第二十九話 追い風を
すぐ隣に立ったレナーテットとシェイルは拳を合わせる。
すると、拳を通してレナーテットの魔力がシェイルに流れ込んだ。
すっからかんになっていたシェイルの魔力が見る見るうちに回復していく。
「太っ腹だな」
レナーテットに魔力を譲渡されたシェイルは、冗談交じりに言う。
「まあ、ここまで頑張ってくれたみたいだし? ここは私の奢りで」
シェイルのジョークに乗り、レナーテットも笑って返す。
緊迫した戦場において、どこか気の抜けたやり取り。
けれど、二人が緊張の糸を切らせることはなく、むしろ集中力が上がっていく。
「おいおい、マジかよ。飛行魔術で飛んで来たってのか。どんだけ離れてると思ってんだよ」
飛行魔術は本来魔力消費が激しい。
移動速度は目を見張るものがあるが、その分燃費が悪いのが飛行魔術なのだ。
宮殿から僻地の砦跡へ飛んで来たレナーテットは、それだけの魔力を自身で賄ったことになる。
(この長距離を飛行魔術で飛んで来たなら、相当魔力を消費したはず。もうあの意味不明な魔術を使えるほど魔力に余裕は無いはず。……まだ、勝機はある)
魔力探知でレナーテットの魔力残量を探りつつ、ルナァスはレナーテットの状態を推理する。
ルナァスの推理は正しい。連戦に加えて長距離の飛行魔術で大量の魔力を消費したレナーテットは、ここからの戦いで宙域消失点は使わないと決めている。
だが、問題はもっと深い部分。
ハナウィルシアに逃げられることが確定したこの状況で、ルナァス達にこれ以上戦う意味があるのか。
「ファンガル」
ルナァスは隣の男に語りかけた。
復讐の成就を既に阻まれた敗北者に、ルナァスは意思を問う。
否、意思を確認する。自分達の目的は今も変わることは無いと。圧倒的な強者への足掻きなのだと。
「勝とう、私達で。こいつらに」
その瞬間、ほんの一瞬だけ、ファンガルの目が大きく見開かれた。
その鋭い瞳に映った色は、一体如何なるものか。
「ああ、勝つ。今度こそ、俺達で勝つんだ」
煤の如き男は宣誓する。
これはリベンジマッチであると。五年前、何もできずに蹂躙されたあの夜の、リベンジをここで果たすのだと。
彼らは復讐者であり、かつての雪辱を果たしに来た挑戦者。
挑戦者達を前に、シェイルとレナーテットは戦意を迸らせる。
お互い、これが最終決戦だと理解していた。
「じゃ、行こうか。シェイル」
「ああ、背中は任せた」
先手を打ったのはシェイル。レナーテットが展開する魔力弾に紛れ、一直線にルナァスへの距離を詰めていく。
そこへすかさずベンターとファンガルがフォローに入る。
剣士であるシェイルに対して、躊躇無く間合いを詰めて来たファンガル。その一歩手前でベンターは援護の体勢を取っている。
ファンガルの背後で、ベンターが水晶石を地面に叩きつける。
「結界魔道具起動!」
ファンガル、ベンター、シェイルの三人を囲んで展開したドーム状の結界。
ベンターは結界を起動することで、レナーテットの魔力弾から身を守りつつ、結界内で二対一の状況を作り出した。
(レナーテットは大分魔力を消費してる。レナーテットなら結界を攻撃魔術で破れるかもしれないけど、それをできるほど魔力に余裕があるとは限らない。なら、今俺がすべきは――――)
シェイルは視線とモーションで、如何にもファンガルに斬りかかるように見せかける。
そう見せかけておきながら、彼が狙うのは結界そのもの。
撫でるように走らせた刃は、ドーム状に構築される結界の一端に触れた。
(この壁を崩す!)
シールドブレイク。
剣に流した魔力で結界の魔力を乱したシェイルは、ドーム状の結界を一撫でで崩壊させる。
光の破片となって崩れ落ちる障壁。
破砕する光の壁は、神秘的な光景を描いて霧散していく。
(シールドブレイク! この時代でまだ使えんのか……!)
