第二話 憧れは遠くに
お城はいつも退屈で、私はいつだって独りぼっち。
お城の中を歩いても、窓から外を眺めても、風に頬を晒しても、私はずっと一人きり。
もう季節は暖かくなって、雲一つ無い青空にはお日様が輝いているけど、私の心は相も変わらず曇り空。
肌をなぞる春風でさえ、雪山に吹きつける北風みたい。
ああ、春の風って、こんなにも冷たかったかしら。
――――『春風のアルノーン』より抜粋
***
広い王城を歩くこと数分。
俺達は護衛対象である王女様の部屋に着いた。
「ここが姫様の部屋? ていうか詳しいね。こんな広い城迷いそうなのに」
「何回か来たことあるんだ。……まあ、王女様の部屋まで来るのは初めてだけど」
王立騎士団の一級騎士ともなれば、王城を訪れる機会も多くなる。
だが、王女様の部屋を訪問するなんてことはまずあり得ない。
流石に緊張してきたな。
騎士になったといえども、俺は平民出身。そもそもの身分が違いすぎる。
あの冷酷な国王の遺伝子を継いでいるのならば、王女様に人としての暖かみは期待できない。
俺はたっぷり一秒間深呼吸してから、綺麗な扉を丁寧に四度ノックした。
「あ、はーい。どうぞー」
中から少女の声がする。
俺とレナーテットは一瞬顔を見合わせ、すぐに扉を開けた。
「失礼します」
「失礼しまー……っす」
二人同時に踏み入った部屋の中。
白を基調にした部屋の内装は、儚げで可憐な美的調和を保っている。
豪華な装飾品が並びながらも成金趣味にありがちな下品さを感じないのは、流石天上の宮殿と言ったところだろうか。
そんな美しい部屋に、彼女は不気味なまでに馴染んでいた。彼女自身がこの部屋のインテリアなのかと錯覚するほどに。
「はじめまして。わたしはハナウィルシア・フロウ・サーガハルト。よろしくお願いしますね」
立っていたのは白いワンピースを着た少女。
背はかなり低く、百四十センチもあるかというくらい。
とても細身で、肌も白い。未成熟な子供ながらに、完成された彫刻のような美しさを纏う少女だった。
歳は十五歳だと聞いていたが、それよりも幼く見える。十一、二歳と言われても納得できてしまうだろう。
彼女の小さな体躯の周りには、侍女と思しき女性が数人並んでいる。
「国王陛下から護衛任務を拝命しました、シェイル・ドラット一級騎士です。ローネリア訪問に際して、王女様の護衛任務を務めさせていただきます」
俺は騎士に作法に倣って、王女様に深々と一礼した。
俺が一礼しても、やはりレナーテットは動かない。頭を下げたまま隣を見ると、やはりポケーっとした顔で突っ立っていた。
何故学習しない。さっき国王の前で無礼をかましたのを忘れたのか。
俺の危機感が良い感じに溜まってきたあたりで、レナーテットは口を開いた。
「あ、魔術師のレナーテット・リーレンです。よろしくお願いします」
レナーテットは俺の真似をして、ぺこりと頭を下げる。
作法もクソも無いお辞儀だが、ちゃんと頭を下げてくれて良かった。
そんなことを思った矢先、レナーテットはすぐに頭を上げた。
王女様の許しが出るまで頭を上げてはいけないのに。
この魔術師には一度礼儀作法というものを叩き込んだ方が良いかもしれない。
「うふふ、良いんですよ。騎士さんも顔を上げて下さいな」
俺の心中を読み取ったのか、王女様はそう言ってくれた。
態度に出したつもりはないのだが、こういう所はあの国王の娘といった所か。
レナーテットは「一々気にしすぎだよ?」みたいな顔をしてこっちを見てくるが、本当にヤバいことをしてるのはそっちだと自覚してほしい。
さっきから侍女の人がえげつない目でこっちを見ているのに気付かないのだろうか。
「メアリー、わたし護衛の人達と話がしたいの。少し外してもらえる?」
「承知しました」
王女様の言葉に従い、メアリーと呼ばれた人は侍女を引き連れて部屋を出て行った。
これは少し珍しいことだ。
王族貴族は総じて警戒心が高い。今来たばかりの人間と自分だけの空間を作るのは避けたがる傾向にある。
