ついに使用人に
「ジェニファーはこの国では珍しい金髪でね。君も噂くらいは知っているかと思っていたが」
「いえ。申し訳ないのですが、そういった噂には疎くて。これからお互いに中身を知っていけるといいのですが」
オリバーはもうアリーシアのほうに目もくれなかったが、オリバーの言い方は、ジェニファーの見た目が好みではないと言っているのと同じだった。
「さあ、立ち話もなんだし、それでは応接室のほうへ行こうか」
アリーシアはハリエットに睨まれたので、一礼すると部屋に下がろうとした。
「あれ、アリーシア。君もおいでよ」
「あの、私」
行きたくない。行ったとしたら針の筵なのは明らかだ。断ろうとしたアリーシアを見て、ハリエットが小さく一つため息をついた。
「あれはいいのですよ。家族としてオリバー様にもかかわってくることですから紹介はいたしましたが、卑しい生まれですのでまだしつけがなっていなくて」
「それならなおのこと、こういう場には慣れさせるべきでしょう。君、僕はちょっとくらい不作法であっても気にしないよ。さ、おいで」
アリーシアは慌てて首を横に振った。
「オリバー様の好意を無駄にするつもりなの。仕方がないからいらっしゃい」
ハリエットの一言でお茶会に参加することになってしまったアリーシアはとても憂鬱だった。
なんとかオリバーが会話に入れてこようとしてくれても、ハリエットとジェニファーが邪魔をする。そもそも会話になど入りたくなかったアリーシアもつらい。
極めつけは父親の言葉だった。
「どちらの娘も私の血を引いていることに違いはない。残った娘もまあ、どこかには嫁がせるだろうから、オリバーは好きな方と婚約すればいいだろう」
とんでもないことを言い出した。アリーシアはもう父からの愛情をあきらめていたので、むしろジェニファーだけでも大切にしてあげてほしかった。もちろん、アリーシアがジェニファーのことを大事に思っているなどということはない。八つ当たりがくるのが嫌だからだ。
「ありえませんわ。アリーシア、もう十分でしょう。下がりなさい」
娘の婚約者になる相手に夫婦の不仲や家のごたごたを見せてはいけないことくらいアリーシアでもわかる。オリバーがそれをじっと観察しているのに気がつかないのだろうか。
アリーシアが言われた通り下がろうとして立ちあがると、オリバーはジャケットの内ポケットに手をやり、そこから何かを取り出した。
「これ、お土産には子どもっぽいかと思ったけれど、僕の妹になるんだからいいよね。手を出してごらん」
アリーシアは思わずハリエットとジェニファーのほうをうかがったが、断っても断らなくてもお土産を用意されていた時点で結局は嫌がられるのだ。それならまだ素直に手を出したほうがいいと判断した。
「はい、どうぞ」
「ひっ!」
アリーシアは手のひらに乗せられた、色とりどりの紙に包まれた飴を思わず取り落としていた。
グシャリと。
踏みつぶされた飴の記憶がよみがえる。
「お母様」
押し込めていた記憶があふれ出す。
「アリーシア。君。涙が」
「失礼します」
部屋を飛び出したアリーシアの行く先など、自分の部屋しかなかった。
その出会いの何が原因だったのかはアリーシアにはわからなかったが、その時以来、オリバーはバーノン家を訪れるたびにアリーシアのことも気にかけてくれるようになった。
だがそれが迷惑だとはどう説明しても気がついてはくれなかった。
その日の夜、狭い自分の部屋に閉じこもっていたアリーシアはハリエットに引きずり出された。いつもは人目のないところでひっそりといびられるだけなのに。玄関ホールにはジェニファーがおり、使用人も集められていた。父親もいたが、退屈そうにしていてハリエットを止めてくれる気配はなかった。
「姉の婚約者の気を引くなんてさすが泥棒猫の娘ね! その薄汚い黒い髪も、淀んだ沼のような緑の目もどこがいいというのかしら」
アリーシアもこの一年で、言い返したら状況がひどくなるだけだということはわかっていたはずだった。だが閉じ込めていた母親のことを思い出してしまった今日は無理だった。
お母様との笑顔の絶えない明るい毎日の暮らし。お母様の優しい笑顔。誰も傷つけたこともなく、理不尽だとわかっているのにお父様のことも責めたりもしなかった。
「気を引いてなんていません。それにお母様も泥棒猫なんかじゃない!」
お母様はお父様のことが大好きだった。お母様が泥棒猫じゃないと言ってしまったら、悪いのはお父様ということになる。お母さまなら自分が何と言われようともお父様を大事にしただろう。
そう思っていたから、今まで何を言われても言い訳せずに我慢してきたのだ。アリーシアは両手を体の横でぐっと握ると、ハリエットを睨みつけた。ハリエットは今まで従順だったアリーシアのその眼光に思わず一歩引いて、そのことに悔しそうな顔をした。
「お母様は優しかった。いつも笑顔で楽しそうにしていたの。あなたのように人に意地悪をしたり、怒鳴ったり、ましてや叩いたりしたことなんてないんだから!」
「なんですって」
ハリエットの低い声が響いた。ここでやめればよかったのだが、アリーシアは止まれなかった。
「私はこのお母様とそっくりの緑の瞳が大好き。沼の色なんかじゃない。北の国の新緑の色だってお母さまは言っていたもの。春の色なんだって。それに、黒髪の何が悪いの!」
これには居合わせた使用人たちもそうだそうだというように頷いている。何しろ、自分たちだって黒や濃い茶色の髪がほとんどで、この国ではそれが当たり前で美しいのだから。
「お母様は私の髪をとかしながらいつでも言ってたわ。『美しいわね。お父様とそっくりのアリーシアの髪が私は大好きよ』って」
「セシリア」
つぶやいたのはすべてを興味なさそうに見ていたハロルドだ。だがそのつぶやきはハリエットの怒りに油を注いだ。
「その名前はこの家では許されません。北の国の話も禁じたはずです、アリーシア。何のために家庭教師をつけたのかしら。まったく貴族としての態度が身についていないわ」
母親のことも、北の国のことも、貴族としての在り方に何の関係もない。アリーシアは叫んだ。
「意地悪なあなたみたいな人が貴族の見本だっていうなら、貴族なんてなりたくない!」
ずっと我慢していた。子爵家に引き取られたくなんてなかった。お母様がいなければどこだって同じだと思っていたのだ。
「そう。それならちょうどよかったわ」
母親はわが意を得たりとばかりに微笑んだ。
「情けを与えるからつけあがるのです。ジェニファーと姉妹? 同じ立場などありえません」
アリーシアから自分が妹だなどと主張したことは一度もないと言いたかった。
「お前は明日から使用人です。食事と住むところを与えられるだけましだと思いなさい」
この家の娘ではない。明日から使用人だということを、屋敷に知らしめるために皆を集めたらしい。子爵家の籍に入っているからということで我慢していたハリエットの糸は、今日のオリバーの来訪でぷつんと切れてしまったのだ。愛娘が泥棒猫の子どもに万が一でも劣ってはならないということなのだろう。あるいは、自分と父に思いを重ねたのかもしれなかった。
「旦那様、さすがにそれは行きすぎではありませんか」
家令が黙っていられないように口を挟むが、ハロルドは肩をすくめただけだった。その瞳はうつろで、この家の人はその目に誰一人として映っていないかのようだった。
セシリアの娘でさえもだ。
「あれのことはハリエットに任せてある」
ハリエットが勝ち誇ったように微笑んだ。
母が亡くなってからちょうど一年、その日からアリーシアは屋敷の下働きになった。