第十話 従者
アルノーン王子の傷は浅く、レナーテットの回復魔術のみでほとんど完治していた。
医者の診断も問題無し。王子の容態については一安心といった所だ。
狙撃に使用された矢は回収され念入りに調査されたが、毒物は検出されなかった。呪いや魔術の類も、魔力視と術式視を持つレナーテットが見ている以上心配は無い。
当日の夜にそこまでの要素が出揃い、俺はそれを王女様に伝えた。
――――そう……分かったわ…………
王女様の返事には生気が無く、憔悴しているのが一目で伝わってきた。
アルノーン王子の傷は本当に浅い。あの程度の傷は騎士をしていれば日常的に目にするし、そうでない職の人間も偶に見る程度のものだろう。
王女様の取り乱しようは、純粋に血を見慣れていなかったというだけでは説明のしようがないレベルだった。
――――私はハナの側にいるよ。こういう時に独りってキツいだろうから
そう言って、レナーテットは王女様の部屋に行った。
一度狙撃を受けた以上、王女様の側に護衛はいた方が良い。
そうでなくても、レナーテットなら王女様の心の支えになれるだろうと思った。
王女様をレナーテットに任せ、俺は宮殿内を歩いた。宮殿内の警備について、詳しい人に聞いておこうと思ったのだ。
「失礼、ハナウィルシア殿下の護衛の方でしょうか?」
そんな折、廊下で声をかけられた。
振り返って確認した声の主は見覚えのある人物。
確か、アルノーン王子に付き従っていたメイドだった人物だ。
「はい、そうですけど」
「感謝を伝えたくて参りました。アルノーン様の命を救ってくださったこと、感謝してもしきれません」
長身のメイドはぺこりと頭を下げる。
「いえ、そんな……むしろ、感謝するべきなのはこっちです。アルノーン王子が王女様を守ってくれなければ、傷を負っていたのは王女様の方でした」
俺もメイドに頭を下げた。
恐らく、咄嗟に王女様を庇うために取ったであろうアルノーン王子の行動。
アルノーン王子が王女様を突き飛ばしたおかげで二人の姿勢が自然と低くなり、レナーテットが攻撃魔術を撃つ射線が通り、一射目の狙撃を防ぐことに繋がった。
まあ、レナーテットは射線が通らないなら通らないで、弾を曲げたりもできるのだろうが、命中精度の問題も考えると、アルノーン王子の行動はかなり助けになった。
「ふふん、そうでしょうとも。アルノーン様はああ見えて反射神経が良いですから」
メイドは誇らしげに胸を張る。
自分の主人が褒められたことが嬉しいようだ。
昼の食事会の間は鉄面皮だっただけに、こういった人間らしい一面を見ると安心する。
「その上可愛い。めちゃくちゃ可愛い。あの可愛さ成分を間近で浴びている私共の気持ちにもなってみてほしいものですが、やはりそういったことに気付かない純真無垢な純潔がアルノーン様の最大の魅力と言いますか、太陽にかざしたガラスのように透き通った可愛さがあるのですよ。分かりますか? ああ、あの汚れの無い横顔を私の手で穢せたら……」
メイドは鼻息を荒げて早口で語る。
この人は、何というか、ちゃんとここで雇われている人なのだろうか。
こう言っては何だが、普通に気持ち悪い。
終盤には結構危ないことを言っていた気がする。
サーガハルトでこんなことを言えば処刑台行きになる危険すらあるのだが、ローネリアはそこら辺が緩いのだろうか。
それとも、この人の頭がおかしいだけなのだろうか。
「本当に、可愛い人……」
その横顔が、アルノーン王子について語る王女様のそれと重なった時、俺の心を掠めた焦燥とも恐怖とも言えない感情を何と表現しようか。
――――他にも……そうね、ずっと側に仕えてくれたメイドとの恋が芽生えたり
王女様の言葉がフラッシュバックする。
王女様が空想した未来が現実になってしまうのではないかと思った途端、心臓を掴まれたような気持ちになった。
「好きなんですか? 王子のこと」
だから、ついそんなことを訊いてしまった。
どんな答えを欲していたのか、自分でも分からないまま、口をついて出た言葉だった。
「はい。心の底からお慕いしていますとも。毎晩理性をフル稼働させる日々です」
この人は結構危ない人だな。
ローネリアは人材不足なんだろうか。
「けれど、叶わぬ恋です」
その言葉は否定できない。
アルノーン王子は大国サーガハルトに許嫁がいる。
一メイドがそこに割って入って行くことなど、とても――――
「アルノーン様は、本当にハナウィルシア殿下のことが好きですから」
「……………え」
想像していたものと違う答えに、俺は目を丸くした。
思考が止まる。
停止した脳味噌に入ってくる情報は、切ない表情で微笑むメイドの顔一つ。
「えっと、それは、政略結婚的なアレではなく……?」
「ええ、もちろん。アルノーン様が好きでもない人と結婚させられるくらいなら、無理矢理私のものにして、どこかに連れ去っていますから。……いつも、アルノーン様が嬉々として殿下の話をするのを聞かされる私の身にもなってほしいものです」
この人の発言は本当に危ない。
でも、そう言ってもらえたのは、なんだか嬉しかった。
アルノーン王子が王女様と結婚するのは心から望んだことで、そうでないなら違法な手を使ってでも止めてくれる人がいる。
それがどれだけ俺の救いになったか。とても言葉では表せない。
王女様の恋は正しいのだと、言ってくれたようなものだから。
この人は危ないけれど。
「もう、何を笑っているんですか。……では、私はこれで。アルノーン様を爺やに任せきりにするのも悪いので」
喜びが顔に出ていたらしく、メイドは少し不機嫌そうに去っていく。
「あ、最後に一つだけ」
俺は慌ててその背中に呼びかける。
まだ初めにしておくべきことができていなかった。
「シェイル・ドラットです。……アルノーン王子をお願いします。えっと、うちの王女様の大切な人なので」
多分この滞在限りの縁だろうが、名前くらいは言っておかないとバチが当たる。
「リノ・シューベルです。そちらこそ、殿下をお願いしますよ」
こうして、俺達は別れた。
お互い、守るべき者を守ることを願って。
リノ・シューベル、なんだかんだで良識はあります。自制できるタイプの危険人物です。でも、他国から来た護衛の前で推しへの異常な劣情を語っていましたね。やっぱり自制できないかもしれません。




