幕間 ネアンデルタール人・宝百合の独白
わたくしは何のために生きているのでしょうか。
果てない疑問が心に浮かび、今は昔の情景を脳裏に蘇らせるのです。
都心からはかなり離れた、辺鄙な田舎。
自然豊かと言えば聞こえはいいですが、要するに何もないということです。
誰もが貧しい地域で、わたくしの家族もその例外ではありませんでした。
家業は海藻の佃煮製造。
決して大儲けできる仕事ではありませんが、日銭を稼ぐ生活の中に、確かに幸せがありました。
わたくしは物心つく前から、そのお手伝いをしておりました。
例えば、市場で仕入れた海藻を家まで運んだり、佃煮の製造中に材料を運んだり、完成した佃煮を配送業者のところまで運んだり、といった内容です。
幼少のわたくしに過酷な肉体労働が勤まるはずがありません。
作業はすべて魔法で行っておりました。
幼いながらも、わたくしにはある程度のおっp……いえ、魔力がございましたから。
こうした日々がわたくしの得意とする浮遊魔法を磨いたのだと、今ではそう思えます。
「よく働くいい子だよ」
自分で言うのもなんですが、わたくしの近所での評判は上々でした。
文句も言わず働く孝行娘。
おまけに勉強もでき、魔法に優れ、容姿も美しk……コホン。
そんなわたくしを両親は大層かわいがってくれました。
「お前がいてくれるだけで、仕事の疲れが吹っ飛ぶよ」
「本当。あなたのおかげで、お母さんもお父さんも助かってるのよ」
誰かのために働くことはいいことだ。
わたくしはますます放課後の労働に精を出すようになりました。
ですが、ある日、
「たまにはお友達と遊んでおいで」
珍しく、親から休暇を与えられました。
滅多にないことですが、遊び盛りの年頃、学友とともに遊ぶのはこの上なき楽しみでした。
ですが……
「もう帰らなきゃ」
なんだかいけないことをしている気がして、急に帰宅をしたのです。
あるいは不意に手にした自由を持て余しただけかもしれません。
この偶然の選択がわたくしの人生を大きく変えることになったのです。
家に帰ってすぐ目にしたのは、床に倒れている母の姿。
必死で呼びかけましたが返事はありません。
父は仕事で不在。
隣近所の方々に助けも求めましたが、彼らに医療の知識はありませんし、この田舎に病院はありません。
救急車が到着するまでにかなりの時間がかかりました。
わたくしの治癒魔法では、母の痛みをわずかに和らげるだけで精一杯でした。
母は重病だと診断されました。
結局、隣町の小さな病院で診てもらったのですが、町医者にも容易に病名を判別できるほど、病状は進行しておりました。
治療はできません。
治療の難易度ではなく、金額が問題なのです。
我が家は貧しいため、治療費は出せませんし、あらゆる病気を快癒すると評判の水製都市に旅行することもできません。
一日でも仕事を休めば、今日を生きることさえできなくなるのです。
優しかったご近所さん達は、みな知らんぷりを決めこんでおりました。
お金をせびられては堪らないとばかりに。
彼らもまた貧しき人々です。
貧民は普通、こうした病気になった際、命を諦めます。
父はもう母をいないものとして働き、わたくしはそれを手伝い、母自身は食事をなるべく取らず、一日も早く死ねるように努めておりました。
これでよいのでしょうか?
