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君に春風を  作者: 讀茸


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第十七話 晴剣神話

 国宝。

 それは各国に保有されている特殊な武具を指す言葉。

 その国の王族にしか使えない等の縛りこそあれど、それ一つで戦況を変えるような力を秘めていることが多く、その国の武力の象徴として祀り上げられることが多々ある。

 晴剣ロードフリューネリア。

 ローネリアに保有される国宝であるそれは、修練を積んだローネリア王族にしか扱えず、使用者の身体への負荷も高いピーキーな代物。

 しかし、その威力は凄まじく、ロードフリューネリアの一振りで敵軍を全滅させてという伝説も残っている。

 サーガハルトと同盟を結ぶ前、ローネリアは軍事力のほとんどを晴剣に依存していた時期もあるという。

 晴剣とはローネリアの武力の象徴であり、この小さな王国唯一の戦術兵器。

 かつてはローネリア最強の矛と謳われた、風の剣なのだ。


     ***


 月明かりが照らす夜の庭園。

 世界を両断するかのような突風が吹き抜けた後の庭園で、シェイルは粉砕した肉塊を静かに見上げていた。


「やった……?」


 巨大な肉塊は赤子の形を保てず、ぐしゃぐしゃの骸と化していた。

 千切れ飛んだ肉片は高く宙を舞い、今もボトボトと肉片が降り注いでいる。

 吐き出された吐瀉物のように輪郭を失う肉の塊の中、のそりと何かが動いた。


「ふふ、勝ったと……思いましたか?」


 肉の海の中、立ち上がったのは一人の聖女。

 ボロボロの修道服を自ら引き裂きながら、起き上がった女の姿。

 狂気に染まった瞳が見据えるのは、肩で息をするアルノーン。まだ幼い美少年が見せる純白の美貌。


「そんな、嘘だ……晴剣の完全開放だぞ! この国最大の攻撃手段が、どうして……!?」


 ロードフリューネリアの一撃を以てしても立ち上がるハインネを見て、アルノーンの顔が絶望に染まる。

 ローネリアで育った彼にとって、晴剣は力の象徴。

 この剣が何度も王国を救ってきたのだと、この剣は何にも屈しない強い剣なのだと。

 そうやって、幼少の頃から憧れた力の象徴が、今、完全に受け切られた。


「私の肉塊は斬撃も衝撃も吸収する究極の鎧! 寄り集めて密度を増せば、小国の国宝程度に後れをとるはずが無いでしょう!」


 高密度に圧縮した肉の鎧を全身に纏い、ハインネは高らかに嗤う。


「晴剣の神話に憑りつかれた純朴で愚かな王子! 貴方の信じる絶対の剣は! 私の肉塊一つ裂けやしない! ハリボテのレプリカに過ぎない!」


 肉溜まりから、ハインネが飛び出す。

 高密度の肉の鎧は動作補助によって身体機能を底上げし、ハインネを真っすぐにアルノーンの下へと向かわせる。

 その目にはリノもシェイルも映っていない。

 そこにあるのは、晴剣の担い手たる純白の王子を、何よりも美しいその少年を、自らの手で壊したいという欲望だけ。

 背徳的な欲望だけを滾らせて、ハインネは猛進する。


「全ては子供騙しの神話だと知りなさい!」


 そして、振り下ろす右腕。

 肉塊を纏って肥大化した腕は、ブクブクと膨れ上がり歪な形状へと変じていた。


「させない……っ!」


 その腕を抉り取るように、背後から蹴りを放ったのはリノ。

 空を裂く鋭い回し蹴りは、刺々しい金属の装甲を以て、歪な巨腕を抉りにかかる。


「貴方のそれも、今は効かない」


 しかし、ハインネの纏う肉の鎧を貫くには能わず、装甲ごとリノの右脚は肉塊に沈んだ。

 ハインネはリノの脚を掴み、そのままくいっと持ち上げる。

