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君に春風を  作者: 讀茸


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第二十話 煤の味

 いつかの記憶だ。

 魔術連に入ったばかりの頃、仲良くなった先輩に訊かれたことがある。

 私より六つも年上なのに、私の胸くらいの身長しかない小さい先輩だ。


「レナーテット。アンタさあ、なんで基本的な魔術しか使わないの? あ、いや、説教とかじゃなくて……ほら、アンタもっと凄いの使えるじゃない。アレ使った方が色々楽なんじゃないの?」


 先輩が言っているのは、私が独自に開発した魔術のことだろうと分かった。

 術式の構造が複雑、というより異形すぎて、術式視を持つ私にしかまともに扱えない魔術。


「あー、アレ結構魔力食うんですよねー。使い勝手も悪いし、無詠唱じゃ撃てないし」

「いや分かるよ? 派手な魔術が凄いってわけじゃないのは分かるけど……この前の竜種討伐戦なんかはさ、使っても良かったんじゃない? ああいう時こそ、大魔術の出番でしょ?」


 竜種討伐戦。まだ記憶に新しい任務だ。

 交通の要所近くの山に竜種が住み着いてしまったとかで、騎士団と合同で私にも任務が回ってきたのだ。

 竜種は生物の中でも最高峰の肉体強度を誇る。生半可な攻撃ではダメージが通らない。

 故に、前衛で何とか竜種の動きを止めつつ、後衛の魔術師が大魔術で吹き飛ばすというのが竜種討伐のセオリーだ。

 まあ、大抵の竜種は人間の魔術程度では吹っ飛んではくれないのだが。

 そこは前衛で体力を消耗させたり、魔術師の数や質を増やしたりで埋めていくものだ。

 この前の竜種討伐戦で、私は雷の魔術で延々と竜種を麻痺させつつ、合間合間に無属性攻撃魔術を撃ち込み続けるという戦法を取った。

 派手な大魔術は使っていない。ハイスタンダードな攻撃魔術で、竜種の体力を削り切った。


「アレが一番魔力効率が良いんです。それに……」


 私が開発した魔術。自分自身で一から描き上げた術式。

 術式視を持つ私には視えるもの。

 そして、術式視の無い他の人には見えないもの。

 私以外の誰にも理解できない異形。


「誰にも理解されないじゃないですか……みんなも分かる魔術じゃないと、私の魔術はただ怖いだけのものだから……」


 今まで、評価されすぎるほど評価されてきた。

 誰もが私の能力と才能を褒め称えた。魔術の切り替え速度、魔力の変換効率、術式の構築精度。

 既存の魔術で行うそれは、魔術師には理解できる技術だ。

 でも、私の大魔術は違う。

 どんな魔術師にも理解できない異様な何か。何をしたのか誰にも分からず、気付けば、竜種の死体が転がっている。

 それは技術ではなく異能だ。

 評価も理解もしようが無い。人間の理解を逸脱してしまった魔術は、天変地異と変わりない。

 称賛に値する技術ではなく、恐怖の対象たる異能なのだ。


「そ。……色々あるのね、アンタにも」


 先輩は小さく呟いた。

 その顔に映った色がどんなものだったか、私はよく覚えていない。


「私はアンタよりずっと弱いから、アンタの戦闘スタイルに文句付けるようなことはしないわ。……でもね、レナーテット。アンタの魔術は本当に凄いものだから、使うべきだと思った時は躊躇わないようにね」


 先輩の言いたいことはよく分からなかったから、私は曖昧に頷いた。

 少し寂しげな先輩の横顔を見ていると、何故だか泣き出しそうになってしまった。


「もう、そんな顔しないの。……大丈夫、私はアンタが凄い魔術師だって分かってるわ」


 先輩にそんなことを言われたって、私は泣いたりなんてしなかったはずだ。

 多分。

 きっと。


     ***


 人類が無詠唱魔術に至るまで、長い年月がかかった。

 高速詠唱、詠唱短縮、詠唱圧縮、ワンフレーズチャント。詠唱を巡る人類の技術体系は様々な形を経て、やがて無詠唱魔術という究極へと到達した。

 現代では実戦魔術のほとんどは無詠唱であり、詠唱に頼るのは、魔術の難易度に魔術師のレベルが追いついていない証と見做されがちだ。


「المساحةπεριοχήގެއްލިގެން ހޯދަނީТочка」


 レナーテット・リーレンが完全な無詠唱を実現できないという異常事態。

 それほどまでに、その魔術は異様なカタチをしていた。

 一瞬で消滅した廊下の壁。

 ついさっきまであったはずの壁が、嘘のように消えている。

 剥き出しになった室内は、何かの展示のように並んでいた。


(壁が消えた? 今一瞬左に引き寄せられたような……なんだ? この異様な感じは……)


