第1話 おっぱいを揉みたい!
「ねえねえ、お願い! おっぱい揉ませてよ!」
教室前の廊下に、ぼくの朗らかな声が響く。
休み時間の教室でだらけているクラスメイト達が、呆れたように、ぼくを見つめている。
こんにちは! 小学5年生の鷹司タカシです!
現在、おっぱい勧誘、真っ最中!
限りあるこの人生。
青春はあっという間に過ぎ去ってしまう。
だったら、自分の一番好きなもののために時間を有効活用しようじゃない!
「だから、おっぱい揉ませてよ!」
「無理」
ああ……。
人目も気にせず、ぼくは廊下に膝をつく。
拒否されるのは、いつものことだ。
ぼくの横を通りすぎる人達も、教室の窓越しに見ている人達も、誰もリアクションしてくれない。
見慣れた光景だから。
でも、そうだよね。
やっぱり、その反応だよねぇ。
もう何百回となく聞いた、拒否の言葉。
心をえぐり、貫き、深刻なダメージを負わせる、軽蔑の表情。
「どうして無理なの……?」
ぼくを冷たく見下ろす同級生に、敗因を一応尋ねてみる。
「いや、普通にキモイし……。ってか、好きでもない人に揉ませるわけないじゃん」
誤解だ。
「ぼくは心からおっぱいが好きなんだよ!!」
「じゃあ女子なら誰でもいいんでしょ?」
「うん!!」
「死ねクズ」
ぼくはまだおっぱいを揉んだことがないんだ。
ここで死ぬわけにはいかない!
「ってか私、胸ないよ? 胸が大きい子に頼んだらどうなの?」
そうきたか。
生まれてからの、この十年、ただひたすら、おっぱいを揉むことだけを望んで生きてきた。
同じ学校の女子児童や女性教師はもちろん、すれ違った女性のおっぱいはすべてガン見してきた。
そうしたら、いつの間にか「見る目」が養われていた。
ぼくは、ズバッと少女の胸を指差した。
「無理矢理、小さいブラを着けることで、胸を小さく見せようとしているようだけど、きみは本当はDカップだ!!! 恥ずかしいのかもしれないけど、その年齢で、その胸のサイズは誇りに思っていいよ!!!」
ふふ。
顔を赤くしちゃって。きっとズバリ的中だったんだろうな。
おっぱい名探偵を舐めるなよ!
……ん?
何だ何だ、この張りつめた空気は。
握りしめられた拳。震える肩。吊り上がった目。
「最低! 先生にチクる!!」
とんでもない!
「当たり前じゃん。こんなセクハラしておいて、ただで済むと思ってんの?」
「わわわ! 落ち着いて! 落ち着いてよ!」
「あんたが落ち着け」
ぼくは女子児童の腕にしがみついたが、職員室へと向かう歩みを止めることはできない。
そりゃそうさ。
ぼくはヒョロガリ。
体力なんて微塵もないクソザコ男子小学生なんだもん。
「助けてーーー! カーーーチャーーーーーン!!!」
* * *
「タカシの自業自得でしょ」
もう涙が止まらない。
あの後、おっぱい勧誘の件が、担任の先生に問題視され、終わりの会で議題として取り上げられることになった。
黒板の前に立たされ、クラス全員の視線を浴びながら、謝罪をさせられたんだ。
人権侵害!
その上、帰宅するやいなやカーチャンに泣きついてはみたものの、まったく擁護してくれない。
ぼくと目も合わせず、夕飯の準備をしている。
「ねえねえ、カーチャン! どうにかしてよ!」
「どうにもできません!」
できない?
そんなわけない!
ぼくがヒョロガリだからって、カーチャンも同じようなもんだと思ったら、大間違いだ。
ぼくのカーチャンは強い。
盛り上がる大胸筋。
割れまくりの腹筋。
ダイヤモンドでさえ握り潰せそうな前腕……。
カーチャンの筋肉はいつ見ても惚れ惚れする。
その筋肉をちらつかせただけで、教師が震え上がること間違いなし!
「お断りします!」
「どうしてぇ!?」
「どうしてもこうしてもありません! 普通に考えてご覧なさい。そんなおバカなことしようなんて親がいるもんですか。」
いてもらわなきゃ困る。
何せ、ぼくは先生に、
「あなたは小学校を卒業するまで、女子に話しかけちゃいけません!!!!」
と言われてしまったんだ。
……あんまりだよ……。
話しかけることすらできないなんて……。
それじゃあ、何のために学校に通ってるのかわからないよ。
「勉強でしょ」
ああ……胸を揉みたいだけの人生だった。
「そもそもタカシ、モテない男は揉めないわよ。」
「……え……?」
何言ってんだ?
