ポケットの中には(書籍とコミックス発売記念ss)
【お知らせ】2月9日、「竜使の花嫁」書籍、コミックス同時発売です。
書籍にもコミックスにも、オリジナルのssが入っています。
こちらにも、発売記念に短いお話を上げました。
グラントリーが飛竜便の仕事でお屋敷にいない時、アリーシアは、図書室で時間を過ごすことが多い。もっとも、あまりにも引きこもっているとエズメがやってきて、うまいこと部屋の外に連れていかれてしまうのだが、今日はまだ、そのエズメの影もない。
ではアリーシアが本に夢中になっているかといえば、そんなことはなくて、本を読むふりをしつつ、窓の外をそわそわと眺めている。
そう、今日はグラントリーがお仕事から帰ってくる日なのだ。アリーシアの様子をエズメが見たら、
「まあ、アリーシア様もちゃくちゃくと成長しているご様子。ぼっちゃまにも見習わせとうございます」
などと言うに違いないのだが、エズメはエズメで、帰ってくるグラントリーのためにお屋敷を整えるので忙しそうだ。
「あ、竜だ!」
図書室の窓から見える空を舞う影は、ひときわ濃いこげ茶色だ。
「きっとショコラだわ」
アリーシアは手元の本をぱたんと閉じると、急いで書棚に戻し、玄関ホールへと急いだ。途中の階段でエズメとすれ違いそうになる。
「まあ、アリーシア様。ちょうどお迎えに行こうとしていたところでした。坊ちゃまが帰ってきたようですよ」
「はい。ショコラが窓から見えました」
グラントリーが帰ってくると、とたんに屋敷に活気が戻る。グラントリーが何をするわけでもないのに、いるだけで屋敷が浮き立った雰囲気になるのは不思議だが、それだけよい主なのだろうなとアリーシアは思っている。
使用人のみんなと並んでそわそわと玄関を見ていると、ざわめきは背後からやってきた。
「あれ、そうか、表からくればよかったな」
その声に振り返ると、竜舎に近い裏口のほうから戻ってきたらしいグラントリーは、しまったなという顔をして額に手を当てている。
「まあ、ぼっちゃま。お一人だった時とは状況が違うのですから、裏口ではなく表玄関から戻ってきてくださいとあれほど」
「わかったわかった」
小言を言うエズメに適当に返事を返すと、グラントリーはほんの数歩でアリーシアのもとまでやってて、腰をかがめるようにしてアリーシアと目を合わせた。
「婚約者殿、ただいま戻ったよ」
「お帰りなさい、グラントリー様」
グラントリーの空の瞳が優しく細められると、アリーシアの胸はふわんと温かくなる。見上げるアリーシアに、グラントリーはあっと小さな声を上げて、胸のポケットから何かを取り出そうとした。
その瞬間、エズメとヨハンに緊張が走り、遅れてアリーシアの体も硬くなる。
前回そのポケットから出てきたのは、色とりどりの紙に包まれた飴だった。
踊りあがるくらい嬉しくて、お母様にあげようと思った飴。そして無残にもお父様に踏みつぶされた飴。まるでアリーシアの不幸を象徴するかのような。
「っと、こっちだ」
何かを察したグラントリーは、胸のポケットからそっと手を戻すと、飛行用の上着の別のポケットに手を差し入れた。
緊張の中、ポケットの中から出てきたのは、何の変哲もない小さな紙袋だった。
「これ、オレンジの皮を甘く似てカチカチに干したやつなんだ。オレンジが珍しい国だから、皮まで大事に加工するんだってさ。いい子にしてたアリーシアにお土産だ」
「わあ」
アリーシアは紙袋を両手で受け取ると、目を閉じてそっと鼻に近づけてみる。
「オレンジの香りと、ほんのりスパイスの香り」
「いい鼻だ。料理人になれるな」
からかうグラントリーと、くすっと笑みを浮かべるアリーシアと。
ほのぼのとしたやりとりが、最近のシングレア家の当たり前になりつつある。
着替えに向かうグラントリーを見送ったアリーシアは、部屋に戻って紙袋をあけ、細長いオレンジの皮をそっとかじってみた。
「甘くてほんのり苦い」
この国では秋から冬にかけて収穫されるオレンジなのに、その香りはなぜか夏を連想させる。わざわざお土産を買ってきてくれたことは嬉しいけれど、そもそもアリーシアが飴に苦手意識がなければ、わざわざそんな手間をかけさせることもない。いつものお店でいつもの飴でいいのだ。
そのことが、アリーシアにはちょっと心苦しい。
「このままじゃ、駄目な気がする」
紙袋をそっとテーブルに置くと、アリーシアは紙袋を受け取った時のように両手を前に出した。
「もし、あの時に飴をもらっていたら、私はどうしていたかな」
オリバーからもらった時も、枕元に置いてあった時も、まるで毒か何かのように驚いた自分。
「グラントリー様から、直接いただいたとしたら?」
目をつぶって、想像してみる。
「空の瞳のグラントリー様。きっといたずらっぽい顔で、無造作にざらざらっと飴を載せるんだわ」