 一瞬左方によろめきかけた体勢を直し、ファンガルは廊下の奥で立ち上がったレナーテットを見据える。

 立ち上がったレナーテットは、両目に異なる色を宿して佇んでいる。

 その佇まいは儚くも不気味、退廃的でありながら輝かしい。

 魔力遮断体質のファンガルは気付かない。レナーテットが凄まじい密度の魔力を纏っていることに。

 レナーテットは静かに左手を上げ、廊下の奥に立つファンガルに向ける。

 その掌の中には、真っ黒な光が揺らめいていた。

 ブラックホールのような漆黒の光球を掲げて、レナーテットは薄く笑う。

 その笑みに込められた感情は、自嘲にも似た全能感。


「……っ!」


 魔力は感じずとも、ファンガルの本能は警鐘を鳴らす。

 ファンガルは弾かれたように、壁が消えて剥き出しになった部屋に飛び込んだ。

 直後、レナーテットが放った黒の光球が、廊下を駆け抜けた。

 外から内に流れ込むような風圧が吹き荒れ、その波に揉まれたファンガルは床を転がる。

 柱の一つに当たった光球。すると、今度は柱が跡形も無く消えた。抉られたのでも、粉微塵に砕かれたのでもない。初めから無かったかのように姿を消した。


「なんだ……! 一体何なんだ!? お前は!」


 物体を欠片すら残さず消滅させるレナーテットの魔術。

 その理不尽で圧倒的な性能に、弱者に存在すら許さない絶対的な強さに、ファンガルは絶叫する。


「魔術師、らしいよ。一応ね」


 感情をぶちまけるファンガルとは対照的に、レナーテットは静謐に零す。

 人類の言語では形容できないその魔術を、レナーテットは便宜的に宙域消失点と呼んでいる。

 それはレナーテットが独自に開発した魔術。術式視が無ければ、その意味とカタチをまともに理解できない異形の魔術。

 効果は対象の消滅。

 黒い光球に当たった物体は、文字通り世界から消失する。

 絶命という変遷ではなく、粉砕という変形でもなく、完全な無に帰すという消滅。

 氷は解けて水と化し、水は蒸発して水蒸気になる。それは万物に共通した法則。人を殺しても死体は残る。死体を焼こうと灰と煙はそこに在る。

 どんなものも、形を変えて循環する。変化と変遷はあっても、消滅はあり得ない。

 ただ一つ、彼女の魔術に触れたものだけが例外だ。


「化け物が……!」


 魔術に明るくないどころか、魔力というものを人生で感じたことがないファンガルは、レナーテットが何をしているのか、ほとんど理解していない。

 分かるのは、目の前にいる魔術師の行いは、人の範疇を逸脱しているということ。


「はは、酷いなぁ」


 儚げに呟くと、レナーテットは漆黒の光球を三つ撃ち出す。

 三筋の黒が螺旋を描くと同時、吹き荒れる風圧は空気の消失反応によるもの。

 空気が消滅して出来た空白部分には、周囲の空気が一気に流れ込む。空気を消滅させながら進む光球は、その作用を絶えず起こし続け、廊下内に小さな乱気流を生む。


(クソが。あの黒い球に当たれば終わり。そのくせ、アレに引き寄せられるように風が荒れる。とんだチートが……!)


 荒れ狂う乱気流の中、ファンガルは廊下と剥き出しになった部屋の中を駆け回る。

 ファンガルを捉え損ねた光球が宮殿内の物体に命中し、一つまた一つと壁や床、天井を消していく。

 遮蔽物が消滅して裸になった室内を乱気流が掻き乱し、数々の家具やインテリアが宙を踊る。

 ポルターガイストにも似た状況の中、ファンガルは己の身体能力と直感を頼りに、消滅の光から逃れていた。

 時間にして約五秒。

 五秒と侮ること無かれ。宙域消失点を発動したレナーテットの前で五秒生き延びることが、どれだけの偉業であるかは語るまでも無い。


(だから頼むぜ。俺達のチート使い)


