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おい、倅(せがれ)

「親子っちゅうもんはなぁ、たとえ遠く離れていても、お互いに憎みあってもなぁ、生きていりゃあ、どこか心の深いところで繋がっているに違いないんだ。


 君だって、自分の状況にこれを置き換えて考えてみれば、よーく分かってくるもんだよ。


 何、子どもを持ったことがない、まして妻を持ったことがないから分からないって?


 今の若いもんはこれだから、物足りない答えしか返せないんだな。創造力が何せ不足しているんだから、一向にいけないね。


 君、もう一度よくよく頭で想像してごらんよ。いいかい、自分の父親でもいい。子供の頃のことを思い出してみろ。


 汗水垂らして家族のために毎日遅くまで働いて、休みの日は君と一緒にキャッチボールをしてくれたろ。


 君のことを思って、時には「勉強しろ」とか、「ボールから目を離すな」と言ってくれたろ。


 工場長にクビを切られて、昼前だというのに家へは帰らなくちゃならないとき、家族を心配させないように家からわざと遠くの公園へ行って、時間を遣り過ごした親父を、君は覚えているだろう。


 家賃が払えずに、タヌキ似の家主に追い出された朝、君は学生帽を目深に被って、右手の親指のささくれをいじっていた。


「もうお仕舞いだ……。終わっちまったんだよ……」と首が折れたように(うつむ)く親父。


 母親は人より気が細かい性質(たち)なのが余計して、気が狂ったように泣きわめく。


 僅かばかりの家財道具、大きなものでいうと、母親が実家から持ってきた小さな衣装箪笥(だんす)と、内職の道具にでもなりそうな足踏みミシン、結婚祝いにもらった三面鏡。紫の絞り染めをした大きな風呂敷布で覆って外からは見えないようにしながら、リアカーで、押していったときのことを思い出してごらん。


 リアカーを引く親父の後ろ姿を見たか。


 家中の通帳や現金、へそくりをかき集めた小銭袋と、いろんな証明書などの重要な書類をいれた黒の鞄を胸元で大事に抱えながら歩く母親の情けない顔色を見たか。


 君は、親が子どもには「ああしろ」とか、「いや、こうじゃだめだ」とか、口では偉そうなことを言っていても、なあに、親だって単なる人間の一つにしか過ぎないと思ったことだろう。


 さらに言ってしまうと、自分一人じゃ、何てことない困難でも、ひとたび家族が絡むとなると、途端に情けなくて、弱々しくなってしまう。

 

 君は、両親の呆気ない変わりように怒りさえ感じていたに違いない。

 

 こんな時にこそ、家族が一致団結して明るく前を向くべきだと、きっと親父なら、お袋の涙を拭いてやり、君の肩に手を置いて力づけただろう。


 そんな風に励ましてくれるのは、君の空想の中の親父であって、現実にいる親父とは全く違うことに君は涙する。


 家族はひと気のない公園を選んで、そこを寝場所とした。公衆便所で服を洗ったり、八百屋で売れ残りの野菜をもらって食う生活。


 最近、地元の餓鬼(がき)たちに住みかを乗っ取られそうになった。小学校を終わった餓鬼どもが、からかいに来るようになったのだ。力もなく弱い君だけど、高校生の君は、小学生には勝てるだろうと高をくくっていた。


 ある日、お袋が便所で着替えをしていた時、男子便所の方から低い衝立を乗り越えて覗いていた餓鬼をちょうど君は見つけた。君は走っていって、


「お前の母ちゃんにもおんなじことしてやるよ。待っとけ。母ちゃんがおちおち外を歩けないようにさせてやるさ。おいっ、いいか。そこの坊主頭に言ってんだ」


 でもそれは単なる脅しに過ぎなかった。


 次の日、まだ暗い早朝に、「やっちまえ!」という合図と共に、中学生たちが奇襲攻撃を開始した。


 昨日、君が怒鳴り付けた坊主頭の兄が先導したものだった。兄は中学一喧嘩の強い餓鬼大将で、君は案の定、ボコボコにされて、危うく死にかけたところだったけれども、親父が助けに来た。


 親父は、仕事の面接から帰ってきたところ、羽交い締めにされて殴られている君をちょうど見つけたと言った。君は、こんな朝早くに面接なんてあるものかと思ったが、後で話を聞いたら苦しくなった。


