第二十二話 原憧憬
岩肌を踏みしめ登る山道は、その傾斜と足場の悪さで容赦無く体力を奪っていく。
それだけならば良い。王立騎士団は普段から厳しい訓練で肉体を鍛えている。登山程度で尽きるようなスタミナの者はいない。
真に削られているのは精神。刻々と死地に近付いているというプレッシャーが、討伐隊の騎士達を極度の緊張状態に追い込んでいく。
竜種討伐に成功した事例は近年でも非常に稀だ。特に前衛を務める騎士達は、この戦いを生きて帰れるとは限らない。
少しずつ現実味を帯びる死の気配に、騎士達の間では緊張の糸が張り詰めていた。
先程まではポツポツと聞こえていた談笑の声も無くなり、誰もが額に汗を浮かべてプレッシャーに耐えていた。
「はぁ、疲れた。早く帰りたーい」
俺の隣を歩く師匠だけが例外だ。
汗一つかかず、呑気に欠伸をしている。
誰もがプレッシャーに呑まれそうな心を保つのに精一杯な中、彼女だけが当然に「帰る」だなんて言葉を口にしている。
「……師匠は余裕そうですね」
「まあ、竜種とも何回かやってるから。」
師匠の言葉に、俺は目を見開いた。
竜種討伐なんて馬鹿げたことは中々決行されない。
それに複数回参加しているニルキナは、大陸でも希少な経験値を持つ人物だろう。
「…………勝てそうですか? 今回の竜種討伐戦は」
不安を抑えきれず、ついそんなことを訊いてしまった。
勝率はどれくらいあるのか、なんて馬鹿な質問。師匠がゼロと答えようと、俺に引き返す選択肢は無いのに。
「後衛次第でしょ。大魔術撃たないと始まらないし。……そういう意味じゃ、ちょっと不安かもね。なんか、魔術師の数少なくない? 火力不足になりそうで怖い。帰りたい」
師匠の言葉に、俺は思わず後ろを振り返った。
行軍する騎士団の後ろには、大勢の魔術師達が付いてきている。
そこには大陸魔術連盟から派遣された者もいるし、王立騎士団所属の魔術師もいる。
少ないとは思えない。
竜種討伐戦というのは、これだけの魔術師を揃えてなお、火力不足に陥るものなのだろうか。
「とにかく、シェイルは生き残ることだけ考えた方が良いよ。竜種を倒せるかどうかは後衛次第だけど、それに関係無く前衛は大体死ぬ。死なないコツは足を止めないこと。陣形とか無視して走った方が良い。固まって止まってると的にされるから。……あ、来た」
ふと、おもむろに師匠が言った。
何が来たのか、なんて質問を返す前に、全身に打ちつける突風が吹いた。
それは羽ばたき。
大空にはためく巨大な翼が羽ばたいて生じた風。俺達を見下ろすように空に鎮座していたのは――――
「Guuuaaaaaaaaaaaaaaaa――――――――ッ!」
緋色の鱗をした巨大な竜だった。
大気を震わす咆哮に鳥肌が立つ。
その巨大な翼が一度羽ばたくだけで、風圧で体が吹き飛びそうだ。
その巨躯に見下ろされているというだけで、全身が砂と化して崩れ去る幻覚を覚えた。
見る者を威圧する絶大な存在感。鍛え上げられた王立騎士団でさえ足が竦むプレッシャー。
「これが、竜種――――」
蒼空に映える緋色の体躯。
巨大な赫は豪快に青空を旋回し、ぐんぐんと高度を下げる。
そのまま岩肌を這うような低空飛行に移行し、一気に騎士団へと突っ込んで来た。
「来る……!」
そう言って身構えた時には、既に師匠が飛び出していた。
師匠は向かい来る竜種に立ち向かうように疾走し、すれ違いざまに竜種の前足に斬撃を叩き込んだ。
振り抜いた刃は緋色の鱗を削り、その内側の肉を切り裂く。
しかし浅い。薄皮一枚といったところか。
(嘘だろ……! 師匠の斬撃で薄皮一枚……!?)
