幕間 鷲羽人・羽豆天の独白
「失うものなど何もない」
幼少の頃より、そう思っておった。
事実、やんごとなき身分を持つでもなし、ありあまる財産を持つでもなし、身を焦がすような恋を持つでもなし。
ただ翼と大空のみあればよい。
空を飛ぶには身軽でなければならぬ。
我らが近縁の種たる鳥とて、飛行中にさえ脱糞し、身を軽く保つことに余念がない。
そう、それでよいのだ。
余計な物は持たず、独り、空を舞う。
これが自由だ。
「本当にそうか?」
「……何だと?」
「自由と孤独は違うんだぜ」
それはおかしな男だった。
自慢することではないが、我は「はぐれ羽豆天」と渾名され、偏屈者として敬遠されていた。
鷲羽人の中で知らぬ者はおらぬことだ。
だが、この男の鷲羽人はそのようなことを何ら知らぬ素振りで、馴れ馴れしく話しかけてきた。
それも、人が晴天下の飛行を楽しんでいる最中に。
どうせ、からかい目的のつまらぬ男だろう。
振りきってやろうと、飛行速度を上げた。
飛ぶことだけが生き甲斐だ。
本気を出せば、誰にも追い付かれない自信があった。
だが、こいつはどこまでも食らいついてくる。
「しつこいぞ、貴様!」
「お前にどうしても言いたいことがあってね。独りで生きるのは、そりゃ楽かもしれないけど、その先にあるのは絶望の人生だ。病気になろうと、ケガをしようと、死んじまおうと、誰も側にいてくれないんだぜ」
「自由と自助は表裏一体だ」
「そうかい。でもよぉ、誰かと共に生きるってことは、支え合って生きるってことだろ。多少、自由は制限されるかもしれないけど、それは安心のある自由じゃないか?」
「何が言いたいのだ!」
「つまり、本当の自由って、気持ちよく前を見て生きるこ――だはぁっ」
じっと我が顔を見つめながら飛行していた愚か者。
大きな岩に気づかず、盛大にぶつかりおったわ。
「前を見て生きておらぬのはどちらだ」
これがやつとの初めての出会いであった。
大層な事故であった故、すっかり意気消沈したかと思いきや、それから毎日の如く、やつは我を追いかけ議論を吹っ掛けて来おった。
無論、いくら来られようと話し相手になぞなってやるつもりはない。
振り切るなり、岩に誘導してぶつからせるなりして、身体中を痣だらけにしてやった。
お互い、根本的に考えが異なる故、何を語ったところで堂々巡りとなるは必定。
他者とは干渉せず、相互に沈黙を貫くのが賢い。
それもわからぬやつの愚かさと、せっかくの自由時間を奪われることによって、我が苛立ちは募った。
ある日、行政手続きの必要に駆られ、仕方なく里に降り立った。
こんなことでもない限り、なるべく他者とは関わりたくない。
人間関係など無駄だ。
「本当にそうなの?」
役所の窓口にて、顔馴染みの者が馴れ馴れしい口をきいた。
「どういう意味だ?」
「だって、羽豆天ちゃん、最近、男の人とよくつるんでるって聞いたから。あの『はぐれ羽豆天』にも春が来たってもっぱらの噂よ」
非常に不愉快だ!
一方的にからまれているに過ぎぬ。
それを色恋沙汰などと誤解するとは、なんと愚かな。
これだから、くだらない人間とは関わりたくないのだ。
噂を一蹴する必要を感じ、我はあの男との決闘を覚悟した。
ズタボロに引き裂いてやれば、からかいも噂も消え失せよう。
だが、それからしばらく、やつは姿を見せなかった。
晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、台風の日も、強風の日も。
「やつが来なければ困る。やつが来なければ……決闘ができぬ故」
長い梅雨の季節が始まった。
我が住み処は人里離れた洞窟の中。
日々、雨の音に耳を澄ませた。
雨が吹き込み、体が冷え、思考は巡る。
どうしたことであろう。
昨年までの我であらば、精神を無にして座禅を組むだけで、梅雨など容易にやりすごせたというのに。
今はややもすると雨の音の中に、やつの羽ばたきの音を探してしまう。
「あの『はぐれ羽豆天』にも春が来たってもっぱらの噂よ」
馬鹿な!
