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君に春風を  作者: 讀茸


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第十九話 異形の魔術

 ルナトルフィア王国。

 かつて、そんな名前の国があった。

 その教育水準と学問レベルの高さから、賢者の国とも呼ばれていた王国だ。

 さらに特筆すべきは国全体に浸透した道徳規範の高さ。

 奴隷制度撤廃運動始まりの地としても名高いルナトルフィアは、大陸で唯一獣人差別が無い国とも謳われ、性的マイノリティへの理解等、他国を遥かに凌駕する道徳意識が浸透していた。

 現在、大陸の地図にルナトルフィアの文字は無い。

 かつてその名が書かれていた地域には、サーガハルト王国イドルタ領との記載がある。

 かつて賢者の国と呼ばれた王国は、サーガハルトの軍事力の前に滅亡した。

 今から五年前、軍事国家サーガハルトでは珍しくもない戦争の記録である。


     ***


 ファンガルに殴り飛ばされたレナーテット。

 右肘に走る強烈な痛みを堪えながら、空中で体勢を立て直す。


(痛ったい! 私の魔力防御を解除しながら殴ってきた! そこらの武器や刃物なんかよりよっぽど効く! もう右腕使い物になんないな! 魔術師だから関係無いけど!)


 魔力遮断体質を持つファンガルの肉体は魔力を一切通さない。

 どれだけ魔力で肉体を強化していようと、彼の拳の前では意味を為さない。

 レナーテットは魔力による強化の無い生身の状態で、ファンガルの拳を受けたのだ。

 魔力を断つファンガルの肉体。防御魔術を豆腐のように崩し、魔力による肉体強化を貫通して生身に打撃を叩き込む。

 まさに、神が作った魔力へのアンチテーゼ。


「相性最悪……!」


 魔力に愛されたレナーテットにとっては、この上ない天敵であった。

 悪態をつきながら着地したレナーテット。

 一瞬ぐらついた視線をすぐに上げ、接近してくるファンガルに備える。


(今ので距離は稼げてる。すぐに迎撃を――――)


 レナーテットのすぐ目の前まで迫ったファンガル。

 彼は二撃目の拳を振りかぶっていた。


「速……っ!」


 レナーテットは即座に飛行魔術を起動。

 ファンガルの拳が顔面に突き刺さる前に、後方へと自発的に吹っ飛んだ。

 壁に身体を擦りつけながら廊下を飛翔し、煤の如き怪人から離れる。


(さっきより格段に速い! 調子が上がったなんてもんじゃない! あのスピードを出せるなら、なんで最初から……)


 何故か制御の上手くいかない飛行魔術に手こずりながら、レナーテットはぐんぐんとファンガルから距離を離す。

 何度か壁に身体をぶつけたが、それでも飛行魔術の移動速度は凄まじく、追走するファンガルを引き離していく。

 その間、レナーテットは視界の端に映る自分の肉体に、とある違和感を見つけた。


(違う。向こうが速くなったんじゃない。私が遅くなったんだ。さっき殴られた時に体内の魔力流を絶たれたから、魔力強化の調子が狂ってる。魔力視で見るまで気付かなかった)


 魔術師に限らず、戦闘職の者は自身の肉体を魔力で強化して戦っている。

 魔力強化は初めに肉体に魔力を流し始めてからは、体内の魔力を上手く循環させながら行う。

 この循環のペースを強制的に断ち切られれば、魔力強化の調子が狂うのも自明の理。

 ほとんどの者が無意識下で行っている魔力強化は、ペースが狂っていることにも気付きにくい。

 ファンガルの一撃は、防御無視の強烈な攻撃であると同時に、対象の弱体化にも繋がるのだ。


(それでも私には視える。狂った魔力の巡りも目視で修正すれば問題無い)


