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婚約を解消したい最強聖女と無理矢理封印を解かれた魔王の話【コミカライズ】

作者: 皐月めい

 





「俺が言うのもなんなんだけどさあ……怪しいものに悪戯しちゃいけないよ」



 聖女の森。

 聖なる力が色濃く残るその場所で、黒いモヤモヤとしたものがそう言いました。


 視線はわたくしと、先ほどわたくしが真っ二つに割った邪悪な見た目の像とを行き来しています。


 綺麗に割れたそれを悲しげに見つめながら、そのモヤモヤが首……と言って良いのでしょうか、首と思わしき箇所をやれやれと振っています。


「聖女の結界張ってある場所にこんな禍々しいもの置いてあったら、普通近づかないでしょ? それを君……割るなんて。触れた瞬間命奪われる呪いとか、世の中には全然あるからね。二度とこんなことしちゃいけないよ」


 真っ黒い霧が濃く集まったかのようなモヤモヤは、表情こそはありませんが、声音から真剣に注意してくださっていることがわかります。


 わたくしが「はい」と頷くと、彼は少しため息を吐き、悲しげな声で「今回は俺の家だったからいいけどさ……」と呟き、再び視線を割れた像に向けました。



「いやよくないよ……真っ二つだよ……」


「本当に……申し訳ありません」


 まさか魔王様を封印している像の内部がお屋敷になっているとは思わず、大変なことをしてしまいました。


 黒いモヤモヤ……いえ、魔王様は大変しょんぼりしたご様子で「せっかく奮発して高いソーセージ入れたポトフ仕込んでたのにさあ……俺の貴重なショウエッセン……」と呟いています。


「本当に申しわけありません……まさか封印先があなたさまのお家になっているとは露知らず、つい気分が高揚して乱暴に封印を叩き解いてしまいました」


 申し訳なくなって縮こまりながら、私は頭を下げました。


「聖女エウレカの名にかけて、ショウエッセンとお家は必ずや補償させていただきますわ」


「……エウレカ?」


 魔王様がゆら、と揺れてわたくしに目を向けます。

 そのまっすぐな視線に射抜かれて、わたくしは胸に当てた手をぎゅっと握りながら答えました。


「ええ。わたくしは聖女エウレカの血をひく、カスティーヤ公爵家の次女。セルヴィと申します」


「……!」


 その瞬間黒いモヤはごおおっと大きくなり、魔王様が心なしか威厳のある雰囲気をお出しになりました。


「聖女エウレカの血を引く者よ。我に何用だ」


 唐突なキャラクターの変わりように、思わず目が丸くなりました。

 それを恐怖と取ったのか、魔王様が心配そうにおろ……と揺れます。


「ここであったが百年目!……と言いたいところだが、く、口惜しいことよ。人間どもに苦しみを与える絶好の機会だというのに、聖剣によって力を奪われているゆえ、我には何もできぬ。仕方ない。力満ちるまで我はもう一度眠ってやる。おい聖女、もう一度封印を……」


「聖剣はここに。この宝石を割ればあなた様のお力は戻るでしょう」


「なんで!?」


 魔王様のお体でも聖剣に触れるよう、聖力を消すため瘴気漂う沼の水に三日漬け込み、じゃぶじゃぶと洗った聖剣を差し出すと、魔王様は大変驚かれたご様子でぶるぶると揺れました。


「エウレカの子孫だよな!? なんで俺を!?」


「あなたさまのお力を借りて、ぎゃふんと言わせてやりたい人間がいるのです。どうかお力をお貸し頂きたく」


「ぎゃふん……!?」


 魔王様が混乱したご様子でひゅん、と細長く伸びました。


「え、何……? 一体誰に何を……?」


 その質問に、脳裏に「セルヴィ。幼い頃より共に頑張ってきた君と共に、より良い国を作っていきたい」と切なさを押し殺した表情で綺麗事をのたまうアラン殿下の顔が浮かびました。


 握りしめた手元の聖剣がギチギチと音を立てます。ぽつりと「怖」と呟く声も聞こえました。


「お相手は、わたくしの婚約者であるこの国の王太子、アラン殿下でございます。明日の卒業パーティーでこちらから婚約破棄を突きつけ、ぎゃふんと言わせてやりたいのですわ!」



