第十八話 怒れる拳
「ああ、第二ラウンドと行こうぜ。魔術師サマ」
そう言うや否や、ファンガルは一直線に駆け出した。
宮殿の廊下を這うような低姿勢で疾走し、レナーテットへの距離を詰めていく。
(速い。魔力無しの身体能力でここまでスピード出せるんだ。何かの種族? いや、魔力が無い時点で純正の人間じゃないか)
肉薄するファンガルに対して、レナーテットは冷静に迎撃の魔力弾を浴びせる。
迫り来る光弾をファンガルはジグザグにステップを踏んで避ける。
対象を捉え損ねた魔力弾が床と壁に炸裂し、小さな窪みを幾つも作った。
「マジでぇ? キレッキレじゃん」
魔力の無いファンガル。
彼の動きは素の身体能力では到底説明できない次元に見える。
魔力視を日常的に使用しているレナーテットの視界の中、素早く駆ける灰色の男。
魔力の流れが一切無いその挙動は、魔力視に慣れたレナーテットには特段不気味に映っていた。
(それでも目で追える速さ。防御魔術で受けてから刺し返す)
床を這うようにして迫るファンガルを前に、レナーテットは防御魔術を展開。
幾何学模様を描く光の壁を創出し、壁に阻まれた敵を反撃の攻撃魔術で仕留めようと画策する。
「防御に回ったな?」
ファンガルが笑う。
その呟きに意味を問う間も無く、彼が突き出した指先が光の防壁へと触れる。
彼の細長い人差し指、その爪の先端が、光の壁に触れた途端――――
「――――は?」
音も無く、防壁は崩壊した。
光の欠片となって砕け散る防御魔術。
かつて光の壁だったもの達の欠片は宙に舞い、世にも幻想的な光景を描き出す。
舞い踊る光の欠片の中、ファンガルの細長い五指が、レナーテットの顔面に迫る。
目前へと肉薄する、魔力の一切見えない指五つ。
その不気味な圧力を間近で感じ取ったレナーテットは、咄嗟に飛行魔術を瞬間発動。大きく後方へと距離を取った。
(こいつ! 単に魔力が無いだけじゃない! 肉体そのものが魔力を遮断してる!)
魔力遮断体質。
先天的にファンガル・ヴェッジの肉体に宿った特異な体質。
歴史上、彼以外では確認されたことの無い体質であり、その希少性はレナーテットの両魔眼と同等、或いはそれ以上とも言える。
魔力を通さない肉体は、魔術に対しては最強の矛。
電流に絶縁体を差し込むが如く、彼が触れるだけでどんな術式も容易く崩壊する。
(この男に防御魔術は通用しない。多分、防御魔術以外にも触れる系のやつは全部アウト。私並みのレア体質なんじゃない? これ)
ファンガルから逃げるように後方へと飛んだレナーテット。
しかし、前方から離れるということは、後方に近付くということ。
「バルブロ! ティルダ!」
ファンガルが叫ぶ。
その答えに応じるように、レナーテットの背後で機を伺っていた二人の戦士が、それぞれの得物を振り上げた。
「任せなさい!」
「抉ってやらァ!」
振り下ろされる斧と鉤爪。
その刃はレナーテットが即座に起動した防御魔術が受け止める。
その攻撃は致命打にならない。彼らと両魔眼の天才では立っている土俵が違う。
今夜の戦いにおいて、レナーテット・リーレンがバルブロとティルダの攻撃を受け損ねることはないだろう。
(こうも簡単に弾かれると自信失くすわね! それでも、今は――――)
それは二人自身がよく分かっている。
それでも、殺す気で打ち込む。自分達が獲るのだという気迫で攻撃を叩き込む。
その気迫が、攻撃意識が、たった一瞬でもレナーテットが防御魔術を張っている時間を伸ばし、ほんの一ミリでも防壁の面積を広げ、僅かでもレナーテットの意識を自分達へと引っ張る。
