第十四話 一瞬を掴んで
月の無い夜、真っ暗な夜空に浮かぶは新月が一つ。
塗り潰したような真っ暗闇の中で、宮殿は我こそ世界の中心とばかりに鎮座している。
「クソが」
男は静かに、けれど刺々しく、吐き捨てる。
みすぼらしい男だった。ボロ布のような装束。パサついた髪はロクに手入れされていない。
煤のような薄汚れた全身で、その双眸だけが鋭い光を放っている。
男は狭い路地から、煌びやかな宮殿を見上げていた。
「警備は厳重……ってだけならどうにでもなったけど。サーガハルトの護衛が二人いる。騎士は順当な実力者。魔術師は魔眼二種持ちの化け物。あの二人を攻略できる?」
男に問いかけたのは一人の少女。
彼女は彼女で変わった風体をしていた。
純白の布で両目を覆い、聖職者のような白い衣に身を包んでいる。
みすぼらしい男とは対照的に、その容貌は神秘的なまでに透き通っている。
背負っているのは彼女の身の丈を超すほどの大弓。
「やってやるよ。そのための俺だ」
「そう。良いんじゃない? 駒は手に入ったみたいだし」
奇人二人は宮殿を見上げ、言葉少なに通じ合う。
誰かに聞かれでもしたら、通報待った無しの会話。
しかし、二人は何も恐れていない。
その胸中に渦巻くのは、純真な憎悪と復讐心のみ。
「必要なことだ、俺には」
「私達には、でしょ」
呟きは闇に消えた。
***
王子と剣の稽古に励むこと小一時間。
「そろそろ切り上げましょうか。これ以上は明日に響きます」
「うん、今日はありがとう。シェイルさん。すごい勉強になったよ。やっぱり、王立騎士団って凄いんだな」
王子の純粋な感謝が心に沁みる。
今まで、自分を凄いだなんて思ったことはない。
でも、今は少しだけ、俺がやってきたことが彼の糧になったことが誇らしかった。
「お役に立てて何よりです」
なんだか、王子が眩しく見えた。
羨ましいって感じじゃない。嫉妬とか羨望とか、そういうのじゃなくて。
ただ純粋に、こういう風に生きられたらカッコ良いなと、澄んだ気持ちで感じられる。
こういう気持ちを憧れと呼ぶのだろうか。
「アルノーン様、お体を――――」
「良いって。何回目だよ」
リノさんは本日三度目の拒絶を味わっている。
王子はリノさんに対して結構当たりが強い。
多分それは嫌いだからではなく、身内に対してつい反抗的な態度を取ってしまうアレだろう。
俺にも覚えがある。母さんには迷惑ばかりかけた。
何より、ずっと苦しい所ばかりを見せた。俺は本当に親不孝な息子だったけれど、俺の一番の親不孝は家でいつも暗い顔をしていたことなのかもしれない。
いつも劣等感と焦燥を口にするばかりで、俺が母さんの下に生まれて幸せだって、伝えられていなかった。
そんなことを考えながら、俺は剣を鞘にしまう。
王女様の護衛をずっとレナーテットに任せきりだし、そろそろ俺も顔を出そうと思って、広間の扉に足を向けた時だ。
「……ん?」
キィーと音を立てて、扉が開く。
ゆっくりと開く扉。その奥から聞こえる音に、妙に聞き覚えがあった。
衣擦れの音。カチカチと鳴る金属音。空を切るような息遣い。
それは、今まで何度も耳にしてきた、戦場にいる人間特有のそれで――――
「――――おお、神よ」
その声には殺意が乗っていた。
「王子! 下がって!」
鞘に仕舞った剣を再び抜刀する。
俺が臨戦態勢に入った時には、拳大の肉塊が高速で飛来してきていた。
「――――っ!」
鞘から抜いた剣を振り払い、肉塊を斬り捨てる。
ぶよぶよとした手応えを刀身越しに感じながら、肌色の塊を両断した。
「おお、刃物で切りつけるとは。何と野蛮、何と非道。血と鉄の支配する世界の何と不浄なことか。ああ、この理性無き暴力の味…………甘美極まりなき」
女の声だった。
恍惚とした甘い声は、腐った果実のようなおぞましさを纏っている。
扉を開けて現れたのは、シスターのような修道服に身を包んだ女性。
ボコボコと蠢く肉塊が、袖の中から溢れ出ている。服の下で肉塊が蠕動しているのが修道服越しにも見て取れた。
「ああ、神よ。我が暴力を咎めたまえ」
何より異常だったのは、その表情。
紅潮した頬と限界まで上がった口角は、過度に興奮した人間のそれ。
酔いしれるような浮ついた表情で、蕩けるような声音で、女は袖から溢れた肉塊を自身の背後で旋回させる。
グロテスクな肉の流れが、彼女の背後で円を描いた。
「魔術師だな。何が目的だ? どうやって宮殿の警備を掻い潜った? この前の狙撃もお前が関わってるのか?」
これらの問いにこの女が正直に答えるとは思っていない。
