第十三話 一休み
稽古場のような広場に鳴り響く、剣戟の音。広間の大空間に透き通った金属音がこだまする。
アルノーン王子に剣の稽古をつけることになった俺は、軽く王子と手合わせをしていた。
王子が使っているのは刃を潰した訓練用の剣だが、俺が使っているのは普通の剣。
もちろん、これを王子に当てるわけにはいかないので、王子の攻撃を俺が捌き続けるという形を取っていた。
(この歳でここまでやれるのか……腕が立つっていうのは本当なんだな)
王子の剣を弾きながら、俺は王女様の言葉を思い出していた。
アルノーン王子の剣筋はキレが良い。動きの切り替えが速く、小さな体格をカバーして余りある速度で打ち込んでくる。攻撃には気迫があるし、実剣にも怯んでいない。
正直な所、王子がここまでの実力者とは思っていなかった。
剣ができると言っても、王族貴族の趣味程度だろうと高を括っていたのだが、俺の見当違いだったらしい。
(本当に強い。多分、王立騎士団でも通用するレベルだ。この歳で一体どれだけの修練を……)
勢いのあるステップで踏み込んでくる王子。
そのまま横薙ぎに振るう剣は、教本に載っているような綺麗な軌道を描く。
横薙ぎの一閃を剣の腹で受け止めた俺は、王子の勢いを利用して受け流しつつ、少し剣を押して王子の体勢を崩す。
「……っ!」
重心が崩れた王子は軽くよろめくが、すぐに体勢を立て直し向かってくる。
崩されてからの立て直しも早い。
良い集中力だが、流石に疲れが出てきたようだ。さっきよりも剣の位置が下がっている。柄を握る手から力が抜けかかっているのが分かる。
王子はかなり汗をかいているようだし、頃合いだろう。
こちらから踏み込んで剣を下から跳ね上げれば、王子の手をすっぽ抜けた訓練用の剣が宙を舞った。
「あっ……!」
得物を弾かれた王子は目を丸くする。
立ち尽くす王子の背後で、訓練用の剣がカランと音を立てて落ちた。
「汗で滑りましたね。そろそろ休憩にしましょう」
防御に徹していた俺とは違い、動き回って攻撃を試み続けていた王子は息を切らし、肩で息をしていた。
すぐにリノさんと執事の人がやって来て、水とタオルを用意する。
リノさんは再び王子の体を拭こうとしていたが、アルノーン王子に拒否されていた。
「最後、弾かれた。そんなに強い力じゃなかったのに、僕が気を抜いてたから……」
タオルで顔の汗を拭いながら、王子は反省を口にしていた。
気を抜いていたというのは、何ともストイックな言葉選びだ。
「体勢に意識を取られましたね。王立騎士団でもよくあるミスです。俺もこの前やりました」
戦闘中、意識するべきことは多岐に渡る。
自身の体勢。相手の位置と構え。攻撃の組み立て方。防御を崩す選択肢の吟味。
それらに気を取られると、剣を強く握るというシンプルで大切なことを忘れてしまう。
「考えながら戦っている証拠ですから、良い傾向ですよ」
けれど、それは様々な要因を思考しながら剣を振っている証に他ならない。
基礎的なことを忘れるのは、応用的なことへと意識を伸ばせている者のみが犯す過ちだ。
「……よし。シェイルさん、もう一本」
水分補給を済ませた王子は、落ちていた剣を拾い上げた。
休憩にしようと言ってから一分も経っていないが、もう稽古を再開するつもりなのだろうか。
流石に早すぎる。もう少し休んだ方が良い。オーバーワークで体を壊しては元も子も無い。
そんな言葉を吐き出そうとした瞬間――――
――――正気じゃない! 絶対に休まないとダメだって!