 チートにはチートを。常識外には常識外を。

 ファンガルとレナーテットの足下のさらにその下方。

 遥か階下で少女は弓を引き絞る。


「――――撃て、ルナストラフィーア」


 五秒いっぱい、引き絞られた弦が唸りを上げる。

 階下から矢を撃ち放ったのはルナァス。幾層もの床と天井を突き破り、神速の矢がレナーテットへと迫る。

 強力無比なルナァスの狙撃。それから身を守るには、レナーテットは防御魔術を使う必要がある。

 防御魔術で威力を減衰させなければ、ルナァスの矢はレナーテットの全身を粉微塵に破壊する。

 完全に防ぎきれなくとも、即死を避けるという意味で防御魔術は使わざるを得ない。

 魔術師が一度に使える魔術は一種類のみ。防御魔術を使うならば、宙域消失点は解除しなければならない。


(使えよ、防御魔術。お前が防御に回り、攻撃の手が止む一瞬。その一瞬で勝負を決める。今度はしくじらねぇ。確実に仕留める)


 ルナァスの狙撃と息を合わせて、ファンガルは走り出す。

 ここぞとばかりにレナーテットへの距離を一気に詰めていく。

 飛来する神速の矢と魔力を断つ天敵。同時に迫り来る二つの脅威に、果たして、レナーテットは笑って見せた。


「ちょっと、ギャンブルかな」


 瞬間、黒い閃光が瞬く。

 レナーテットは宙域消失点の使用を続行。連なるように撃ち出された黒の光球は、レナーテットの足下で閃いた。

 消失するは床。さらにその下の階の床。さらにそのまた階下の床。総じて、ルナァスへと続く遮蔽物の全て。

 赤紫と黄金の瞳と、ルナァスは目が合った。


「嘘でしょ……!?」


 思わず叫んだのはルナァス。

 魔力探知のできないファンガルより先に、彼女は何が起きたのかを理解した。

 レナーテットは矢に直接光球を当てたのだ。

 目視もままならない神速の矢に、制御の難しい宙域消失点の光球をぶつける。その難易度は語るまでも無い。

 限りなく不可能に近い神業をレナーテットは成功させ、矢はこの世界から消滅した。

 もう、この世のどこにも無い。


(合わせられた!? 私の矢に⁉ ふざけないでよ! コントロールが良いなんて次元の話じゃない! しかも遮蔽物まで消された! マズい! 飛行魔術で詰めて来る!)


 矢のついでとばかりに、レナーテットはルナァスとの間の遮蔽物を全て消滅させた。

 レナーテットとルナァスの間に遮る物は何一つ無い。

 狙撃手にとっては最悪の状況だった。


(距離を取って時間を稼ぐ! 飛行魔術を使うならあの馬鹿げた魔術は解除するはず! 少しでも! ファンガルに時間を!)


 ルナァスは一秒でも時間を稼ぐため、廊下を走って距離を取ろうと試みる。

 対して、静かに床を蹴ったレナーテットは、吹き抜けになった床へと身を投げ、一直線にルナァスへと落ちていく。

 その落下速度は重力加速度は愚か、飛行魔術による加速でも説明がつかないほどの高速。

 時空を歪ませて瞬間移動を実現したような、ブラックホールに吸い込まれるような、異常な落下速度で、レナーテットは翠の眼をした少女に迫る。


(なんでっ!? いくらなんでも速すぎる! 逃げ切れない! 触れられる――――)


 空気が消滅し真空が発生すると、そこに周囲の物質、主に空気が流れ込む吸い込み反応が起こる。

 レナーテットはこの作用を利用し、自身の進行方向上に真空を作り続け、自身の肉体と空気を前方に吸い込ませ続けた。

 レナーテットは身体を周囲の空気と共に前方へと流れ込ませ続け、異常な高速での移動を可能としたのだ。


(届いた。直接触って、弓を消す)


 レナーテットが伸ばした掌。その指先がルナァスの弓に迫る。

 宙域消失点を維持したままのレナーテットが、あと少しで、今は亡き国の国宝に触れる。

 瞬間、ルナァスの脳裏を駆ける記憶。

 かつて滅ぼされた故郷の記憶。穏やかな日々の記憶。聡く賢い家族との暖かい記憶。

 そして、炎上する城の中を命からがら逃げ出した記憶。死地に赴く家族に、国の宝である月の弓を託された記憶。

 たとえ国が滅びたとしても、せめて、そこに在った証が残るように、その弓と眼は守ってくれと、父が、母が、兄が、姉が――――


「いやだ――――!」


 レナーテットが伸ばした掌。

 その五指が触れたのは、弓を庇うように伸ばされたルナァスの腕だった。

 身を挺して家族に託された国宝を庇ったルナァス。その代償として、万物を消滅させる魔術師の手が、彼女の腕に触れていた。


(なんで――――)


 今まで澱み無く流れていたレナーテットの思考が、一瞬だけ混乱する。

 それはルナァスが突如として取った奇行に対するものではない。

 規格外の天才はその程度のことで思考を乱さない。

 彼女の思考を乱すとすれば――――


(なんで、消えない……?)


