第十六話 晴剣解放
一階、宮殿の廊下。
無数の肉片が飛び交う戦場をシェイルは縦横無尽に駆け回っていた。
(肉の弾丸。威力と手数は脅威だけど、回避に専念すれば当たりやしない)
ハインネが肉塊魔術によって放つ肉片の攻撃。
模擬戦とはいえ、レナーテットの弾幕を経験しているシェイルにとって、避けるのは大して難しくない。
(向こうが近接対応型の魔術師なのは確認済み。魔術を撃ち続けてる向こうの方が魔力消費も重い。無理に近付くより、このまま攻撃をいなして魔力を削る)
魔術を一つ実戦で通用するレベルまで磨き上げるのは、相当の研鑽が必要となる。
近距離に対応できる魔術を習得しているなら、魔術師本来の遠距離攻撃手段の豊富さをある程度捨てているはずだ。
「私に近付くのは怖いですか?」
肉片の雨が止む。
廊下に立ったハインネが煽るように言う。
その口ぶりは完全にシェイルの思惑を見抜いていた。
「ああ、怖いよ。お前みたいなヤツには、死んでも近付きたくない」
「ふふ、私のこと恐れるとは。ああ、なんて、私は……あなたの顔が恐怖に染まる所が見たい」
支離滅裂な女の言葉。
まるで論理が通じない怪人の声に、シェイルは戦慄する。
そう、まるで論理が通じない。
普通はこうだ。常識的に考えてこういうものだ。
そういった論理がハインネ・ヨハトークには通じない。
「近接戦闘に対応できる魔術師は、撃ち合いに弱いはず」
「……!」
ハインネはシェイルの思考を言い当てる。
自身の考えていたことを言い当てられたシェイルは、たまらず驚愕の表情を浮かべてしまう。
その驚きの色を見て、ハインネは心底嬉しそうに舌なめずりをした。
まるで、好きな玩具を見つけた幼子のように。
「できないと思っている。近距離と遠距離。どちらも得ることはできない。必死に努力しないと力を手にできない。何かを捧げないと、何かを得ることはできない。あれができない、これができない――――」
ハインネが口にした言葉は、シェイルの戦術的思考という域を超えていた。
そして、同時に肉塊魔術の出力を上げる。
「それは貴方達弱者の論理でしょう?」
嘲るような言葉と同時、ハインネの口から吐き出されたのは溢れんばかりの肉塊の奔流。
吐き出された肉塊は凄まじい速度で膨張し、廊下をいっぱいに満たすほどの質量までに膨れ上がる。
「私の肉で圧し潰してあげましょう。貴方の体温を感じながら、ゆっくりと溺れるように」
廊下を満たす大質量の肉塊は、シェイルを圧し潰さんと膨張を続ける。
肌色の壁が迫ってくる。
キスを迫る肉壁から逃れるように、シェイルは後方へと駆け出した。
(大質量の肉塊! 狭い廊下に出したのが裏目に出た! 逃げ場が無い!)
わき目も降らない全速力。
走法を直線の速度に特化したものへと変更し、シェイル・ドラットに可能な最高速で廊下を駆け抜ける。
しかし、肉塊の膨張速度は加速度的に上昇していき、少しずつシェイルの背中へと距離を縮めていく。
シェイルに大質量の肉塊を一息に消し飛ばすような絶技は無い。迫り来る肉壁に捕まれば、ハインネの言葉が現実になるのみ。
(初日に宮殿の地図は頭に入れてる! この先、右の部屋に入れば……!)
シェイルは右方に見えた扉を蹴破り、その中に転がり込む。
そこは客室の一つ。宮殿らしい美しい装飾の成された部屋の壁には、ガラス窓が取り付けてあった。
すぐ背後にはベチャリと音を立てて扉を飲み込む肉塊。
その濃密な気配を背に受けながら、シェイルはガラスを体当たりで破って窓の外に飛び出す。
庭園に転がり出たシェイル。軽い跳躍で距離を取りつつ、自分が飛び出してきた部屋の方向に向き直る。
すると、シェイルの後に続くように、窓ガラスどころか宮殿の壁を崩しながら、巨大な肉塊が庭園に顔を出した。
「広い庭なら圧殺はできない……良い知恵ですね」
庭園という開けた空間に出たことで、肉塊が如何に巨大であるかが目に見える。
かつて見た竜種と同程度の大きさを誇る肉塊は、今も膨張を続けていた。
巨大な肉塊と一体化したハインネは、腰から下を肉塊の中に埋めながらも、恍惚とした笑みを浮かべている。
(一人でこれだけ大魔術を……あり得るのか、こんなことが……?)
