バーノン夫妻
ヨハンが落ち着いていられたのは、アリーシアの行方の見当がついていたからだった。アリーシアの母親のように、町の外れの一軒家に閉じ込められているようだった。さらに調べていくと、アリーシアは既に裕福な商人の後妻に入ることが決まっているという。
「今まで邪魔にしかしていなかったアリーシアが、今回の縁談の件で金の卵を産む可能性があることに気がつき、さっそく行動したというわけか。したたかだが、父親としては血も涙もないな」
「バーノンのところに抗議に行くのか?」
ライナーの質問にグラントリーは首を横に振った。
「いや。アリーシアの相手のほうを押さえる。飛竜便と侯爵家の力を侮るなよ」
「実家頼みかよ」
ライナーの言葉は無視することにした。
一度覚悟の決まったグラントリーの行動は早かった。アリーシアを後妻に貰おうとした相手は、アリーシアの婚約者であったグラントリー、つまり伯爵家が納得していないと聞けばすぐに引いた。特に飛竜便で多少の優遇をちらつかせればなおさらである。
次にグラントリーが向かったのは、バーノン子爵家だ。約束があればのらりくらりとかわされるのは目に見えていたから、在宅を確認して約束なしの訪問であった。
「よし、乗り込むか」
「いや、若。ただの話し合いでしょうよ」
こんな時に頼りになるライナーを連れて、扉を叩いた。
不審そうに扉を開けた家令は、一瞬目を見開いて動揺した様子を見せたが、丁寧に礼をした。
「こんな時間に、約束もなくどんなご用事でしょうか」
「子爵家の分際で、娘の婚約者たる伯爵家の訪問を断るか」
一瞬ひるんだすきをついて、グラントリーは強引に押し入り、大声でアリーシアの父親を呼んだ。
「バーノン!」
バーノンが出てくる前に、アリーシアの義母がしゃしゃり出てきた。
「まあ、シングレア伯爵ではありませんか。お約束がありましたかしら」
「婚約者に会いに来るのに約束が必要か。義理の娘に会いに来るのには約束は必要ないようだったが」
グラントリーの留守に約束なしに訪問したハリエットへの痛烈な皮肉である。
「ハリエット。ひかえなさい」
その間にバーノン子爵が登場していたようだ。平然とした顔でハリエットをたしなめると、グラントリーについてくるよう合図した。
「ようこそと言える時間ではありませんが、こちらへ」
そして以前も訪れたことのある応接室へと案内された。控えろと言われたハリエットだが、当然のように付いてきて、うっとうしいことこの上なかった。
席に着くと、最初に口を開いたのはバーノン子爵だった。
「なぜアリーシアにそれほどこだわるのです。あれは母親と違って、特に目立つところもいいところもない娘だ」
グラントリーの隣でライナーが立ち上がろうとした。グラントリーはライナーと同じく、はらわたが煮えくり返る思いをしながらも片手でライナーを制した。
この父親には、アリーシアのよさは何を言っても伝わらないだろう。
「縁があって婚約者になった。そんなあなたの娘を大切にしたいと思って何が悪いのか。婚約者だろうが家族だろうが、身近な人を幸せにしたい。当たり前のことだろう」
家族であろうと全く幸せにしていないではないかという皮肉をたっぷり込めたつもりだった。
「今日来たのはそんなことを話し合うためではない。婚約者を返してもらう」
「王家からの強制はなくなった以上、すでにあれはあなたの婚約者ではありません。ずっとあなたのところにいたのならともかく、自分から望んであなたの屋敷から出てきたのだからな」
「そうするために奥方と娘を使ったくせに?」
「真実を告げに行かせたまでのことです」
バーノンの自信は揺らがなかった。
「アリーシアがどう言おうと、私は婚約を取りやめたつもりはない。よってアリーシアは返していただく」
埒が明かないとみて、グラントリーはそう宣言した。これで強引にでもアリーシアを引っ張り出す権利を得たことになる。
「既に縁談が決まっておりますのでな。申し訳ありませんが」
「ライナー」
「はっ」
ライナーが懐から出したのは、婚約者のいる娘を後妻に貰うことはできないという商人からの手紙だった。
「ばかな。既に支度金のやり取りも行っているというのに」
初めてバーノン子爵の顔色が動いた。そのバーノンに、今度はグラントリーが手紙を手渡した。
「王女殿下からの謝礼を、アリーシア個人の財産として扱うようにという王家からの追記だ。普通はこんなことはしないのだが、その謝礼が行方不明になっては困るからな」
「くっ」
思わずその手紙を握りつぶしそうになったバーノンだがぐっとこらえた。グラントリーはすっと立ち上がった。
「ではアリーシアは引き渡してもらう」
応接室を立ち去るグラントリーにかかった声は、ハリエットのものだった。
「アリーシアがうんと言うといいですわね」
思わず立ち止まったグラントリーは、何のことだという目で振り返った。
「あの子は、自分からあなたの屋敷を去ったのです。傷のある娘はあなたにふさわしくないと思って」
「お前は!」
「あらあら、乱暴な方。あなたが迎えに行ったとして、頑ななあの子がうんと言わなければ、決して手に入れることはできないのよ」
あざけるようなハリエットの声に、グラントリーは思わず聞き返していた。
「なぜそんなにアリーシアを不幸にしたがる? あなたの娘は思い人と結ばれて幸せになる、それで十分だろう」
「あの娘と母親は、私とジェニファーの14年の幸せを奪ったのよ。その報いは受けるべきだわ」
金色の髪が美しいと評判のハリエットの顔は、憎しみで醜くゆがんでいた。
「あなたを幸せにしなかったのはアリーシアではなく、そこのバーノンだろう」
さらに言うならば、バーノンはアリーシアも幸せにしなかっただろうとグラントリーは言いたかったくらいだ。そのバーノンは最後にこう言った。
「あれを引き取ったことを、あなたはきっと後悔する」
それは呪いのようで、グラントリーはそのおぞましさに肌が泡立つ思いがした。
「あなたが全部悪いのよ!」
そして始まった夫婦げんかに巻き込まれないようにグラントリーとライナーは急いで屋敷を出た。
コミックシーモアさんでコミカライズ始まっています。
アリーシアもグラントリーも素敵なのでぜひ読みに行ってみてください!




