幕間 甲剛人・力石の独白
結婚適齢期に結婚して、出産適齢期に出産した。
そうすることが生物として当たり前だからね。
深い意味はないよ。
ただの自然の摂理さ。
種の繁栄のため、できることは全部やる。
統率や防衛はあたいの仕事。
「お仕事って、そんなに大事?」
中には、当たり前のことを理解できないやつもいる。
残念ながら、あたいのガキがそれなのさ。
間の抜けた顔と間の抜けた質問で、あたいを苛立たせやがる。
「当たり前さ。あたいは里の長として、皆を守る仕事をしてんだからね」
「家族と過ごすのも大事じゃないの?」
「うるさいガキだね」
どうも、うちのガキは甘ったれてやがる。
甲剛人ってのは何より力を誇る人種じゃないか。
それなのに、こいつはいつも理屈っぽい。
体はヒョロヒョロしてるし、本ばっかり読んで、まったく誰に似たんだかわかりゃしない。
力がすべてさ。
力がなければ、外敵から自分の身を守ることも、家族や仲間の命を救うこともできやしない。
当たり前のことじゃないか。
* * *
「目標に狙いを定めろ! 撃てぇぇーーーーーっ!!!!」
ある日のこと。
他人種の不良集団が我が領土内に侵入してきた。
目的は食料の簒奪。
近頃、地上から来た悪魔どもが暴れてやがるからねぇ。
田畑を荒らされて、食い物がないって地域もあるようだが、だからって自分達の物をさぁどうぞ盗んでくださいってわけにはいかない。
戦士団が陣形を組んで飛行追跡、どでかい一発をぶちこんで、渾身の報復措置。
徹底的な見せしめが一番効果的な再発防止策なのさ。
弱肉強食の世界。
当たり前のことだね。
「今日の殺しは完璧だったぜ。糞っ垂れの新米どもも、いい動きしてやがった。あいつらも殺しの味を覚えてきたんだねぇ。ひゃーっははは」
「どうして、そんな残酷なことで笑えるの?」
仕事を終えて、一家団欒の時。
水を差される覚えはないってのに。
「やつら、悪さをしたぜ。それも現行犯だ。冤罪の余地はないよ」
「だけど、あの人達だって、生きるために仕方なくやったことじゃないか」
「あたいらだって生きるためにゃ、時に人を殺さなきゃいけないんだよ。それとも、あんたは泥棒の命のために、自分は餓死するってのかい? まさか!」
「……ぼくのためなの?」
「我が子のために、親が体を張る。当たり前のことさ」
「じゃあ、他の子の命はどうでもいいの?」
「そりゃ、我が子優先さ。他所ん家の子を助けたって、あたいの遺伝子は後世に残らないから、意味がないね」
「そんなもののために、ぼくは━━」
くだらないお喋りにはうんざりさ。
飯が不味くなっちまわ。
取り敢えず、バカをぶん殴った。
「うるさいガキだね」
* * *
それからだね、あの子が変わったのは。
いつも家に籠ってばかりいた本の虫が、やけに外に出るようになったのさ。
ろくに友達もいないだろうに。
遊ぶ金もないだろうに。
一体どこで何をして遊んでんだか。
まぁ、少しでも体が強くなるならいいやってな気持ちで見守ってた。
飯炊きを忘れた時には、ぶん殴った。
甲剛人の里じゃ、強い者は戦士になって、弱い者は家事をするって掟だからね。
甘やかしゃしないよ。
だけど、あいつ、泣かなくなった。
昔はよく泣くガキだった。
生まれた時から、ずっと泣き虫なんだぜ。
一生ずっと赤ん坊のままなのかと思ってたよ。
「家が広くなっちまったね」
ある日、夫婦だけで家にいた時のことさ。
あたいは、同じく戦士である夫に話しかけた。
いつからか、仕事以外の話なんざしなくなっていたから、ガキがいないと、話題に困っちまう。
「いいことじゃねぇか。子が自立していくってのは」
「まだ自立なんていうほど育っちゃいないさ」
「お前、ガキなんてのは、あっという間に大人になるもんだぜ」
「はっ。どうだかね。まぁ、最近になって、割りと時間を持て余すようになってんのは確かだけどさ」
「もう一度、忙しくしてやろうか?」
「あん?」
「わからねぇか? ……もう一匹作ろうぜってことだ」
「ひゃーっははは! 最初から、そうはっきり言いやがれ! おう、作ろうぜ!」
そうして、たっぷりと汗をかいたわけさ。
今になってみりゃ、これが最後になっちまったんだな……。
あいつの肌の温もりを感じた、最後。
「わっ、わわっ、お母さん!!」
夕方になって帰ってきたガキが、あたいを見てぎゃあぎゃあ喚いてる。
「うるさいガキだね」
「うるさいもクソもないよ! なんで上裸なの! 家だからって、だらけてないでよ。ったく、もー。親の裸なんて絶対見たくないよ……」