宮殿の壁を崩して顔を出す巨大な肉塊は、赤子のような形へと次第に変わっていく。
やがて出来上がったのは、宮殿の壁に空いた大穴から這い出る肉の胎児。
身体に対して明らかに肥大化した頭部。その額部分に、腰から下を肉に埋めたハインネが一体化していた。
「ふふふふ! ああ! なんと甘美なことか! 貴方の知恵! 試行錯誤! 努力! その全てを捻じ伏せて私が勝つ! 私が犯す! 無辜の弱者が享受するささやか幸せを!」
赤子が掌を振り下ろす。
巨躯とは、それだけで速いもの。
一歩の大きさ、一振りの長さ。体が大きいというだけで、速度は自然に付随する。
弾かれたように駆け出し、落ちてくる赤子の一振りを回避したシェイル。
シェイルの走力を以てしても、赤子の無造作な一撃を躱すのが精一杯だった。
地面を打った赤子の掌。それだけで庭園の地面には亀裂が走り、巻き起こった風圧がシェイルの前髪を激しく揺らす。
(巨体に裏打ちされた威力と速度! このまま暴れられたら地形が崩壊する!)
質量戦になれば勝ち目の無いシェイルにとって、走りやすい足場は命綱。
地面が崩壊して動きずらくなれば、それだけ肉塊魔術に捕まるリスクも上がる。
(長引けば不利になる! その前に勝負を……!)
シェイルは這うように地面を疾走し、巨大な赤子の足下へと迫る。
振り抜いた刃は横薙ぎの一閃。
疾走の勢いを乗せた一撃は、切断特化の鋭い剣技。
抜刀術を元に発展した東洋由来の居合切り。
そうして、赤子の足首を完全に捉えた一閃は――――
「嘘だろ……」
ぶよぶよとした肉に沈んだ。
柔らかい肉塊にめり込む刃。シェイルの技と力の粋を集めて放った斬撃は、肉塊に傷一つつけることなく、ただ肉の塊に受け止められていた。
剣の柄を通して伝わってくるのは、錆びた包丁で鶏肉を切ろうと試みるような、柔らかくやるせない感触だけ。
「足りない! どれだけ積み上げようと、所詮は凡人の足掻き! 自分の弱さを呪いながら、果てしない肉の海に溺れなさい!」
赤子が再び掌を振り下ろす。
至近距離から振り下ろされる一撃に、シェイルは為す術が無い。
避け切れるだけの猶予は無く、迎撃できるほど肉の鎧は脆くない。
ただ、視界を満たす肉の海で絶望に耽るだけ。
このまま、巨大な肉の天蓋に押し潰される。
迫り来る肉塊を見上げて、シェイルはそんな結末を悟った。
「シェイルさん!」
突如、かっ飛んで来た何者かがシェイルを跳ね飛ばした。
彼女と共にシェイルは地面を転がり、振り下ろされた掌を回避した。
「リノさん。なんで、ここに……?」
「追ってきました。私も戦えるのに、シェイルさんが飛び出て行ってしまうものですから」
窮地のシェイルを救ったのは、高速で飛来したリノ・シューベル。
服装はいつものメイド服のままだが、両脚には刺々しい形状をした金属製の装甲を装着している。
「助かりました。俺一人じゃ殺されてた。アルノーン王子は?」
「隠れているようには言いました。……一応」
リノの言葉には含みがある。
普段ならシェイルも言及しただろうが、今は非常事態。特に口にすることも、気にすることも無かった。
「ハインネ・ヨハトーク……とんだ大物が出て来ましたね。こっちでは有名な犯罪者です。ある修道院の居住者全員を皆殺しにした猟奇殺人鬼。巷では、背神聖女なんて呼ばれています」
ハインネ・ヨハトーク。
ローネリアでその悪名は広く轟いている。
とある修道院で起きた悲劇。その元凶である彼女は、ローネリアの民を震え上がらせる指名手配犯の一人だ。
「策はありますか? シェイルさん」
