第二十七話 花の名前を
晴剣の解放後、アルノーンは迷い無く砦へと走って行った。
その足取りに躊躇いは無く、この先に救うべき王女がいると理解しているよう。
事実、彼はハナウィルシアの位置をほとんど正確に認識していた。
(ハナの魔力はこの先、二階)
魔力の性質は人によって若干異なり、魔力探知に優れる者であれば、魔力の質を感じ取り対象を特定することも可能だ。
魔力性質による個人の識別。それは魔術師の中でも特に魔力探知に抜きんでた者の特権であり、騎士や戦士で魔力の質を感じ取れる者は少ない。
アルノーンにも、その技術は無い。
彼が覚えている魔力は一つだけ。愛する少女の魔力だけは、決して見紛わない。
アルノーンは砦内に入り、階段を数段飛ばしに駆け上がり、目当ての部屋の扉を開けた。
そうして、彼が目にしたのは、広い部屋で鎖に縛られた王女の姿。
「アルノーン……どうしてここに……?」
ハナウィルシアは突然の来訪者に目を丸くする。
対してアルノーンはハナウィルシアの無事に胸を撫で下ろした。
「助けに来ました」
アルノーンは囚われの王女に駆け寄り、彼女を縛る鎖を晴剣で切断していく。
一本、また一本と切れていく鎖。
最初に自由になったのは右腕。次に左手。胴体、両肩、右脚と左脚、さらに両足首。
バチンと音を立てて切れる鎖は、少しずつハナウィルシアの体を離れて行く。
そして、最後の一本を切り落とそうとしたアルノーン。晴剣の柄を握る彼の手を止めたのは、他でもハナウィルシアだった。
「――――やめて」
ハナウィルシアは両手でアルノーンの手を掴み、最後の鎖を切らせまいと強く握る。
少女のささやかな握力。
しかし、静かな激情の籠った両手は、アルノーンの手を止めた。
「やめてって、どうして……?」
アルノーンは戸惑った。
彼は想像すらしていなかったのだ。
ハナウィルシアは助かりたくないのかもしれない、なんてことは考えもしなかった。
助けに来たと言って手を差し出せば、その手を取ってくれると信じて疑わなかった。
「わたしから訊かせて。…………なんで来たの?」
ハナウィルシアの目は暗い色を宿している。
その質問を吐く声音も、ひどく重苦しい色を纏っていた。
「なんでって、それは殿下を……」
助けるため、と言いかけたアルノーンの言葉を、ハナウィルシアの視線が遮った。
暗く重く陰鬱な、目を合わせるだけで圧死するような視線の重圧が、アルノーンから続く言葉を奪った。
「わたしが、王女だから?」
その一言だけで、アルノーンは彼女の心中を悟った。
彼もまたローネリアの王子。その息苦しさはよく知っていた。
自分よりずっと優れた者に慇懃な態度を取られる劣等感。ただ王家に生まれたというだけで、王子としての人生を押し付けられる閉塞感。
誰も自分自身のことなんて見てはいなくて、王子というガワだけが見られている空虚な感じ。
アルノーン、なんて名前を付けられた彼は、それをよく知っていた。
「わたしは王女だから、無条件に助けられる。いつもそう。わたしは特別に生まれたから、特別に扱われて、特別に恵まれて生きる」
人よりずっと安穏な人生が、人よりずっと贅沢な生活が、彼らには与えられた。
きっと誰もが羨む恩恵だろう。
この暮らしに不満があるなんて、誰も許してはくれない。
「本当は特別なことなんて何もできないのに、生まれを理由に尊ばれる。……まるで、わたしってものが一つも無いみたい」
誰もが羨む王女様。
それが彼女に与えられた人生で、彼女に決定付けられた規格。
彼女がどんな人間だろうと、彼女がどんな性格だろうと、周囲の人間には関係無い。
彼女を善人として扱うことも、悪人として扱うことも無い。
ただ、王女として扱う。
「もう良いのよ、アルノーン。わたしなんてどこにもいなかった。もう……それで良いの」
無条件な優遇とは、ネグレクトに似ている。
誰かが汗水流して日銭を稼ぐ中、彼女は一生使い切れない大金を無条件に受け取る。
