お屋敷の人たち
コミックシーモアさんでコミカライズ始まっています。
アリーシアもグラントリーも素敵なのでぜひ読みに行ってみてください!
アリーシアはグラントリーとライナーが出ていった扉を心細そうに見つめた。
「さあさあ、そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫ですよ。とりあえず着替え……はもしかして」
エズメがアリーシアの後ろを何か隠していないか確かめるようにのぞきこんだが、アリーシアは本当に本以外、身一つで来てしまったので、他に何も持っていないことを申し訳なく思った。
「あの、本当は着替えが一組あったんですが、置いてきてしまいました」
「まあまあ、そんなことを申し訳なく思う必要はないんですよ。お部屋にご案内する前に、まず温かい物を食べましょうね」
エズメがそう言った途端、他の使用人はそれぞれの仕事に戻っていった。
「お部屋にお持ちしてもいいんですけどねえ、台所も見てみたいでしょうし」
絶え間なくゆっくりと話しかけられると、おとぎ話の魔法をかけられているように言うことを聞かなければという思いになる。
広い台所に連れていかれると、厨房にいたいかつい料理人がアリーシアを上から下まで見て眉を上げ、あちこちから食べ物を集めて皿にのせると、ぐつぐつ煮立つ鍋からスープを一杯よそってくれた。
「こんなには」
「食べられないんですよね。わかりますとも。さあ、スープが飲み頃になるまで、食べられるだけ食べましょう。なあに、残したって誰かが食べますから」
その言葉にほっとするとスープの匂いが気になり始め、アリーシアは自分がおなかをすかせていることにやっと気づいたのだった。
並べられたハムやテリーヌを味わい、すっぱいピクルスに頬をきゅっとさせる。そうこうしているうちに少し冷めたスープをすくって口に入れると、ミルクと芋の優しい味がした。
「おいしい」
「おいしいですねえ。ほんとですよ。うちの料理人はおしゃれな料理はできないんですけどね、こうじんわりと味わい深い料理を作るんですよ」
「おしゃれな料理だって作れる」
料理人の一言にアリーシアはクスッと笑った。それからエズメに招かれるままに二階に上がり、広い部屋に通され、いつの間にかコートを脱がされると、ベッドの上でふかふかの布団にくるまれていた。
「あ、あの」
「今日は早起きだったんじゃないですか」
「は、はい」
「それならちょっとだけ横になりましょうか」
そう言われてももう横になっているのだけれど、と思うアリーシアだったが、おなかの底からぽかぽかとして、いつの間にか眠ってしまっていた。
ふと目を覚ますと、部屋は既に薄暗くなっていた。一瞬朝かなと思ったアリーシアは、はっとして起き上がった。仕事もせずにお昼寝をしてしまうなんて、こんなこと知られたら叱られてしまうと思いながら。ドキドキする心臓を持て余しながら周りを見ると、見知らぬ広い部屋でふかふかの布団にくるまれている自分がいる。
「そうだ、私。ライナーさんに連れられて」
そして飛竜便の若のグラントリーに会ったのだ。
「ここは、グラントリー様の屋敷。そして覚えておくことは二つ」
アリーシアは枕元にちゃんと置かれていた北の国の本をそっと抱えて、グラントリーに言われたことを思い返した。
「一つ。二度と、あの家には、帰らない」
帰らなくていいということがアリーシアの心臓をいくらか落ち着かせてくれた。そして帰らなくていい理由が二つ目だ。
「私は、あなたの、婚約者です」
だがこちらはピンとこない。グラントリーの顔を思い浮かべても、八つも年上の人と自分がいつか結婚するということが現実的ではない。というかそもそも生きていくだけで精一杯だったアリーシアには、自分に母のような、あるいはジェニファーのような将来があるとは想像もできなかった。
「それならせめて、グラントリー様の邪魔にならないよう、少しでもお役に立つよう、努力していくしかない。私に何ができるかな」
屋敷は広いのに、使用人は少ないようだった。叱られずにすんで、ご飯がちゃんと食べられるなら、働くのは嫌いではない。
「よし、頑張ろう」
ぎゅっと本を抱きしめた時、とんとんとドアを叩く音がした。