結界を失ったベンターとファンガルに魔力弾の雨が降り注ぐ。
与えられた猶予は一秒足らず、ファンガルに残された選択肢は二つ。
回避に専念するか、ダメージ覚悟で目の前の騎士を獲りにいくか。
「当然殺す……!」
ファンガルは躊躇無く、シェイルの間合いに踏み込んでいく。
それに対し、シェイルは返す刃でファンガルを迎撃する体勢を整える。
刹那の攻防、攻撃を選べたファンガルとは違い、ベンターの選択肢はもっと少なかった。
レナーテットの魔力弾を避ける身体能力の無いベンターにとって、一秒後のノックダウンは確定している。
そんな状況で、彼が選択したのは――――
「瞬間発光魔道具起動」
小さな魔道具を放ること。
ただ、それだけの選択の後、レナーテットの魔力弾が彼を全方位から打ちのめし、ベンターは全身の骨を折られて地面に倒れた。
中空に放られた水晶が一つ。
男が倒れ際に投げた石一つに、シェイルの意識は釘付けになった。
「――――っ」
ほとんど本能的に、シェイルはそれを斬っていた。
振るわれた刃は寸分違わず、宙を舞う小さな水晶を粉々にする。
その一瞬の隙をファンガルは見逃さない。
一歩、大きくシェイルへと踏み込み、渾身の力で拳を打ち抜く。
蹴飛ばされたボールのように、地面を激しく転がるシェイル。
そんな彼を追撃するように、少女が弓を引き絞った。
「――――撃て! ルナストラフィーア!」
放たれるは神速の矢。
地面を転がりながらも、受け身を取って立ち上がろうとするシェイルに、不可避の矢が肉薄する。
その軌道上に割り込んだのは、オッドアイを輝かせた魔術師。
(止められる。それにはもう適応した)
レナーテットが展開したのは、一枚の防御魔術。
しかし、それはただの防御魔術に非ず。
ここまでの戦闘情報を魔力視の魔眼で分析し、それに合わせて術式を組み替えた、オーダーメイドの防御壁であった。
月弓を止めるために適した形に作り替えた、防御魔術とは似て非なる即席の魔術。
レナーテットが展開した光の壁に、ルナァスの矢が激突する。鼓膜が破れると錯覚するような轟音が響き、衝撃波で体が震える。
しかし、防御魔術には罅一つ入っていなかった。
(止められた! さっきまでは貫けてたのに……!)
防御魔術の術式を組み替え、ルナァスの狙撃を防げる形にまで調整したレナーテット。
彼女が反撃の魔力弾を撃つ前に仕留めるべく、ファンガルはレナーテットへと向かっていく。
だが、既に立ち上がったシェイルが、その動きを阻むように剣を振り下ろした。
シェイルがファンガルを牽制し、レナーテットはルナァスと距離を置いて向かい合う。
疑似的な一対一の状況が二つ。
月弓に対する防御手段さえ得たレナーテットは、じっくり攻め立てるだけでルナァスを撃破できるように見えた。
(魔力の残量がもうほとんど無い。これが私に打てる最後の一手。この一手で、狙撃手を確実に戦闘不能にする)
レナーテットの魔力はもうほとんど残っていなかった。
残り少ない魔力で、レナーテットが作り出したのは五つの魔力弾。
魔力密度は最大、空気抵抗は最小の形状。
ただ、速く敵を撃ち抜くことを目的とした、最適の魔力弾。
「撃ち抜けっ!」
魔力の枯渇によって朦朧とする意識の中、レナーテットは叫んだ。
レナーテットが撃ち放った魔力弾は、反応すら許さない最高速度で、五つともルナァスの身体を貫通する。
胴体に二つ。右腕の関節に一つ。左の二の腕に一つ。右足首に一つ。
レナーテットの魔力弾に身体の要所を撃ち抜かれたルナァスは、直立を維持できず地面に倒れ込む。
(ああっ、腕が……これじゃ、もう弓を――――)
力無くうつ伏せになるルナァスは、自分がもう月弓を扱えないと悟る。
利き腕の関節を砕かれた状態で国宝を無理に使えば、腕が爆散しかねない。
同時に、魔力が完全に切れたレナーテットも膝を突く。
相討ちに近い形でお互い戦闘不能に陥ったルナァスとレナーテット。
あとは、ファンガルとシェイルの一騎討ちで勝負が決まる。
「エンチャント・サンダーボルト!」
剣に雷撃を纏わせ、シェイルはファンガルに斬りかかる。
弾ける火花に肌を焼かれながらもファンガルはこれを躱し、鋭いステップでシェイルとの間合いを測る。
(魔力を遮断するなら、自分の身体を魔力で守ることもできない。どれだけ身体能力が優れていても、こいつは生身の人間。雷魔術を付与した一撃が入れば、それだけで勝負は決まる)
(ここまで散々ダメージは入れた。あと一発も良いのが入れれば、立ってられねぇだろ。一撃、あと一撃でこいつは沈められる)
それは張り詰めた糸のような拮抗状態。
シェイルが剣のリーチを活かしてファンガルを牽制し、ファンガルはシェイルの間合いを見極めて機を伺う。
お互いにあと一撃で勝負が決まると理解し、その一撃を探している。
一歩でも間合いを見誤れば、雷を纏う斬撃が身を裂く。一秒でも反応が遅れれば、防御不可能の拳がその身を穿つ。
シェイルの剣が、ファンガルの肩を掠める。魔力遮断体質のファンガルに触れたことで、剣に付与された雷魔術は解除され、シェイルの剣から雷撃が消える。
シェイルは肩を焼き切られたファンガルが一瞬怯んだ隙に後方へと跳躍。
雷魔術を付与し直すため、一時的に距離を取った。
その瞬間、シェイルにも感じられた、異常な魔力の高まり。
「月弓、解放――――」
少し離れた位置で、ルナァスが大弓を構えていた。
既に使えなくなったはずの国宝を起動させて、大弓に矢をつがえていた。
片膝立ちの彼女の右腕は、傷口から溢れた血で真っ赤に染まっていた。
「――――撃て! ルナストラフィーア!」
肉体の許容上限を遥かに超えて、それでもコントロールを失わず、ルナァスの矢はシェイルへと飛来する。
満身創痍の状態で放った矢は、月弓本来の威力には及ばない。
それでも、虚をつかれたシェイルの剣を弾き飛ばすには十分だった。
「勝ってよ……! ファンガル……っ!」
ルナァスの慟哭が響く。
言葉は不要とばかりに駆け出したファンガル。
その速度は生身の人間とは思えないほど速く、シェイルには剣を拾い上げる暇は無い。
(こいつには体術もある。油断するな。確実にこいつの命を獲る!)