生まれて初めて経験することになる近親者の死が刻々と近づくにつれ、わたくしの心の中で義憤が高まります。
このままでいいわけがない。
人を見捨てる生き方は正しいわけがない。
命より大切なものなどないのですから。
「宮仕え試験を受けようと思っております」
ある日、わたくしは父にそう告げました。
そして即座に反対されました。
宮仕え試験。
それは、この地底世界を統べる皇族人にお仕えし、身近なことから高度な政治問題に至るまで、ありとあらゆる事柄に手をお貸しする職業の採用試験のことです。
職務内容が時に危険であることはもちろん、試験でさえ常人には極めて困難です。
毎年のように、試験中に死者の出たことが報道されています。
しかし、父は言います。
「今お前がいなくなれば仕事が捗らない。そうすれば稼ぎが減って、飯を食えなくなる」
わたくしの命を心配しての反対ではありませんでした。
そのことにやや悲しみを覚えながら、わたくしはその夜のうちに家を飛び出ました。
もし、もしも、宮仕えに採用されることがあれば、その報酬は莫大、すぐさま母を都会の大病院に入院させ、治療を受けさせることが可能になるのです。
野良犬に襲われたり、変態に襲われたり、都会者に差別されたり、心暖まる歓迎を受けたり、変態に襲われたり、家出した未成年として補導されそうになったり、道に迷ったり、野宿したり、変態に襲われたり、変態に襲われたり……。
色々なことがありましたが、とうとう試験会場に辿り着きました。
そこには人種も年齢も様々な受験者が大勢集まっておりました。
どの人もわたくしより遥かに強く賢く麗しく見えたものです。
「なんだぁ、このチビ?」
いかにもお金をかけて育てられた風の青年が、手下らしき男達を引き連れ、わたくしに絡んできました。
「佃煮屋です」
「ハッ! そんな底辺職業の娘っ子が何の用だ!? まさか身分をわきまえもせず、試験を受けに来たんじゃあるまいなぁ!? ……まあ、魔力はそれなりにあるようだが……」
彼は遠慮なく、わたくしの胸を凝視しました。
「身分はお高いようですが、品性が下劣では宮仕えに相応しくないのではありませんか?」
「フン。生意気言いやがって。底辺は底辺らしく、へりくだっておけばいい。悪いようにはせんぞ? お前の佃煮を買いつけてやろうか? それとも、お前を……」
「結構です! お金はほしいですが、あくまで真っ当に稼ぎますから!」
啖呵を切ったところで、試験開始の合図がありました。
とても緊張しました。
ですが、宮仕えとして採用されるのに、身分は関係ありません。
もちろんお金持ちの子であれば、幼少の頃より英才教育を受けることができる分、有利になるでしょうが、わたくしにはわたくしなりの長所があるのです。
なんせわたくしは勉強もでき、魔法に優れ、容姿も美しk……コホン。
試験内容は、まず一般的な学力を問うテスト。
次に、これまたごく普通の体力テストが行われます。
さすがに体力面で成人に敵いはしませんが、最後の魔力テストに望みを賭けることができます。
さあ、日々の労働によって培われた魔法技術を発揮する時です!
「魔法試験はバトルだ」
ところが、試験官の口から発せられたのは衝撃的な試験内容でした。
バトル?
ケンカさえしたことがないと言いますのに……。
「ルールは簡単。魔法を駆使して、受験者同士で戦え。時間制限は30分。この間に倒れたものは失格となる。では……始めぃっ!!!」
唐突に伝えられたルールであるにもかかわらず、わたくし以外の参加者は当惑することなく、さも当たり前のように誰彼構わず魔法攻撃を放ち始めました。
中には極めて危険な魔法を使っている受験者もおり、これでは毎年のように死者が出るのも致し方なしと思われました。
「よぉ、チビ! お前の相手は俺がしてやるぜ!!」
立ちはだかるのは先程の嫌味な男。
情け容赦なく強力な魔法をわたくし目掛けて発動しました。
「……っ!!」
胸を寄せて魔法で脚力を強化、必死で攻撃を避けましたが、その次の行動を思い描けません。
今までの人生で、他人を攻撃するために魔法を使ったことなどなかったからです。
「降参すれば命は助けてやるぜ! 体は助けてやらねぇけどなぁ!!!」
「く……っ」
どれだけ相手がひどい者であろうとも、その者の命を奪っていい理屈はないはずです。
命は何より尊いのですから。
ですが……わたくしがここで倒されてしまえば、大切な母の命を救えなくなってしまいます。
「わたくしの心が汚れることで母が助かるのなら、喜んで心を汚しましょう」
「あ? 何か言ったか? ━━んおお!?」
わたくしは両手で力強く胸を寄せました。
全力を出しましょう。
最も得意とする浮遊魔法で!!
