飛竜便事務所
タグにハッピーエンドとありますが、つらい展開が苦手な方は、17話まで待ってお読みください。
この国セイクタッドは、竜の守りし国と呼ばれている。大陸の北西部の山脈にひっそりと住んでいてめったに人里に降りてこない竜が、この国の王の元には必ず一頭はいる。竜が代替わりをしても、必ず王宮の一角に棲みつくという。それを聖竜と呼ぶ。そして聖竜はこの国を縄張りとみなしているのか、しばしば出かけては上空を飛ぶ。そのため、晴れた日に空を見上げると、時折竜を見かけることがある。それがまるで国を守っているように見えるので、「竜の守りし国」と呼ぶのだそうだ。それでもめったに見ることができないので、竜を見ることは瑞祥とされているのだという。
そのことをアリーシアは、母から聞いて知っていたが、その珍しいはずの竜がなぜ荷物を運ぶのかはわかっていなかった。家庭教師から読ませてもらった歴史の本にも書いていない。
書いていない理由は、飛竜便ができたのがごく最近のことだからと知ったのは、使用人のおしゃべりからだった。
「今日も竜を見たぜ。ありがたいねえ」
「ああ、聖竜様じゃなくて、飛竜便のところのか?」
台所で芋の皮むきをしていた時に聞こえてきた言葉だ。仕事の手を止めないようにしながらも、アリーシアは飛竜便という懐かしい言葉に全身で聞き耳をたてた。
ありがたいことに、使用人はまるで自分のことのように飛竜便の成り立ちを自慢げに話してくれた。
30年に一度、竜は卵を10個ほど産む。一番近い産卵は今から10年ほど前のことだそうだ。いつもならそのうちの一つしか孵らないはずの竜の卵が、今回に限って全部孵ってしまった。母竜は一頭しか育てないので、残り九頭の子竜は死ぬ運命だったそうだ。
それを全部引き取って育てたのがフェルゼンダイン侯爵家の次男。
その功績が高く評価され、王家に利益を還元することを条件に、飛竜便が許可されたのだという。
「うちの旦那様も十数年前まではアルトロフに商売に行っていたが、往復に四、五か月もかかるんじゃあ、利益なんてないんだろうな。もう行かなくなってしまったが、飛竜便なら二日だそうだぜ」
台所で芋の皮むきをしていたら聞こえてきた話だ。
「飛竜便がここにあるおかげでしょっちゅう竜が見られるんだから、ヴィランの町は運がいい」
「聖竜じゃないんじゃ、ご利益はないんじゃないのか」
「馬鹿言え、聖竜の子どもには違いないんだ。10分の一だとしてもありがたいじゃねえか」
「違いねえ」
笑っている使用人たちはおしゃべりばかりするなと叱られていたが、アリーシアにはありがたい話である。いつか見た、そしてアリーシアに鼻を押し付けた竜がそんな理由で生き残っていてくれて本当によかったと思うのだった。
その飛竜便の場所は、町の中心部からは歩いて二時間ほどだろうか。背中の痛みにも慣れ、気にならなくなってきた頃、懐かしい街並みが見えてきた。町はずれとはいえ、商業都市である。荷物を預かる倉庫がたくさん立っている場所で、町の中心部ほどの賑わいはなかったが、それなりに人はたくさんいる。
この十字路を右に曲がればお母様と暮らした家がある。体は自然とそちらに曲がろうとするが、今はその時ではないと手を握りしめ、まっすぐに歩く。子どもの頃は走っていったなと思い出しながら道をたどっていくと、そこには知らない建物が建っていた。
町はようやっと動き始めたばかりで、人もまだまばらだ。
「飛竜便の事務所、なくなっちゃったのかな……」
胸の前で手を握り合わせていると、大きな建物の中から手に紙束を持った人が出てきた。アリーシアの心臓が大きくどきんと打ったような気がした。
「ライナーさん」
あの頃と全然変わらない、忙しそうな様子で一緒に出てきた人と話をしている。
「ライナーさん」
少しだけ一緒に働いた女の子を覚えていてくれるだろうか。大きくなったらこの子はうちの事務所で働くんだと言ってくれたこと、少しでも覚えていてくれたら。大きな声で呼びかけたかったけれど、声が出ない。「はい、お嬢様」「はい、奥様」と言うほかはほとんど何もしゃべらないアリーシアは大きな声が出せなくなっていた。
やがて指示を出し終えたライナーは、建物に入ろうとした。こんな大きい事務所になったんだもの、入ってしまったら怪しい少女など行っても会わせてはもらえないだろう。アリーシアは伸ばしかけた手を引っ込め、うつむいた。
建物は変わっていたけれど、懐かしい場所と人がそのままだった、それでいいではないか。
アリーシアはうつむいたまま踵を返そうとした。
「アリーシア?」
はっと顔を上げた先には、懐かしいライナーの顔があった。