不思議な少女
その日の夜、お昼寝したにもかかわらずアリーシアがあっという間に眠りについた後、グラントリーの部屋にはヨハンとエズメが集まっていた。
「坊ちゃま」
「エズメ。私にも婚約者ができたんだ。坊ちゃまはやめてくれてもいいと思うが」
「坊ちゃま」
グラントリーはあきらめて肩をすくめた。
「さて、婚約者殿は今日はどうだったのかな」
たった半日だから、どうもこうもないとは思っている。そもそも自分だって夕食を共にしたくらいしかアリーシアとは接していない。怖がりもせず素直に話を聞く女の子は久しぶりで、グラントリーも素直に楽しかったことは確かだ。
「とりあえず10ヶ月後のデビューに向けて、どういう準備をしていくかだが」
「安心いたしましたよ。いたいけな少女とすぐに結婚などと言い出したらどうしようかと思いました」
ヨハンがほっと息をつくが、さすがにグラントリーも15歳とはとても思えないやせこけた少女と結婚しようとは思えない。
「あの子を守るためならすぐにでも籍を入れたほうがいいのはわかるが、せっかく実家を離れられたのだから、普通の少女の生活もしてみたらいいと思ってはいるんだ」
「その間もうしばらく自由な独身生活を送れるからですかね、グラン坊ちゃま」
家令が手厳しい。
「今調査をさせているが、どうやら使用人のような生活を強いられていたようだから、しばらくゆっくりさせてから令嬢教育をと思うんだが」
どうだろうかとエズメとヨハンのほうを見た。
「それなんですが坊ちゃま」
いちいち坊ちゃまをつけるのはやめてもらいたいグラントリーである。
「昼から今日一日、私が一緒にいましたけれど、まず坊ちゃまに聞きたいことがあります。アリーシア様と夕食を共にされていかがでしたか」
エズメの真面目な顔に驚いたが、グラントリーは思ったことをそのまま口にした。
「いかがって言われても、普通に楽しかったよ。向こうから話すことはほとんどなかったが、私の話を楽しそうに聞いてくれて。小食のようだが、おいしそうに食べていたよ」
「やはりそうでしたか」
エズメの言葉にグラントリーは今の話の何がやはりなのかと疑問に思う。
「もしアリーシア様が、見たままのみすぼらしい格好のままの育ちだとしたら、それではおかしいんです」
「おかしいとは」
エズメは真面目な表情を崩さず、一つ一つ丁寧に説明してくれた。
「坊ちゃまが出かけてから、とにかく何か食べさせなくてはと厨房に連れて行ったんです。いきなり広い食堂で一人で食事ではかえって緊張すると思いましてね。朝から何も食べていないと言っていたし、あの痩せ方から見て、日常的に食事量が足りていないのも確かですし。まずはなんとかして肉をつけさせませんと」
「エズメ。話がずれているよ」
ヨハンが冷静に指摘した。
「あら申し訳ありません。料理人が急いで揃えてくれたありあわせの食事でしたが、おなかがすいているはずなのに、本当にきれいな作法で食事をするんです。驚きました」
「そういえば、私と二人、対面して食べてもごく普通の貴族令嬢と何も変わらなかったな。そうか」
グラントリーはエズメが何を言いたいのかようやっと理解した。
「みすぼらしくても、粗野なところが一つもない。静かにゆったりと動くし、食事作法もきれいだ。あまりに自然で、おかしいと思わなかったのか」
「そうです。むしろ、時々はっとして動きが早くなったり、おどおどした態度になったりするのは、そうしないと叱られてきたからではないでしょうか」
だが、そうだとするとおかしいことになる。アリーシアは家の外でできた子で、父親にも義母にも疎まれていた。
「アリーシアは、アルトロフ語の翻訳ができるんだよ。初めて見たのは三年ほど前だ。飛竜便で臨時の仕事をしていたんだ」
「坊ちゃま」
今度のあきれたような坊ちゃまはヨハンだ。
「アルトロフとは北の国。飛竜便では時々行き来があるとはいえ、うちの国とはほとんど交流がないはずです。それなのに、アルトロフ語を理解し、しかも読み書きまでできる子どもなど、貴族にもおりませんよ。おかしいとは思わなかったのですか」
「すまん。今初めて気がついた」
ライナーによると、当時は貴族の囲われ者の娘ということしか知らなかったという。事情があるだろうからと掘り下げなかったが、今考えてみると母がアルトロフ出身、しかも読み書きを娘に教えられるくらいの教養があるというのは、確かに珍しい。
「これは本腰を入れて調査をしないといけないか」
「それがようございます」
ヨハンがほっと安心したように息を吐いた。グラントリーは今日一日のアリーシアのことを頭に思い浮かべた。訳あってこの家に来た不憫な娘だ。
「縁があってうちに来た子だ。普通の15歳の少女がやることは一通りやらせてあげたいと思う。妹がいたらこんな感じだろうか」
冗談で婚約者殿と呼んでいるが、グラントリーはアリーシアのことはまだ婚約者とは思えないのだった。
「ほほほ」
エズメがおかしそうに笑った。
「いつまでそんなことを言っていられるやら。この年頃の娘の成長を侮ってはなりませんよ」
あの細い娘が成長すると言われても、全く想像できないグラントリーであった。
グラントリーはアリーシアの身辺調査をする。そしてヨハンとエズメは、アリーシアが落ち着いたらデビューに向けての準備を始める。そういうことで話はまとまった。
「でもまずは、ご飯をちゃんと食べさせないといけません」
エズメの言葉にヨハンもグラントリーも深く頷いたのだった。