無論、護衛を担当する以上、俺もレナーテットもきちんと身元が保証された人物なのだから、一々警戒する意味は無い。
だとしても、権謀術数渦巻く宮殿で生き抜いてきた彼らの身に染みついた習慣は、そう簡単に抜けるものではない。
部屋に取り残された、俺とレナーテットと王女様。
どうして良いか分からず立ち尽くす俺達に、王女様は儚げな微笑みを浮かべていた。
「少しお話しましょう。今日は天気も良いし、テラスで紅茶を飲みたいわ」
俺達は王女様に案内されてテラスに出た。
開けたテラスからは城の庭が一望できる。
一流の庭師によって剪定された庭園は、まさに完全な美術品。ここからでは粒のように見える花の一つ一つが、遥か天上の高嶺。
「ほら、座って座って。そうじゃないとお話できないでしょう?」
「いえ、王女様と同じ席を囲うなど、恐れ多く――――」
そこまで言ったあたりで、普通に席に座っているレナーテットが目に入った。
多分、今俺はさっきの侍女の人に負けないくらい、えげつない目をしているのだろうと思う。
「あはは、魔術師さんは型破りなのね」
王女様は笑って許してくれるみたいだ。
まあ、座れと言ったのは王女様だし、許してくれるとは思けれど……レナーテットに怖いものとかは無いのだろうか。
「騎士さんも座って下さいな。……それとも、第三王女の言うことは聞けないかしら?」
「いえ、そういうわけでは……」
レナーテットはテーブルで紅茶を待っているし、王女様は逃がしてくれそうにない。
俺も諦めて大人しくテーブルの席に座った。
大丈夫。王女様が言い出したことだ。これで首を飛ばされたりとかは無いはず。……無いはずだ。
俺達がテラスのテーブル席に着くと、王女様は満足した顔で三人分の紅茶を用意した。
王女様に飲み物を用意させるのは気が引けたが、俺に紅茶の淹れ方なんて分からない。
多分、レナーテットにも分からないだろう。
「今回の護衛の人は歳が近いのね。いつもすごく年上の人ばかりだから、なんだか新鮮かも」
俺達と同じように席に座った王女様は、ウキウキした様子で話を始める。
「なんかでっかい遠征をするとかで、騎士団も魔術連もそっちに人を割いてるみたいなんですよね。だから、私達みたいな新人にお株が回ってきたってわけです」
レナーテットは紅茶を啜りながら、平然とした様子で会話をする。
その語り口調には臆する様子も委縮する様子も無い。すごいメンタルだ。
「へえ~……わたし、少しも知らなかったわ……」
王女様は沈んだ表情で言った。
それはまるで自分を責めるようだった。何も知らなかった自分を責めるような声音。
その自責を俺も知っていたから――――
「俺も知りませんでした。一級騎士にも知らされてなかったので、かなりの機密だったんじゃないかと……」
魔が差して、そんなことを口にしてしまった。
知らされてないのだから当然だと、隠されていたのだから仕方ないと、王女様に、或いは自分に言い聞かせるように。
「あ~、確かに、会長もあんまり人に言っちゃいけないって言ってたようなー? いやでも、王女様だし別に良いかな~って……」
会長? 会長というのは、もしかして大陸魔術連盟の会長だろうか。
レナーテットはそんな人物と面識があるのか。
今すぐ問い詰めてみたい所だが、王女様の手前口を噤んだ。
「ごめんなさい。わたし、あんまり知らないの、そういう話。いつも、わたしは無知なまま、戦利品だけが王宮に捧げられる……変な話よね」
それは先程よりも確実に、より濃密に、自責の念を含んだ声だった。
サーガハルトは軍事国家だ。他国民の血を流すことで生活を潤している。その潤いを最も享受できるのは王族だろう。
誰よりも誰かの流血がもたらす恩恵を受けながら、どこで誰が血を流しているかも知らない。
人は言う、無知は罪だと。
俺もそう思う。
だから、暗い顔で俯く王女様を、俺は黙って眺めることしかできなかった。
「じゃあ、私が教えてあげますね」
けれど、レナーテットは違ったらしい。
「今回の遠征は北の同盟国への援軍らしいです。仲間の国が戦争中なので、手助けに行くって感じですね」