とうとう、こいつも反抗期か。
だったら、やっぱり自立の日が近いってことかね。
* * *
「姐さん、一体これは何でしょうね」
それが発見されたのは、曇天続きの冬だった。
「何って、見りゃわかんだろ。蝶の死骸だよ」
「そりゃそうですが、なんだか変じゃありませんか」
警備中に昼寝してやがったバカが偶然見つけた蝶の死骸。
それは蝶にしちゃでかいし、しかも体が破裂して、辺りに体液や臓物を撒き散らしてる。
「確かに普通じゃないがね、虫には、こういう病気でもあるんじゃないのかい。あたいは詳しくないから知らないけど」
その時はそれでおしまいになった。
ところが、その後も似たような死骸があちこちで見つかって、ちょっとした騒ぎになった。
ただでさえ不気味だ。
その上、もしかしたら、これは外部の人間による嫌がらせかもしれないって可能性もあった。
そして、家畜にも被害が出たところで、その可能性はほぼ確実視された。
「舐められちゃあ堪らないや。気ぃ引き締めて、犯人を炙り出しな!」
あたいは部下どもに活を入れた。
こんな田舎じゃ科学捜査には限界があらぁね。
地道に足で情報を稼ぐしかないわけよ。
あたいらは里の隅から隅まで歩いて、不審な人物の目撃情報や不審物の発見に努めた。
だけど、気が滅入る。
なかなか情報が入りゃしねぇし、何より嫌な天気が続く。
冬が寒いのは仕方ないけど、せめて青空が広がってくれりゃ、まだましってもんだ。
曇天が続く嫌な日々だった。
「あんた、変なやつをみかけてないかい?」
当然、自分の息子にも声をかけた。
「ううん」
「あたいはもう一度、外回りしてくる。外出規制がかけられてあるからね、あんたは外に出るんじゃないよ」
「うん」
「早く帰ってきて~って泣きつかなくていいのかい?」
「仕事の邪魔をしないなんて、当たり前だよ。それに、ぼくはもう親に甘えないから」
ふっ。
なんだか変な気分だよ。
これが子供に自立された親の気持ちなのかねぇ。
* * *
その後も、ろくな手がかりは掴めなかった。
家畜の破裂死骸が見つかるばかりで、肝心の敵が姿を見せない。
敵はおそらく里のどこかに潜んでやがる。
だが、どこにいるのか。
何者で、何人なのか。
そういう具体的な話になると、さっぱりだった。
「姐さん、報告があります」
部下が深刻な面持ちで言った。
「いい報告ならありがたい」
「悪い報告です。姐さんのお子様のお姿が家にありません」
「……何だって?」
警備巡回の際、近隣住民から、息子が外出するのを見たとの情報が入ったそうだ。
戦士が我が家に入って確認したところ、息子の姿はなかったという。
なんてバカだ。
一体、どこで誰と何をして遊んでやがる?
あたいは外に出て、息子の向かったらしい方角を睨んだ。
相変わらずの曇天だ。
分厚い灰色の雲が太陽光を遮ってやがる。
……いや、何かがおかしい。
「あの雲は動いてない」
* * *
息子が向かった方角に浮かぶ、動かない雲。
奇しくも、その雲の下は、あたいの旦那が警備巡回をしてるところだ。
なんだが嫌な予感がする。
きっと杞憂だと笑う連中を置いて、あたいは全速力で雲のある方向へ走った。
突然、動かない雲から雨が降り始めた。
遅れること数秒後、雲の下から複数名の悲鳴が聞こえてきた。
聞き覚えのある声━━あたいの部下達と、そして、あたいの旦那の声だ。
魔法で脚を強化して、速度を上げた。
「どうしたんだい! 何があった!? 誰か……いないのかい!!」
到着したのは、あたいの背丈を超すほどの草が生い茂る場所。
ちょうど雨は止んだ。
草を掻き分けながら、大声を出して進む。
あたいの叫びに返事するものはなく、ただどこからともなく呻き声と破裂音だけが聞こえた。
「姐……さん」
「お前……!」
とうとう見つけた部下は、身体中が膨れ上がり、今にも破裂しちましそうな状態だった。
すぐに駆け寄って、上半身を抱き起こしてやる。
「来ちゃいけません……。雨が……降ってるんです……!」
「雨なら、もう止んだよ。それより、何があったんだい!? 敵がこの近くにいるのかい! これは魔法でやらr━━」
そいつは質問に答える前に、あたいの腕の中で破裂した。
膨れ上がった死体。
飛び散った臓物。
間違いない。
敵の仕業だ。
あたいは部下の死体を置いて、更に進んだ。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
