お気に入りはオレンジ
コミックシーモアさんでコミカライズ始まっています。
アリーシアもグラントリーも素敵なのでぜひ読みに行ってみてください!
その日アリーシアは、屋敷の外に出ていた。この屋敷に来てから一カ月、広い庭には緑が増え始め、春の気配が漂っている。
「ブブッフフ」
「フフッ。ショコラ、やめて」
アリーシアのお腹にグラントリーの竜が鼻を押し付ける。最近声を出して笑えるようになったのは、この茶色の竜のおかげもあるかもしれない。
グラントリーを背に乗せて、さらに首に荷物を括り付けて飛ぶ竜は、アリーシアから見ると巨大としかいいようがない。お腹に押し付けている鼻も、その鼻のついている顔はアリーシアより大きいくらいだ。それでもこの竜はとても小さいのだという。この竜というより、グラントリーの飛竜便が抱えている九頭の竜は皆小さいと聞いた。
以前竜舎に連れて行ってもらった時、アリーシアに興味津々の竜に囲まれながらグラントリーと話した。
「グラントリー様が子竜を救ったのだと聞きました」
「アリーシアにまで噂が伝わっているのか」
グラントリーは愛しそうに一頭一頭の竜を叩いている。だが、竜舎に残っているのは五頭で、残りの四頭は荷物を運んでいるという。
「竜に懐かれるものはめったにいないが、懐かれたら竜に乗せてもらえる。竜に乗るものを竜使い、略して竜使と呼ぶ。どうしても竜に乗ってみたいという者はけっこういて、なんとか竜使は確保できているんだ」
二頭か三頭の竜と竜使で組をつくる。荷物の量によって編成が変わるが、基本的に定期便としていくつかの国を回っているという。
「だいたい10日で一回りだ。だから出かけたら10日は帰れない。今定期便のコースは二つあって、よほど忙しくない限り二頭編成で回っているから、こいつらは10日働いて10日休んでることになる。いいご身分だよな?」
「ブッブブッフフ」
竜から一斉に不満の声が上がる。
「ハハハ」
グラントリーが一番生き生きするのがこうして竜と一緒にいる時だ。
「ブブッフフ」
一頭の竜が器用にグラントリーの仮面を外そうとする。
「やめろ。飛ぶときには外すから」
「フッフー」
それなら仕方がないとあきらめたようだ。
「救ったといえるのかどうか」
やがてアリーシアに興味を失った竜たちが思い思いにくつろぎ始めた時、グラントリーが話してくれた。
「私の家はもともと聖竜の後見の家だ。簡単に言えば、竜の世話係なんだ。竜舎の掃除もさせられていたし、竜には慣れていてね。そんな時30年に一度の産卵期が来たんだ」
この話までは聞いた気がする。
「もともと一度に10個は卵を産んで、一個孵るか孵らないかくらいらしい。それが10個全部孵ってしまった。何個も孵ったときは、親は一番強い子だけを残す。記録にはそうあるらしい。実際一番大きい子竜の他は引き離され、放置された。だがな」
その時を思い出したのか、グラントリーの顔はゆがんでいた。
「死なせたくない。一つとして死なせたくないという、聖竜の声が聞こえたような気がしたんだ。私は引き離され放置された竜の子たちに、毎夜こっそりと竜輝石を運んだ」
「竜輝石?」
「竜輝石とは、竜の餌となる鉱石のことだ。この世界の中で、竜だけが生き物の理から外れている。あの大きい体を支えるだけの大きさの羽などないのに空を飛び、食べ物ではなく石を食べて暮らす。その石は大陸の北西部の山脈の一部に露出していて、竜輝石と呼ばれている。それが竜が山脈から離れない理由だと言われているよ。そしてそれがうちの領地の特産なんだ」
アリーシアは思わず体を固くした。グラントリーがさりげなく話したそれは、アリーシアが聞いてよかったのだろうか。門外不出の情報とかではないのか。
「竜輝石については秘密でも何でもないよ。もっともよく知られた話でもないから、民は知らないかもしれないね」
竜輝石については秘密ではないけれど、グラントリーが子竜に勝手に竜輝石を与えていたことは秘密だそうだ。
「私はひどく叱られたけれど、美談として伝わっているならそのほうがかっこいいだろう」
そんな理由に、アリーシアは固くなっていた体の緊張が緩み、思わず口元に笑みがこぼれた。
「叱られはしたけれど、親の聖竜はとても感謝してくれた。それに大人たちが気がついた時は、子竜たちは大きくなってしまって手は出せないし、私には懐いているしで大騒ぎだったよ」
さらりと言うが、そこから竜に乗るようになり、また商売を始めるのにどれだけのことがあったのだろう。アリーシアは改めてグラントリーのことを尊敬の目で見るのだった。
一番懐いていて、一番賢いのがショコラだそうだ。ショコラとは南の国の茶色い飲み物の名前らしい。
「ショコラだけかと思ったが、他の竜もアリーシアのことが好きなようだ。不思議だな」
アリーシアも不思議であるが、おかげで憧れの竜の近くに寄れるのでありがたいことだと思う。
だが、それを快く思わない者もいる。
「婚約者だか何だか知らないが、いい気になってちょろちょろするなよ。お前のような、竜が見たいっていう奴のせいでグラントリー様は怪我をしたんだからな」