 そして逆さ吊りになったリノの右脚を、巨大な右手で強く握りしめた。


「ぅ……っ!」


 リノは万力の握力で脚を握られ、思わず呻き声を上げる。

 それを聞いたハインネはニィーと口元を吊り上げ、さらに握る力を強める。


「ふふふ! ははは! あはははは!」


 ハインネはアルノーンに見せつけるように、逆さ吊りにしたリノを痛めつけた。

 ミチミチと異様な音が鳴り、リノの脚を握りしめる歪な五指の隙間から、真っ赤な血が滴り落ちる。


「あ、ああ……っ」


 悲鳴を上げたのはアルノーンだった。

 目の前で痛めつけれるメイドの姿を、アルノーンは悲痛な表情で見上げている。


「ああ! 貴方はなんて良い顔をするのか! その絶望! 恐怖! 罪悪! その全てが甘く愛おしい! どうです!? 目の前で大切な人を嬲られる感覚は! 苦しいでしょう! 辛いでしょう! 胸が引き裂かれるようでしょう! ほうら! また骨が砕けた所ですよ!」


 リノの血を浴びるアルノーンの顔を見下ろして、ハインネは興奮も露わに絶叫する。

 綺麗な肌が血に汚れ、美しい顔立ちが絶望に歪む様を、ハインネは嬉々として嗤う。


「……っ、はぁ、はぁ……ああっ、あああぁ……!」


 アルノーンの目尻から涙が溢れる。ボロボロと雫が零れ落ちていく。

 止まらない嗚咽は呼吸困難を引き起こし、アルノーンは苦しそうに咳き込んでいた。

 食道を逆流する胃液は今にも口から溢れ出しそうで、全身から噴き出す冷や汗が止まない。

 歯を食いしばって痛みに耐えるリノの横顔が、恍惚とした表情で拷問を続けるハインネの狂気が、少年の綺麗な顔をぐちゃぐちゃに変えていく。

 泣き腫らす少年の表情を味わい尽くす女。

 その背後に音も無く現れたのは――――


「エンチャント・サンダーボルト」


 密かに奇襲のタイミングを伺っていた騎士。

 拷問に夢中だった女の首筋に、シェイルは雷を纏った刃を突き立てる。


「貴方の攻撃が今更――――」


 肉の鎧を信じ切ってシェイルに見向きもしなかったハインネ。

 その全身に電流が走る。

 痺れた手足は一瞬だけ制御を失い、ハインネは思わずリノを手放す。


(何故!? こいつの剣も魔術も! 私の肉塊を貫くような威力は無いはず! 流動性に富んだ肉の鎧は首の関節部分もくまなく覆っている! どうして電撃が私の肉体に!?)


 自らの身体に走った電撃に驚愕するハインネ。

 シェイルはその首筋から剣を引き抜き、すかさず回し蹴りでハインネを蹴り飛ばした。


(あいつ自身が言ったことだ。肉の鎧は肉塊を寄せ集めて密度を高めたもの。関節部分まで高密度の肉で固めたら、細かい動きを阻害することになる。あの肉の鎧には密度の低い部分が存在している。雷魔術の付与で貫通力を底上げすれば、俺の剣でもダメージを通せる)


 それはハインネ自身ですら意識していなかった弱点。

 肉塊魔術を極めたハインネは、肉塊をほとんど己の手足のように扱える。

 二本の足で歩くように自然に、五本の指を操るように無意識的に、ハインネは肉塊を操作している。

 それ故、自身の癖に気付かない。

 高密度の肉の鎧を纏いながら動く時、自身の動きを妨げないように、彼女はほとんど無意識で関節部分の肉密度を下げていた。

 本来、弱点とも言えない弱点だ。

 肉の密度は外見では判断できず、シェイルは首の可動域をよく観察した上で奇襲に踏み切った。


(こいつの肉塊魔術はさっきみたいな大質量で攻めるのが一番強い。肉の鎧は確かに脅威だけど、魔術師の撃ち合いの強さを完全に捨てることになる。アレはあくまで近付いてきた敵を迎撃するための最終手段。王子の一撃には意味があった。王子があいつに肉の鎧を使わせたんだ)