数日前の記憶がフラッシュバックした。
休めと言われて休まなかったのも、オーバーワークに身をやつしたのも、俺自身だ。
どの口で王子を止めると言うのか。
俺は何を言えば良いか分からなくなってしまった。
「王子は……辛くないんですか?」
何を言えば良いか分からなくなってしまったから、そんなことを言ってしまった。
ひどく抽象的な要領を得ない問いかけ。
「あ、いや……その、この歳でここまで剣を極めるのは、相当な努力だと思って。まだ幼いのに、そこまでやるのは苦しくはないのかな、と……」
取り繕うように言葉を重ねるが、余計失礼なことを言ってしまっている気がする。
別に王子は俺みたいなコンプレックスの塊じゃない。
休めと言えば素直に休憩を続けただろうに。
「苦しいとか……あんまり考えたこと無いかな」
けれど、俺の問いに王子は答えてくれた。
「大変だけど、毎日頑張るのは楽しいよ。上手く言えないんだけど……なんというか、なりたい自分に近付いてる感じがするんだ」
そう言って、少し恥ずかしそうにはにかむ王子の姿。太陽みたいな眩い姿。
目が焼けてしまいそうなほど眩しいのに、その光から目を離せない。
触れれば指が爛れてしまうような灼熱の太陽。
けれど、子供の頃はその輝きに魅せられて、無邪気に青空へと手を伸ばしていたはずだ。
暖かく居心地の良い陽だまりの中で、春風の騎士に憧れていたはずなのだ。
「だから、僕は今楽しい……って感じ」
いつからだろう、剣を振るのが苦しくなっていたのは。
自分がどれだけ強くなったかより、周りとどれだけ差があるかを気にするようになったのは。
ああ、そうだ、楽しかった。楽しかったはずなんだ。
素振りを一回しただけで、木の枝を振り回しただけで、御伽噺の中のヒーローに一歩近付けた。
その些細な一歩が嬉しくて、俺は剣を振り始めたはずなのに、いつから忘れてしまったのだろう。
努力をただの代償行為だと思い始めたのは、いつからなのだろう。
成功のための義務。騎士になるために必要な苦しみ。いずれ得る何かへの投資。
剣を振ることをそんな冷めた眼差しでしか捉えられなくなっていた。子供の頃はあんなに楽しかったことが、苦しいだけの代償行為に変わってしまっていた。
王立騎士団入団、一級騎士昇格、王女護衛任務任命。
代償の引き換えに手に入れた地位や名誉で、俺の心が晴れなかった理由が分かった。
最初から、そんなもの求めていなかったのだ。俺も母さんも。
ずっと、なりたい自分に近付くことを楽しんでいただけ。
ただそれだけだったのだ。
「えっ、シェイルさん……?」
気付けば、目尻から溢れた雫が頬を伝っていた。
ツーと流れる一筋の熱が、肌を優しく攫っていく。
急に泣き出した俺を前に、王子は困惑していた。
それもそうだろう。何たって俺も困惑している。俺の涙腺はこんなにも脆かっただろうか。
「いや、なんだろっ、これ…………すいません、つい。昔のことを思い出して」
何となく、王女様やリノさんが彼を好きになった理由が分かった。
彼の言葉は優しく暖かい。
何気ない言葉の節々に感じる人間性は、どうしようもなくこちらを惹きつける。
まるで、春風のような人だ。
「もう少し休憩しましょう。体を休めるのも大事なことですから」
「ああ、うん。分かった。ありがとう、シェイルさん」
アルノーン・ローネリア。彼に御伽噺の主人公の名を付けた両親は、彼を政略結婚の道具として使うためにそう名付けたのかもしれない。
けれど、こうも思うのだ。
あの春風の騎士のように強く優しい人間に育ってほしいと、そんな純粋な願いも込められていたのではないかと。
なりたい自分に近付く過程を楽しむこと。
そんな当たり前のことを教えてくれた彼は、俺が子供の頃に読んだ御伽噺の主人公そのものだったから。
シェイルは人に剣を教えるのが上手いです。天才肌じゃなかったというのもありますが、シェイルの剣技自体が特別な能力や長所を前提としていないので、他の人でも真似しやすいんでしょうね。




