第二十一話 竜種討伐戦
アルノーン王子とリノさんの協力を得ながら、俺はハインネ・ヨハトークを撃破した。
気を失ったハインネからはすぐに情報を引き出せそうになく、俺は王女様の安否を確認するべく宮殿内を走った。
王子本人の希望で、彼も連れて行くことになった。
王子は王女様の様子が心配で仕方ない様子だったし、二人が一箇所に留まってもらえれば、護衛の俺達としてもやりやすい。
アルノーン王子を王女様のいる客室まで連れて行き、それを俺とレナーテットの二人で守る。
余裕があるようなら、レナーテットの魔力探知で襲撃者の位置を把握しつつ、俺が走って潰しに行く。
そんな戦略を考えていた。
俺は少しも疑っていなかったのだ。
レナーテットが王女様を守り切っていることを、どこか核心的な部分で妄信していた。
だって、あり得ないだろう。
レナーテットが負けるなんて、そんなことあるはずが無い。
確かに、レナーテットだって無敵じゃない。世界は広い。上には上がいる。
それでも、彼女はレナーテット・リーレンなのだ。
そう簡単にやられるはずがない。
あんなに強くて輝かしい少女が、瞼を焼くほどに眩しい彼女が、俺が駆けつけた時には負けているなんて。
そんなこと、あるはずがない。
あるはずがないと、思っていたのだ。
「遅かったな、一級騎士」
だから、その光景を見た時、俺は言葉を失った。
煤のようなみすぼらしい男に、血塗れのレナーテットが顔面を掴まれている。
ぐったりと全身の力が抜けたように、だらりと下がった両腕から血が滴る。
「シェ、イル……」
弱々しく脆い、彼女の声。
赤紫と黄金の瞳からは、今にも光が消えそうだった。
「な、に――――」
多分、見るべき所、確認すべき状況はたくさんあったと思う。
襲撃者の数が三人だとか。乱戦の影響で廊下のあちこちが穴だらけだとか。王女様が人質に取られているだとか。
視界の端には映っていたはずの情報を掻き消すほどに、俺の視線は一点に集中していた。
「何してんだ! テメェ――――ッ!」
腹の底から湧き上がる激情の正体が何なのか、俺自身にも分からなかった。
ただ、レナーテットを傷付けられることが赦せなかった。
彼女の輝きに何か罅が入るような気がして、俺が夢に見て焦がれた御伽噺に泥を塗られたような気がして。
それだけはあってはならないと。それだけは何が何でも許容できないと。
肉体の全てが叫び出して、魂の絶叫が止まない。
血を見るのも、傷を見るのも、決して初めてではない。死体にすら慣れている。
俺自身、何度も傷を負って、何度も血を流して、何度も死にかけた。ぶちのめされた経験も、無様に敗北した記憶も、腐るほど持ち合わせている。
敗北の味には慣れている。俺自身の敗北にも、味方の敗北にも、俺は嫌というほど慣れ切っていたはずだ。
だというのに、彼女の敗北はどうしようもなく俺の心を抉る。
多分、それはあの日の記憶のせいだ。
あの日からずっと続く憧憬のせい。
沸騰する感情と緊迫する状況が生んだ特異な興奮状態の中、俺の脳に浮かんだのはとある日の記憶。
俺はふと追憶する。
十七歳の夏、とある任務での記憶。
初めて、レナーテット・リーレンを目にした日の記憶だった。
***
ハナウィルシア・フロウ・サーガハルトのローネリア訪問から時を遡ること約一年。
舞台はサーガハルト北部、オーロック山脈。
草木の少ない険しい山脈に、竜種が棲み着いたことが事の発端だった。
オーロック山脈は交通の要所である街道のすぐ近くに位置している。
竜種による被害を危険視したサーガハルトは、王立騎士団から討伐隊を編成。大陸魔術連盟にも協力を要請し、竜種討伐戦に臨んだ。
草木の無い岩肌を足場に、騎士団は行軍する。
ひどく殺風景な山道を歩む討伐隊の中に、シェイル・ドラット準一級騎士の姿もあった。
「師匠、一つ訊いて良いですか?」
「…………」
シェイルは隣を歩く女性に声をかける。彼よりもいくらか背の高い彼女は、陰鬱な表情で山道を歩いていた。
彼女の名はニルキナ・フォーレンタイン。当時二十四歳。一級騎士。
貴族のお嬢様でありながら剣の道を選び、一級騎士にまで上り詰めた才人である。
「俺は自分が竜種との戦いで役に立てるとは思えません。なんで、俺が討伐隊に選ばれたんでしょうか?」
「…………」
竜種というのは本来、人間が手を出して良い代物ではない。
竜種に手を出して国が滅びたという逸話は枚挙に暇が無く、かつては信仰の対象でもあったほど、その存在強度は人類を遥かに凌駕する。
今でも、竜神信仰の根強い地域はある。
街道の近くいるからと言って、殺しに行こうとするのはサーガハルトくらいだ。
「師匠もそうです。師匠なら何とかやれるんでしょうけど、片手剣の使い手は大型の生物と戦うには向いてない。なんで、この人選なんですか?」
「…………」
ニルキナは口を閉ざし、シェイルの質問に一向に答えない。
シカトを決め込むニルキナの態度にシェイルは苛立ちを募らせるが、彼も慣れたもので、それを口には出さなかった。
どうせすぐに喋り出すと、シェイルは知っていたから。
「…………もー嫌だ」
シェイルの言葉に対して沈黙を貫いていたニルキナ。
彼女が発した第一声は、誰の目にも明らかな弱音であった。
「なんで私がこんなことしないといけないの? 竜種となんて戦いたくない。そんなのしなくたって良いじゃん。私の気持ちはどうでも良いって言うの? もう嫌だ。お家帰りたい」