 蹴り飛ばしたハインネから視線を外さないまま、シェイルは視界の端に王子を捉える。

 ぐったりしたリノの側にしゃがみ込み、泣き腫らした目尻をこする王子。

 突如現れた狂人に尊厳を踏みにじられた少年。

 シェイルが彼にかけた言葉は――――


「ありがとう王子! 助かりました!」


 混じり気の無い感謝だった。

 王子への言葉一つ残して、シェイルは今しがた蹴り飛ばしたハインネを追走していく。


「ありがとうなんて……僕は、何もできなかったのに……」


 走っていくシェイルの背中を、アルノーンは呆然と見つめる。

 晴剣でも倒しきれなかった怪物の方へ、真っすぐに駆けていく騎士の姿を。


「何もできなかった、なんて、そんなことがあるものですか」


 地面に横たわったリノが呟いた。


「リノ! 今は喋らない方が――――」

「隠れているように言ったのに……全く、これだからアルノーン様は。本当に仕方の無い人なんですから……」


 薄れていく意識の中、リノはアルノーンの手を握った。

 もうほとんど力の残っていない手で、優しく主人の掌を包み込む。


「守りたいのでしょう……? ほら、早くしないと終わってしまいますよ……」


 守りたい。それがアルノーン・ローネリアの根源であるとリノは知っている。

 アルノーンという名前を付けられた彼が、実は誰よりも春風の騎士に憧れているなど、リノと爺や以外の誰が知ろうか。

 だが、当然と言えば当然だ。

 姫様を助ける春風の騎士は、王女に恋した少年にとっては、なりたい自分そのもの。名前が同じなら尚更だ。

 彼は誰よりも憧れていた。

 王女を守る騎士の勇姿に、誰よりも憧れていたのだ。


「うん……頑張るよ! リノも爺やも……! みんな、守れるように……!」


 ハナを、と言えないのは思春期らしい可愛さか。

 アルノーンは再び剣を取った。空色と若草色の二色に輝く晴剣を。

 たとえそれが御伽噺に過ぎないのだとしても、幼心に憧れた夢はそれなのだから。

 吹き抜ける風のような剣を取って、少年は立ち上がった。


「今更無駄な足掻きを! 魔術付与が無ければ私の肉も裂けないなまくらで! 一体何をしようと言うのか! エンチャントを持続させられるほどの魔力も無いでしょう!」


 雷魔術の付与を切った剥き出しの剣で、シェイルはハインネと斬り結ぶ。

 ハインネが振り抜く拳を至近距離から避け、返しの斬撃を叩き込むが、刃は柔らかい肉の上を滑るだけ。

 その中の本体には傷一つ与えられない。


「小手先では通じない! 足りないと言ったでしょう! 元の力が! パワーが!」


 ハインネが感情的に打ち放った正拳突き。

 歪な巨腕を以て放たれるそれは、凄まじい破壊力を秘めた暴力の権化。


(苛立ちに任せた大振り。その一撃を待っていた)