 ◇◇




 まずは、我が家の歴史からご説明を。


 四百年前、我が国……いえ、この大陸には獰猛な魔物が蔓延り、人々は恐怖に怯える日々を送っていました。


 そこで立ち上がったのが、勇者エルヴィスと、我がカスティーヤ公爵家の祖である聖女エウレカです。

 神より祝福を授かった二人は、魔物の長である魔王を討伐に行きました。


 激しい死闘の末に勇者エルヴィスは命と引き換えに聖剣に魔王の力を封じ、聖女エウレカは魔王の体を封印いたしました。


 魔王を封印した功績を讃えられ、エウレカは公爵位と魔王が封印されし土地を賜りました。

 生涯、いや、子々孫々に至るまで魔王の復活を阻止し、さらに復活した場合は即座に封印するようにと命じられて。


 それゆえにカスティーヤ公爵の直系は、魔王を封印する技と、それから封印を解く方法もあわせて伝授されているのです。



「……つまり君、自分の家の役割わかってて私怨のために魔王の封印解いたの?」


 魔王様が呆れ果てたように右手……手なのでしょうか、形作られた細長いモヤモヤが、額と思わしき部分を抑えています。


「その私怨でさ、魔王が世界を滅ぼすことになるかもしれないとは考えなかった?」


「はい。全く思いませんでした」


「考えなさい! とんでもないな君は! 世界を何だと思ってるんだ!」


 魔王様が憤るかのようにビョインビョインと跳ねました。大変お怒りのようです。


 しかし誤解しておられます。わたくしは考えが足りないわけではありません。



「そうは言っても、今の魔王様に世界を滅ぼせるとは思いませんし……」


「は? 本気を出せば三秒だが?」


「まあ、ご冗談を」


 魔王ジョークにふふふと笑いながら、私は大丈夫な理由を告げました。


「ご安心くださいませ。我がカスティーヤ公爵家は、魔王の復活阻止のため、そして復活した際の対戦のため。日夜体も精神も聖力も腕力も鍛えに鍛えて参りました」


「鍛えに鍛えた末裔がこれとは嘆かわしいよ」


 ぼそりと呟く魔王様の声は、さっくりと無視をします。


「そしてわたくしは、そのカスティーヤ公爵家の中でも歴代最強の戦闘力と聖力を持つと自負しております。昨日女神とも交信しましたが、彼女が仰るにはわたくしは全盛期の魔王様よりはるかに強いと。いわんや千年封印された魔王様など、蟻の子にも等しい存在」


「え」


「もしもあなた様が何か悪さをしようとしたら、一振りでこの剣の錆にしてみせましてよ」


 地面にグサリ、と聖剣を突き刺してみせると、魔王様は「ひゅ……」と声を出し、心なしか小さくなりました。



「そんなことよりも、話は明日の卒業パーティーのことですわ」

「……ええと。ちょっと待って。動機をもう少し説明して」


 魔王様が今度は両手で頭をお抱えになります。


「つまり、君の幼い頃からの婚約者である王太子が、クラスメイトのレベッカなるピュア可愛い平民女子に惚れてしまったということだよな」


「ええ。本人は隠しているようですし、実際誰も気づいてはいないのですが、わたくしから見たらバレバレですわ。それはもう、見ているこちらが歯痒くなるくらいお互いを思い合っている様子なのです……なのに、なのに殿下ときたら!」


 思い出して、屈辱で体が震えます。

 そんなわたくしの様子に、魔王様は「まあ辛かろうな」と神妙な雰囲気で頷いていました。


「ええ! このわたくしをなんだと思っていらっしゃるのか!」


「うん。婚約者殿もさぞ気苦労が多かったと思うが、浮気は最低だ」


 大きく頷く魔王様は、恋愛関係は割と潔癖な価値観をお持ちのようです。

 好ましいことだと思いながら、わたくしは首を振りました。


「いいえ。殿下があちこちに浮気するような品性下劣野郎でしたら他の女性のためにも叩きのめしておしまいですけれど、殿下のそれは浮気ではないのです」


「ああ、あれか。運命の愛とか真実の愛とか言うよくある……」


「ええ、そうですの。ようやく真実の愛に出会えたようですのに、殿下ときたら……!」


「え?」


 魔王様が首を傾げ、わたくしをまじまじと見つめました。


「わたくしが、レベッカ嬢を愛しておられるのなら婚約を解消して告白なさったらいかがですか、と協力を申し上げたところ、『……まさか。僕に愛する人などいないよ』『例えいたとしても、幼き頃より共に帝王学を学んできたセラヴィに、不実な真似は誓ってしない』と仰ったのです」


