最終話 君に春風を
王女様とアルノーン王子を奪還してから数日、気付けばローネリア滞在最終日。
俺達にも別れの時がやって来た。
ローネリア宮殿の庭園、これから馬車に乗ってサーガハルトに帰ろうという俺達を、王子達は見送りに来てくれていた。
レナーテットはメアリーさんと一緒に馬車の支度をしている。
俺は護衛のために、王子と話す王女様の近くに付いていた。
「今回はありがとうございました、殿下」
王女様に向かって王子は丁寧に言う。
「…………」
しかし、王女様は何も返答しない。
ガン無視である。
「あの、殿下……」
「…………」
「でん……」
「…………」
アルノーン王子は何度も王女様に呼びかけるが、王女様はそっぽを向いて無視を決め込んでいる。
あまりに非情な王女様の対応に、王子の声も尻すぼみになっていく。
だから、王子は諦めたように一つ大きく息を吐いてから、恥ずかしそうに視線を地面に落として――――
「…………ハナ」
耳を真っ赤にしながら、蚊の鳴くような声で呟いた。
すると、王女様は花が咲いたような満面の笑みになって、嬉しそうに言葉を返すのだ。
「なぁに? アルノーン」
「いやっ、あの……普通に呼んだ時も、返事してくれたら嬉しいんだけど……」
王子は困ったような表情を浮かべて言う。
ここ数日、王女様は王子に殿下と呼ばれたり敬語を使われたりする時は、完全にシカトするというパワープレイに出ていた。
「何を言ってるの? わたしの名前はハナウィルシアよ。デンカなんて人知らないわ」
「そういうことじゃなくて……国同士の力関係とか、立場的な問題とか、そういうのもあるから――――」
「そんなの私は気にしないわ。気にする人は黙らせれば良いのよ。わたし、サーガハルトの第三王女だもの」
王子は終始困り顔だが、王女様は楽しそうに笑っている。
王子としては少し胃の痛い話なのだろうが、俺はこの光景が微笑ましく思える。
こんなにも嬉しそうな王女様の顔は、ローネリアに来たばかりの頃では見られなかった。
こうして笑い合う二人を見られただけで、俺が命を懸けた報酬としては十分だ。
「なんだか浮ついた顔ですね、シェイルさん」
ふと、王子の後ろに控えていたメイドに声をかけられた。
「リノさん。……はい、そうですね。少し、浮かれているのかもしれません」
木製の松葉杖をついてこちらへと歩いて来るリノさんに、俺は素直に返答した。
俺はこの二人を守れたことがたまらなく嬉しい。
嬉しくて仕方ない。浮ついているというのは、確かにその通りだ。
「リノさんは……どうですか? 足の具合」
「全治一か月だそうです。おかげでしばらく暇がもらえますよ」
今日のリノさんは会話の内容が控えめだ。
いつもは、主にアルノーン王子に対してのちょっとヤバめな発言が目立つが、ここでは本人の前ということで抑えているのだろう。
「無事で良かった。王子も、ハナウィルシア殿下も」
ポツリと、リノさんが呟いた。
そこに込められた感情の全てを読み取ることはできなかったけれど、何となく、この人が王子のメイドで良かったと思った。
こうして無事を喜んでくれる人が、王子の側にもいてくれて良かったと思ったのだ。
「そうですね。本当に、無事で良かった」
花々が彩る庭園で、楽しげに笑い合う二人を見守る。
愛しい景色を視界に収めて、俺は静かに瞼を閉じる。
この任務が終われば、俺は一介の騎士に戻る。一国の王女や王子と関わる機会は、そうそう訪れはしないだろう。
それが少しだけ寂しくもある。
けれど、まあ、そういうものだ。もう二度と会えなくたって、ここで過ごした日々は消えないのだから。俺にはそれで十分だ。
「あ、シェイルさん」
瞼を開く。
アルノーン王子が俺を見上げて立っていた。
「今度会ったら、また剣を教えて欲しいんだ。シェイルさん、教えるのがすごい上手だったから」
今度。
今度があるのだろうか。
あると良いな。
俺が王子と再び会う機会が、また剣を教える機会があるのだろうか。
それは分からない。
分からないけれど、そんな未来が来てほしいと思う。
「はい。俺で良ければ、いくらでも」
だから、そんな未来を願っていよう。
たとえ二度と訪れない夢だとしても、それを願うことには意味があるはずだ。
叶わないから意味が無いなんて、きっと、そんなことはないのだから。
「それじゃあ、またね、アルノーン。また近い内に来るわ」
王女様はあっけらかんと言ってのける。
「え、そんな簡単に来れるの?」
俺が疑問に思ったことは、王子が先の口にした。
一国の王女が旅行気分で他国に行けるほど、この大陸は平和ではない。
他国訪問の際に暗殺や誘拐のリスクが高まるのは、今回の件が証明している。