「それまでっ! 試験終了! 合格者1名!!」
「……へ?」
はっと我に返った時、わたくし以外の受験者全員が地に倒れていました。
「こいつスゲー……」
「まさに神童よ」
「千年に一人の逸材じゃ」
ざわつく会場。
……あ、あれ?
「わたくし、何かしてしまいましたか?」
「きみは合格したんだよ。おめでとう」
「ふぇ? ご、合格……。ぅあ……ありがとうございます!!」
心がふわふわ浮くような気持ちでした。
わたくしが宮仕え試験に合格しただなんて。
「だが、若すぎるのではないか?」
……はい?
試験官の一人から物言いがつき、そこから侃々諤々の議論が巻き起こりました。
まさか、ここまで来て、どんでん返しの不採用なんてことになるのでしょうか?
《採用せよ》
その時でした。
どこからともなく、高圧的ではないながらも気高さのある声が、まるで脳内に直接流れこんでくるかのように聞こえてきたのは。
「皇帝陛下!!」
試験官一同が跪きます。
……皇帝陛下?
ええぇっ!?
《合格者よ、名乗るがよい》
「わ……わわっわたくしは宝百合と申します!」
《宝百合よ、中継を皇居にて見ておったが、なかなかに素晴らしい魔法であったぞ。如何にして鍛練したのかの?》
「佃煮屋のお手伝いでございますっ!」
そうして、畏れ多くも皇帝陛下に我が身の上を申し上げることになったのです。
陛下はわたくしの話をお静かに聞いておられました。
それから、こう仰いました。
《そちの親を想う心、朕の胸を熱くさせたぞ。その心を忘れることなく、是非とも宮仕えとして力を奮うがよい》
かくして、わたくしは宮仕えとなり、母を高級病院に入院させ、健康を取り戻させることができたのです。
宮仕えとしての仕事は想像していた以上に骨の折れるものでしたが、一方で、想像していた以上に稼げる仕事でもありました。
ついでに申しますと、帝都で一人暮らしを始め、親に甘えることもできない境遇となりましたが、この程度の不自由、どうということもありません。
大切な親の命を救っていただいたのですから。
しかし……
「またですか……」
すっかり健康となった母。
佃煮屋を畳んだ父。
いつしか、ネアンデルタール人の里の中でも一等地とされる住宅地に居を構え、贅沢な暮らしをするようになっておりました。
最早働かずとも、わたくしの仕送りさえあれば、生きられるのです。
日銭を稼いでいた時代など今は昔。
あまりの飽食ぶりに、母は糖尿病を発し、命の危機に陥ったこともあります。
そんな両親からのお金の無心は、日に日にひどくなる一方でした。
『何? お金くれないの? あんたが生まれてきたのは誰のお陰だと思ってるのかなぁ!?』
「送ります、送りますから……」
『あっら、ありがとう、宝百合ちゃん。さすが自慢の娘。あのね、何も無駄遣いするためにお金をほしがってんじゃないのよ! ほら、昔、私達が住んでたところのご近所さんのこと覚えてる? 私が病気になったら知らんぷりしてたでしょ』
「……ええ」
『あいつらに見せつけるのよぉ! 美味しいご飯、かわいい服、綺麗な宝石。あいつらの悔しそうな顔! ほんと笑えちゃうわ。あの時うちに親切にしておけば、私だって残飯くらい食わせてあげたんだけどね。んふふふっ。ま、でも、自業自得よねぇ』
得意の浮遊魔法を以てしても、わたくしの心を軽くすることは叶いませんでした。
しかし、耐え忍ぶしかないのです。
自分の人生より親の命の方が大事じゃありませんか。
それに、安定した職業も、人々からちやほらされる生活も、随分と魅力的じゃありませんか。
後悔など微塵もありません。
わたくしはわたくしを誇りに思っております。
……ですが、時おり考えずにはいられないのです。
わたくしは何のために生きているのでしょうか。
あの日、気まぐれに与えられた自由な放課後に、罪悪感など抱くことなく、いつまでもひたすらに遊び続けていれば、倒れている親を発見するのが遅れて、そのまま死なせられたのでは……と。
迷っても、もう遅いのですけれど。
世界は動き始めましたから。
今さら引き返せないのです。




