いてもいい場所
当然、それに気分がよくないものもいる。今日の主役のデライラ王女である。グラントリーがニヤリとした気配を感じ取ったアリーシアは不思議に思ったが、王に挨拶することで頭がいっぱいでそれ以上深くは考えられなかった。
王女の前を通り過ぎ、王に挨拶しようとしたその時だ。
「待ちなさい」
デライラの声が飛んだ。挨拶する順番を間違えたのかと不安になってグラントリーを見上げると、グラントリーは不敵に微笑んでいる。
「そこのもの。デビューの挨拶に来たのなら、そのショールは取りなさい。最低限の礼儀も知らないの?」
アリーシアは戸惑ったが、素直にショールを外そうとした。するとなんと、王に止められた。
「事情は承知している。そのままでよい」
「お父様!」
「陛下と呼びなさい。礼儀知らずはどちらか」
公式の場だからこそ親子であってもけじめをつけねばならない。王女はしぶしぶと言った様子で黙り込んだ。
アリーシアは、ここでも膝を曲げて優雅に礼をした。
「顔を上げよ」
王の声にゆっくり顔を上げると、アリーシアの目の色や姿にやはり称賛の声が上がった。
「飛竜使いの婚約者は大変なことも多かろうが、よく務めよ」
「はい。ありがとうございます」
この王の一言で、アリーシアは社交界に出ることと共に、グラントリーの婚約者であることを認められたことになる。アリーシアは晴れやかな気持ちで王の元を去ろうとした。
「待ちなさい」
王女の声と共に、アリーシアのショールは後ろからむしり取られた。もちろん、開いた背中からは、アリーシアの傷あとが丸見えになった。グラントリーは慌てたようにアリーシアを抱きしめた。
「なんとひどい」
「おお」
一瞬の沈黙の後、同情の声が次々と上がった。中にはもちろん、気味が悪いという声もある。だが、両手を胸の前で握りしめ、うつむきながらグラントリーに守られている姿を見ると、同情の声が増えていった。それと共に、ショールをはがして得意そうにしている王女の姿に眉をひそめるものも多い。
「陛下。殿下方」
アリーシアを抱えていたグラントリーは、左手だけをアリーシアから外し、その手を仮面にかけた。そして仮面をゆっくりとはいでいく。
やがて皆の前には、左目に一文字に入るグラントリーの傷と、背中から見えるアリーシアの同じく一文字の傷があらわになった。
「私たちのこの傷は、デライラ王女殿下をお守りした名誉の傷と心得ます。決して恥じるものではありません。ですが、わが婚約者はまだ成人したばかりのいたいけな身。どうかご配慮賜りますよう、お願い申し上げます」
グラントリーの朗々とした声は広間の隅々まで響き、人々の心を打った。そしてその非難の目は、その傷をさらさせたデライラのほうに向かった。
「な、なによ、そんな醜い傷」
「デライラ。口を閉じよ」
王の静かな一喝でデライラは黙った。
「その傷はシングレアの言う通り、名誉の傷である。わが娘を守ってくれたことを感謝する」
グラントリーはそっとアリーシアを王のほうに向かせると、二人で深々と頭を下げた。堂々とした二人の退場に、誰も文句を言うものはいなかったし、これでアリーシアの傷のことをとやかく言うものはいなくなるだろう。
アリーシアは馬車のところに戻ってきてやっと緊張の糸がほどけた気がした。
「アリーシア。すまなかった。ほんの少しだけ傷を見せるつもりだったんだが。あいつがあそこまでやるとは思わなかった」
グラントリーが頭を下げたが、アリーシアは少し笑ってかぶりをふった。
「傷があることが知られるのはかまわないの。グラントリー様とお揃いだから」
「アリーシア」
グラントリーが狙ったのもまさにそれで、傷を後ろめたいものではなく、王女を守った名誉のしるしと皆に思わせることに成功したことになる。
「もしかして、ショールをつけたままにしていたのはわざとですか? 王女殿下ならやりそうなことを予想して?」
「私がそんな性格の悪いことをするように思うか?」