「…………?」


「そうして殿下は切なそうな目を空に向け、切なげな眼差しで『僕は王太子だ……』と呟かれたのです。完全に……完全に劇場でしたわ……!」


 わたくしはすうっと大きく息を吐きました。


「わたくしを障害物扱いするなんて良い度胸ですわ!」


「そっち?」


「というかこちらこそ、高潔ポエムを詠むような男などごめんですのよ!」


 そもそもですけれど、この婚約は国王陛下と王妃殿下が盛り上がっていただけなのです。間に友情しか存在しないわたくし達は、あの『約束』を守るために然るべきタイミングで婚約を解消するものだとばかり思っておりました。


 手元の剣をぎちぎちと握り締めます。魔王様が「宝石! 宝石はやめて!」と焦った声を出しています。



「まったく、殿下は頑固者ですわ!」


 わたくしはぷんすかと拳を握りました。


「何の問題もございませんのに!」


「いやあるだろう」


 冷静な魔王様の言葉に、わたくしは「ありませんわ」と首を振りました。


「自由恋愛が叫ばれる昨今、民の間でも『王族だって人間だ』と人権意識が高まっております。この世論を逆手に取り、私との婚約を解消してレベッカ嬢と結婚なさっても何の問題もないと、むしろ王家の好感度を上げてみせましょうと再三進言致しましたのよ! カスティーヤ公爵家ならばパパラッチを意のままに働かせ、世論を誘導することなど簡単なことですから」


「………………ええと、突っ込みは置いといて。王太子殿下は、まあ、そこに関しては正しいんじゃないか。賢い王は恋愛感情で物事を決めたりしないだろう? まあ君が王妃になるのは正直どうかと思うが」


「確かに無能に国王は務まらないでしょうが、賢王である必要はございませんわ」


 国王中心の専制政治であれば、確かに賢王が求められるでしょうけれども……。


「今や我が国では王の一存だけで決められることって、とても少ないのです。貴族の力も強いですし、何か新しいことを成し得たいと思えば、議会に法案を提出し王を含む多数決で取り入れます」


 それに民衆の発言力も高まっている昨今、王の権力というものは意外や意外、大きいものではないのです。


「何より正しき道を歩み続ける力強きカスティーヤ公爵家であれば、目に余る愚王の首を刎ねるくらい造作もないこと。カスティーヤ公爵家がこの国にある限り、誰がその座につこうとおかしな政治が起こることなどありませんわ」


「発想の血生臭さが独裁者なんだよなあ……」


「というわけで、魔王様には明日の卒業パーティーで、少々ド派手な演技をお願いしたいのです」


「どういうわけか知らないけど、絶対に嫌だ……」


 魔王様が、おそらくしぶい表情をなさいました。


「魔王の力は、開放してほしくない。だけどこんな黒いモヤモヤがド派手に飛び込んで魔王だと叫んだところで寒い目で見られるだけだし……俺は割とガチなレベルの不死属性を持ってるから、下手に人間に捕まって永遠に拷問コースが決定しても嫌だし……」


 先ほど世界を三秒で滅ぼせるといった舌の根も乾かぬうちに、魔王様がしょぼしょぼと身を縮めました。


 わたくしは聖女らしい慈愛に満ちた笑みを浮かべ、「ご心配なく」と力強く言います。


「そんなもの、全部わたくしが解決してあげましてよ。あなた様が魔王の力を開放したくないと言うのなら、聖力でちょちょいと魔王っぽい見た目を作って差し上げますし、何なら魔力を模した聖力も分け与えてそれっぽい演出ができるように致しますわ」


