第二十五話 ヒーローイミテーション
王女様の連れ去れた後の宮殿。
激しく損壊した廊下に、俺は立ち尽くしていた。
(負けた……)
今まで、敗北も挫折も嫌と言うほど味わってきた。
何百回と負けて、何千回と打ちのめされてきた。
誰よりも負けに慣れた俺が断言できる。
これは完膚なきまでの敗北だ。
一矢報いることさえ叶わず、終始敵の掌の上で踊っていた。
完全に出し抜かれ、打ち砕かれ、王女様をみすみす奪われた。
「ああ…………そんな、ハナが――――」
敗北という形で緊張の糸が途切れ、アルノーン王子が膝をつく。
ぐらぐらと揺らぐ瞳で自身の両手を見下ろす王子は、絶望に打ちひしがれているようだった。
彼にどんな言葉をかければ良いのか、俺には分からない。
王女様の護衛でありながら、彼女を守り切れなかった俺達が、王子に何と言えば良いのか。
「まだ終わってない」
口を開いたのは、血塗れで壁にもたれかかるレナーテットだった。
言葉の意図も気になったが、彼女の容態への心配が勝った。
とても喋って良い状態には見えない。
「レナーテット、喋らない方が――――」
「大丈夫。もう回復魔術回してる。一分もすれば動ける程度には回復するよ。そんなことより、今はハナを取り戻さないと」
王女様を取り戻す、というレナーテットの言葉。
空間転移で逃げられた以上、今すぐに追跡するのは不可能に思えた。
「取り戻すって言っても、どうやって……?」
「さっきの魔道具。かなり魔力の痕跡を残してる。多分、私の眼が無くても追跡すること自体は難しくない。ていうか、どこに転移したかは魔道具の術式視ればすぐに分かる」
魔道具は魔力を使う関係上、どうしても魔力の痕跡が残る。
その痕跡を辿って行けば、彼らが転移した先に辿り着けるだろう。
「じゃあ、今から追いかければハナを……!」
王子は希望に満ちた声を漏らす。
だが、逃走用の魔道具には、痕跡を隠蔽する機能が付属しているのが定石だ。
ここまでこちらを手玉に取った襲撃者が、今更こんな不良品で逃げた意味が分からない。
「……いや、多分、それは無理。転移先の座標は相当離れてるから。全速力で馬を走らせても、丸一日はかかる」
「そん、な……」
襲撃者が魔力の痕跡を隠匿しなかった理由も何となく想像がついた。
恐らく、技術的に不可能だったのだろう。ここまでの長距離転移を実現するためには、魔力隠蔽の機能は削るしかなかった。
それでも、ここまで遠くに跳べるなら関係無い。
一日もあれば、どこにでも逃げられるのだから。
「だから、私の魔術でさっきの魔道具を再現する」
レナーテットの言葉に、思わず息を呑んだ。
「できるのか? そんなこと」
レナーテットが規格外の天才だと知っていても、そう訊かずにはいられなかった。
それほどまでに、魔道具の効果を人間の魔術師が再現するのは非現実的な話だ。
「魔道具の術式をそのまま組むだけだし、お手本を見ながらやれば難しくない。細かい成立条件は、私の魔力注ぎ込んでどうにかする。これ、転移の出発点と到着点に合わせて術式調整しないといけないやつだから、その調整が既にやってある分術式構造は魔道具にしてはシンプルめだし。手動でやる以上多少座標はブレるかもしれないけど、百メートル以内には収めて見せる」
半分くらい何を言っているか分からなかったが、今から転移で王女様を追えるということは分かった。
だったら迷っている時間は無い。
今すぐにでも、王女様を助けに行くべきだろう。
「分かった。俺を転移させてくれ」
俺はレナーテットの提案に乗った。
空間転移を魔術師一人の手で行うとなれば、どんなリスクがあるか分からないが、今は怖気づいている場合ではない。
レナーテットができると言っているのだ。
俺はそれを信じる。
「シェイルさん、僕も――――」
「王子、それはダメです」
王子が言い切るより早く、俺は否定の言葉を突き付けた。
あえて強い言葉を使った。
強い言葉で否定しなければ、彼は助けに行ってしまうと思ったから。
「……っ、晴剣の火力があれば役に立てる! 今これを使えるのは僕しかいない! 今は少しでも戦力が必要なはずでしょ!?」
戦場への帯同を拒否されて、王子は声を荒げる。
彼の言い分は正しい。
晴剣の超火力は上手く使えば、敵を一掃することも可能だろう。
仮に晴剣を使わなくとも、国宝という切り札があること自体が、十分なプレッシャーとして機能する。
「……その国宝、俺の目にも体への負荷が大きいのが分かる。正直に教えて下さい。あと何回撃てる……いや、あと何回で王子の身体が壊れるんですか?」
恐らく、アルノーン王子は晴剣ロードフリューネリアの正式な使い手ではない。
緊急事態に際して特例的に使用が許されているだけ。
いくら王子が優秀だといっても、この歳で国宝使用の修練も終えているはずがないのだから。
「……調子が良い時でも、一日に三回。それ以上は危険だからって、リノに止められてる」
王子の若さで国宝使用の修練を始めているのは驚嘆に値するが、やはりまだ回数制限をかけられている。
まだ成長し切っていない彼の体では、国宝の連続使用に耐え切れないのだ。
王子は既に二度晴剣を解放している。王子が安全に晴剣を使えるのはあと一度だけ。
「でも……! 一回は使える! 一回使い切った後でも、向こうは僕がそれ以上使えないなんて分からない! それだけで圧力にはなるはずだから!」
「…………」
王子の言うことは正しい。