屈強な戦士達が涙を流しながら、膨張し、やがて命を散らしている。
耳障りな破裂音に負けないよう、声を張り上げ、あたいはまだ息があるやつに声をかけた。
「剛健なる甲剛人がこの程度の攻撃でへばるんじゃないよ! ここで死ぬようなやつは決して弔ってやらないからね!」
だが、里の長たるあたいの命令に、どいつもこいつも背きやがる。
舌打ちして、草を掻き分けた。
せめて一人くらい根性のあるやつはいないのか。
「あ」
「え?」
「お母さん」
それは唐突な再会だった。
ぽかーんと口を開けた間抜けな表情の息子が、一切の緊張感なく、こちらを向いている。
このバカ、自分の置かれている状況をわかってないのか。
幸い、その体型に変化はない。
ほっとするのも束の間、ガキのそばに横たわる旦那の姿が目に入った。
体が膨張してやがる……。
「あんた! ……チクショー、敵め! あんた、敵の姿を見なかったかい? まだこの辺りにいるかもしれないのさ!」
「ふーん」
「ぼけっとしてんじゃないよ!」
呑気なやつだ。
こんな非常時だってのに、棒切れを手に持って、振り回してやがる。
先端が尖っていて、血塗れの棒切れを……自分の父親に向けて……
「……あんた、何する気だい……?」
「ぼくだよ」
あいつは棒切れを、膨らんだ父親に突き刺した。
破裂音が響く。
「……何だって……?」
「こいつらを殺したの、ぼくだよ」
血と臓物のかけらに塗れた顔に、表情はなかった。
「あんた、自分のしたことの意味がわかってんのかい? こんな……こんな惨いこと、道徳的に赦されないんだ!!!!」
返ってきたのは意外な反応だった。
怒るでもなく、泣くでもなく、ゲラゲラ笑いやがった。
ぶん殴ってやろうと拳を振り上げたが、寸前で思い止まる。
このヘボガキに、こんな凄まじい魔法を使えるわけがない。
真犯人がいるんだろ?
あたいは魔法を使って、全身の感覚を研ぎ澄ました。
「見つけたよ」
何者かが草むらに隠れている。
悟った瞬間に、あたいは攻撃に移ろうとした。
だけど、それを息子に邪魔されちまった。
こんなか細いガキのどこにこんな力があるんだ。
あたいの腕を掴んで、胸を寄せさせないようにしやがる。
「なんで、こいつを庇う!?」
「雨を降らせて!」
息子のくせに、母親のことをガン無視して、草むらの中の野郎に声をかけた。
草むらの中から現れたのは、ネアンデルタール人……によく似ちゃいるが、肌の色やら体格やらがちょっと違う。
なるほど。
こいつぁ、近頃、地底で暴れまわってるって噂の地上人じゃないか!
地上人━━見た目からすると、てんでガキのようだが━━は胸を寄せると、一気に動かない雲の元まで飛んで行った。
そして、雲の上でもう一度、胸を寄せた。
「お前なんか死ね」
安っぽい挑発の言葉とともに、降り始める雨。
その雨粒があたいの肌に触れる寸前、直感した。
これを浴びれば死ぬ、と。
無意識に体は反応した。
全速力で駆け出す。
「どうして……?」
振り返れば、息子だけが雨を浴びていた。
見る見るうちに膨らんでいく息子に、してやれることは何もない。
「チクショーーーー!!」
せめて仇だけは討ってやろうと決心したものの、既に雲の上に地上人の姿はない。
残された雲を魔法のビームで消し飛ばし、あたいは息子に近づいた。
ひとつの疑問を晴らすために。
「どうして?」
「ぼく……手伝ったんだ。あの子の毒魔法……時間がかかるから……」
「どうして……?」
「ぼ……ぼく達、友達だから……ね」
「どうして、お前はあたいを殺そうとした?」
「……同じじゃないか……お前もぼくを突き飛ばして……自分だけ……逃げた……。お前は……ぼくを……愛さない。……だから……ぼくも……お前を……愛してやら……ない……。ぼ……くは……お前……が嫌……い……だ……」
「うるさいガキだね! あたいは十分、親として頑張ってんじゃないか! お前は……おい……」
うるさかったガキは、もう何も言わなかった。
寒い風が吹く。
分厚い雲が空を覆う。
冷たい雪が降る。
チクショー。
「全部、地上の悪魔どものせいだ!! 恨んでやる! 呪ってやる! 殺してやる!!!」
* * *
「ねえねえ、力石の姐さん!」
「……ん?」
「ぼけーっとしてたでしょ」
「ふん。いつもぼけーっとしてるあんたに言われたかないね」
「失礼! 失礼だなー! 心配してあげたのに!」
今、あたいの隣にはガキがいる。
地上から来た、魔法を使えないヒョロガリのガキが。
「ふっ……。うるさいガキだね」