 絶対の信頼を寄せる魔術が起こした不具合。

 宙域消失点を発動して触れたはずのルナァスの体は、今も消えずに存在していた。

 レナーテットはすぐに原因に思い当たる。

 この場において、魔術を強制的にキャンセルできる存在などただ一人。

 振り返れば、煤の如き男。

 その指先、爪の先一つが、レナーテットの首筋を掠めていた。


「消させるとでも、思ったか」


 レナーテットがルナァスに接近する際に使った移動法は、進行方向に真空を発生させ続けるというもの。

 正確には異なるが、自ら生み出した気流に乗っているような形に近い。

 ファンガルはレナーテットの反撃が無いことに賭け、彼女のすぐ後に飛び込んで気流にただ乗りした。

 気流の流れを操っていたレナーテットとは異なり、荒れ狂う気流に揉まれながらの落下で、ファンガルはルナァスへと迫るレナーテットに追いつき、その首筋に爪の先で触れることに成功した。


(やば。キャンセルされた)


 魔力の流れを強制的に絶たれたレナーテットは、宙域消失点どころか、身体の魔力強化まで一時的に解除される。

 至近距離。レナーテットとファンガルの着地はほぼ同時。

 不安定な体勢で落下したファンガルよりも、ほんの僅かにレナーテットの方が戦闘態勢を整えるのが早い。

 レナーテットに与えられた猶予は、ほんの僅かな時間的優位のみ。

 コンマ数秒の後には、魔力遮断体質の怪人が彼女の顔面に拳を叩き込む。


(宙域消失点を再起動する時間は無い。この距離じゃ飛行魔術でも最高速に乗る前に追いつかれる。無属性攻撃魔術でも仕留め切れる確証は無い。防御魔術は以ての外)


 一瞬の内に駆け巡る思考。

 刹那の熟考の果て、レナーテットが出した答えは――――


「崩す!」


 属性魔術による地形破壊。

 レナーテットは即座に風属性と水属性の二属性をブレンド。

 高等技術と言われる二重属性魔術を瞬きの内に完成させる。

 宮殿内で炸裂したのは暴風雨。大質量の水を強烈な旋風で巻き上げ、宮殿の構造を内部から崩壊させる。

 範囲を絞れば回避されると読んだレナーテットは、自身を巻き込むことも厭わず、暴風雨を発生させた。

 威力の調整もコントロールも二の次。

 ただひたすらに大規模な魔術を、ただひたすらに早く完成させる。今すぐに場を荒らしてくれればそれで良い。

 それだけに重きを置いた暴風雨は、宙域消失点による部品の喪失で脆くなった宮殿を崩しつつ、戦場の三者を平等に飲み込んだ。

 水流と暴風は宮殿を縦にぶち抜き、最下層の床と屋根の両方に同時に穴を空ける。

 約一秒間、好きなだけ宮殿を荒らした暴風雨は、とある階の廊下に三者を吐き出してから、緩やかに勢いを失っていく。

 一人、水浸しの廊下を転がるレナーテット。床を激しく転がりながらも、その意識は鮮明に敵の位置を探る。

 一人、突風に運ばれ壁に激突したファンガル。少し離れた位置を転がるレナーテットを即座に発見し、その息の根を止めるべく、波打ち際のように水の流れる床を蹴る

 一人、ファンガルのすぐ側に投げ出されたルナァス。何かを思考するより早く、暴風雨の中でも手放さなかった弓に矢をつがえる。


「サーガハルトォオオオ――――――――ッ!」


 獣のように叫び、レナーテットへと一直線に跳躍したファンガル。

 自身へと飛びかかって来るその姿をレナーテットは、色の違う両目で見据える。


(術式の構築、間に合う!)


 濡れた髪の隙間から見える灰色の男。

 ずぶ濡れで床に這いつくばったまま、レナーテットは異形の術式を完成させる。

 ワンフレーズチャントで発動する魔術。それはファンガルの跳躍が彼女に届くよりも早く、消滅の光を放つはずだった。


「المساحةπεριοχήގެއްލިގެން ހޯދަނީТочка!」


 レナーテットのすぐ隣、扉が開く。

 果たして何の因果か。

 そこはある少女に与えられた、この宮殿で最高級の客室だった。


「おっと」


 やけに軽薄な男の声。

 開いた扉の先、そいつは飄々と立っている。

 研究者のような白衣。中年と思しき髭面。比較的長身のレナーテットでも見上げるだろう上背。


「少しでも動けば、王女の命は無いぜ」


 そして、その太い腕は、ハナウィルシア・フロウ・サーガハルトの首を拘束していた。

 大男に首を絞められ、苦しげな表情を浮かべるハナウィルシア。

 小さな王女を人質に取って、髭面の男は薄く笑っていた。


(殺す)