誰かが努力の末に残した功績で尊敬を集める中、彼女は血筋だけを理由に崇拝される。
周囲からは何も期待されず、ただ、不条理な恩恵だけが積み上がる。何と戦っているのかも知らぬまま、勝利の結果だけが与えられる。
そこに、ハナウィルシア・フロウ・サーガハルトという存在は、少しでもあるのだろうか。
「アルノーン、わたしは報いを受けたい。最後に一度だけで良いから、みんなみたいに、ズルした分の報いを受けて死にたい」
アルノーンはそれをよく知っていた。
この身にいっそ天罰が下ってくれと、願う気持ちは痛いほど分かる。
「ハナ、僕は――――」
アルノーンが何か言いかけた途端、部屋の扉が勢い良く開いた。
壊れるのではないかという勢いで開けられた木製の扉、その先に立っていたのは一人の獣人だった。
「ハァ、ハァ……外がうるせェから様子を見に来てみればよォ……来てみるもんだなァ。侵入者発見だぜェ」
石畳を踏みしめて、バルブロは吠える。
その身はあちこちに包帯が巻かれており、表情からも疲労が隠せていない。
明らかに重体の彼だったが、アルノーン達の前まで立って歩いて来て見せた。
「なんで……? もう動けないはずじゃ……」
バルブロとティルダの容態について、レナーテットは事前にシェイルとアルノーンに伝えていた。
死んではいないだろうが、ほぼ間違いなく後遺症が残るレベルで打ちのめしたと。
少なくとも、これ以上の戦闘行動は不可能な状態まで追い込んだと。
「テメェらの誤算は二つ。一つはベンターの医療魔道具。あれの性能は現行の既製品じゃ太刀打ちできねェ。瀕死までぶちのめされようと、傷が若けりゃ治癒は間に合う」
荒い呼吸を整えながら、バルブロは滔々と語る。
普段の彼ならば一々手の内を明かすような真似はしなかっただろうが、傷の深さが思考を狂わせていた。
「もう一つは獣人の生命力。あの程度でくたばれるような体してねェんだよ、こっちは」
獣人の生命力は強い。そんなことは誰でも知っている。
レナーテットもそのことは十分承知で、その上で戦闘不能と判断した。
バルブロが今も動けるのは鍛え上げた肉体と根気によるもの。
それでも、彼は今立てている理由を自らの種族に委ねた。
自分は今、獣人だからこそ立てるのだと。
「殺すぜ、ローネリアの王子」
その目に爛々とした殺意を宿し、バルブロは一歩踏み出す。
全身の痛みを堪えながらの苦痛の一歩。
どれだけの疲労と苦痛があろうとも、バルブロは立って動いている。アルノーンを見逃す理由は無かった。
「逃げて、アルノーン。彼らの狙いはわたし。わたしを置いていけば追われないわ」
この危機的な状況にあって、ハナウィルシアはどこか落ち着いていた。
むしろ、合法的にアルノーンを逃がせる今の状況に安心してさえいたのだろう。
暗い泥の底で安らぐ少女の心。息を止めて深く沈んでいく彼女に、少年は――――
「晴剣、解放――――」
重苦しい泥を吹き飛ばすように、春風を灯す。
大上段に構えた剣には風が収束し、爆発的に励起した魔力は光の粒となって溢れ出す。
四度目の晴剣解放。肉体の許容上限をオーバーした国宝の使用に、アルノーンの全身は悲鳴を上げていた。
「っぅうう!」
滝のように汗が噴き出し、暴走した魔力が体内で弾ける。
血管が振動する。骨が揺れる。皮膚が震える。指が焦げるような痛みを耐えながら、アルノーンは晴剣を握る。
「アルノーン……? 何してるの……!?」
制御域を超えた風量は刀身を中心に荒れ狂い、一筋に収束するはずの風は絶え間なく揺れ動き、歪な形を作り出す。
少しでも気を抜けば、弾けて霧散してしまう暴れ牛のような風の束。
それを両腕で抑え込みながら、アルノーンは柄を通して伝わる圧力に耐える。
「だめ……アルノーン! 戻れなくなる!」
ハナウィルシアは直感的に、それは禁忌だと悟った。
一度それを使えば、アルノーン・ローネリアの身体はズタボロに裂かれてしまうと。
ハナウィルシアが悟るまでもなく、アルノーンもそれは分かっていた。