そうして出来た隙とも言えぬ間隙に、煤の如き男はその身を捻じ込んでいく。
魔力を断つ痩躯が疾走し、再びレナーテットへと向かっていく。
(魔術師が一度に使える魔術は一種類だけ。防御魔術を張れば、攻撃魔術は撃てない。どんな天才――――魔眼を二つ持っている化け物だろうが、その原則は覆せない)
レナーテットの魔術は切り替え速度が凄まじく、あたかも同時に使っているように見えることもあるが、決して同時に二種類の魔術を発動することはできない。
バルブロとティルダの攻撃を防御魔術で防いでいるレナーテットは、ファンガルに攻撃魔術を撃てない。
(完全なデッドロックだぜ。俺の前で防御魔術は意味を為さない。意味を為さないそれをお前はバルブロとティルダに使わされたんだ)
防御魔術を使えば、ファンガルに剥がされる。
防御魔術を解いてファンガルを迎撃しにかかれば、バルブロとティルダの攻撃を防げない。
レナーテットをデッドロック状態に追い込んだファンガルは、薄ら笑いを浮かべてレナーテットへと迫る。
レナーテットの視界。
左には斧を振り上げたティルダ。右には鉤爪を振りかぶるバルブロ。視界の端には、斜め後方から迫るファンガルを捉えている。
「オーケー、もう防御魔術は使わない」
そう言うや否や、防御魔術を解除するレナーテット。
消え去った光の防壁。盾を失ったレナーテットが瞬時に起動したのは、無属性攻撃魔術。
レナーテットが放った二発の魔力弾。斧と鉤爪をピンポイントで捉えた魔力弾は、それぞれの得物を弾き上げる。
「おいおい、嘘だろ……」
防御魔術ではなく攻撃魔術で前衛の攻撃を弾く。
それがどれだけの神業か、魔術を少しでもかじったことがある者なら分かるだろう。
(ふざけろッ! どんなコントロールしてやがんだァ!?)
攻撃魔術によってバルブロとティルダの攻撃を防いだレナーテット。
彼女は即座に振り返り、距離を詰めて来ていたファンガルの心臓を指差す。
「クソ、が……ッ!」
向けられた人差し指。
その先端から放たれた極小の魔力弾は、咄嗟に飛び退いたファンガルの衣を掠める。
(これも避けるんだ。マジで当たんないな)
仕留める気で撃ったレナーテットだったが、ファンガルの反射神経により、その効果は牽制に留まる。
「だったら、こっちから潰していこう」
レナーテットは牽制の魔力弾を数発ファンガルへ放つと、彼には背を向けて、後ろの前衛二人へとターゲットを移す。
緩急を付けながら時間差で放たれた魔力弾。
それらの回避を強いられるファンガルは、約三秒間レナーテットへ接近できない。
満身創痍ながらも戦意を途切れさせないバルブロとティルダは、既に攻撃態勢へと移行していた。
「誰を潰すってェえ!?」
一秒。
先んじて切り込んだのはバルブロ。
獣人の瞬発力で素早く踏み込み、両手の鉤爪でレナーテットの右方から攻め込む。
そこから一呼吸分遅れて、ティルダが左方から斧を振りかぶる。
速くキレの良いバルブロの爪と重く大振りなティルダの斧。性質の異なる二つの攻撃を左右から同時にぶつける。
並みの魔術師、否、相当の腕前を持つ戦士相手でも必殺たり得る連携攻撃を、彼女は――――
「君達だけど」
二秒。
たった二発の魔力弾で粉砕した。
バルブロが鉤爪を振り抜くより早く、ティルダが斧を振り切るよりも先に、レナーテットが放った二発の魔力弾。
流れ星を思わせる光の弾は、鉤爪と斧を粉々に砕いた。
(武器破壊!? 噓でしょ!? 斧には常に魔力を通してた! いくらなんでもあり得ない! 一体どうして!?)