 その光景を目にした途端、レナーテットの思考が切り替わる。

 レナーテットは既に発動状態に入った宙域消失点で、二つの光球を生み出す。

 一つは飛びかかって来るファンガルを牽制するためのもの。もう一つはハナウィルシアを拘束する男を一瞬でこの世から消し去るためのもの。

 少しでも動いたと男が認識する前に、この男を消滅させる。

 判断は迅速。思考は冷静。髭面男の人質作戦も、ファンガルの強襲も、レナーテットは魔術という圧倒的な暴力でねじ伏せにかかる。


「撃て! ルナストラフィーア!」


 ハナウィルシアに向けて放たれた矢。

 ルナァスが王女に狙撃を仕掛けたと認識した瞬間、レナーテットの身体は動いていた。


(間に合え――――ッ!)


 予想されるは神速の矢。

 宙域消失点を解除してから防御魔術を張り直す余裕は無い。

 レナーテットは既に作り出していた光球二つで、ルナァスの矢を消滅させることに賭けた。


「――――え?」


 それはレナーテットが今回の戦闘で見せた唯一のミスだった。

 狙撃前に月弓ルナストラフィーアが放つ、爆発的な魔力の起こり。それが無いことを、レナーテットは見落とした。

 刹那の攻防の中、ルナァスに弓を最大まで引き絞る時間は無かった。

 故に、狙撃はただのフェイク。放たれたのは神速の矢でも何でもない、遅く弱い平凡な一射。大袈裟に叫んで、引き絞り切れていない弦を解放しただけ。

 レナーテットを動かすためだけの、見せかけの弓矢。

 瞬いた黒い光球が二つ。緩やかに飛ぶ矢を消滅させたレナーテットの頭部。無防備に晒された頭部を、ファンガルの五指が掴んだ。


「ハ、ハハ……」


 レナーテットの頭部を捉えたファンガル。

 その口元から笑いが零れる。


「……っ」


 ギリギリとレナーテットの頭を圧迫するファンガルの細長い五指。その握力で頭蓋を圧されるレナーテットは、苦悶の声を漏らす。

 それもそのはず。ファンガルに触れられているレナーテットは、魔術は愚か魔力強化さえ使えない。

 生身でファンガルの人外じみた握力を受けているのだ。


「ハハ! ハハハハハ! ハハハハハハハハハハ! ざまぁねぇなぁ! 天才魔術師!」


 爆笑。

 ファンガルは笑う。右手でレナーテットの頭部を掴んだまま、腹に溜まった重い泥を吐き出すように、喉が枯れるほどに爆笑する。

 そして、彼女の頭を思い切り宮殿の壁に叩きつけた。


「魔眼に! 国に! 力に! 全てに恵まれたお前がさ! 負けたんだよ! 今! 俺みたいな魔力の無いゴミに! 自分なら勝てると思ってただろ! 守れると思ってただろ! 与えられた力を振りかざせば、幸福でいられるとでも思ってたんだろ! なあ!」


 ファンガルは何度もレナーテット頭を壁に打ちつける。

 何度も何度も、執拗に叩きつける。

 彼女の後頭部から血が溢れてもお構いなく、生身の少女を壁にぶつけ続ける。


「赦すわけねぇだろ! 俺が! 俺達が! お前らの強さに潰されてきた俺達が! お前らの幸福を赦さない! 俺達から奪ったものを享受するお前らを! 弱者の痛みの上に建つ幸福を! 俺は赦さない! 赦してたまるかよ! サーガハルト!」


 ファンガルの咆哮に、レナーテットは言葉を返さない。

 否、返せない。度重なる打撃でボロボロになった頭部からは夥しい量の血液が流れ出ている。

 言葉を返す余裕などあるはずも無かった。


「これは復讐だ。復讐なんだよ。……お前らが死んで、初めて俺達の人生は始められる」


 故に、ただ黙って怨嗟の言葉を聞き続ける。

 復讐鬼の絶叫を、レナーテットは痛みと共に受容する。

 何もかも奪われた男の憎悪こそ、レナーテット・リーレンが初めて味わう敗北の味。

 まるで、煤のような味だった。

ルナァスはフェイクの矢を敢えてレナーテットではなく、人質に取られたハナウィルシアへと放ちました。何となく、レナーテット自身に撃っても対応される気がしていたんでしょうね。

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