「君本当は聖女じゃなくて悪魔でしょ?」


 魔王様がぶつぶつと「そんな聖力聞いたことないよ。そのうちお前の願いを叶えてやろうとか言いそうで怖いよ……」と呟いています。


「ええ、もちろん。お礼として、あなた様の本当の願いを叶えてさしあげますわ」


「うわ、ほんとに言った! だけど俺の願いは、君には絶対――……」


「見くびらないでくださいませ。わたくし、歴代最強の聖女ですのよ」


「え?」


 顔を伏せた魔王様が顔を上げます。わたくしはその魔王様ににっこりと微笑みました。


「わたくしなら、あなた様の願いを叶えられます。――あなた様の永遠の命を、わたくしが終わらせることを約束致しますわ」


「………………」


 魔王様がわたくしの目を見つめます。

 そのまま長い沈黙の果てに、ぽつりと呟きました。


「ちょっと違う……」


 そう言いつつも魔王様は、苦渋の末に頷きました。





 ◇



「セルヴィ。白のドレスなんて珍しいね」


 そう微笑むアラン殿下に、「ええ。今日は、大事な日ですから」と微笑んだ。


 今日わたくしは銀色の髪を結い上げて、真っ白なドレスに着替えていました。頭には純潔を表す白百合の生花を飾って準備万端です。


「セルヴィが、卒業パーティーでそんなに気負うなんてね」


 そう微笑むアラン殿下は、不自然なほどに会場の右側をご覧になりません。


 なんとわかりやすすぎるのでしょうか、とちょっと呆れながらそちらに目を向けると、やはりそこには愛らしい水色のドレスに身を包んだレベッカ様が、ご友人と談笑しているようでした。


 彼女は男性のパートナーはいないようですが、彼女も殿下には視線を向けないようにしてらっしゃるようです。



「全くもう、こんなの悪役令嬢気分ですわ」


「え? 何か言った?」


「何でもありませんわ。殿下ったら本当に世話が焼けるんですから。この高潔の皮を被ったヘタレ王太子」


「ひどくないか?」



 ふん、と殿下に白い目を向けながら、私はそっと微かな聖力を空に放って、合図を送りました。

 すぐに大きな音を立てて窓が開き――何故割らない――、漆黒の髪を靡かせる、禍々しくも美しい男の人が現れました。


 黒い羽根が生え、赤い宝石のような目をした彼は――誰が見ても、一目で魔王と思ってしまうお姿でした。


「――我は魔王。四百年の月日を経て、今ここに復活した」


 魔王様が、魔王然とした物々しい声で言いました。昨日私が書いていた台本通りに演じてくれています。

 会場が騒然とします。殿下が鋭い声で、護衛の騎士に「すぐに皆を避難させよ!」と叫びます。


「安心して避難するんだ、こちらには聖女がいる!」

「セルヴィ様なら魔王など一捻りに決まってる!」


 そう口々に言いながら逃げていく皆に目を向け、私は一歩前に進みました。


 そんな私を見つめて、魔王様が「聖女エウレカの血をひくものよ。迎えにきたぞ」と、心なしか棒読みで言いました。


「四百年前に我を封印した愛しき聖女よ我はその美しさと強さに心奪われこうしてそなたを迎えにきた」

「――!」


 魔王様の言葉に、殿下が息を呑みます。しかしすぐにわたくしを隠すように、殿下はさっと前に出ました。

 そんな殿下に一瞬何とも言えない目を向けながら、魔王様はまた覇気のない大声をお出しになります。


「もしも我が花嫁になるのならば未来永劫人間には手出ししないと誓おうさあ我が手をとるがよい聖女よ」

「許すものか!」


 殿下が、焦った声音を出します。

 すぐにカスティーヤ公爵家に応援の依頼を、と指示する殿下に、わたくしは声をかけました。


「――大丈夫です、殿下。私の後ろにいてください」


「っ、セルヴィ。歴代最強の君なら、魔王は倒せるか……!?」


「無理そうですわ」


「……えっ?」


 ものすごい勢いで振り向く殿下に、わたくしは「無理ですわ」と首を振りました。



「本物の魔王の力を舐めていましたわ! わたくしの力では、いいえ、カスティーヤ公爵家の総力をもってしても、血が流れることは避けられそうにありません……! ああ、なんて恐ろしい……!」


