人魚姫
ゴールデンウィークも半ば。家でごろごろしてばかりでも、ちょっとつまらないなと、思い始めた。
とりあえず、ルームウェアから外出着に着替えて、水色の軽自動車に乗り込んだ。
最初のT字路。たぶん、左。次を右……。
あのショッピングモールがあるのもこっち方面だからと、車は磁石に吸い寄せられるかのように、ある方角へと近づいていたけれど、結局、ショッピングモールを素通りしていった。
いいや、いいや。
きっと、ゴールデンウィークのショッピングモールなんて、家族連れがわんさか来ていて、ガヤガヤのゴミゴミしているはずだ。それなら疲れるだけだ。
そうだ。この先には、i公園がある。敷地面積が広いし、人がたくさん来ていても、それほどゴミゴミはしていないだろう。
そう思って、新○号線の80キロ規制の高架橋の道路をアクセル全開で走っていた。
車はi公園前の交差点まで来た。「i公園リゾート施設」と書いてある立て看板が見えた。私が子どもの頃は、i公園は、公園だけで、宿泊施設や娯楽施設など併設されてはいなかった。
ずいぶんと変わってしまったのだな。
けれどi公園周辺は、やっぱり田畑ばかりの農村地域で、リゾートと言うにはほど遠い感じがした。
駐車場は、ちょうど出やすいところが空いていてラッキー。
公園は真ん中に大きな池を囲むようにして、遊歩道が巡らされている。私は大きな池が見渡せるベンチに座った。
子ども連れの親子が多く、池にいる鯉やカモに、パンの耳や100円で売っている鯉のエサをあげている。その足下で、鯉の上に鯉が重なるようにしながら、大きな口をバコバコ開けて群がっていた。
バコバコバコバコ!!
キャーー、気持ち悪い!!
私はほのぼのとした気分で、子どもたちや鯉の様子を眺めていた。
どれ、私も近くで鯉を見てみよう。
池の縁には柵がないから、際で立っていると、そのまま池に落ちていってしまいそうで、背中がむずむずした。
鯉たちが私の回りに集まってくる。エサを持ってくれば良かったなと、少し後悔した。
子どもがエサをやっていた所から、一匹、さらに一匹と私の足下へしだいに集まってきた。鯉が私の顔を水面からうかがってバコバコいった。
ごめんね、何ももってないんだ。
気の毒に思って、立ち去ろうと歩き出すと、鯉たちは私の行く先へ一緒になってついてきた。
右や左、池の中央から鯉が集まってきて、私はもう何十匹もの鯉の大群を従えていた。
「あ、人魚!」
小さな男の子が私を指さして叫んだ。
「ほんとだ! 人魚姫!」
レジャーシートでご飯を食べていた女の子も叫んだ。
「いるわけないでしょ」と、大人たちにたしなめられても、女の子は「ほら、あそこ!」と言い張っていた。
ついに、私は池の鯉全部をお供にして、公園を一周ねり歩くことになった。人魚姫になった気分だった。
なんか、お腹空いたな……。お弁当持ってくれば良かった……。
そう思うと、ヘナヘナと力なく、ベンチに腰かけた。桟橋の上で鯉にエサをやっていた男の子がスタスタと私のところにやって来て、「これ、どうぞ」と、その鯉のエサをくれた。
「ありがとう」と、私はウエハースを口にいれた。
「おいしい?」
「うん」
私は残りのウエハースもむしゃむしゃ食べると、ひとしきり元気が漲ってきて、再び歩き出した。
新緑の五月。モミジやイチイの葉っぱは青々としていて、みずみずしい。苔蒸した大地の薫りが公園じゅうを一杯に満たしている。
水のなかにいるような気分。髪も肌もしっとり濡れてきそうだ。
わははは。なんて楽しいんだろう。
私は走り出した。遊歩道を走ってジャンプして、スキップした。池の鯉たちも、水面から派手にジャンプしてキラキラと水しぶきをあげている。
「あっ、人魚が来た!」
すれ違った子どもが叫んだ。
わーい!
二本の足が、大きく立派な尾びれに変わったのを見た瞬間、私は思わず、池へダイブしていた。
ジャッ、バーーン!!
眼鏡なんてもう必要ない。魚眼レンズになったおかげで、四方八方よく見渡せる。
相変わらず私は、鯉の群れの先頭を泳いでいる。一組の親子がなにやら、池に投げ入れているのがぼんやり見えた。
「急げ、急げ、遅れるな」
私は、うんと声をはり上げた。口をバコバコいわせ、目をまん丸にして、投げ入れたものを吸い込もうとする。
「うまい、うまい! もっとほしい! くれ、くれ!」
他の鯉に負けず劣らず、口をバコバコいわせて、追いかける。
「もう、ないよ。パンなくなっちやった」と、男の子は手を振った。
しかし、一匹の鯉はいまだ口を開けて、物欲しげに男の子を見上げていた。
「お母さーん、鯉のエサ買っていい?」
「だめ、もってきたやつ全部あげちゃったんでしょ?」
「うん、でもこの鯉、どうしてもほしいっていうんだ」
「だめよ、そろそろ帰らなくちゃ。行くよ」
小さな男の子は、悲しそうな顔でかがむと、一匹の鯉にささやいて言った。
「ごめんね、お母さんがだめだって言うんだ。もう、帰らなくちゃいけないんだ。ほら、カラスも帰ろうって、鳴いてる」
私はすっかり悲しい気持ちになった。お腹が空いていたわけじゃない。
日が傾き始めると、次から次へと帰っていく。池の回りには誰もいなくなってしまった。
寂しいな、寂しいな。
私が後ろを泳いでいた鯉に「寂しいね」と声をかけると、「鯉は鯉。寂しくない」と冷たい答えが返ってきた。
別の鯉に「おしゃべりしようよ」と言うと、「鯉は鯉。おしゃべりしない」という冷ややかな声が返ってきた。
私はますます寂しくなってきて、ああ、人間になれたらなと、強く願い始めていた。
すると、水面のはるか上の方から美しく柔らかな声が聞こえた。
「あなたは、本当に人間になりたいのですか?」
私は水面から顔をのぞかせ、キョロキョロ見回したが、声の主は見えない。
「人間になりたいのですね?」
「はい! 私、人間になりたいです!」
私は、思わず叫んだ。
「一度人間になったら、年に一度しか人魚に戻れませんよ。いいですね?」
「はい、もちろんです。人間になりたいです!」
すると私の胸びれは、つるりとした二本の手になり、尾びれは棒のような足になった。
……
遠くの山に真っ赤に燃えた太陽が今、沈みかけようとしている。カラスは山へ帰り、閉園を告げるアナウンスが止み、池は静寂に包まれた。
私はベンチに座って、湖面を眺めていた。
今まで何を考えていたんだろう。こんな遅くまで……。次に投稿するための話でも考えていたのだろうか。
自分が人魚にでもなった話とか?
それとも、前世が人魚だったら、とか……。
そんな考えをゆらゆら巡らせながらハンドルを握っていた。汗っかきの私の手の平は、いつになく湿っていた。
〈The End〉