安全のためにも、王族の他国訪問は最低限にするのがセオリーだ。
「大丈夫よ」
けれど、王女様は大丈夫だと言う。
暗殺される心配も、誘拐される恐怖も無いと。
そういう事は全て、大丈夫なのだと。
「だって、わたしの護衛は世界一だもの」
王女様は満面の笑みで言った。
ああ、ここにレナーテットがいなかったことが惜しまれる。彼女にも聞かせてあげたかった。
きっと、御伽噺を読んでもらった子供みたいに喜ぶだろうから。
***
無事、王女様をサーガハルトの王城まで送り届けた俺とレナーテットは、二人して王都の大通りを歩いていた。
二人とも仕事終わりでやることもないのだが、何となくこのまま解散する気にもなれず、王都をブラついている次第だ。
「いやぁ~、お疲れー。思えば壮絶な仕事だったねー、こんなガチで死にかけたの初めてかも」
「確かに。一週間少ししか経ってないとは思えないな。何と言うか、密度が凄かったから」
「そうそれ。なんか一か月くらい頑張った気分」
時間にしては一週間と少しくらいの任務だったが、レナーテットとは大分打ち解けた。
こうして任務の終了後も街を歩けるくらいなのだから、これはもう友達と言っても良いのではないだろうか。
「ああ、そういえば……レナーテット。俺、あんたに伝えたいことがあるんだ」
「え、何々?」
俺がそう言うと、レナーテットは食い気味に訊いてきた。
別に、そこまで大した話じゃないのだが、やけに食いつきが良い。
「『春風のアルノーン』……前はああ言ったけど、実は俺もファンなんだ。子供の頃、何度も読み返してた」
『春風のアルノーン』。俺が騎士を目指すきっかけとなった物語。
一時は俺にとっての呪いみたいな御伽噺で、それでもやっぱり、俺が憧れてやまない英雄譚。
「なんか、嘘吐きっぱなしってのも気持ち悪くて」
自分でも何を言っているか分からなくて、俺は曖昧に頬を掻いた。
けれど、レナーテットは穏やかな顔をして、綺麗なオッドアイでこちらを見つめていた。
「そっか。実家にあったの?」
「ああ、誕生日に母さんが買ってくれたんだ。嬉しかったなぁ、あの時は。うちに本なんて無かったから」
子供の頃、母さんが本屋で買ってくれた御伽噺。
あれは何歳の誕生日だっただろうか。もう記憶は色褪せて思い出せないけれど、ただ嬉しかったということだけ覚えている。
「そういえば、シェイルって実家どこ? 王都じゃないよね?」
「ブロスの方。家売っちゃったから、もう実家無いけど」
「そっかぁ。なんか、知りたかったんだけどなー。シェイルがどんな所で育ったのか、みたいなの」
レナーテットは少しだけ残念そうに、ぼんやりと呟く。
「……次の休み」
その横顔を見ていたからだろうか、つい、こんなことを言ってしまった。
「母さんの墓参りに行こうと思ってるんだ。暇なら付き合ってくれよ。……母さんも、俺一人には飽きてるだろうからさ」
俺がそう言うと、レナーテットは一瞬目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
混じり気の無い、無邪気で可愛らしい笑顔だった。
「オッケー、約束ね」
喧騒に満ちた王都の街並み。
見上げる空は晴天。陽光が照らす大通りは、賑わいに満ちている。
俺達の声は賑やかな街の喧騒に、飲み込まれては消えていく。
この穏やかな日々の欠片に、君と過ごした一週間と少しに、俺の心がどれだけ救われているか。
そんな恥ずかしいことは言えそうにないから、その横顔を眺めるに留めた。
「あ、そうだ! ご飯行こうよ。私、良い店知ってるんだ。護衛任務の打ち上げってことで」
「そういや、初めて会った時も……」
「そうそう。あの時はなんだかんだ行けなかったでしょ? ほら、こっちは一回フラれてるんだからさ。埋め合わせ埋め合わせ」
「そうだな。行くか」
「よーし! それじゃ行こ行こ。お店こっちだから」
君は少し早足になって、俺の少し前を歩いていく。
どこか上機嫌な足取りの君は、少し進んだ所で振り返って、取り残され気味な俺に手を振るのだ。
「早く! シェイル!」
俺の名前を呼ぶ君は、眩しいばかりの綺麗な笑顔で。
迂闊にも、二色の瞳に見惚れてしまいそうになる。
誰よりも眩く輝く君は、速まる俺の脈拍になんて、少しも気付いていないのだろう。
「ああ、今行く」
優しくそよぐ春風が、この想いを君にまで届けてくれたら良いのに。
なんて、詩人じみた言葉は胸に留めて、君の背中を追いかける。
ふわりと吹き抜ける春風が、背中を押してくれている気がした。
君に春風を、これにて完結です。
コンパクトで読みやすい話作りを心がけたのですが、いかがでしたか?
是非、あなたの感想を聞かせて下さい。




