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蕎麦屋

作者: 雉白書屋

 私は蕎麦屋が好きだ。蕎麦そのものもさることながら、店の雰囲気がたまらなく好きなのだ。木のぬくもりが感じられる座席、魂のリレーというべき、代々受け継がれてきた店員の丁寧な接客。そして何より手打ち蕎麦の香りと味。昔ながらの蕎麦屋には、温もりと人情が詰まっている。

 店の暖簾をくぐると、外の世界とは違う時間が流れているように感じられる。古き良き時代の面影が色濃く残っていて、何とも言えない安堵感があるのだ。

 もちろん、時代は移ろうものだ。しかし、この店の味は変わらない。常連の私は、今日もその「安定の港」に船を寄せるつもりだっ――


「タッチパネル……!」


 店内に入ると驚いた。各席にタッチパネル式端末が設置されているではないか。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞー」


「あ、どうも……あの、注文は」


「はい、お決まりになりましたらタッチパネルをご利用ください」


「はあ……」


 席に座った私は、「なんだかなあ」と思いながら、とりあえずタッチパネルに触れてみた。だが、指先には冷たさしか感じない。思わずため息が出た。

 視線を周囲に巡らせると、昔ながらのメニュー表は影も形もなく、どうやらすべてピカピカのタッチパネルに置き換わってしまったようだ。店内の雰囲気すらどこか冷たく、居心地が悪く感じた。

 店員を呼んで直接注文したい気持ちもあったが、タッチパネルの使い方も分からない年寄りと思われるのは癪だ。それにしても、この店はいつからタッチパネルなど導入したのだろうか。客に画面をポチポチ触らせることが新しい『接客』なのか。老舗の蕎麦屋がこれでいいのか。思い返せば、さっきの店員の態度がどこかそっけなかったような気がしてきた。

 結局、この日はビールと揚げ物数種を注文しただけで蕎麦まで到達せず、店を後にした。タッチパネルに表示された無機質な『ご注文ありがとうございます』と、退店時に店員から言われたそっけない「ありがとうございます」が、頭の中にしばらく残った。


 その後、数日間考え続けた結果、私は「あれは大将の気の迷いだったのだろう」と結論づけた。

 大将は情に厚い人だから、営業マンに泣きつかれて、お試しでタッチパネルを導入したのだろう。騙されたのだ。かわいそうに……。しかし、今頃考え直して、すべて元通りになっているはずだ。そうとも、どう考えてもあの店にタッチパネルは似合わない。

 そう考えた私は、再び店を訪れた。しかし、暖簾をくぐった瞬間、私は目を疑った。


『いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ』


「ロボット……!」


 今度は店員がロボットに置き換わっていたのだ。


『注文がお決まりになりましたら、タッチパネルか、ワタシにお申し付けください』


 冷たい声が迎える。私は愕然としながら席についた。私は何も注文せず、しばらくロボットの仕事ぶりを観察したが、ロボットは注文を正確にこなし、ミスひとつない接客を見せていた。最悪だ。可愛げというものがまったくない。目なんてまるで深海魚のように不気味だった。

 確かに、ミスをしない店員のほうが客は嬉しいだろう。しかし、それでは客が店員を叱って育てるという文化が廃れてしまう。それに、ロボットと蕎麦屋という組み合わせはまったく合っていない。これでは蕎麦屋の風情が台無しじゃないか。

 結局この日もビールと揚げ物数種だけで、蕎麦まで到達することはなかった。会計時に軽くロボットを叩くと、『どうかされましたか?』と訊かれた。センサーがあるらしい。まったく可愛げがない。私は店を出たあと、「なんだかなあ」と呟いた。

 その後、私は悶々とした日々を過ごした。「なぜロボットなんかを導入したんだ、大将……」と嘆き、タッチパネルを拳で叩き割る想像をしながらシャドーボクシングをした。

 ロボット、ロボット、ロボット。考え続けていたら、あの悍ましい機械人形が夢の中にまで現れるようになり、ある日、私はいてもたってもいられなくなり、もう一度店を訪れる決心をした。

 あのロボットはお試し期間中のもので、きっと元通りになっているはずだ。そう願って。

 しかし、暖簾をくぐった私を迎えたのは相変わらずロボットだった。


『いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ』


「……ちょっと、大将を呼んでくれ」


『店長をお呼びしますか?』


「違う! 大将だ!」


 もう我慢ならなかった。私は客だ。だから一言いう権利があるはずだ。

 ロボットは『かしこまりました』と言うと、タイヤを転がして、店の奥へ下がった。音を出さず、まるで暗殺者のようで気味が悪かった。


『お客様、お待たせいたしました』


「ああ、大将、あんたはなぜこの店にロボットを導入――えっ」


 私は目を疑った。大将もまたロボットだったのだ。その服装は大将と同じだったが、中身はあの店員ロボットと同じように見えた。


『この店にロボットを導入した理由を知りたいのですね? それは、人手不足の解消と効率化です』


 ロボットらしい淡白な答え方に、私は頭の中が沸騰するような感覚がした。何が人手不足だ。何が効率化だ。お前たちが仕事を奪い、効率化を強要しているのだろうが。人情を奪い、人間そのものが機械になるように洗脳しているのだ。


「それで、大将はどうした。どこにいる?」


『ここの責任者はワタシですが……』


「違う、人間の大将だ! まさか……監禁して店を乗っ取ったのか?」


『いいえ。大将は腰を悪くして引退しました』


「え、そうなのか?」


『はい』


「それは、あれか? この店にタッチパネルが導入された頃か?」


『はい、前々から企業と話をしていたのですが、腰を悪くしたことを機に、大将が店の運営を機械化することに決めたのです。受け継いできた店の味を守るために』


「へー、それは知らなかったなあ……いや、常連なんだがな」


『ええ、お客様は一週間前にも来店されましたよね? ありがとうございます』


「え、覚えていたのか? いや、でもあんたには会ってないはずだが」


『他のロボットと情報を共有していますので。常連さんのお顔は覚えておきたいですからね』


「おお、そうか。ふーん、いや、しかしねえ、肝心の蕎麦はどうなっている? あれは、大将の技術があってこそのものだからなあ。百年以上の歴史がある先代から受け継がれてきた技が」


『はい、すでにその技術は習得済みです』


「えっ」


『大将から伝授していただきました。よろしければ、ご注文なさってください。心を込めて作ります』


「で、では頼もうか。ざる蕎麦で……」


『かしこまりました』


 ロボットはそう言って、店の奥へ引っ込んだ。私は席を立って後を追い、そっと調理場を覗いた。そこにはロボットが、見事な手さばきで蕎麦を打っている姿があった。


『お待たせしました』


「ああ……」


 出された蕎麦を食べると、味は以前と変わらなかった。まあ、それは当然だ。でなければ、大将が許可するはずがない。客足も前と変わらず、あるいは以前よりも多いようだった。


『常連様あっての老舗でございます。またのご来店をお待ちしております』


 店を出るときにそう言われて、私は「なんだか可愛いなあ」と思った。

 注意しながら街を歩くと、飲食店にはタッチパネルはもとより、ロボットの姿が多く見受けられた。

 この社会全体で少しずつ機械化が進んでいるようだ。これは避けられない流れであり、しかし悪いことではないのかもしれない。

 今度、「なんとかチップ」とかいうものを体に埋め込んでみようか。政府が言うには、今ならポイントがつくらしいからな。

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