会話から何か少しでも、情報を得られないかと思った。
女は見るからにまともな精神構造をしていない。重要な情報をあっさりと漏らす可能性もある。
「ふふふ」
少しでも情報を得る狙いで投げた問い。
しかし、女は不気味に微笑むばかり。
「優しい人。そんなに知りたいなら、私を捻じ伏せて拷問でもすれば良いのに」
「……ああ、そうさせてもらうよ」
肉塊を繰る背徳の徒に相対し、俺は剣を構えた。
***
一級騎士。
それは王立騎士団内においても、最上位に位置する騎士に与えられる称号。
非才のシェイルがその称号を得られたのは、圧倒的な準備と努力量故。
一級騎士への推薦条件と昇格試験への徹底した対策。その合理的で果てしない積み重ねにより、シェイル・ドラットは王立騎士団の最高峰へと至った。
準備と対策。
それこそが、持たざる者に与えられた唯一の武器。
シェイルは初見の魔術師にも後れを取らぬよう、実戦活用可能な魔術の知識を日頃から暗記している。
怪物的な努力によって詰め込まれた膨大な知識量から、シェイルは修道服の女が扱う魔術を類推する。
(肉塊魔術か。ローネリア西方の一部地域に伝わる伝統的な攻撃魔術。かなりマイナーな魔術だ)
肉塊魔術。
地域魔術に分類されるほど使い手が少ないその魔術は、修道服の女が最も得意とする魔術。
肉塊魔術とは本来速度に難のある魔術。先刻の肉塊のスピードを鑑みれば、女の熟練度の高さが理解できよう。
(マイナーな魔術を極めた魔術師……手札が読めない。遠距離攻撃は持ってるよな。距離を詰めたいけど、王子達から離れすぎると守れなくなる。難しい所だな)
シェイルは剣を構えて女を睨みつつ、すぐ背後の三人を気にかける。
女の目的は不明。
しかし、こいつは目的とは関係無い人間でも気紛れに殺すタイプの人間だと、シェイルの勘が告げていた。
この女を前にして、王子達をノーガードで放り出すわけにはいかない。
(王子達に手を出す余裕は与えない。初動から近接戦闘に持ち込む。レナーテットじゃないんだ。距離を詰めれば、自ずと勝ち筋も見えてくる)
魔術師は寄られれば弱い。
レナーテットの中近距離戦闘は、彼女の魔術展開及び切り替えの速度が常軌を逸しているからこそ成せる技である。
「私に近付きたいですか? 勤勉な貴方」
無論、魔術師もそれを想定して動く。
近接戦闘に持ち込まれないように距離を保とうとする魔術師に、どうやって近付いていくか。
騎士の対魔術師戦闘の肝はそこにある。
「ああ、体が疼く。私から遠く離れた地面で肉塊に潰される貴方は、どんな味がするのか」
それは幾度となく味わった。
強力無比な魔術師達。王立騎士団にいれば嫌と言うほど出会う彼らに、何千回と叩きのめされてきた。
距離を詰めるどころか引き離され、遥か遠くから魔術を撃ち込まれる恐怖と閉塞感。
終わりの見えない魔術の猛攻の中、擦り減っていく体力と魔力。傷と痛みだけが嵩み、ひたすらに道を阻まれる。
どうしようもないくらいに閉じた、あの感覚を――――
――――一瞬。一瞬で良いんだよ。一瞬を掴み取ろう。魔術師の一瞬は軽い。魔力を練り上げるのも、魔力を練り上げながら動くのも、一瞬じゃ無理だから
シェイルが想起するのは師匠の言葉。
準一級騎士になったばかりの頃、才能の無い彼に目を付けた変わり者の口癖。
――――でも、私達は違う。一瞬で何度も剣を振れる。一瞬であんなにも遠かった魔術師への距離を一気に潰せる。追いつくために必要なのは、いつだって一瞬だけ
シェイルは剣を放り投げた。
天井いっぱいギリギリまで、放られた剣がくるくると舞う。
(得物を手放した。一体何を――――)
一瞬。
たった一瞬だけ、女の視線が放られた剣に釣られて、天井へと上がる。
その一瞬。与えられた一瞬が過ぎ去る前に、少年を駆け出していた。
「視線誘導……!」
地を這うように疾走するシェイル。
彼に対して、女は容赦無く肉片の雨を降らせる。
大量に射出された肉片は、その一つ一つが相当の密度で作られた肉の弾丸。
だが、足りない。弾幕の密度は連射を持続し、ムラ無く弾をばら撒くことで高まっていく。
魔術の撃ち始めは、ほんの少しだけ弾幕の密度が薄まる。
そんなほんの少しの余裕が、たった一瞬の猶予が、彼を遥か遠くまで連れていく。
どうしようもないくらいに閉じたあの感覚を抜け出して――――
「ぶっ飛べ――――ッ!」
一瞬で駆け抜けて、叩き込んだ斬撃。
切り裂くのではなく押し出すような重い剣筋で、シェイルは剣を振り上げる。
(何故、剣を持って……!?)