 シェイルの予想通り、ハインネにとって肉の鎧は使わされた魔術。

 大質量で圧倒するという自分の最も得意な形を、晴剣によって崩され、仕方無く肉の鎧を使っている。

 騎士であるシェイルを相手に近接戦闘をすることを強いられている。

 その束縛が、強制が、ハインネの神経を苛立たせる。

 時に享楽的に、時に戦略的に戦いを組み立ててきたハインネから、感情任せの一撃を引き出す。


「その構えは……!」


 ハインネの大振りに対して、シェイルが取ったのは受け流しの構え。

 迫り来る拳に刀身を合わせ、インパクトの衝撃を自身の正中線上から逸らす。

 ここまでは空中戦で見せた受け流しと同じ。

 ここは地上。より安定した足場で、力強い踏み込みで、空中よりもできることの幅が広がる。


「そのパワー、お前に返すよ」


 シェイルは拳を受け流した勢いを利用して一回転。左脚を軸に旋回した身体は綺麗な弧を描く。

 逸らした衝撃を巻き取り、反撃の剣に乗せる。

 それは相手の力を利用して放つカウンターの一閃。

 シェイルは受け流しからの返す刃で、ハインネの肉の鎧を袈裟懸けに切り裂いた。


「浅い! 薄皮一枚裂いた所で、貴方は私を殺せない!」

「ああ、だから俺じゃない」


 肉の鎧に大きな傷を付けたシェイルは、後方に大きく跳躍し距離を取る。

 反射的に退くシェイルを追いかけたハインネ。

 その視界の端に映ったのは、晴剣を大上段に構える少年の姿。


「晴剣、解放――――」


 爆発的に励起する魔力。

 吹き起こった風が螺旋を描き、一本の刀身に収束していく。

 溢れ出した魔力が光の粒となり、アルノーンの周囲を淡く照らし出していた。


(こちらには肉の鎧がある。晴剣だろうと受け切れるは、ず――――)


 肉の鎧で防御を固めようとしたハインネに、再度走る電流。

 シェイルが撃ち放った雷の魔術が、肉の鎧に付けられた傷口を抜けて、ハインネの肉体にまで届いたのだ。


(さっきの傷から! 体が痺れて……っ、いつものように魔力が練れない……! 肉の鎧が剥がれる……!)


 シェイルが使う雷の魔術はお世辞にも強力とは言えない。

 しかし、二度に渡ってハインネの肉体に走った電撃。

 それは身体機能を僅かながらも麻痺させ、魔力の操作を一瞬ながらも途切れさせる。

 ハインネの肉の鎧が剥がれたのは一秒にも満たない刹那の間のみ。

 彼女はすぐさま肉塊を操作し、肉の鎧を再構築しにかかった。

 しかし、肉の鎧が十分な密度に達するより早く――――


「――――ロードフリューネリア!」


 天空を薙ぎ払う風の一閃が、ハインネに直撃した。

 地面を割りながら放たれた旋風の斬撃は、ハインネを包む肉の鎧を粉砕し、中の彼女を宮殿の城壁にまで吹き飛ばす。

 吹き荒れる風に全身を切り刻まれ、壁に背中を強打したハインネは、その衝撃で完全に意識を失った。


「はぁ、はぁ……」


 二度に渡る晴剣解放の負荷により、アルノーンはひどく汗をかき呼吸も乱れていた。

 緊張の糸が切れたのか、晴剣は手から滑り落ち、無手のまま佇んでいる。

 その目が見据えるのは、剣を鞘に収めるシェイル・ドラットの姿。


(シェイルさん、僕はね……)


 ハナウィルシア王女が狙撃された際、薄れゆく意識の中で、襲い来る矢を打ち払う彼の姿が目に焼き付いていた。

 いや、本当は初めて会った時から、目で追っていた。

 王女を守る護衛の騎士。

 それは、アルノーンが憧れた姿そのものだったから。


(あなたみたいになりたいんだ。あなたみたいに、ハナを守れるようになりたい)


 アルノーンにとって、シェイルは御伽噺の主人公そのものだった。

 王女を背に降り注ぐ矢を剣で弾き返すシェイルの姿は、寝物語に聞いたヒーローの姿と重なって見えた。


「僕も、なれるかな」


 少年が呟いた憧憬は、誰の耳に届くことなく、春の夜風に吹かれて消えた。

かつては猛威を振るった国宝ですが、現在は魔術や戦闘技能の発展により、その絶対性が失われつつあります。今や国宝にも抗し得る強者がたくさん登場してきているのです。

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