熱を帯びる肉体とは対照的に、ファンガルの思考は冷静。
冷静に思考を重ねているのは、剣を弾かれたシェイルも同様だった。
(カウンター。一撃で顎を打ち抜く)
フェイントを多用して戦いを進めて来たからこそ、最後の最後でシェイルが選んだのは正攻法。
迫り来るファンガルに対して、シェイルは迎撃の体勢を取る。
そして、二人の拳が届く距離になったその瞬間――――
「結界魔道具……起動」
地を這う男が投げた水晶が、ファンガルの足下で割れた。
地面に倒れていたベンターが最後っ屁とばかりに起動した魔道具は、ファンガルとシェイルの間に光の壁を隔てる。
結界魔道具。
それはシェイルの拳のみを阻む障壁。
魔力遮断体質のファンガルは、結界魔道具を貫通して拳を叩き込めるが、シェイルは壁の先のファンガルを殴れない。
ファンガルはシェイルの拳が結界に阻まれた後、腕を振り切って隙を晒したシェイルを仕留めるだけで勝てる。
ここぞというタイミングで最大の援護をしたベンターは、地面に這ったまま薄っすらと笑っていた。
「――――ふふ」
笑った者がもう一人。
片膝をついて戦況を見るレナーテットは、この先の展開を見通して自慢げな笑みを浮かべていた。
(ねえ、シェイル。覚えてる? 竜種討伐戦の時のこと。あの時、私もシェイルのこと見てたんだよ)
会話はたった一言だけ、目を合わせるタイミングすら無かった。
それでも、あの日の彼がレナーテットの脳裏には強く焼き付いていた。
(自分より強い竜種に立ち向かっていく君に、まだ終われないって立ち上がる君に、多分私は憧れてたんだ。……私も、私にとっても、君はヒーローだったんだよ)
魔力切れを起こしたレナーテット。
もう彼女に魔術を使えるだけの魔力は残っていない。
だから、掻き集める。
肉体の端々に残存した滓のような魔力を掻き集めて、ほんの些細な風と成す。
(だから、今……君に追い風を)
レナーテットは少量の魔力を風に変換し、シェイルへと微かな追い風を吹かせる。
その行いにどれだけの意味があったかと問われれば、間違いなく無意味だろう。
それが無意味だとしても投げ出さない。
大局に影響しないとしても、意味が無いなんて蓋はしない。
彼女が吹かせた春風が、シェイルの背中をそっと押す。
「割れろ――――ッ!」
優しい春風に背中を押されて、シェイルは結界に拳を打ち込む。
それは彼がここ数日、必死に練習してきた技。
あの日、レナーテットに敗北を喫してから、今度は勝てるようにと習得した技術。
シールドブレイクの難易度は高い。
必要となるのは、ドンピシャのタイミング、魔力を防御魔術の術式に流し込む感覚、術式を乱すのに十分な魔力を一瞬で流す技術。
全て、体に叩き込んである。
(こっちに来てから、ずっと練習してたもんね)
シェイルの拳が結界を砕く。
障壁を粉々に打ち破って、彼の拳はファンガルの顔面を捉えた。
シェイルが全霊の魔力を込めて叩き込んだ拳は、ファンガルの意識を一撃で刈り取る。
意識を失ったファンガルは、シェイルの前に倒れた。
「――――ふー……」
結界を拳でのシールドブレイクで破りつつ、一撃にてファンガルを打倒したシェイル。
彼は一度大きく息を吐いてから、確かめるように、倒れる敵と無事の仲間を見渡して――――
「しゃああああああ――――――――っ!」
ついに手にした勝利に吠える。
いつの間にか夜は明け、黎明の光が少年を照らしている。
そよぐ春風が心地良かった。
魔力切れを起こしているのに、体内から魔力を掻き集めて魔術を使う。これは非常に危険な行為なので、絶対にしてはいけません。魔力視と術式視の両方を持っていない方はやめましょう。