 わたくしの迫真の演技に、魔王様が微妙な表情を浮かべながらも「そうだおぬしが拒むのならこのへん一帯を火の海にしてくれる」と言いました。


「そんなことは許せません! わたくしは聖女の血を引く者として、民の一人も傷つけるわけにはいきませんわ……! 仕方ありません、わたくし、あなたの妻になりますわ! 殿下、そういうことですので、どうかお幸せに!」


「よくぞ申した。ささ、帰ろうではないか」


 魔王様はそう言うと、私の側に降り立ちふわっと抱き上げます。


「それでは、聖女は我が貰い受けた」


 そのまま立ち去ろうと殿下に背を向けた時、殿下が私の名前を呼びました。


「セルヴィ!」


 振り向けばアラン殿下が、何かを堪えるような表情でこちらを見ていらっしゃいました。

 ちゃんと意図に気づくのだろうかと心配でしたが、どうやら気づいてくれたようです。


「…………すまない」


 アラン殿下の突然の謝罪に、応戦しようとしていた騎士が困惑しています。その様子を見ながら、アラン殿下は言葉を選びつつ魔王様と私をまっすぐに見つめました。


「しかしこの国にとって……君は絶対に必要な王妃だ。そして僕にとって、君は何より大切な戦友だ。魔王よ、考え直してくれないか。僕は生涯彼女を尊重し、敬い、彼女に恥じない良き王となることを誓う」


 彼の言葉に魔王様が一瞬躊躇い、わたくしの様子を窺います。わたくしが頷くと心得たように、凄まじい殺気を出しました。


 その圧にアラン殿下以外の全ての方が平伏し、顔を上げることすらできません。

 アラン殿下は真っ直ぐこちらを見ています。わたくしは彼をじっと見つめて、口を開きました。


「殿下。幼い頃、春の日に交わした約束を覚えておられますか?」


 困惑した様子の、アラン殿下のお顔を見ます。

 忘れているのだと、そのお顔を見てようやく悟りました。


「――たった一つの願いを忘れても仕方ないほど、ずっと頑張っておられましたものね」


 そう呟きながら、わたくしは幼い頃のことを思い出します。




『僕は、愛する人と結婚したいんだ』

『愛する方と、結婚ですか?』


 その約束を交わしたのは、わたくしと殿下の婚約が決まる一年ほど前のことでしょうか。

 とっくの昔に恋愛結婚を諦めていたわたくしは、その言葉を聞いてひどく驚きました。


 そうか。恋愛結婚――そういう選択肢を、次期主君が掴もうとしているのかと。

 ではわたくしも望んでも良いのだと、初めて気づいたのです。


『僕の両親は、仲が悪いからね。――愛する者同士が家族になれば、きっとさびしくない』


 目を伏せて微笑むアラン殿下の顔は、とても寂しげでした。


『僕は妻となる女性は大切にしたいし、生まれた子どももうんと可愛がりたいんだ』

『それは素敵ですわね』


 本当に素敵だと思いました。好きな人と結婚できたら、どんなに良いでしょうか。


 うっとりと思い人に思いを馳せるわたくしに、殿下はにこにこと口を開きました。


『そうだろう? そのために私は誰よりも頑張らねば。良き王ならば、愛する女性を望むことくらいは許されるだろうから』

『当然ではないですか。だめという方がいたら、わたくしがぶん殴って差し上げますわ!』

『それはだめだよ』


 そう言いながら、アラン殿下は屈託のない満面の笑みを浮かべました。

 金色の髪が風に揺られ、青い瞳が透き通るようにきらめいたことを覚えています。


『だめだけど……約束しよう。私たちはお互い、好きな人と、幸せな結婚をしよう』

『……ええ! その約束、絶対に叶えますわ!』




 幼い頃、わたくしは体力と腕力と聖力しか取り柄がありませんでした。

 そんなわたくしが教育係に叱られるたびに、彼はわたくしを庇い、多忙にもかかわらず時間を作っては莫大な労力をかけて勉強を教え、励ましてくださいました。


 そんな彼が、初めて見つけた恋心です。

 幼い頃のことを思い出しつつ、わたくしは最後に殿下の顔を真っ直ぐに見つめました。


「……わたくしは聖女エウレカの魂を引き継ぐ者。カスティーヤ公爵家の娘として。魔王の妻となり、アラン殿下の愛するこの国が、誰一人幸せを諦めずにすむ国になるよう……祈っておりますわ」


