よく考えて
「アリーシアが出ていっただと」
グラントリーはアリーシアの部屋で呆然と立ちつくしながら、エズメとヨハンを問い詰めた。アリーシアが出ていったというのに、疲れた顔をしてはいるものの落ち着いているその様子も気に入らなかった。
「どうやら屋敷の者の噂話を聞いてしまったようで、それまで思い詰めていたものがぷつんと切れたのだと思われます。とにかく手紙を」
グラントリーが慌てて手紙を開くと、アリーシアの几帳面な文字でお礼と挨拶が書いてあった。
「『今まで本当にお世話になりました。私のような噂のあるものをそばにおいては、グラントリー様の迷惑になります。家に戻りますので、ご心配なく』心配しないわけがあるか! 今回の飛竜便で、やっとアリーシアの母親をどう探すかヒントが見つかったのに」
グラントリーはスタスタと部屋を出ようとした。
「グラントリー様!」
「バーノン家へ向かう」
「バーノン家には既に使者を出しております。というか私が直接行きましたが、アリーシア様は戻ってきていないと言われました」
ヨハンは悔しそうな表情を浮かべた。
「『うちのかわいい娘がまさかどこかに行ってしまったということはありませんわね』と言われましたよ。どの口がそういうのか。だが、全く焦っていないところを見ると、やはりバーノン家が事情を知っていると思われます。とにかく」
ヨハンはグラントリーを強く引き留めた。
「エズメと事情を説明します。状況を正しくつかんでいただかないと」
「わかった」
飛竜便の仕事をしているからと言い訳しないでアリーシアと向き合うと誓ったばかりなのに、またしてもアリーシアを守れなかった自分にグラントリーは苛立ちを隠せなかった。アリーシアの部屋を出る前に部屋を一瞥すると、枕の横にアリーシアの大事にしていた北の国の本が置いたままになっていた。
「あれを置いていくとは。くそっ」
何より大切にしていた母の思い出を置いて行ったことが不吉で、グラントリーは胸がじりじりするような焦燥を感じた。
グラントリーはヨハンとエズメの話を取り急ぎ食堂で聞くことにした。
そこで聞かされた王女の余計な口出しにグラントリーはもはや怒る気にさえなれなかった。
「幼い頃から散々迷惑をかけられてきたが、面倒だからと甘やかしたツケがきたのか。結局は私のせいだな」
グラントリーはうなだれた。
「私は自分の顔に傷がついたくらいなんでもないから特に大騒ぎはしなかったが。未婚の女性が自分のせいで傷を負ったというのに、それを感謝するどころか傷があることを社交界に広める悪魔のような所業。とても王女の器ではない。これは厳重抗議する。そして二度と私の婚姻に口を出させないように交渉してくる」
「それがようございます」
「そもそもが王族の仲介と言っても、断ったからと言ってとがめられるわけではない。自分の家のためになると欲をかいたバーノン家が無理にアリーシアを押し込んだだけではないか。おそらく、私との婚約の後に、もっと条件のいい縁談が見つかったからアリーシアを取り戻したかっただけだろう」
ヨハンとエズメは驚いた顔をした。
「まさかそんなことを。まるで娘を道具のように扱うなんて」
エズメはそう言ってから、沈んだ顔になった。
「いえ。あの義母を見ていたらわかります。まるでアリーシア様を苦しめることを楽しんでいるかのようでしたからね」
「やはりな。周辺は探したんだな?」
ヨハンが頷いた。
「はい。早朝のこととはいえ、人通りがありまして。屋敷を出てすぐにアリーシア様らしき人が馬車に連れ去られるのを見た人がいます。おそらくバーノン家の者かと」
「ではバーノン家に張り付けさせろ。すぐに見つけないと」
急がないと、アリーシアがどこかに消えてしまいそうな気がしたのだ。
「坊ちゃま」
グラントリーは落ち着いたその呼び方に思わずヨハンのほうを見た。
「うかがいたいことがございます」
「今でなければだめか?」
ヨハンは大きく頷いた。グラントリーは仕方なく椅子に座り直した。
「坊ちゃまは、アリーシア様を捜し出して、その後どうするおつもりですか」
「どうするって。婚約者としてこの屋敷で大事にする。デビューもさせ、今までできなかった若い女性の楽しみは何でも経験させるつもりだ。母上たちがやっている、お茶会とか、観劇とか、そういうのがあるだろう」
ヨハンは残念そうに首を横に振った。
「坊ちゃま。それは婚約者にすることではありません。妹にすることでございます」
「妹って」
グラントリーは鼻で笑いそうになって、ふと真顔になった。今、自分が上げた計画には、確かにいつ結婚するという終着点がない。
「だがアリーシアはあんなに細くて、まだ子どもだろう」
「坊ちゃまが戻ってきたら、アリーシア様の16歳の誕生祝いをする予定でした」
「16歳。成人ということか」
ヨハンは何をいまさらという顔をした。
「成人するからデビューにも参加できるんです。アリーシア様は既に結婚できる年になってしまったんですよ。そしてここにはいないんです」
「つまり、バーノン子爵がアリーシアを結婚させようとしたら」
「ええ。届けを出されてしまったら終わりです」
「それならなおのこと急がないと」
ガタッと椅子を鳴らして立ちあがったグラントリーに、ヨハンはまた首を横に振ってみせた。
「アリーシア様がここにいらした時、何をやりたいとおっしゃっていたか覚えていますか」
グラントリーは思い出そうとしたが、気持ちが焦っているのか思い出せなかった。
「飛竜便の事務所で働きたいと、そうおっしゃっていました」
「飛竜便。有能な翻訳者だから、早く寄こせとライナーが言っていたな」
「もちろん、観劇もお茶会も、それどころか何もせずにこの屋敷にいるだけで、ご実家に戻るよりも何倍もましなはずです。ですが、坊ちゃまがいつまでも妹としか見ずにうちで大切に囲って、本当のアリーシア様のやりたいことを無視していたら、それはバーノン子爵とどう違うというのでしょう」
違うと言いたかったが、のどに何か詰まったように声が出てこない。
「それとも、大事に育てて、お若い貴族の方に嫁がせますか。そのほうがアリーシア様のためかもしれませんね」
グラントリーはぐっと詰まったままだった。確かにアリーシアは八つも年下だった。だが、アリーシアが自分以外の誰かのもとに行くと考えると、なにやら胸のあたりがもやもやとするような気がした。
「私どもは、アリーシア様がこの屋敷にいらしてからずっと見守ってきました。ですが坊ちゃまは、アリーシア様をここに連れてきたらそれで満足して、その後はいかに自分が元の生活に戻るかということしか考えておりませんでしたでしょう」
グラントリーはその厳しい指摘にうなだれた。自分が結婚などどうでもいい、相手だって誰でも構わないと思うのは自由だが、相手のアリーシアがそれで幸せなのかどうかまでは考えていなかったことに気づいたからだ。
「アリーシア様はご自分から出ていったのです。なぜアリーシア様を取り返したいのか、よく考えてくださいませ」
ヨハンの言葉には頷くしかなかった。