竜使の候補だと紹介された少年が、アリーシアにすれちがいざまにぼそりと言い捨てていった。
「俺たちはグラントリー様の仮面の下を見ることが許されているんだぞ」
もちろん、グラントリーには聞こえないようにだ。
確かにアリーシアはグラントリーの仮面の下を見たことがない。だがそのことで竜使の少年が威張るのもよくわからなかった。グラントリーがアリーシアに見せたくないのなら見せないだけの話だ。それのどこに競うような理由があるのか。
とはいえ、理不尽な八つ当たりはバーノン家で慣れていたので、アリーシアはうつむくことで自分を守った。言い返しても叱られる、黙っていても叱られるなら、無駄なことをする必要はない。
「アリーシア! おいで」
「はい」
それでも悪意は気持ちのいいものではない。アリーシアは急いでグラントリーの元に追いついた。
この一カ月、まずはシングレア家の生活に慣れましょうとエズメに言われ、アリーシアは今までとは全然違う日常を過ごしていた。
「事務所で働くのはもう少し体力がついてからですよ」
というエズメに、
「大丈夫です。朝から晩まで働いていましたから」
と返しても、絶対頷いてはもらえなかった。こんなに何もしなくてもいいのかと別の意味で不安になりながらも、アリーシアは初めてのんびりと時間を過ごすということを経験し、ふわふわと地に足のつかない生活をしている。
まず、早起きしても、時間が来るまでは部屋から出てはいけないと言い含められている。部屋から出ると働いてしまうからだそうだ。
「目を覚ましても起き上がってはいけません。ベッドで横になっているのですよ」
なぜ横になっていなければならないのかわからなかったが、そのうちお屋敷の図書室を使ってもいいということになると、部屋に本を持ち込めるようになり、朝のベッドの時間は読書の時間に変わった。だが、それもエズメに制限されている。
「どうやらアリーシア様も本に夢中になって時間を忘れるタイプですね。本のせいで寝る時間が減る人もいるんですよ。それはいけません。夜更かししないように、早起きして本を読まないように。エズメには経験がありますからね」
そう言って外のほうを見たエズメはきっとグラントリーのことを思い浮かべていたに違いない。本を読みたいアリーシアが悲しい顔をすると、エズメはにっこり笑った。
「ただし、決まった時間からなら読んでも構いませんよ」
要はゆっくり休み時間を確保すれば読んでもいいらしい。
朝と昼は使用人の誰かと一緒に食べ、おしゃべりを聞く。ゆっくりでいいから自分で服を選び、着つけてもらう。二日目、同じ服を着ようとしたらエズメに悲しい顔をされ、それならエズメの言う通りの服を着ようと思ったら、首を横に振られた。
「アリーシア様がご自分で選ぶのですよ。まず鏡をちゃんと見ましょう。アリーシア様はご自分のどこがお好きですか」
アリーシアはめったに見たことのない鏡に映る自分をおずおずと眺めた。痩せっぽちの自分。まっすぐな黒髪に目ばかり大きくて、バランスの悪い顔。思わず鏡から目を離してうつむいてしまう。でも、エズメは辛抱強くアリーシアのことを待っている。アリーシアはちゃんと現実を見ようともう一度鏡に向かった。エズメが聞いていたのは、アリーシアがどうみすぼらしいかではない。どこが好きかと聞いたのだ。
「お母様にそっくりの緑の目と、お母様がお父様にそっくりだから大好きと言っていた、まっすぐな黒い髪」
「アリーシア様はそこがお好きなのですね」
アリーシアはこっくりと頷いた。エズメはアリーシアの隣に立って鏡を覗き込んだ。
「こうしてみるとエズメも少しやせたほうがいいかしら。でもふっくらとして優しそうで、エズメもなかなかたいしたものです」
エズメは自分で自分を褒めると、楽しそうにホホホと笑った。
「アリーシア様の緑の瞳も黒い髪もそれはそれは素敵ですよ。それに透き通るような肌に、姿勢がよくてすらりと伸びた手足。さて、この素敵なお嬢さんに似合う服はどれかしら」
エズメの持ってくる服はどれも華やかな色で、アリーシアは気後れしてしまいそうになる。
「似合うかどうかだけではなくて、今日の気分で選んでもいいんですよ。晴れているから水色」
エズメは窓の外を見て肩をすくめた。空は晴れてはいなかったからだ。
「晴れていませんね。ではグラントリー様の目の色だから着るでもいいんですよ。でなければ、今にも雪が降りそうな重い空だから、気分を明るくするためのオレンジも素敵。オレンジはセイクタッドの特産ですね」
飛竜便でもよく注文にあった果物だ。アリーシアはそっとオレンジの服に手を伸ばした。グラントリーの目の色と言われると、水色を着るのは少し気後れする。
「では今日はオレンジにしましょう。ジョージがデザートにオレンジを出してくれるかもしれませんよ」
アリーシアの口に甘酸っぱいイメージが広がる。エズメの言う通り料理人のジョージはオレンジを出してくれて、そこからオレンジのドレスはアリーシアのお気に入りになった。
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