アリーシアに最初に飴をくれた時のように。
「うん。大丈夫。きっともう、怖くない」
目をあけたアリーシアの目には、強い光があった。
次の日の朝食の席、アリーシアが緊張しているせいでグラントリーだけでなく、給仕の使用人でさえなんだかぎくしゃくしていた。途中で料理人のジョージが気がかりそうに顔を出したほどだ。
「アリーシア、その、何かあったか?」
ついに耐え切れなくなったグラントリーが声をかけた。
「あの、グラントリー様」
居住まいを正したアリーシアに、何を言い出すのかと、部屋中に緊張が走った。
「な、なんだ?」
「一緒に行ってほしいところがあるんです」
「それはかまわないが……」
自分からは外出しようとはしないアリーシアの唐突な願いに、グラントリーは戸惑ったが、たやすいことだと頷いた。
そんなアリーシアがグラントリーを連れて行ったのは、飛竜便事務所からそう遠くない、白い柵に囲まれた小さな家だった。
「お母様がなくなるまで、私が住んでいたところです」
「そうか、ここが……」
資料では知っていたが、実際に来るのは初めてなグラントリーは、小さかったアリーシアが走り回っている様子を思い浮かべ、笑みを浮かべた。しかし、すぐに笑みは困惑に代わる。
「アリーシア?」
声をかけた時には、アリーシアは敷地に入り、ドアをノックしていたのだ。
「はーい」
すぐに年若い女性の声がしたかと思うと、なかから勢いよくドアが開いた。顔を出したのは、小さな女の子だ。
「おねえさん、だあれ?」
アリーシアはしゃがみこんで目線を合わせると、ゆっくりと話し始めた。女の子の後ろには、母親が戸惑った顔で立ち尽くしている。
「こんにちは。私、あなたから飴をもらったことがあるの。覚えているかしら」
女の子は首を傾げると、首を横に振った。
「わかんない。あめをあげたことはあるけど、もっとこんなひとだったもの」
女の子はこんな、という言葉とともに、両手を頬にあてて、ぎゅっと押しつぶす。
「おなかがすいて、さむいっていうかおをしてたの。おねえさんは、おなかいっぱいでしょ?」
だから違う人かもしれないという女の子は賢い瞳をしていた。
「そうなの。今はお腹がいっぱいだから、あの時のお礼に来たのよ」
アリーシアは立ち上がると、グラントリーのほうを振り返った。
「グラントリー様。飴をください」
「大丈夫なのか?」
何がとは言わなくても、グラントリーの心配に応えるように、アリーシアはしっかりと頷いた。グラントリーは呆れた顔をしながらも、胸のポケットから色とりどりの飴を取り出す。
「アリーシア。大の男が、いつでも飴を持っていると思うなよ。持っているけれども」
そうして、まるで心配など最初からしていなかったような顔をして、アリーシアの両手の上に、飴を無造作にざらざらっと載せた。
色とりどりの飴は、アリーシアの手のひらの上にかわいらしく収まっている。噛みつきもしなければ呪いをまき散らすわけでもない。胸にずきんと響くのは、お母様に食べさせてあげられなかったという、小さな後悔だけ。
アリーシアはほっとして、手の上の飴を、そのまま女の子の手のひらにそっと載せ直した。小さな手では、両手でも山盛りになってしまうほどのそれを、女の子は目を丸くして見つめた。
「こんなにいっぱい?」
「そう。あの時は、本当にありがとうね」
飴を踏みつぶしたあの時、優しい女の子の心まで踏みつぶしたような気がして、それがずっと心にとげのように突き刺さっていた。踏みつぶしたのは、父に愛を求めた愚かしい自分の心だけでいい。
ありがとうございますと頭を下げる母親と、嬉しそうな女の子に手を振ると、アリーシアは来た道をゆっくりと歩き始めた。
「グラントリー様、ありがとうございます」
「よくわからないが、何か区切りがついたんだね」
「はい。あ」
アリーシアは、手に口を当てて歩みを止めた。
「もしグラントリー様が飴を持っていなかったら、私、ただの不審者では?」
「今頃気が付いたのか?」
あきれたようなグラントリーだが、少し横を向くと、ゴホンと咳ばらいをした。
「まあ、割とたいてい、飴は持ってる」
ぽんとたたいたポケットは、さっき飴を出したのとは別のポケットだ。
「まあ」
「ショコラが! ショコラが飴が好きだからな。ショコラがだぞ」
思わずくすくすと笑うアリーシアは、胸をそっと抑えながら、グラントリーと並んで歩き始める。
この胸の痛みも、お屋敷の皆と一緒にいたら、きっといつか小さくなって消えていく。
そこはグラントリー様と一緒にいたら、と言ってあげてくださいませ、とエズメの声が聞こえるような気がして、アリーシアは微笑んだ。
見上げた空は、グラントリーの瞳と同じ色に澄み渡っていた。
書影や特典等は、活動報告に上げております。




