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姉の誕生日

 だが母親がいなくなり、何のために生きているのかすらわからなくても、アリーシアは少なくとも生きていられたし、学ぶこともできたことに感謝して暮らしていた。北の国のことを口に出せなかったのはつらかったが、毎日夜には小さなかばんから北の国の本を出して小さな声で読み上げ、胸に抱きしめて我慢していた。それに、アリーシアには小さな希望があった。


 それは家庭教師の先生と偶然二人きりになった時のことだ。


「この国では16歳が成人なの。16歳になったら親の許可がなくても自分で働いて暮らせるようになる。知識は武器になるわ。このまま勉強を続けるのよ」


 目も合わさずにささやかれたそれが、アリーシアの心の中で形になるのにしばらくかかったけれど、自分もやがて大人になるのだと、そうしたら嫌いな家は出ていいのだという光が見えたのである。


 そうして一年、アリーシアより半年早い、ジェニファーの14歳の誕生日が来て、この時ばかりは家族と使用人だけのにぎやかな誕生会が開かれたらしい。アリーシアは呼ばれもせず、食事さえも忘れられ、にぎやかな食堂を部屋の外から眺めると、静かに自分の部屋に戻った。


 大丈夫。自分にはお母様との楽しい思い出がある。自分があの中に入ってもどうせ義母の皮肉を聞かされるだけで、そんなの主役のジェニファーだって嫌に決まっている。小さい頃のことまでは覚えていないけれど、自分には12年分の楽しい誕生日の思い出があると言い聞かせながら。


 そんなふうに遠慮して小さくなって過ごしていても、運命はアリーシアには優しくなかった。


 家庭教師が来た日、誕生会が楽しかったと報告するジェニファーは、お父様は仕事に行く日付けをずらしてわざわざお祝いしてくれたのよと嬉しそうだった。またしばらく、商売で家を空けるのだという。いつも通り無言のアリーシアにジェニファーは無邪気に言った。


「なぜアリーシアは私の誕生会に来なかったの」


 一言も知らされなかった。午後の半ばから始まって、夕方まで続く賑わいに、自分がどう参加していいのかわからなかった。いつもうつむいているアリーシアがジェニファーの言葉に傷ついたように上げたその瞳には涙が光っていたとしても仕方のないことだった。家庭教師はさすがに胸が痛んだのか、震える口元を隠すように片手で覆った。


「知らなかったから」


 涙を落とすまいと口を引き結んだアリーシアだったが、たまらず一粒だけ涙が落ちた。


「なによ。お祝いにも来なかったくせに、私が悪かったみたいじゃない。誕生日のプレゼントだって何も用意していないんでしょ。あきれたわ」


 ジェニファーは席を立つとどこかに行ってしまった。自分の物など何一つないのに、どうやって誕生日のプレゼントを用意すればよかったのか。そもそも、誕生日がいつかさえも知らなかったというのに。


 家庭教師が慰めるためかそっとアリーシアの背に手を伸ばそうとしたとき、バンとドアが開いてハリエットが入ってきた。家庭教師が思わず備品を確認したのが見えた。優しい先生が、あの時から罰に使う木の枝は持ち歩かなくなったことをアリーシアは知っていた。


 だがハリエットは木の枝がなくてもかまわなかったらしい。手に持った扇でいきなりアリーシアの腕を叩いた。


「奥様!」


 家庭教師の悲鳴のような声はハリエットの耳には入らなかった。


「役立たずのくせに、ジェニファーに嫌な思いをさせるなんて! 誕生会に出たかったなんて、おこがましいにもほどがあるわ!」


 出たかったなんて一言も言っていない。だが言い返したら余計に叩かれると思ったアリーシアは黙って耐えた。ひとしきり苛立ちを発散させると、ハリエットは部屋を出ていった。


 入れ替わりに入って来たジェニファーは、床に崩れ落ちているアリーシアを見てふんと鼻で笑った。


「いいこと。14歳になったから、今度私にも婚約者ができるのよ。知らなかったなんて、また私のせいにされたらいやだから教えておいてあげるわ。お相手はね、ティナム伯爵家の次男のオリバー様と言うの。三日後、顔合わせがあってこちらにいらっしゃるのよ」


 夢見るように話されても、アリーシアは叩かれた腕が痛くて立ち上がることさえできず、なんの反応もできなかった。


「お母様が庶子を引き取って育てているということは有名なのよ。捨て置いてもいいのに、ちゃんと屋敷に引き取って教育もしているって。当然、当日はあなたもバーノン家の一員として挨拶に出るんだから。くれぐれもうちの家名に泥を塗らないよう気をつけることね」


 その日はとても勉強どころではなく、浮かれたジェニファーが勉強部屋に戻ってくることはなかった。


「悲しいことに、世の中は公平ではありません。特に女性にとっては」


 家庭教師の先生は道具を片付けながら誰に言うともなくつぶやいた。また誰かが入ってきて言いがかりをつけられたら困るからだろう。


「でも、私のように結婚しなくても仕事をして生きている者もいます。私たちが住んでいるこのヴィランという町は大きな交易の場所です。読み書きができればきっとなんとかなる。強く生きましょう、アリーシア」


 世の中は公平ではない。同じ娘でも、片方は祝われ、片方は無視される。それでもなんとかなると言ってくれた家庭教師の先生が来たのは、その日が最後だった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 唯一の理解者、家庭教師も、、、。 ドアマット主人公、この辛さがあるから、乗り越えた先が素晴らしいものになると分かっていても辛いなぁ。
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