夏祭りに幼馴染に野生の遭遇した話
俺はその日、中学時代の幼馴染に出会った。
ピンクの花柄の浴衣と黒い下駄を履いた金城葵は、祭りの喧騒から逃げるように、大きな木の下へと脚を引きずりながら向かっていた。
同じ地区に住むだけの幼馴染ではあるが、その痛々しい姿を見ていると流石に心が痛んでくる。
一人で来たのか。
それとも俺と同じ様に友達とはぐれたのか。
そんなことを考えながら、俺は人を必死にかき分けながら葵の方へと向かった。
「葵!?」
盆踊りの音にかき消されないように大きな声で言うと、葵はゆっくりと振り返った。
「えーと……橘くん?」
「そうだよ。橘彰人。ほら中学まで一緒だっただろ」
「それは覚えてるけど、どうしたの?」
葵は、不可思議そうに首を横に傾げた。中学の時とは異なり、薄い化粧をしている。
髪型は、結ってあり茶髪だった。
卒業から1年しか経っていないのに、葵は大人びた姿のように見えた。
対する俺は、中学の時から変わらない。
お洒落もしない。ただの中流男子高校生だ。
俺は、話しかけたことを酷く後悔した。お洒落に無頓着だった葵は、今や陽キャ組だ。
「い、いや……その、足がさ」
葵は、ハッとした表情をした後に、鼻緒を指差した。
「これ。鼻緒とれただけだよ」
「え! でも足を引きずってた気がする」
「だって鼻緒が切れたら歩きづらいじゃん?」
「た、たしかにな」
「橘くんが話しかけてくるなんて意外だった」
「は?」
「悪い意味じゃなくてさ、だってほら中学まではそんなに話さなかったから」
女子と会話をするのは、格好悪かったんだ。
最初に思い浮かんだ言葉を飲み込む。
自分は、今でも女子が苦手である。ただの気まぐれに過ぎないからだ。
俺が黙ったままでいると、葵はクスクスと笑った。
「そのあたりは変ってないんだね。一人で来たの?」
「違うよ。高校の友達と」
「私もそのはずだったんだけれど、集合場所に行く前にさ切れちゃって」
葵は、鼻緒を再度指差した。
右の下駄の方が切れている。何をしたら切れるのか。
俺は少しかがむと、触ってみる。
粘着できそうにもない素材だった。
「切れてるな」
「でしょ」
「何をしたんだ」
「本当に何もしてないんだよ。少し神社で待ち合わせをしていたら切れちゃったの」
「神社ねぇ……」
遠くに見える鳥居とそこから続く石畳の階段を見た。
提灯で照らされているから、妙に雰囲気がある。
「だから友達とね。神様の仕業かもッて話してたの」
「神様?」
「そ。神様」
「葵は、何をやらかしたんだよ」
「何もやらかしてないってば!」
葵はしゃがむと、俺の顔を覗き込んできた。
「ああ、ごめん。勝手に触った」
「本当だよ」
「直せるかと思ってな」
俺は、右側の靴紐を解いていく。
「まさか自分の靴紐で固定する気?」
「そうだけど」
「そこまではいいって」
「じゃ、どうするんだよ? どうやって帰るんだ?」
「それは……」
「あとで返してくれたらいいから」
靴紐で切れた鼻緒をを固定していく。時々足に触れてしまうこともあるが、不可抗力だ。
許してほしい。
俺はそう思いながら、反応を見るために少し顔をあげる。
巾着で前頭葉を軽く叩かれた。
視線が再び鼻緒に戻る。
「何すんだよ!」
「下から女の子の顔を見ないでって意味」
「暴力女だっけっか。俺が知っている葵とは違う」
「そりゃー、学校で時々話したくらいだからね」
それもそうか。一理あると思いながらも、やはりどこかモヤッとした。
何も叩かなくていいじゃないか。全く痛くはないけれど。
「橘くんだって、こんなに優しいとは思わなかったよ」
「ふーん」
「クラスにいるときは、ずっとラノベ読んでいたし」
「お前なぁ……お前だって同じじゃないか」
「そうだっけ?」
「朝読書でライト文芸を読んでいたろ」
「それは朝読書だからだよ? っと、ありがとうね」
葵の影が急に伸びた。立ち上がったのだろうと思い、俺も腰をあげる。
今度こそは叩かれまい。俺は、真正面から葵の顔を見る。
「どういたしまして」
「なんか照れるな」
「口に出したら余計に」
「あっ、そうだね」
顔を少しだけ染めた葵は、ワチャワチャと体を動かしてから、巾着に手を入れた。
その様子だけは、変っていなかった。
変ったのは見た目だけだ。
茶色い髪を右耳に掛けた葵は、スマホを取り出す。
「友達に連絡する」
「あ~うん。足は大丈夫そ?」
「うん。全然平気」
「じゃあ――」
「待って!」
親指を器用に操作していた葵は、視線を上げた。
「どうかしたか?」
「遠くまで行っちゃったみたい」
「友達が」
「そ」
「じゃ、気を付けてな。俺もあれから連絡がないんだわ。なにやってんだか」
「橘くんの友達も遠くにいるんだ」
「らしいな」
「じゃあさ……」
と葵は手を結びながら、上目遣いで俺の顔を眺めてきた。
おいおいなんだこの状況は。
これじゃまるでアニメでよく見る告白のシーンみたいじゃないか。
生唾を飲み込むと、俺は視線を右手にある屋台の方に向ける。
「な、なんだよ」
ドンドンと太鼓と祭特有の笛の音に意識を集中させながら、再び葵を一瞥した。
しかし、そこに彼女の姿は無かった。
右手が強引に引っ張られている。
左を向けば、ピンクの花柄模様の浴衣を着た葵は、石畳の道路をカタカタと音を立てながら歩いていた。
体を捻じった俺は、慌てて隣に駆け寄る。
「ちょっ、強引だな――」
「一緒に祭たのしもうよ。友達も遠くにいるんだし」
「え?」
「ダメなの?」
「……ダメなわけないだろ。友達も遠くにいるし」
「でしょ」
葵は、顔をクシャッと歪めた。葵にこんな一面があったなんてな。
手の暖かさを感じながら、俺はそう思った。
離した方が良いのか。否か。
いや、今はもう少しだけこのままでいいだろう。臆病なままではダメなのだら。
瞬間、ひっそりと佇む神社から吹き抜けるぬるい風が吹き抜けてきた。
そんな気がした。