レナーテットの無属性攻撃魔術は、彼女がアドリブで術式を組み替えて運用している。
撃ち出す魔力弾は全てレナーテットのオーダーメイド。
レナーテットは攻撃魔術を撃ち込んだ時の感覚と魔力視によって得た魔力情報から、バルブロとティルダの得物の性質を把握。
それを砕くのに最も適した形状と特性の魔力弾を直感的に練り上げ、両者の得物へと叩きつけたのだ。
言うなれば、敵武装への適応。即席の特攻魔術。
レナーテット・リーレンを近中距離における魔術戦闘の覇者たらしめている神業である。
(マズい! 武器を砕かれたら、もう――――)
三秒。
無数の魔力弾がバルブロとティルダを打ちのめす。
それは瞬きの間に全身を砕き尽くす暴力の嵐。竜巻のように荒れ狂う魔力弾の群れに轢かれた二人は、全身の骨と肉をズタボロに潰されて床に倒れる。
床に倒れ伏す二人を中心にして、赤い血溜まりが広がっていく。
上等な靴を血に浸して、レナーテットはファンガルの方を振り返る。
赤紫と黄金の瞳で、敵を冷徹に見る。
「テメェ、よくも二人を……!」
ファンガルは鋭い視線でレナーテットを睨む。
レナーテットを強く睨みつける双眸は、煤の中で燻る火種のよう。
「殺してはないよ。内臓は避けたし。……まあ、もう立ったり歩いたりは無理だろうけど」
再起不能の傷を負ったバルブロとティルダ。
二人の負傷にファンガルは強い憤りを見せる。
それはレナーテットに向けてのものか、二人を助けに行けなかった自分へのものか。
「襲って来たのはそっちでしょ。死なせたくないなら、故郷とかで静かに暮らしてれば良かったじゃん」
レナーテットはある種の正論を告げる。
先にそちらが殺しに来たのだから、仲間に被害が出ようと文句を言う筋合いは無いと。
それは紛れも無く正論だろう。
だが、その正論がファンガルの逆鱗に触れた。
「それを……それをお前が言うのか! サーガハルト!」
憤りは憤怒に。怒りは激怒に。
煮えたぎるマグマのような激情を叫び、ファンガルは走り出す。
(直線的だ。仕留められる)
怒りに支配されたファンガルの動きは、先刻のようなキレを失い、獣のような直線軌道に成り果てる。
既に二人を再起不能に追い込み、残りの一人も我を失い動きは単調。
レナーテットは半ば勝利を確信する。
レナーテットが勝利を確信するその瞬間を、彼女は待っていた。
「――――撃て、ルナストラフィーア」
遥か階下で呟かれたその声を、レナーテットが聞くことは無い。
ただ、その爆発的な魔力の起こりで、それが来ると理解した。
爆ぜるような轟音と床越しに感じる強烈な魔力。レナーテットは反射的に防御魔術を展開する。
次の瞬間、何枚もの床を突き破り、レナーテットが展開した防御魔術すら突き破った一条の矢が、彼女の肩口を抉り取った。
「……っ!」
滴る鮮血。レナーテットの右肩から血が零れ落ちる。
そうして一瞬怯んだ天才の目前に、駆け出していたのは煤のような男。その身に魔力を一切通さぬ怪人。
「喰らえよ軍事国家。お前らが弱者に押し付けてきた痛みだ」
ファンガルが拳を振り抜く。
レナーテットは咄嗟に両腕でガードを試みる。
その肘の辺りに衝突した一撃は、強烈な痛みを伴って、彼女を激しく殴り飛ばした。
レナーテットの戦闘スタイルは、自分の強みを押し付けるのではなく、相手の出方を観察して完全に対応しきるというものです。何が来ても絶対に対応しきれるという、レナーテットの無意識の自信が表れています。