師匠の斬撃の威力はよく知っている。
その切れ味をよく知っているからこそ、俺は理解してしまった。
ここに集められた前衛の中で、竜種に傷を付けられるのはニルキナ・フォーレンタインただ一人だと。
竜種は前足を薄く斬った師匠には目もくれず、騎士団が組む陣形の右翼に突進していく。
土埃を巻き上げながら迫る巨躯。
左翼に配置されていた俺は、剣を構えつつ視線を右に動かした。
直後、鮮血が舞う。
誰がどういう風にやられたか、なんて考えている暇は無い。
俺が認識できたのは、噴水みたいに舞い散る赤色。バケツを引っくり返したように、ドバドバと血が飛び散る。
「何だよ、これ……?」
竜の爪が大地を割る。
割れる大地は幾人もの騎士を巻き込んで、小規模な土砂崩れと化して流れていく。
緋色の巨躯を揺らして暴れる竜の顎には、かつて騎士だった肉塊が咥えられている。
翼の一薙ぎで歴戦の騎士達が吹っ飛ばされる。
まるで、竜巻に巻き上げられる砂塵みたいだ。
「何なんだよ! これっ……!」
あまりに一方的な殺戮を目にして、俺は叫んだ。
今になって、師匠が序盤から飛び出していった理由が分かった。
あれは勇猛果敢に先陣を切ったわけじゃない。
この殺戮から逃れるために、先んじて人が集中している危険地帯を抜け出したのだ。
「Guuooooo――――――――ッ!」
竜が巨大な尻尾を薙ぎ払う。
無造作に繰り出された尾の一振り。ただそれだけの単純な動作が、俺達矮小な人間に対しては必殺の一撃。
竜種の長い尾。地面の上を撫でる緋色の一撃は、きっと俺にも届く。
(ヤバい。来る。受ける? 無理に決まってる。避けないと死ぬ。でも避けるってどこに? どこに逃げれば良い? 空中? 今からジャンプして間に合うのか? 間に合ったとして身動きできない空中で追撃されたら? 俺一人に追撃なんてしてこないか? でも、全員俺と同じように跳んだら? 死ぬ。殺される。耐えられない。せめて受け流さないと。受け流す? 俺にアレをいなせるのか? 何の才能も無い俺に? 少しでも失敗したら挽肉にされる。失敗したら死ぬ。死ぬ。死ぬ――――)
突如として訪れる死の気配に、脳がショートする。
恐怖で曇った思考はまとまらず、緋色の竜は熟考の時間など与えてくれない。
気付けば、硬い鱗に覆われた尻尾に弾き飛ばされていた。
「が、あ――――っ!」
まともに食らえば即死の一撃。
俺が人の形を保ったまま吹っ飛ばされるだけで済んだのはただの偶然。
俺以外の騎士を挽肉にしながら振るわれた尾は、俺に届く頃には大分威力が減衰していたというだけの偶然。
(何だよ、これ。こんなの、どうしようもないだろ。あんなでかくて強いヤツ。俺達人間でどうこうできるわけがない)
跳ね飛ばされた肉体は宙を舞う。
折れた骨が痛い。内臓が無事に済んでいるのはラッキーか。
いや、そうでもない。いっそのこと致命傷をもらっていれば、もう竜種と向き合わなくて良かったのだから。
(何が主要な街道だよ。そんなの封鎖すれば良いだろ。交通の要所なんて知るか。なんでそんなもののために、俺達はゴミみたいにぶっ飛ばされなきゃいけないんだよ)
体が地面に落ちる。
岩肌に打ち付けられた全身は、体の内側からハンマーで殴られたみたいに痛んだ。
体中の骨という骨が、筋肉という筋肉が、細胞という細胞が、もう限界だと叫んでいる。
(ああ、俺、師匠と同じこと考えてる。帰りたい。こんなことしたくない。あんなに見下してた師匠と同じだ。もう、逃げたくて仕方ない)
這いつくばったまま、視線を上げる。
視界の端では、師匠が疾風の如く戦場を駆けていた。
空中に見えない足場でもあるんじゃないかってくらい軽やかに跳躍する師匠は、流れるような剣技で竜種の翼に一太刀を浴びせる。
考えていることは同じでも、行動の結果は全く違う。
ヒットアンドアウェイに徹して竜種と渡り合う師匠とは対照的に、俺は尾の一振りでダウンして無様に倒れているだけ。
