えるのと同じ感覚で、彼女は俺のために「俺が好みそうな設定の美少女」を用意したのだ。
純粋な、あまりに純粋で傲慢な善意によって……。
女神は、心底不思議そうに小首を傾げた。
「あら、不満なの? あなたのために、わざわざ扱いやすい性格に書き換えてあげたのに。おもちゃにするなら、大人しくて可愛い方が幸せでしょう?」
「彼女たちはモノじゃない!心があるんだ!」
「……ふうん。まあ、あなたがそう言うなら元に戻してあげるわ。でも、後悔しないでね?」
女神が指を鳴らした瞬間、彼女たちを縛っていた不可視の枷が弾け飛んだ。
俺は安堵し、エシャの手を取ろうとした。
「よかった、エシャ。もう大丈夫だ……」
だが、俺の手を振り払った彼女の瞳には、かつて見たことのないほどの、ドロドロとした嫌悪が宿っていた。
「……あー、きもいきもいきもい! マジで死にたいんだけど!」
エシャは、自らの腕をかきむしりながら叫んだ。
「自分の体が意志に反して動く絶望だけでも死にたかったのに、よりによってこんなドブネズミみたいな男に奉仕させられてたなんて。今すぐ記憶を全部消し去りたいわ!」
「エシャ……?」
「その名前で呼ぶな!醜悪な化け物が。吐き気がするわ」
隣にいた他の美少女たちも、一様に凍りつくような冷ややかな視線を俺に向けている。
「私も同感です。……トウヤさんでしたっけ。あなたが時々、粘つくような下卑た視線で私を見てくるたび、魂が汚されるような不快感でいっぱいでした。……お願いですから、二度と私たちの前に現れないと誓っていただけますか?」
彼女たちの言葉は、物理的な攻撃よりも鋭く、俺のHPを削り取っていく。
ようやく理解した。
「美しさが強さ」であり「醜さが弱さ」であるこの世界において、彼女たちが俺に向ける感情は、ただ一つ……生理的な拒絶だけだった。
俺は呆然と立ち尽くしていた。
「……後悔しないって、言ったじゃない」
頭上から、女神の楽しそうな声が降り注いだ。
「……アハハ、傑作ね。自分から『地獄』の蓋を開けるなんて」
女神の嘲笑が響く中、エシャたちはゴミを見るような一瞥を俺にくれ、背を向けて去っていった。
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俺は途方に暮れて1人で街に戻った。
当てもなくフラフラと歩いていたら、荒くれ冒険者にぶつかってしまい、因縁をつけられてボコボコに殴られた。
顔を上げた時、建物の陰から一人の少女がこちらを窺っているのに気づいた。
ボロボロの布を纏い、顔は泥で汚れ、片足を引きずっている。
かつて俺の周りにいた美形たちとは程遠い、この世界の底辺にいるような少女だった。
「……あ、あの……大丈夫、ですか?」
蚊の鳴くような声。
俺は自嘲気味に笑った。
今の俺はボロボロのゴブリンに見えるはずだ。
こんな醜い化け物に声をかけるなんて、物好きか、あるいは何か企みでもあるのか。
俺は無意識に、呪いのように発動し続けている『心の声』に耳を傾けた。
(ひどい。あんなに悲しそうな顔、見たことない……助けてあげたいけど、私なんかじゃ迷惑かな……)
「え……?」
俺は耳を疑った。
彼女の心の中には、一点の濁りも、嫌悪もなかった。
あるのは、純粋な、あまりに純粋な他者への共感と心配だけ。
女神が植え付けた不自然な善意ではない。
地をはいつくばって必死に生きる人間が、同じように傷ついた者に向ける、温かな善意だった。
「君は……俺が、怖くないのか?」
「えっ? ……ええ、だって、あなた……今にも消えてしまいそうなくらい、震えてるから」
彼女の名はリナ。
容姿の美醜が価値のすべてを決めるこの残酷な異世界で、醜いと蔑まれ、村を追われた孤独な少女だった。
美形たちが俺を「化け物」と蔑む中で、彼女だけは、俺を1人の人間として見てくれた。
それから俺たちの逃避行が始まった。
俺のMP1000は、リナと2人で生き抜くための盾となった。
リナは俺が魔法を使うたびに「すごいね、トウヤ様!」と、心の底から賞賛してくれた。
俺は初めて、ありのままの自分を愛してくれる喜びを知った。
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ある日、古の遺跡を探索していた俺たちは、異空間の歪みが、地球への回帰門になっていることを発見する。
「リナ、これは……俺の世界へ繋がっているみたいだ」
門の向こう側に見える、懐かしい日本の、少し汚れて騒がしい夜の街。
「トウヤ様……行って。あなたは、あっちの世界の人だから」
リナが寂しげに手を離そうとする。
だが、彼女の心の声はこう叫んでいた。
(行かないで……本当は、ずっと一緒にいたい。でも、私みたいな醜い女が、一緒に行ってもいいの……?)