 レベッカ様と殿下はお互いに惹かれあっているにも関わらず、お互いに気持ちを伝えることも、恋心を自覚してからは話すことはおろか、目を合わせることもないようでした。


 自らの幸せを諦めた彼らを見るたびに、昔殿下と交わした約束を、わたくしはどうしても果たして欲しくなったのです。

 彼がその約束を忘れていたとしても。


「さようなら」


 私の言葉を合図に、魔王様が私を連れてふわりと空に飛び上がりました。



 ◇




「さあ、お約束を叶えて差し上げましょう」


 聖女の森に戻り、手に聖剣を持ったわたくしはモヤモヤに戻った魔王様ににっこりと微笑みました。

 魔王様は恐ろしげにぶるぶると揺れています。


「うっ、ちょっと待ってちょっと! やっぱり心残りが腐るほどある! 最後の晩餐も食べてないし、狩猟者×狩猟者の再開に希望が持てた今完結を見届けるまではやっぱり死にきれないような……!」


「往生際が悪いですわ。つべこべ言わずに目を瞑ってくださいな」


「うっ、せめて死ぬ前に一度ショウエッセンが食べたかった……!」


「さあ、お覚悟を。魔王様」


 両手で顔を抑える魔王様に、私はありったけの聖力をぶつけました。

 モヤモヤとした魔王様の体がキラキラと光り始めます。


 輝く猛烈な光であたりが見えなくなったあと。

 金の髪に青い色の目をした、精悍な青年が現れました。


 違和感にそろそろと目を開けた彼は、ご自身の手や体を見下ろし、絶句しました。


「これは……」

「魔王様。……いえ、勇者エルヴィス様。人に戻ったあなたは、もう永遠の命を失いました」


 エルヴィス様がはじかれたように、わたくしの顔を見ました。


「とはいえ便利かと思い、『人間疲れたなあ……』と唱えるだけでいつでも魔王の姿にチェンジ可能なオプションもつけております。なので普通の人間よりは、ちょっと長生きかも」

「なんで余計なオプションをつけちゃったの!? うっかり街中で魔王になっちゃったら阿鼻叫喚だろ!」


 思わず突っ込んだ様子のエルヴィス様は、ハッとしたように首を振り、驚愕の表情を浮かべています。


「な、何で俺が勇者だと……」


「最強聖女ともなると、四百年前の出来事くらい知っていますのよ」


 わたくしは微笑みながら手元の剣に目を落としました。


「あなた様は死闘の末に己の全ての神力を使い、己の力ごと魔王の魂を聖剣に封じ込めた。神力をなくしたあなた様は魔王の最後の攻撃を受けて……その身が魔王化し、不死まで得てしまった。魔王化した人間は、いずれ自我が乗っ取られ身も心も魔王となる。そのため聖女エウレカに自身を封印させた。……そうでしょう?」