(俺は、何のためにこんなことを……)
いつも、自分に問いかける。
決まって答えは出ない。
何のために騎士を目指したのか。何のために毎日必死で剣を振っているのか。何のために、今殺されかけているのか。
憧れ、だなんて言えば聞こえは良い。
俺は子供騙しの作り話に影響されて、人生も命も擲った馬鹿に過ぎない。
どこかの小説家が書いた虚像に踊らされて、下らない自己満足に夢なんて名前を付けて、挙句の果てには母親も死なせた。
(もう、こんなこと、やめてしまえば……)
岩肌に這いつくばった全身から力が抜ける。
もう良い。もう良いんだ。このまま竜種に踏み潰されるのを待てば良い。
身の程を弁えずに騎士を目指して、無様に死んだ馬鹿で良いから。
だから、もうここで、終わらせてほしい。
――――母さんはもう限界が来てしまいました
ああ、まただ。
また、あの夢を見る。
――――ごめんなさい
どうして母さんが謝るのか。
母さんは何も悪くない。悪いのは全部俺なのに。
俺がいつまでも現実を受け入れられない親不孝者だったから、こんなことになってしまったのに。
――――ずっと応援しています
母さんが何を考えていたのか、俺には分からない。
ずっと分からないんだ。母さんは俺にどうしてほしかったのか。
夢を諦めて普通に生きてほしかったのか、分不相応な夢を追い続けていてほしかったのか。
母さんが何を応援しているのか、俺には分からない。
――――シェイルへ
だから、俺は騎士になるしかない。
騎士という言葉が何を指すのかあやふやでも、どこが目的地なのか分からなくても、足を止めるわけにはいかないのだ。
御伽噺から始まった俺の地獄。俺と母さんの地獄下り。
この先に何かがあると証明しないと――――
「まだ……――――」
あまりに報われないから。
苦しみながら生きて、ついには自ら命を絶った母の生涯。
その苦しみは、舌が腫れるほど舐めた辛酸には、何か報酬があるのだと証明する。
心を病んで死ぬまで俺の夢を否定しなかった母は正しかったのだと、そう証明するその日まで、俺は――――
「終われないんだよ……! こんな所じゃ!」
痛みを振り切って立ち上がる。
岩盤みたいに重い剣を構えて、緋色の竜を睨む。
激痛と疲労でおかしくなりそうな身体を執念だけで無理矢理動かす。
「こんな場所を……! 終わりだなんて言えないんだよ!」
母が見ている。
ずっと、俺を見ているのだ。
首を吊った母が、光の消えた眼で俺を見ている。
だから、もう、止まれない。
「あああああああああああ――――――――ッ!」
絶叫と共に駆け出す。
重い身体を引きずって、今も暴れる竜種へと走っていく。
一歩踏み込むだけで全身を貫く激痛を、喉を枯らして誤魔化す。
母が残した呪いだけが、満身創痍の肉体を突き動かす燃料だった。
ただひたすらに走る。
自分がどれだけの速さで走っているのか、竜種までの距離がどれくらいか。そんなことはちっとも分からない。
止まってはいけないという強迫観念に突き動かされて、俺は緋色の巨躯へと疾走していた。
「Guuoon――――ッ!」
突如として、視界をいっぱいに満たした緋色。
それが薙ぎ払われた竜種の翼だと気付いた時には、本能でそこに剣を叩き込んでいた。
疾走の勢いを乗せて振り下ろした片手剣。
銀色の刃は竜種の翼に傷一つ付けること無く、俺は無造作に振られた翼に打たれて、再び地面を転がった。
「まだ……! 俺は――――」
痛みを堪えて再び立ち上がろうとした瞬間、目に入ったのは真っ赤な竜の頭。
大口を開けた竜は、乳白色の歯を覗かせる。ギザギザの巨大な犬歯。人一人など容易く噛み砕けるだろう顎が、すぐそこまで迫っている。
食われる。
そう感じた時には、竜の口から零れた唾液が顔面に垂れていた。
(死ぬ――――)
確信した。
これはもう死ぬと。
俺の意思や感情など関係無く、竜種は俺の肉体を噛み砕く。