レナーテット・リーレン。
明るく好人物ではあるが、型破りで礼儀知らず。実力は飛び抜けているが、作法のなってないヤツ。
彼女の物言いは身分の違いというものを少しも考慮してなくて、ともすれば不敬罪に問われるような言葉で。
それでも、今だけは――――
「膠着状態の戦況を動かしに行くので、どっちかと言うと人死にを減らす感じの遠征です。だから、王女様は気に病まなくて大丈夫ですよ」
今だけは、口を噤んだ俺なんかよりも、ずっと騎士みたいだと思った。
王族への礼儀ばかり気にして動けない俺よりも、年下の女の子に屈託無く笑いかけられる彼女の方が、ずっと御伽噺の主人公に相応しい。
「ありがとう、魔術師さん。あなたはとても優しいのね」
それから、俺達は他愛の無い話をして過ごした。
好きな食べ物の話、洋服の好みの話、王都で流行のオペラの話、そして、お気に入りの御伽噺の話。
俺はぎこちなく相槌を打つくらいしかできなかったけれど、レナーテットと王女様はよく笑っていた。
いつも紅茶は侍女に淹れてもらっているのか、王女様の淹れた紅茶はそこまで美味しくなかった。貧乏舌の俺でもそう感じるのだ。味はかなり悪いのだろう。
ふとレナーテットのティーカップを見たが、その時には既に空だった。
多分、何気無く飲み干したのだろう。
そうして陽が傾き始めた頃、そろそろ解散しようという話になった。
明日は朝早くにローネリアへと出発する。賢明な判断だ。
「それでは、俺達は失礼します」
「また明日お話しましょうね、王女様」
その場を去ろうとする俺とレナーテット。
「あ、あのっ!」
その背中を呼び止めるように、王女様は拙い言葉を吐き出した。
今日の会話だけでも、この子は王族だなと思わされる場面は多々あった。
外見は幼くとも、彼女はこの国の第三王女。王位継承権第五位の保有者。
人の心の機微を読むのが上手いし、心を動かすのはもっと上手い。大陸最大の軍事国家を統べるに相応しい王として気質はある。
けれど、この時の王女様は、どこにでもいる少女のようだった。
ただの女の子のように、見えたのだ。
「メアリーは怖いし、他の人に見られたらダメだから、無理にとは言わないんだけど……その、わたし達年も近いし、何ならわたしが年下だし、その……」
白い少女はあどけない声で言った。
まるで、親に縋る子供のような純真さで。
「わたしのこと、もっと気軽に、ハナって呼んでほしい……」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳はどう断るかを考え始めた。
波風が立たないように、機嫌を損なわないように、どう彼女の希望を拒否するかを考えたのだ。
「分かったよ、ハナ」
だから、そう言ったレナーテットには、本当に驚かされた。
いくらレナーテットでも分かっているはずだ。
王族にタメ口をきいてはいけないと、呼び捨てにしてはいけないと。そのくらいの一般常識は分かっているはずなのに。
それが危険な行動だと分かっているはずなのに、レナーテットは彼女の希望を受け入れた。
「代わりに、私のこともレナって呼んで欲しいな」
そう言ったレナーテットは少し膝を曲げて、背の低い王女様の顔を覗き込んだ。
同じ高さで彼女の瞳を覗き込み、優しい声で言ったのだ。
「うんっ、明日もよろしくね、レナ」
「うん。また明日、ハナ」
それはまるで御伽噺の主人公。
礼儀作法とか身分の違いとか、そういうつまらないものをあっさりと乗り越えて、姫様の心に光を灯す。
レナーテットなら、王女様が邪悪な魔王に連れ去られても、華麗に助けてみせるのだろう。
きっと、俺にはできない。身分の違いを飛び越えることも、邪悪な魔王から救い出すことも、俺にはできやしない。
そんな騎士に憧れてここまで来たはずなのに、こんなにも遠いのは何故だろう。
レナーテット・リーレン、実は紅茶を淹れられます。実家では結構飲んでたみたいです。レナーテットの実家は大金持ちというほどではありませんが、王都にお住まいなだけあってそこそこ裕福です。