「そうだけど……」


「しかし流石勇者ですわね。意思の力で魔王の力を抑え込み、自我を保っていらっしゃる」


 その代償として濃い霧のようなモヤモヤになったのでしょう。それでも不死スキルはあるのですから、エルヴィス様にとってはお辛い時間でしたでしょう。


「もっと早くに解放して差し上げたかったのですが、さすがのわたくしでも魔王化したあなた様を元に戻す力を身に着けるまでに、今日まで時間がかかってしまいましたわ」


 そう言いながら、聖剣を手にします。


 真ん中の怪しく光る赤い宝石にデコピンすると、ピシピシっと音を立てて宝石が割れ、青い光と真っ黒の光がごうごう渦を巻いて出てきました。

 青い光はエルヴィス様の元に吸い込まれていき、黒い光は集まってうごうごとうごめきながら、どんどん大きくなっていきます。


「ちょっ、ばっ――!」

「大丈夫ですわ」


 咄嗟に動いたエルヴィス様を目で制し、私はその真っ黒な光を物理的につかみ、締めあげました。ばたばたと、生き物のように動くその光はやがてくったりと力を失いました。


「魔王だって人間……ではないですけれど、一応幸せを諦めさせてはいけませんよね。とりあえず平和を愛するハッピー主義者になるよう、説得致しましょう」


「まっ……! 待て待て待て! 今一体何をした」


「え? 魔王の残骸を締めあげただけですわ。聖力のなせる技です」


 焦るエルヴィス様に首を傾げると、彼は訳がわからないような顔をしています。


「聖力ってそんな……何でもできる便利グッズじゃないだろう……」

「そう言われましても、この通りできておりますので……」


 愕然としているエルヴィス様を落ち着けるために、わたくしは彼に柔らかい微笑みを向けました。


「細かいことはいいではありませんか」

「果てしなく大きなことだよ」


 そう疲れたように突っ込みつつも、エルヴィス様は一瞬の間を置いて、ご自分の手をもう一度見つめられました。


「…………でも、ありがとう」


 噛み締めるような、小さなお声です。


「俺は人間に戻ることも、死ぬことも。絶対に無理だと思ってた」


 そう呟くエルヴィス様に「どういたしまして」と微笑みながら、わたくしは深く息を吸いました。


 生まれて初めて、緊張しています。思わずもじもじと握る手に力がこもりました。


「あの、エルヴィス様。……わたくし、一応は魔王にかどわかされたことになっておりますの」

「あー……そうだよな。君、この先どうするつもりか考えてた?」


 俺は傭兵か何かになろうかなって思ってるけど……と心配そうな顔を見せるエルヴィス様に、わたくしは「も、もしもエルヴィス様がよろしければ!」と叫びました。


「お、王家の手の者がわたくしを探しにくるとも限りませんし……!? し、しばらく一緒に暮らしていただきたくて」

「一緒に?」

「ご迷惑はおかけしませんわ! わたくし個人の資産はたんまりございますし、ショウエッセンでもソプラノバイエルンでもジョンソンウィルでも、毎日好きなだけご用意致しますわ!」

「ジョンソンウィル……!?」


 エルヴィス様はお顔をぱっと輝かせ、「いいよ」と頷きました。


「いいんですの!?」

「ああ。さすがに四百年も経って、この時代にすぐに順応できるかも不安だったし……俺も君にいてもらったら、助かる。多少の変人はエウレカで慣れてるしな」


 そう言って少し気恥ずかしそうにエルヴィス様が微笑みます。


 ――ああ、この顔が見たかったのです。


 今や女神となったエウレカ様とお話するたびに彼女が見せてくれていた、四百年前と変わらない笑顔です。


 物心ついた時からずっと焦がれていた彼が、今目の前で微笑んでいます。

 激しい動悸と眩暈に耐えるため手をぎゅうっと握っていると、何か誤解したのかエルヴィス様が慌てた様子で口を開きました。


「あ! 大丈夫。俺は男だけど、君に助けてもらった恩もあるし。君、十六歳だっけ? さすがに四百三歳違う子に邪なことはしたりしないよ」

「ちっ」

「ねえ今舌打ちした?」


 というかその魔王大丈夫? と私の手に視線を向けるエルヴィス様が恋愛ごとに疎いだろうことは、エウレカ様のお話から知っています。


 恋心ばかりは、聖力ではどうにもなりません。割と万能な聖力で多少の予知もできますが、自分の恋の行方だけはわからないのです。


(――だけど。わたくしだって、必ず約束を果たしてみせますわ)


 そう心の中で誓って深く息を吸いながら、わたくしはずっと憧れていたエルヴィス様に手を伸ばそうとして、やっぱりやめました。


(……殿下のことをヘタレだなんて、言えませんわね)


 そう思いながら、わたくしの手の中にいる魔王に「おい、大丈夫か?」と声をかけるエルヴィス様を、ずっと見つめておりました。





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― 新着の感想 ―
[一言] あーもう少し読みたいです〜。 エルヴィスとセルヴィと魔王のその後が…。  おもしろかったです!
[良い点] 聖女様は力こそパワーな人だし元勇者君はピュアでチョロいから、落とされるのはすぐでしょう。 キュッとされた魔王は下僕とかペット的ななにかになるのでしょうか。 [一言] ジョンソン○ィルは私…
[一言] 聖女も元勇者もカワイイ! 王太子は…またポエム作ってそうですが(笑)、聖女の気持ちがちゃんと伝わって幸せになってくれるといいな、と思います。 とっても面白かったし満足感はあるのですが、聖女と…
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