「おや、起きていらっしゃいましたか。ああ、少し顔色がいいですね」
エズメが何かを山のように抱えながらドアから入ってきた。アリーシアは本をそっと枕元に置くと、するりとベッドを抜け出した。
「そんなにたくさん。お手伝いします」
「いいんですよ。これが仕事ですからねえ。それじゃ、一緒にしまいましょうねえ」
エズメが持ってきたのはたくさんの服だった。
「あとであつらえることにして、とりあえず体に合いそうなものを急いで用意しましたよ。きっとすぐ大きくなって服も合わなくなるでしょうから、少しずつですけどね」
「あの、もう15歳なのでたぶん大きくはならないかと思います」
「まあ、見ててごらんなさいな」
アリーシアには取り合わず、エズメはベッドに持ってきた服を広げた。赤やオレンジ、それに水色など色とりどりの服に驚いた。今まではくすんだ茶色やベージュ、緑といった服しか持っていなかったからだ。
「ええと、これ」
「アリーシア様の服ですよ」
「でも」
「遠慮してはいけませんよ。坊ちゃまと並んで見劣りがするようでは、婚約者としてのお仕事になりませんからね」
アリーシアはハッとした。そうだ、婚約者でいることもお仕事なのだ。
「やはり年頃の侯爵家次男で、自らも伯爵である坊ちゃまですからね。しかもお金持ちときたら、財産狙いの方もいるんですよ。それに周りが早く結婚しろとうるさくて」
そういうものなのかとアリーシアは素直に頷いた。
「だから、アリーシア様が盾となって、もう結婚相手を探す必要がないのだと示せば、坊ちゃまはとても楽になるというわけなんですよ」
「はい」
それならアリーシアはいるだけでも役に立っていることになる。
「そのためにも、きれいな服を着ることも大事なんですよ。それからご飯をもっと食べて、もう少し太って大人っぽくなりましょう」
アリーシアは自分の発育の悪い体を見下ろした。確かにハリエットやジェニファーに比べると迫力に欠ける。
「頑張ります」
「その調子ですよ。じゃあ、今日は明るいこの色を着ましょうね」
エズメは白いふんわりしたブラウスに、落ち着いた赤のオーバースカートを用意した。もう夜なのにと思ったが、ジェニファーがしょっちゅう着替えていたのを思い出して、ちゃんと着替え、残りの服をクローゼットに納める手伝いをした。
鳥の雛のようにエズメについて回るアリーシアを屋敷の使用人が温かい目で見守っていたが、やがてグラントリーが戻ってくると、屋敷は一気に明るくなったような気がした。
「婚約者殿はよく休めたかな。おや、顔色がよくなったね」
「はい。ご飯を食べて、お昼寝させてもらって」
「赤い服も緑の目に似合うね。まるで夏の花のようだよ」
花というたとえにアリーシアがただ微笑んでいると、グラントリーが困った顔をした。
「昔はこれで結構ころっと落ちたんだけどな」
「坊ちゃま。調子が戻りすぎです」
そして通りがかったヨハンに叱られており、アリーシアはなぜ叱られたのかと首を傾げるのだった。
約束通り、一緒に夕食をとってくれたグラントリーは、竜に乗って訪れた国の話をぽつぽつとしてくれて、アリーシアはその話に夢中になった。
「ほら、手が止まっているよ。君がご飯を食べないと私がエズメに叱られてしまう。話は逃げて行かないから、ご飯をお食べ」
「はい。あ、お野菜がお花の形になっています」
メインの食事を運んできた料理人が得意そうな顔をする。
「俺だってしゃれた料理くらい作れますからね」
「何で急にそんなことを」
あきれたグラントリーにふんと鼻で返事をして料理人は厨房に戻っていった。グラントリーも知らないことをお屋敷の使用人と共有できていることが、なんとなく嬉しいアリーシアである。
グラントリーはそんなアリーシアに、こんな話をした。
「できるだけ一緒に食事はとりたいけど、飛竜便の関係で月に半分以上は屋敷を留守にしてしまうんだ。そこは大丈夫かな」
「はい。皆さん優しくしてくれますから」
「それならよかった」
こんなによいことがたくさんあっても、今日一日はまだ終わっていない。そして終わらないでほしいと思う日ができたことをアリーシアはただただありがたいと思った。