ニルキナの愚痴は止まらない。
ニルキナは不満を隠そうともせず、聞くに堪えない言葉を垂れ流す。
(始まった……)
ニルキナの泣き言に、シェイルは呆れた顔をするのみ。
彼女との付き合いもそこそこになるシェイルだが、彼女の愚痴に付き合わされるのは、未だに慣れない。
「私だって毎日頑張ってるのに。どうして私にだけこんなキツイ仕事ばっかり回ってくるの? 私だって人間なんだよ? 働けば疲れるし、いつまでも頑張れるわけじゃない。他の一級騎士みたいに才能無いし。あんな化け物みたいな人達と一緒にしないでよ。ちょっとくらい私のこと考えてくれても良いじゃん」
ニルキナ・フォーレンタイン。
彼女は色々な意味でシェイルの幻想を壊した人物だった。
一級騎士という王立騎士団を牽引していく立場でありながら、彼女の思考は自己の欲望にどこまでも忠実。
休日は酒を飲んでばかりで、修練の類はほとんどしない。いつも誰かの愚痴ばかり垂れている上に、異性関係もだらしがない。
とにかく我が身が可愛いらしく、何か嫌なことがあるとすぐに被害者ぶる。
そんな、シェイルが幼い頃に憧れた騎士の姿とは正反対の彼女だが、剣の才能と実力だけはケチの付けようが無かった。
毎日、日が暮れるまで剣を振っているシェイルが、騎士団の修練ですらサボりがちなニルキナに、今まで一勝も上げられていないのだから。
善人がヒーローをやっているのは御伽噺の中だけで、どんな嫌な奴だろうと強い奴は強いのが現実だ。
正しい心とか、思いやりの気持ちとか。そんなもの無くても、実力さえあれば一級騎士にはなれる。
シェイルにとって、ニルキナはそんな現実を体現した人物だった。
「ねえ、聞いてるの? シェイル」
「聞いてますよ。一級騎士は大変ですね」
先に話を無視してきたのはそっちだろう、という言葉を飲み込んで、シェイルは皮肉混じりに同意を返す。
「で、なんで俺達がこの討伐隊に選ばれたんですか?」
ニルキナの愚痴にまとも付き合うと終わりが来ないと、シェイルは経験から知っている。
強引に話題を元に戻して、シェイルはニルキナに問いかけた。
「え、期待されてないからでしょ? 竜種と戦う時の前衛なんて、あんまり戦況に関係無いし。死亡率も高いから、死んでも良い人が集められてるんじゃない?」
それはどうしようもなく正論だった。
竜種にダメージを与えるには、大魔術による圧倒的な火力が必要だ。前衛は魔術師が魔術を完成させるまでの足止め要員に過ぎない。
弱すぎては困るだろうが、肉の壁になってくれれば、多少実力が低くても務まる。
だから、見込みの無い者を集めて、消耗品の盾として使おうという話だ。
(期待されてない……そうか。だったら、師匠が選ばれたのも納得だ。この人は自分のために味方を見捨てられる。死亡率の高い竜種討伐戦でも、十中八九生存できる。最低限の戦力の担保にもなるし、一級騎士を失うことも無い)
もしかすると、上層部は虚言癖のあるニルキナに消えて欲しいのかもしれない、という思考は頭の奥にしまった。
口に出せば、情緒不安定になったニルキナが何をするか分からない。
「師匠と違って俺は今日死ぬかもしれないので、最後に一つ訊いても良いですか?」
死期にも似た何かを感じたシェイルは、ニルキナに一つの質問をすることにした。
「何?」
「なんで、俺を弟子にとってくれたんですか?」
才能が無いことは、シェイル自身が一番自覚している。
そんな自分を何故ニルキナは弟子にとったのか。
今まで意識的に訊かないようにしてきたことを、シェイルは口にした。
「なんでって……シェイルは私の話聞いてくれるし、顔も結構可愛いし――――」
シェイルはニルキナを尊敬していない。
心底軽蔑しているし、絶対にこんな大人にはなるまいと決めている。
それでも、弟子にしてくれたのは本当だ。剣を教えてくれたのは嘘じゃない。
だから、彼は少しだけ期待していた。
性格はどうあれ剣の才能だけは確かなニルキナが、自分の中に何かを見出してくれたのではないかと。
才能なんて大層なものじゃなくて良い。何か、何か一つでも、シェイル・ドラットに光る物を見てくれたのではないかと。
「ずっと弱いままでいてくれるし。劣等感とか感じなくて、楽だから」
故に、その言葉は刃物のような鋭さで彼の心を刺した。
初めから強くなることなど期待していないと。ただ弱い姿を晒して、自分の優越感を満たしてくれればそれで良いと。
彼女はそういう人間だと、シェイルは知っていたはずなのに。
(こんなにも何も無いなら、俺は、何のために――――)
御伽噺に憧れて走り出し、母を失って止まれなくなり、その果てには昏い現実しか無いと知った。
山道を見上げれば、ごつごつとした岩肌が上へと続いている。
草の一本も生えない岩色の山道。この果てしない道を登り切れば、いつか頂の景色が見られるのだろうか。
竜種というのは基本的に人類が太刀打ちできる存在ではありません。竜種討伐戦なんて頭のおかしいことをやろうとしているのは、大陸を見渡してもサーガハルトくらいのものです。そこに送り出してもまず死なないだろうと判断されているニルキナも、ちょっと意味不明なくらいの強者です。あんな感じですが、某犯罪組織のボスと一対一で勝負できるくらいの剣士ではあります。