それはきっと痛くて苦しくて辛い。
「――――穿て! ロードフリューネリア!」
それでも、彼は放った。
不格好な春の風を。
ありったけの想いを乗せて。
彼女と一緒に帰るために。
「く、そ……っ! 結局、俺は――――」
限界ギリギリの肉体で放った風の束は、大きく狙いを外して砦の壁に激突した。
威力も万全の時のようにはいかず、コントロールもままならない晴剣解放だったが、巻き起こす風の勢いは相当のもの。
砦の壁に穴を空け、手負いのバルブロを風圧で外に押し出すには十分な威力だった。
二階の高さから草原に落下したバルブロ。
そもそもが動かない体を意思の力で無理矢理引っ張っているような状態。彼が今度こそ戦闘不能に陥るには十分な衝撃だった。
「ハァ、ハァ……」
砦二階の広い部屋。石造りの無骨な部屋。
そこには、夥しい量の汗を掻きながら息を乱す少年が一人。
体力を限界まで使い果たしたアルノーンだったが、まだ晴剣の柄から手を放さない。
そして、最後の一仕事とばかりに、ハナウィルシアを縛る最後の鎖を思い切り叩き斬った。
「アルノーン……っ、なんで? なんで、こんなになってまで…………」
ハナウィルシアの問いに対して、アルノーンは微かに笑った。
下らないジョークを笑い飛ばすように、肩で息をしながら笑って見せたのだ。
「僕がハナを助けるのは、ハナが王女様だからじゃない」
少し昔の話だ。
まだ、彼が彼女より背が低かった頃の話。
それはほんの些細な思い出で、取るに足らない日常で、それでも、彼を救った暖かな記憶。
「ハナが……僕の手を引いて、あの庭を歩いてくれたから。僕が知らなかった花の名前を、教えてくれたから。……ただ、それだけの理由だよ」
いつか、彼女に手を引かれて歩いた庭。その風景をアルノーンは想起する。
自分を閉じ込める檻のような庭が、あの日はどこまでも綺麗に透き通っているような気がした。
誰も彼もがアルノーンを王子として扱い、怪我をしないようにと気を配る箱庭で、ハナウィルシアだけが彼と対等だった。
彼の足取りなど気にせず手を引いて、アルノーンは転んでしまうのだけれど、その度に手を差し伸べてくれる。
それが、アルノーンにとってどれだけ救いだったか。
政略結婚に適した理想の王子様として作られ、誰もがアルノーンにその役割を求める中、誰もが彼に特別を望む中で、彼女だけが、ただの少年少女として手を取ってくれた。
「そんな、嘘。わたしは……アルノーンに、迷惑かけてばかりで……」
穏やかに少女の自罰意識が溶けていく。
それはきっと、長い長いすれ違い。
不器用な少年少女はやがて、振り返り向かい合う。
「迷惑なんて……僕は、とっくの昔に、ハナに救われてたんだから」
特別に生まれた。特別を与えられ、特別に在れと願われた。
特別という仮面を被せられてしまったばかりに、上手く目線を合わせて話せなかった。
だから、今だけはその仮面を外して、ただの少年少女として――――
「帰ろう、ハナ」
アルノーンは手を差し出す。
想いは双方向。向かい合えば、自ずと通じ合う。
これ以上、言葉は要らなかった。
ハナウィルシアは目尻の雫を拭ってから、アルノーンの手を取る。
幼少のあの日のように、二人手を取って歩き出す。
四度の晴剣解放で体力を使い果たしたアルノーンの足は重い。
そんな彼の手を引いて、ハナウィルシアは砦を抜け出し、広い草原へと出る。
少女に手を引かれ、少年は草原を歩いていく。
方向は何となく、ここではないどこかへ。
遮るものは何一つ無い。
手を取り合って、二人は夜の草原を進んでいく。
夜空には満天の星々。大地には一面の緑。
強く吹く春風が二人の背中を押していた。
獣人差別は大陸に根強く残っています。昨今は改善する方向へと向かっていますが、獣人というだけで肩身の狭い思いをすることはまだまだあります。獣人差別が全く無い国といえば、それこそルナトルフィア程度ではないでしょうか。そのルナトルフィアも滅亡してしまいましたが。