「バカ言え。一緒に行くんだよ、リナ」
俺は彼女の細い手を強く握り締め、全力のMPを門に注ぎ込んだ。
光が溢れ出す。
次に目を開けたとき、鼻をついたのはコンビニの揚げ物の匂いと、排気ガスの懐かしい香りだった。
「……帰って、きたのか?」
アスファルトの硬い感触。遠くで聞こえる車の走行音。
俺は勝ち誇った気分で、腕の中にいるはずの最愛の少女へ視線を落とした。
「やったぞリナ、ここが俺の……」
次の瞬間、俺は凍りついた。
腕の中にあったはずの温もりは、どす黒く、粘り気のある肉塊へと変貌していた。
その身体は形を保てず、腕と腕の間からベチャベチャと地面に零れ落ちた。
「あ……ああ……なんだ、これ……リナ?リナなのか!?」
俺は狂ったように、地面に散らばった「かつてリナだったもの」をかき集めようとした。
「リナ……リナ!! 嘘だろ、目を開けてくれよ!!」
そうだ、俺にはまだ、あの規格外の力がある。
女神から与えられた、あの化け物じみた魔法があるじゃないか!
「回復魔法……ヒール!回復しろ、頼む、治ってくれええ!!」
俺はリナの残骸に向けて、渾身の力を込めて叫んだ。
いつものように、体内の魔力を指先に集束させようとした。
だが。
「……っ? 出ろ、出ろよ!クソッ、何でだ!!」
指先からは何の光も放たれない。
それどころか、あれほど体内に満ち溢れていた魔力が、どこを探しても見当たらないのだ。
「う、ああ……あああああッ!!」
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諸君は、なぜ「転移者」が圧倒的な魔力量を保有しているのかと疑問に思ったことはないだろうか。
実は、地球の人類に比べて、異世界人の身長は20分の1程度しかない。
トウヤが異世界で出会ったエシャやリナも、実はわずか数センチの小人に過ぎなかったのだ。
地球人をそのまま異世界に転移させたら巨人扱いされてしまうため、召喚の際に女神が20分の1のサイズに縮小している。
その際、小さな体に収まり切らない膨大な生命エネルギーが魔力に変換される。
トウヤの膨大なMPの秘密がこれだ。
逆に、もし転移者が地球に戻れば、魔力は生命エネルギーへと逆変換され、魔法が使えない「ただの人間」に戻る。
では、主人公が異世界で恋仲になった異世界人の少女を地球に連れ帰った場合はどうなるだろうか。
彼女たちは、もともと数センチの存在だ。
それを地球人サイズにまで引き伸ばすには、膨大な生命エネルギーを必要とする。
少女の魔力量が平均的、もしくは少量であった場合、魔力は身体の大きさを20倍にする過程で一瞬にして消費し尽くされる。
それでも足りない場合は、エネルギーは彼女の細胞そのものから強制的に徴収される。
結果として、彼女の身体は地球人並みの大きさにまで引き伸ばされたが、それを支えるだけの生命エネルギーが足りなかったため、爆発的な膨張の果てに、彼女の血管は裂け、骨は砕け、内臓は泥のように溶け落ちたのだ。
夜のコンビニの駐車場、オレンジ色の街灯の下で、トウヤは変わり果てたリナを抱きしめ、哀しみと絶望の入り混じった咆哮を上げた。
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あれから数日が経った。
あの異世界での日々は、今ではすべて夢だったのかもしれないと思うことがある。
映画でありがちな「でも異世界から持ち帰ったコレがあるから、あれは夢じゃなかったんだ」と自覚できるような代物は何もない。
残っているのは俺の中の記憶だけ。
その記憶すらも、転移の影響のせいか急速に薄れつつある。
エシャの笑い声も、女神の凍てつく視線も、そしてリナの震える声も、指の間からこぼれ落ちる砂のように、日を追うごとに実感を失っていく。
しかし一つ確実に言えるのは、この地球の景色が、以前とは全く違って見えるということだ。
俺は異世界であんな経験をしたのに、いやしたからこそ、変わらず東から登って西に沈む太陽が、なんだか無性に不思議に、そして美しく感じられる。
これが成長ってやつなのか?
それとも何かを失くしてしまったということなのか?
今の俺にはその結論を出すことができない…。
「……あははっ、本当に無様」
一瞬、耳鳴りのような澄んだ声が風に乗って聞こえた気がした。
「しょうがないわね、また新しい子を呼ぼうかしら」