俺が追い求めた夢の果ては、母さんが捧げた命と苦しみの終着点は、生きたまま竜に食われるなんていう、凄惨でありふれた最期なのだと。
そう確信した直後のことだ。
一条の光が竜の眉間を撃ち抜いた。高速で飛来した光に頭を撃たれた竜種は、その勢いに押されてのけぞる。
「大丈夫。もう下がってて良いよ」
竜種にノックバックを与えるほどの光の弾。
その光の主は、俺を庇うように前に出ていた。
着崩した魔術師風のローブ。女性にしては高い背丈。
そして、赤紫と黄金のオッドアイ。
その時は、名前も知らなかった魔術師の少女。
「あとは私がやるから」
杖も持たず、緋色の竜の前に立った少女。
彼女は見るだけで竦み上がるような巨躯を前にしても一切怯まず、風に揺れるローブを纏って竜を見上げている。
「あんた、魔術師なのに――――」
俺が心配の声をかけると同時、彼女は雷撃を放った。
轟く雷鳴が鼓膜を揺さぶる。落雷を幾重にも重ねたような巨大な雷撃は、大気を裂いて竜種の胴体に直撃した。
「Guuaaaaaaaaa―――――――――ッ!」
竜が絶叫する。
それが痛みに叫ぶ声なのだと、俺にも理解できた。
極太の雷撃に貫かれた竜種は、表面の焦げた胴から黒煙を上げながら地面に墜落する。
後になって知ったことだが、この時、雷撃で身体機能を麻痺させられた竜種は一時的に飛行能力を失っていたらしい。
「それじゃあ、反撃開始だ」
そう呟いて、少女は大量の魔力弾を展開する。
その量と密度たるや夜空に瞬く星々の如し。
戦場を埋め尽くす光の群れを、少女は竜種へと一息にぶつける。
(竜種が、削れていく……)
絶え間無く浴びせられる魔力弾の雨。衰えるどころか勢いを増していく攻撃魔術は、まるで流星群のようだった。
昼天を駆ける彗星の群れ。青空を裂く逆行流星群。辺り一帯を満たす光が、竜種ただ一点へと注がれ、緋色の鱗をみるみる内に破壊していく。
俺はその光景から目を離せずにいた。
俺達王立騎士団が束になっても叶わなかった相手。一級騎士の師匠でさえ、決定打を叩き込めなかった怪物。
それをたった一人の少女が圧倒している。
少女が生み出す流星の雨が、緋色の巨躯を磨り潰していく。
それはあまりに眩しい風景だった。
空を飛んで、宇宙に飛び出て、星々の煌めきを間近で見ているような、そんな光輝の記憶。
俺達が死力を尽くしても敵わなかった巨大な敵。
それにたった一人でも立ち向かい、勝利する。
果てしない脅威を単独で退け、多くの人々を救う。
それは、俺が幼心に憧れたヒーローそのものだった。
「―――かっこ良い……」
気付けば、全部忘れていた。
傷の痛みも、重い疲労も、止まれないという呪いも、何もかも忘れ去って、俺は目の前の少女に見入る。
星が逆行するような超風景の中、彼女は光に打ちのめされる竜種を見上げている。
魔力弾を操る彼女は、オーケストラを率いる指揮者のよう。
御伽噺の頁をめくる子供のように、俺はこの少女を魅せられていた。
「はー、勝った勝った」
やがて止んだ光の雨。
大量の魔力弾をその身に浴びた竜種は、全身ズタボロの亡骸と化していた。
「まあ、こんなもんなのかな。竜種って」
竜種の亡骸の前に佇む彼女は、どこか退屈そうな顔をしていた。
後から聞いた話だが、師匠が叩き込んだ二度の斬撃以外、竜種へのダメージはあの少女一人が担ったらしい。
平たく言えば、彼女はほとんど単騎で竜種を討伐したのだ。
九死に一生を得た竜種討伐戦。
あの死地から生還した俺の脳裏には、ずっと彼女の姿が残っている。
御伽噺の英雄じみた少女の横顔が、いつまでも俺の瞼に焼き付いて離れないのだ。
『君の不在証明』を読んだ方はご存知かもしれませんが、とある犯罪組織が大国の領土を一時占領する事件がありました。結局失敗に終わった計画ですが、その犯罪組織は竜種を操って戦わせようとしていたらしいです。もしも実現していたら、大陸魔術連盟からレナーテットが派遣されていたかもしれませんね。