 親父は、中学生に向かって、砂地に膝小僧をついて何度も謝っていた。その子の親父というのは、前の工場長だった。親父は工場長の所へ行って、もう一度雇ってほしいと頼むつもりでいたのだった。


 その後も色々と大変なことはあった。けれど、生きていくためには何でも食った。


 八百屋の残り物がない日には、道端に生えている雑草を食うしかなかった。やはり食い物は不味いより美味しい方がいいに決まっているから、少しでも味をよくしようと、調味料店からわずかに分けてもらった、砂糖や醤油、ソースなどとあえてみたりした。


 お袋と君は初めて飯を一緒に作り、笑った。


 親父は身なりを整えて、毎日職業斡旋(あっせん)所へ通った。午前八時に戸が開く前から、失業者たちの垂れた頭が並んでいる。いつからか、君も親父と肩を並べて並び始めた。


 斡旋所には、ストーブが一つ置かれ、心許(こころもと)ない小さな火がちょろちょろ燃えていた。随分と前からストーブは炊かれていたためか、部屋の上方は暖かい空気が占めていたが、足元は感覚がなくなりそうな程にしばれる寒さ。


 この寒暖差は、まるで職を失う前と後の親父の落差にも似ていた。


 なんとか親父は再就職先も決まって、家族は餓死せずに済んだ。確かに親父が手に入れた仕事は、地味で安いものだったけれど、真面目に働き、押し付けられた他の人の仕事も有り難くこなすから、親父の仕事は軌道に乗った。小さくても心地よい借家にも住むことができて、再び人並みの生活に戻ったような気がしていたね。


 突然、君が家を飛び出していったのは、ちょうど、家族が再生していく重要な時期だった。親父はどうしてこんな時に勝手なことをしたのか、あれほど苦しんで、ようやくこれからだというのにと、怒ったことだろう。


 確かに家計が少しずつ上向きになり、家計簿をつけるお袋の顔も心持ち明るくなったように思えた日々のある時点で、君は家族に見きりをつけて行方知らずになってしまった。


 君は故郷を知らぬ旅人のように、その日暮らしの放浪生活を送るようになった。来年から高等学校をもう一度やれるようになったはずなのに。


 君はある日、警察に事情を聞かれた。


 君は誰で、どこから来たのか。


 家族はいるのか。


 ねえ、君はこれで自分の過去を思い出す気になったかい?


 私は君と向かい合ってこうして、聞き取りをしているんだけど、お父さん、お母さんの所に戻る気はないのかい?」


 ずっとズボンのポケットに手を突っ込んで警部の話を聞いていた三十がらみの男は、ふと、拘置所の背の高い窓にぶつかる雨音に今頃驚いたのか、その方を振り向いた。そして、すぐに体を警部の方に気だるそうに向き直った。


「あなたは、さっきから何を言っているんです。僕にとっては何もかも、意味不明のとんちんかんに聞こえます。


 あなたはとんちんかんです。


 僕には父もいなければ母もない。


 なぜなら、僕が高校生の時に、僕の()()が両親を消してしまったのですから」


「何を言うんだ。お前の親父も母ちゃんも、今でも元気に暮らしているよ。実はお前が出ていった後、妹が産まれてね。今は中学に通っているよ。俺たちは自分達の持ち家で楽しく暮らしているよ。


 おい、(せがれ)、戻ってこいよ」


「まるで、僕をあなたの本当の息子みたいに言うんですね」


「そうだ。勿論だ。親父は俺で、君と同じDNAを持ち合わせているんだ。検査したらすぐに分かる」


「僕とあなたが同じDNAを持っているなんて、想像するだけでもゾッとしますね。そうやって僕を補導して、校長先生に言いつけるつもりですね。そうなれば、僕は退校処分になってしまいます。それは嫌です。僕は学校に通いたいんでね。


 なれば、僕は本当にあなたを殺さなくてはならないな。人の良さそうな警部さんだったのに、もったいない。気の毒だけど、そうするしかないね」

 

 男はポケットから勢いよく両手を出すと、目の前の警部の喉元を締め上げた。


 泡がパチンと消えるように、目の前の警部の脈は一瞬のうちに、こと切れた。


 と同時に、警部の姿かたちさえ、なくなって、三畳ほどの狭い刑務所の牢に、一人の十代の青年が椅子に座っているだけであった。


「おい、倅」


 青年の耳奥には、確かにその手で消してしまった親父の声がいつまでもこだましていた。



【The end】

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