その一撃は女が咄嗟に展開した肉壁ごと、彼女を後方へと吹き飛ばす。
派手に飛ばされた女は広間の扉をぶち破り、外の廊下へと弾き出される。
その後を追うようにシェイルもすぐに廊下へと出る。
「ふふふ! 何という技巧! どこで剣をすり替えていたのか!」
シェイルが投げたのは刃が潰れた訓練用の剣。
背後にいたアルノーン王子から、密かに受け取っていたのだ。自身の体の影で、女には見えないように。
「やっぱりすぐに展開できる防御手段があるんだな。道理で堂々と広間の中に入ってくるわけだ。無理に詰めて来た所をカウンターで仕留めたかったんだろ」
廊下で再び相対したシェイルと修道服の女。
魔術師は寄られれば弱いが、特殊な魔術によって近接戦闘に対応する魔術師も、この世には存在している。
それでも、近接戦闘は騎士の本分。
肉壁による防御手段を用意していた女に対し、シェイルは相手を肉壁ごと吹き飛ばすことで対応した。
(これで王子達から引き離せた。後は一対一でこいつに勝つだけ)
敵を外に出して、王子達から引き離した一対一の形を作る。
ここまではシェイルの作戦通り。
そして、ここから先は純粋な技と力が勝敗を決する。
「ハインネ・ヨハトーク。自己紹介がまだでしたね」
突如として、女が口にした。
殺し合う敵に対して、自らの名を名乗る。
決闘の流儀を重んじる部族などには、稀にそんな習わしがあったりする。
しかし、彼女が名乗った理由は流儀にも伝統にも非ず。
ただの趣味。相手を完全に捻じ伏せでいたぶる時、相手の名を呼びたいというだけの、ただの嗜虐趣味。
対するシェイルは無言。
お前に名乗る名は無いと言わんばかりに、ただ敵意に満ちた視線のみを返す。
「宮殿は良い。綺麗なモノで溢れている。ああ、穢したい。苦痛で、屈辱で、絶望で。綺麗な顔を染め上げたい。――――貴方で遊び終わったら、あの王子を」
迸る敵意は火花の如く。
シェイルは鋭い視線でハインネを睨む。
「黙れよ、犯罪者」
その怒りは、シェイルにとってある種プライドのようなものだった。
優れたものに嫉妬する気持ちが理解できるからこそ、誰よりもその美しさに焦がれてきたからこそ、許せない。
軽々に貶めようとするその悪意が、簡単に穢そうとするその醜悪が、何よりも許せない。
「おお、神よ。私はどうにも止められない。正しきを犯すこの快楽を」
恍惚とした表情で嗤うハインネと鋭い敵意を迸らせるシェイル。
第二ラウンドが幕を開けた。
シェイルが一級騎士になれた背景には、様々な要因があります。彼が昇格試験の対策を死ぬ気で行ったのもありますが、やはり大きかったのはシェイルが騎士達のお手本に相応しかったという部分です。「努力すればできるようになる技術」しか使わないので、他の騎士にとっては真似しやすいお手本になれます。常識人で真面目な性格もプラスに評価されました。それも準一級にしてはあまりに飛び抜けた実力を持っていたことが前提ではあるんですけどね。