 飛行魔術で十分な距離を取ったレナーテットは、床に降り立ち遠方のファンガルを見据える。

 狂った体内魔力は目視で確認修正済み。間合いは十分。

 後は攻撃魔術の雨で叩きのめすだけ。

 そうしてレナーテットが魔力弾を展開しようとした直前、階下に爆発的な魔力の起こりを感じた。

 階下にて、少女は誰に聞かせるでもなく囁く。

 或いは、自分自身に聞かせるために。


「この弓は私が託された賢者の遺産。この眼、この血無くしては十全に扱えない月の弓。――――サーガハルト、お前達が滅ぼした国の国宝だ」


 ルナァスの眼が翠に輝く。幻想的な色を宿した翠の瞳。

 遠視の魔眼。旧名を千里眼。とある王族に代々伝わる魔眼であり、遺伝する魔眼として魔術界では名が知れている。

 その効果は単純にして強力。数キロメートル範囲の世界を完全に見通せる。

 ルナァスの眼には、壁越しのレナーテットの姿もくっきりと映っていた。


「――――撃ち殺せ、ルナストラフィーア」


 再び、床をぶち抜いて飛んで来た一筋の矢。

 衝撃波を発しながら直進する矢に対して、レナーテットは防御魔術を何重にも展開していた。

 総数十三枚の防壁。魔力の位置から矢の軌道を予測して貼った光の壁に、神速の矢が激突する。

 矢は十三枚の壁を容易く突き破り、今度はレナーテットの脇腹を抉っていった。


(痛った! 防御魔術の威力減衰が無かったら脇腹どころか胴体全部持ってかれてた! ていうか、なんでこんな精度で撃てんの!? 壁越しなのに!)


 ルナァスが放つ矢の威力と精度にレナーテットは心中で叫ぶ。

 壁越しで姿が見えないはずの相手にどうやって矢を当てているのか。その答えを考察する前に、灰色の男が目前に迫って来ている。

 ファンガルをギリギリまで引きつけてから、カウンター気味に放った魔力弾。

 しかし、ファンガルは超人じみた反射神経でこれを回避し、回し蹴りをレナーテットの鳩尾に叩き込む。


「うぅ、あ――――ッ!」


 炸裂する一撃は魔力防御を貫通する蹴撃。

 ファンガルの優れた身体能力から放たれる一撃を、レナーテットは生身で味わう。

 肩と脇腹も傷口から血を撒き散らし、錐揉み回転しながら吹き飛ぶレナーテット。


(ダメだ。あの男と距離を取れば弓矢が飛んでくる。かといって、アレと接近戦なんて冗談じゃない。お腹痛い。頭回んない。こんなに血ぃ流したのいつぶりだっけ)


 床をボールのように跳ねながら、レナーテットは朧気な思考を働かせる。

 規格外の性能を誇る弓矢、それを使いこなす魔眼の狙撃手、魔力遮断体質の手練れ。

 考慮すべきイレギュラーの連続が、レナーテットの思考を圧迫する。


(あー、狙撃手の魔力分かんなくなった。魔力隠すの上手い。狙撃位置もきっと変えてるよなぁ。ダメだ。考えること多すぎて頭おかしくなる)


 ここまで追い詰められてなお、これだけ完封されてなお、レナーテットの脳裏に敗北の二文字は浮かばない。

 負けるかもしれないという焦りは微塵も無く、ただどうやって勝つかを考えている。

 それほどまでに、レナーテット・リーレンという人間は敗北に対して無知だった。


(さっきあいつ、サーガハルトとか言ってたっけ。軍事国家とも言ってた。じゃあ、狙いはハナだよなぁ、多分。護衛の私が襲われてるってことは、それしかないかー……)


 巡る思考。気付けば、廊下の一番奥の壁に叩きつけられていた。

 床に尻餅をつくような形で、廊下の壁に背を預ける。肌をなぞる流血は、べたついた感触を残すのみ。

 視線を上げれば、煤のような男が遠くに見える。


「……じゃあもう、なりふり構ってられないなぁ」


 励起する魔力。レナーテットの脳は高速で術式を組み立てていく。


(ここからは、魔術戦だ)


 無属性攻撃魔術、防御魔術、飛行魔術。

 難易度に差はあれど、どれも習得に特別な才能の要る魔術ではない。

 メジャーで魔術界に深く浸透した、言ってしまえば誰にでも扱える魔術。

 レナーテットがこれらをメインウェポンとして使っているのは、洗練されたシンプルな術式故に、アドリブで術式を組み換えながら、使用魔術を超高速かつ連続で切り替えることができるから。

 本来ならば、もっと複雑で難しい術式も使用できる。それこそ、術式視を持つ彼女でしか扱い切れないような、異様なカタチをした術式でさえ。

 レナーテットが壁に手を触れる。


「المساحةπεριοχήގެއްލިގެން ހޯދަނީТочка」


 廊下の左側一面の壁が一斉に消失した。

魔術師とはいっても、戦闘中は走ったり動いたりします。右腕の負傷を魔術師だから関係無いと思えるのは、魔力視と術式視で世界を見ているレナーテット独自の世界観ありきです。魔力があって、術式がある。それだけで魔術は撃てるということを、本能的に理解しているんだと思います。

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