思うとも思わないとも言えないアリーシアはあいまいに微笑んだ。グラントリーの機転で、王女をかばってできたアリーシアの傷の話は美談へと変わっていく。だがそれが落ち着けば、今度は身分の違いや、アリーシアの母親がアルトロフ出身であることが問題にされることもあるだろう。
やはりアリーシアは、グラントリーの婚約者としてふさわしいとは言えないのかもしれない。アリーシアは胸の前でギュッと手を握った。
「どうした、アリーシア」
「いいえ、なにも」
父も、義理とはいえ母や姉もいたはずなのに、アリーシアにはどこにも居場所がなかった。そのアリーシアに、居場所を与えてくれた人。一度逃げだしたアリーシアを、それでも追いかけてきてくれた人。
そばにいたいと思った。グラントリーにふさわしい人になるために努力しようと思えるほどに。
アリーシアは手をほどいてそっと膝の上に置くと、顔を上げた。真昼の空の青の瞳がアリーシアを優しく見つめている。
「君の目はいつ見ても南の海の色だね」
「グラントリー様の目はやっぱりお空の色です。皆と同じ青のはずなのに、ひときわ明るくて」
たわいない会話が心をほどいていく。
「アリーシアの緑の目は、やはり母君とおなじなのかい」
「ええ、髪はお父様と、目はお母様とそっくりと言われていました」
そう答えたもののアリーシアは何かが頭に引っ掛かっている感じがして首を傾げた。めったに話さない母のことを口にしたからだろうか。いや、違う。
「巫女姫の、緑」
アリーシアの目を見てそう言ったのは、アルトロフの使者の人だった。グラントリーが怪訝そうに眉を上げた。
「巫女姫?」
「はい。最初に王女殿下が来た時、アルトロフからの使者の方が一緒でした。その方が私の目を見て、驚いたようにそう口にしたんです」
アリーシアは頬に右手を当てて、その時のことを詳しく思い出そうとした。
「それだけしか言わなかった気がする。そしてその時に思ったんです。グラントリー様の目が空の色であるように、アルトロフの緑の目にも、いろいろな色があるのかしらって」
「ふうむ。だが巫女姫というのはずいぶん珍しい色の表し方だね。アルトロフとはほとんど交流がないから、独特の表現なのかもしれないが」
確かに翻訳していても、アルトロフの表現はずいぶん修辞的で大げさでもあるとアリーシアも思う。
「だが、アリーシアが気になるのなら、母君のことを調べてみないか」
アリーシアの母は、自分のことをほとんど話さなかったから、知らなくていいのだと思うようにしていた。だが、これからそれがグラントリーの婚約者としての障害になっていくのなら、知るための努力をしなければならないのではないか。
「前回の飛竜便はちょうどアルトロフに行ったんだよ。10年以上前に駆け落ちした女性というだけでは、ずいぶん曖昧かもしれないが、商売をするものが行けるところなど限られているから、そこを調べれば何かがわかるかもしれない。どうする?」
あくまでアリーシアの意見を尊重する気持ちを嬉しいと思った。
「お願いします」
アリーシアは頭を下げた。もしかしたら、独りぼっちではないのかもしれない、親戚がアルトロフにいるかもしれないということなのだと思うと、急に胸がドキドキするような気がした。
「でも、まず、もっと勉強をしないと。グラントリー様にふさわしいように。それから飛竜便でお仕事もして」
「アリーシア、そんなに急がないで。ゆっくりやっていこう。私たちは縁あって婚約者になったけれど、まだ出会ったばかりだ」
焦るアリーシアに、落ち着いたグラントリーの声がなだめるように響く。
揺れる馬車の向かう先は、冷たいバーノンの家ではない。
「さあ、帰ろうか」
「はい」
温かい、アリーシアが居てもいい場所なのだ。
ここで一区切りです。
なかなかつらいお話だったと思いますが、一ヶ月お付き合いありがとうございました!
アリーシアの母の出自、それからバーノン家、そしてオリバーのそれからなど、またいつか書くつもりですが、もうしばらくお待ちくださいませ。
コミックシーモアさんでコミカライズも始まっていますので、よかったら読みに行ってくれると嬉しいですです。