シェイルは立ち上がり、リノの隣で剣を構え直す。
「……二方向から攻めましょう。俺達のどちらかが、あそこの本体を潰せれば良い」
夜の庭園を這う肉の赤子。
その不気味な威容を前に、守護者二人は肩を並べる。
「さっきのメイドですか! 今更雑兵が増えようと同じこと! この肉の重みの前では、無意味な足掻きと知るが良い!」
赤子が両腕を振り上げる。
そして、大地に向けて打ちつけられた拳は、地面を割り突風を巻き起こす。
粗微塵に刻まれていく地面の上、シェイルとリノはほとんど同時に走り出す。
粉砕され不安定になっていく足場。しかし、シェイルとリノは速度を落とさず、巨大な赤子へと肉薄していく。
右からはシェイル。左からはリノ。それぞれ左右から攻め込んで行く。
ハインネがターゲットに見定めたのは、シェイルよりも若干早く赤子に接近したリノ。
赤子は地面に五指を突っ込み、そのまま地面を抉るように掻きながら、リノを地面ごと引っくり返しにかかる。
(常軌を逸したパワーと攻撃範囲。それでも――――)
地盤を引っくり返しながら、リノに迫り来る赤子の五指。
抉られた土が宙を舞い、巻き上げられたいくつもの土塊は茶色の嵐と化す。
(私の方が速い)
怯むことなく、土くれの嵐へと突っ込んだリノ。
力強い踏み込みで地面を砕きつつ、赤子の手首めがけて跳躍する。
圧倒的な質量を誇る肉塊を速度で凌駕し、大きく身を捻った渾身の蹴りを赤子の手首に叩き込む。
蹴撃一閃。
肉は抉り取られ、赤子の手首が弾け飛んだ。
「雑兵、でしたか?」
赤子の手首を蹴りで抉り取ったリノは、不敵な笑みでハインネを見上げた。
(あのメイド、妙な体術を使う。インパクトの瞬間に脚を捻り、脚部に装着した装甲で対象を抉り取るのか)
ハインネはリノへの分析を行いつつ、ニタリと口角を吊り上がらせる。
「面白い……! その脚、丹念に折ってあげましょう!」
優れたモノを壊したい。綺麗なモノを穢したい。
膨れ上がるハインネの欲望は、自らの肉塊を抉ったメイドへと向かう。
故に、反応が遅れる。
魔力を潜めて右方から接近してきていた、非才の騎士への反応が。
(俺が傷一つ付けられなかった肉塊を抉り取る新手……こいつはリノさんを警戒する。俺への意識が薄まる。緊張が緩む)
優れた魔術師ほど魔力探知を多用する。
魔力は潜めることはできても、完全に消すことはできない。
魔力感知は視覚や聴覚よりも遥かに優れた第六感だ。
生まれつき魔力に乏しいシェイルは、魔術師の第六感を掻い潜りやすい。
(その隙を獲る!)
ドンと踏みしめる大地。
シェイルは大きく跳躍し、一気に赤子の額へと跳ぶ。
しかし、完全な不意打ちを許すほど、ハインネの魔力探知は甘くない。
「やはり巧い! 小細工だけは一流か!」
シェイルの小さな魔力を感じ取ったハインネは、宙を跳ぶ騎士を赤子の拳で迎撃しにかかる。
(まともに受けたら死ぬ。空中では回避も不可能。だったら――――)
それはシェイルが習得した数多の剣術の一つ。
サーガハルトでも比較的メジャーな流派であり、小柄な種族や生まれつき膂力に優れない者に愛される剣技。
柔よく剛を制す流水の剣。
非力でも強者から身を守れるように開発された、受け流しの剣術。
(流す!)
迫り来る拳に刀身を合わせ、その勢いを正中線上から斜め後方に逸らす。
空中で全身を一回転させ、剣を接点にして赤子の拳の上を滑る。
衝撃を受け流し逸らすことで、シェイルは中空で赤子の巨大な拳をいなして見せた。
(流された! まさか空中で受け流せるとは!)