正しいとは分かっているのだ。
今のアルノーン王子には、戦力として連れて行く価値がある。
それでも、彼はリノさんから預かった大切な命なのだ。
「シェイル。今回の転移は私自身がさっきの門の役割をすることになる。だから、私自身は転移できない。……勝てる? シェイル一人であの三人に」
ああ、分かってる。分かってはいるんだ。
レナーテットを倒すほどの襲撃者に、俺一人で勝てるはずがない。
王女様を取り戻すには、アルノーン王子の力が必要だ。
そう、分かってはいるのに――――
「シェイルさん! 絶対役に立つ! 絶対役に立って見せるから! だから……僕にも戦わせてほしい! お願いだから……! ハナを助けるチャンスを、僕にも……っ!」
どうしても首を縦に振れない。
王子は連れて行くしかないと分かっているのに、彼を戦場に放り込むことが躊躇われて仕方無い。
怖いのだ。王子を死なせることが、自分以外の命をチップにして戦うことが、怖くてたまらないのだ。
王子を守り切れる自信が無い。俺のせいで死なせてしまったらと思うだけで、手の震えが止まらなくなる。
「――――王子」
でも、きっとそうじゃない。そうじゃないんだ。
不安とか恐怖とか、あって当然なんだ。
失うことが怖くない人なんているはずが無い。
怖くて不安で自信が無くて、それでも戦えるだけの何かを、俺達は勇気と呼ぶのだから。
「王女様が攫われたのは、全て護衛である俺達の責任です」
「っ! シェイルさん!」
だから、勇気を出してこう言おう。
これから始まる苦しい戦いに、少しでも笑って挑めるように。
俺がなりたい俺にほんの少しでも近付けるように、今まで怖くて言えなかった言葉を――――
「だから……どうか、不甲斐ない俺達を助けて下さい」
俺は不甲斐ない。弱い。才能が無い。かっこ悪くて頼りない。
レナーテットのような天才じゃないし、春風の騎士みたいな英雄にはなれない。
足りないものばかりの俺だから、誰かに補ってもらわないと戦えない。
五つも年下の王子に助けてもらわないと、俺は護衛任務を果たすことすらできない。
それでも、何とか頑張ろう。
思い描いた理想の主人公にはなれないけれど、精一杯頑張ってみよう。
弱くて不甲斐ない俺が少しでも、憧れのヒーローに近付けるように。
「うん。ありがとう、シェイルさん」
アルノーン王子は泣き出しそうな笑みを浮かべて、そう言った。
「むしろ、お礼を言いたいのはこっちです。……何があっても、王子は俺が守ります。だから、王子は王女様のことを助けて下さい」
俺が返す言葉に、王子は一瞬だけ目を見開いて、その後すぐに覚悟の決まった瞳をした。
晴剣の柄に触れて深呼吸をする彼を、必ず王女様の下に送り届ける。
そして、そのまま二人を守り抜く。守り抜いてみせると、今だけは馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返そう。
これは英雄の真似事。
何もかも守れる力なんて無いくせに、守ると嘯いて必死に足掻く。
ただそれだけの、御伽噺に憧れた愚者の戦いだ。
「シェイル」
ふと、レナーテットに声をかけられた。
回復魔術での治癒が終わったのか、レナーテットは立ち上がって歩いていた。
俺のすぐ側まで歩いてきたレナーテットは、不意にこんな問いを投げる。
「シェイルは私のこと嫌いだった? 初めから魔眼で何でもできて、他の人の努力とか苦しみとか、そういうの全然考えてなかった私は…………」
彼女の口からそんな言葉を聞くとは思わなかった。
けれど、答えは決まっている。
それは、竜種討伐戦でレナーテットを見た日から、ずっと変わらない唯一の答えだ。
「レナーテットは俺に無いものをたくさん持ってたから……俺はあんたが妬ましかったし、羨ましかった。あんたみたいに生まれてたらって、何度も思ったよ」
嫉妬。羨望。
それは確かにあった。
レナーテットと自分を比較して、劣等感で吐きそうになったこともある。
「でも、羨ましいのと同じくらい、俺はあんたに憧れてたんだ。俺はあんたみたいになりたかった。嫌いなわけがない。レナーテット、あんたは――――」
あの日に見た光は嘘じゃない。
竜種を圧倒するレナーテットは、『春風のアルノーン』よりもずっと身近な英雄だった。
「あんたは、俺にとってのヒーローだったんだよ」
羨ましくて、妬ましくて、それ以上に憧れてやまない。
竜種の牙から俺を救ってくれたレナーテットは、御伽噺よりも御伽噺だった。
「…………はぁ~、どこまで本気で言ってんだか」
「いや、俺は真面目に――――」
「良い! そういうの良いから!」
レナーテットはどこか吹っ切れたような顔で叫ぶ。
その晴れやかな顔を見ると、なんだかいつものレナーテットが帰って来たみたいで安心する。
やっぱり、この少女に暗い表情なんて似合わないのだから。
「行ってこい! 負けんなよ!」
レナーテットが突き出す握り拳。
「ああ、任せとけ」
俺は彼女の拳に自分の拳を合わせる。
ぶつかり合う拳と拳が、俺達の想いの証明だった。
レナーテットは幼い頃から魔術の天才でした。アルノーンと同じくらいの歳には、大抵の大人には負けないくらい強かったので、子供は戦場に出しちゃいけないみたいな考えが薄めです。アルノーンを王女奪還戦に送り出したのも、そういったレナーテットの性格が根底にあります。それでも、小さい子供を危ない所に送るのは抵抗があったとは思いますが。