「つまり、モテる男になれば、おっぱいを揉める! ……かもね」
「か……カーチャン! それだよ! それならいける! ぼく、モテたい!」
「それなら家事を手伝いなさい! カーチャンは結婚して、家事をするようになってから、少し筋肉がついたもんね。」
……少し……?
おかしい。
どう見ても、カーチャンはボディービルダー以上にムキムキだ。
「結婚前はあんなに細くて綺麗だったのに……♡」
細くて綺麗……?
おかしい。
カーチャンの独身時代の写真は見たことあるけど、あれは決して……
「何よ?」
ひぃっ。
「な、何でもないよ。っていうか、家事なんかでムキムキになれるわけないだろ! 手伝わせたいだけじゃないか! ちくしょーっ!」
こうなりゃ、もうヤケだ。
ぼくは、料理中のカーチャンに近づき、その巨大な背中に軽く触れた。
殴ったんじゃないよ。
どついたんじゃないよ。
ただ、軽ぅーく触っただけ。
そんなことして、何になるのかって?
「きゃああああああああ」
あははは。
さっきのはね、一瞬でブラジャーのホックを外したんだよ。
これもおっぱいを追いかけ続ける、おっぱい名探偵だからこそ為せる技だね!
えっへん!
「タカシーーーーーー!!」
たちまち重たい一撃が頭頂部に加えられた。
いってぇぇ……!
涙が溢れ出る。
「あんたは悪さばっかりして!!」
ひどい話だ。
小学5年生の児童を殴る親の方こそ、悪いんじゃないのか。
「何よ、その不満そうな顔は……ダーーーーーーーッ!」
「うわぁ!」
世界が揺れるぅ!
これはカーチャンのくしゃみ!
「ダーーーーーーーッ!」
「うわぁ!」
「ダーーーーーーーッ!」
「うわぁ!」
「ダーーーーーーーッ!」
「うわぁ!」
「ダーーーーーーーッ!」
「しつこい!!!」
ヤバイうるさいとんでもない爆音だめちゃくちゃ近所迷惑!
でも、カーチャンがこんなにくしゃみする時は、間違いなく、原因はあれだ。
「カーチャン! 足元に猫!」
「ダーーーーッ!」
そう、カーチャンは極度の猫アレルギーなんだ。
どこからともなく侵入してきた猫。
やれやれ、迷惑なやつ。
ぼくはそいつを捕まえようと、身をかがめたが、猫はぼくとカーチャンの足の間を、するりとくぐり抜けた。
「カーチャン、そっちに行ったよ」
カーチャンは号泣していた。
目から涙がこぼれ、鼻から鼻水が垂れ、顔中から汗が吹き出し、それらが一体化して床にこぼれ落ちていた。
猫捕獲どころではないようだ。
猫は軽やかに飛翔すると、まな板の上の魚をくわえ、そのまま走り去った。
なんてコミカルな光景だろう!
これで夕飯のおかずがひとつ減るのは確定だが、猫を怒る気にはなれないや。
だって、面白くってしょうがないんだもん。
「ねぇ、カーチャ……ン?」
どうやらカーチャンの気持ちは違うようだ。
額に血管を浮き立たせ、両の拳を握りしめている。
や、ヤバイ。
カーチャン、キレてる。
元々、猫嫌いな上に、魚を盗まれて、しかもムキムキだ。
ヤバイ。
猫が殺される!
「猫ぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!! 殺してやるううううぅぅぅぅうう!!!!」
「猫ぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!! 逃げてええええぇぇぇぇえええぇぇぇぇえ!!!!」
当然のことだけど、ヒョロガリのぼくにカーチャンを止めることなんてできない。
それでも、目の前で猫が惨殺されるなんて嫌だから、必死になって、カーチャンの足にしがみついた。
そのおかげで、狙いがそれて、カーチャンの一撃は床を直撃した。
「よかった……。猫は助かったんだ……。」
だけど、ほっとしていられたのは一瞬だった。
ぶちギレたカーチャンの怒りに任せた一撃が、地割れを起こして、そして、我が家が地中深くに転落してしまったんだ……。