シェイルの技巧にハインネは目を見開く。
受け流しの技術はシェイルが使える剣の中でも特に卓越したもの。
それを目にしたハインネの顔には、素直な称賛とどす黒い欲望が滲んでいる。
「終わりだ! ハインネ・ヨハトーク!」
剣を振り上げたシェイルがハインネへと迫る。
剥き出しの上半身まであと数メートル。このまま慣性に任せて接近し、刃をその胸に突き立てるだけで、ハインネ・ヨハトークの命は獲れる。
あと数メートル、あと数秒、あとほんの少しで、背神聖女の命に手が届く。
「素晴らしい抵抗をありがとう。おかげで、これから楽しめそうです」
あと一歩で届くはずだった刃は、ハインネが展開した肉壁に阻まれた。
突き出した剣の切っ先が、柔らかい肉に食い込む。食い込み、めり込み、沈み込み、けれど決して貫くことは無い。
「赤子の形を操っている時に肉片の弾を使わなかったのは、赤子の操作と並行して行うと私の脳のキャパを超えるから。赤子の操作を一時的に手放せば、肉壁は問題無く展開できるのですよ」
肉壁に阻まれて落ちていくシェイルを嗤うように、ハインネは魔術のタネを嬉しそうに明かす。
落ちていくシェイルを見下ろす頬は赤く染まり、これから始める趣味を思い興奮しているようだ。
「着地点は肉のプール。どうぞ、肉塊遊泳を楽しんで。ただし、息継ぎは二度とできませんが」
ハインネは嗤う。
肉のプールへと落ちるシェイルを、心底楽しそうに嗤う。
それがハインネ・ヨハトークという人間の本質。
人を穢し、犯し、苦しめ、その様を五感で感じて嗤うことに快楽を覚える精神異常者。
それこそがハインネ・ヨハトークであると、高らかに嗤うのだ。
「止まってくれて良かった」
ならば、彼はその対極にいる。
人を救い、守り、施すことに幸福を感じる少年。
誰かの助けになるのが嬉しいと、好きな人を守れる男になりたいと、真っすぐに言える純粋な命。
「これなら、未熟な僕でも当てられる」
アルノーン・ローネリア。
月明かりが照らす夜の庭園、赤子の背後に立った王子は淡色の剣を携えていた。
空色と若草色の二色で構成された剣は、どこまでも広がる草原と澄み渡る大空のよう。
その鋭い刀身にさえ、優しく吹き抜けるそよ風のような気配を感じる。
「その剣……! まさか、使えるのか!」
ハインネの叫びと同時、アルノーンの剣から爆発的な魔力が起こる。
溢れ出す魔力は剣の内部に留まらず、光の粒子となって刀身から漏れ出す。
漏れ出した魔力が燐光と化して漂う中、アルノーンは何かを抑え込むように両手で強く剣の柄を握っていた。
額を流れた汗が。ポタリと床に落ちる。
「アルノーン様、それは――――」
リノが何かを口にする。
しかし、それよりも早くアルノーンは剣を大上段に構えていた。
「晴剣、解放――――」
吹き起こるは風。
優しく包み込むようで、それでいて猛々しい。
精霊の息吹のような風は螺旋を描くように旋回し、アルノーンが構えた剣の刀身へと収束していく。
そして、一振りの剣に凝縮された風、或いは風という概念の蓄積。
アルノーンはそれを――――
「――――穿て! ロードフリューネリア!」
一息に解き放つ。
振り下ろすは晴剣。解き放たれた風は一筋の斬撃となって、巨大な赤子に直撃する。
吹き荒れる暴風を、唸りを上げる竜巻を、たった一条の斬撃に纏め上げて放つ一撃は、空を晴らす風の奔流。
天空を薙ぎ払う風の一閃は、とてつもない風圧を撒き散らしながら、巨大な肉塊を粉々に吹き飛ばした。
ハインネ・ヨハトーク、生まれた場所さえ違えば、世界最悪の犯罪組織で中枢メンバーをやっていたことでしょう。