そんなことがあるものか。
これはそのような浮わついたことではなく、人としての生き方に関する高尚な問題なわけだからして……。
ほら、雨音にやつの声が混じって聞こえる。
久々に我をからかいに来たか。
土砂降りの中、ご苦労なことだ。
今日こそ決闘を申し込もうぞ。
洞窟より大空へと飛び立つ。
たちまち翼はぐっしょり濡れ、重くなった。
太陽光は分厚い雲に遮られ、更に無数の雨粒が視界を悪くする。
この天候下での飛行は、さすがに我とて難しい。
「いざ勝負! いざ!」
何度も呼び掛けたが、やつは応じない。
舐め腐りおって。
しばらく飛んで、ようやく姿を捕捉した。
川だ。
豪雨によって荒れ狂う川に流されておる。
愚か者め。
このまま見捨てる手もないではないが、しっかりと我が手によってやつを打ち負かすことこそ、我が生きざまに相応しい。
目標めがけて一直線に急降下。
まずは鉤爪で掴んで、川から引き上げてやろうと考えた。
しかし、羽毛が雨水を多量に吸い込んだせいで、想像以上に体が重くなっており、制御が利かなかった。
やつの二の舞。
我も川に突入、流されてしまうこととなった。
濁流に飲まれながらも、どうにかあの男を助けようと必死だった。
しかし、両の翼で抱いたのは、流木。
愚かなことよ。
あっけない終わりだ。
こんなところで、こんなふうに一生を終えるのか。
誰に知られることもなく……。
「しっかりしろ!」
何かが我を掬い上げた。
見上げれば、それはあの男だった。
やつは我を鉤爪で掴み、空を舞っていた。
まるで想定と真逆になってしまった。
「な? 誰かが側にいた方がいいだろ?」
得意気な顔が気に入らなかった。
「う、うるさい! 何故、我が貴様ごときに救出されねばならぬ!」
「見て見ぬふりできねぇよ」
「そもそも、ここ最近、姿を見せなかったのは何事だ! 我はずっと……」
「ああ、それね。ちょいと仕事が忙しかったんでな」
「それだけか!?」
「うん?」
「遊んでいたのではないか? きっと、そうだろう。貴様にはどうせ遊び相手がたくさんいるのだろう。気立てのいい娘なども――」
「は? 何の話だよ、そりゃ。っていうか、なんで川で溺れてたんだ?」
「……き、貴様を探して……」
「……え?」
耐えきれなかった。
なぜかわからぬが顔が紅潮して熱い。
もがいて鉤爪から逃れると、がむしゃらに飛んだ。
やつから逃げたかった。
なのに、追いかけられた。
「おい! なんで逃げんだよ!」
「来るな!」
「……っ! お前、本当にわからねぇやつだな! 独りじゃいくら自由だなんだ言っても、先の見えない絶望だけの人生を送ることになるんだ!」
「何が言いたい!」
「えっ。いや、その……俺が言いたかったのは、つまり……俺と一緒に暮らしてくれないか、ってことだよ……」
思わず速度を緩めてしまった。
追い付かれ、横並びになり、我らの目と目が合った。
赤く染まった頬と精悍な眼差しを見れば、こいつが嘘をついていないとはわかる。
「ははっ……。でも、こんなに嫌われてんじゃしょうがねぇよな。ま、諦めr━━」
「我も!」
「?」
「……我も、こうして……また貴様と空を飛びたいと思っておった……」
雨のせいで翼が重たい。
それがなぜだか心地よかった。
「失うものなど何もない」
幼少の頃より、そう思っておった。
だが、番いができ、共に里で暮らすようになり、子供が3人生まれ、家が狭くなった。
いつの間にやら、我もありふれた普通の人間になってしまったようだ。
ある夜、寝かしつけた子供達の横で、夫と少し昔の話をした。
我が自由を求めるようになった経緯だ。
「我が親は貧しい商人だった。財力を持たぬとは即ち権力が持たぬことだ。外で自由にできない分、家族を支配したがった。親から受けた暴力や暴言も勿論、辛かったが、一番の辛さは自由に空を飛べぬことであった。勉学ばかりさせられた」
「……そうかい……。俺はこの子達には、そんな辛い思いさせやしねぇぜ」
「ふ……」
皮肉なことに、我も成人後は商人となっていた。
鷲羽人を始め、各地にちらばる様々な人々との商談をまとめる仕事を担った。
ある日、久々に独りで空を飛んだ。
何のことはない。
出張帰りの移動に過ぎぬ。
だが、その時に気づいたことがある。
かつてとは違い、空を飛ぶ気持ちよさより、家族の安否を心配する気持ちの方が大きくなっていたのだ。
心の変化。
人との繋がりという希望に裏打ちされた自由を実感した。
「これが前を見て生きるということなのだな」
だが、希望はすぐに絶望へと変化した。
我が里が焼かれていた。
人々の死体が転がっていた。
我が留守中に何があったのか?
戦?
事故?
自然災害?
突然のことに動揺しつつ、家族の生存をひたすらに祈った。
家族がいるはずの家に急行し、そして、見つけた。
死体。
夫と、子供達の、頭部が欠けた死体だ。
叫びながら死体を抱いた。
まだ温もりがあった。
だが蘇生は不可能だ。
失われた命は戻らない。
我は空を飛んだ。
どうすればいいかわからず、ただ本能の求めるままに飛んだ。
我は孤独だった。
そのうち、見慣れぬ人間が里をうろついていることに気づいた。
その者の手は血で汚れていた。
考えるまでもない。
こいつが犯人だ。
「何故だ?」
捕らえた殺戮者に問うた。
胸を引きちぎり、全身の骨を粉砕することで、魔法を使えないようにした上で。
「何故、貴様は我らを襲った? 貴様にも大切な家族がおろう。命の大切さは知っておるはず」
「大切な人とかいないんすけど。モテねーし」
「…………」
「はっ。ってゆーか、お前みたいな化け物にまで説教されるとかマジ萎えるんだけど」
両の胸を寄せつつ、最後の質問をした。
「貴様はどこから来た?」
「地上だよ」
殺戮者は他にもいた。
見つけ次第、殺してやったが、数匹には逃げられた。
残されたのは無数の死体と、思い出と、怒り。
「失うものなど何もない」
死体と思い出は捨てて行こう。
戦士は身軽でなければならぬ。
怒りは持って行こう。
戦士は強くなければならぬ。
我は復讐を決意した。
各地を回り、地上人と戦い、被害者と結託し、やがて復讐連合を結成した。
「地上人を殲滅してやる」
同じ決意の仲間と共に人生を血に染めた。
そして、今、また失った。
いつの間にか、我は孤独から脱していた。
仲間がいた。
かけがえのない存在に囲まれていた。
そのことに気づかぬうちに、失った。
涙が頬を伝う。
「失うものなど何もない」
負傷した翼が痛む。
出血が激しい。
上等だ。
血も涙もいくらでもくれてやる。
身軽だから飛べるのだ。




