プロローグ 雨の日の陰謀 / 第一話 徳と威厳と品格と
父王が引退して跡を継いだ主人公の王
だが、父王が自分の自叙伝を新聞に載せ、そこに書かれていることが王の権威を著しく下げる内容ばかりで、大騒ぎに…
日経の「私の履歴書」からアイディアを取って考えた作品です
プロローグ 雨の日の陰謀
ここは雨降るハールングの町。宮廷大臣のメロオスは王宮の奥の院の庭に立ち、人を待っていた。赤茶けた古い壁の塗料がはげかかっていた。そのうちメロオスの派遣した使いの者に連れられて、薄暗がりの中を数名の新聞記者がやって来た。
メロオスは辺りに目を配ると、記者たちに言った。
「ここまで陛下や供の者に見つからなかったろうな」
雨に濡れた顔を上げ、使いの者が言った。
「はい、大丈夫です。見られてはおりません」
「うむ。ではこちらへ」
メロオスに案内され、記者たちは暗い王宮の奥の院の中へと入って行った……。
第一話 徳と威厳と品格と
王とは徳と威厳と品格を持って国を治める者のことである。ただ国を治める――それは王ではないのだ。それだけならば辺境の地に住む蛮族でもできるではないか。
ここは十八世紀後半のオロパ大陸。我が国ヴィリヒドヴァ・シュタットは今日も平和と安寧と豊かさを持って燦然と輝いている。なぜか。それは我が血統は燦然と輝いているからだ。血の存続と王国の存続は切り離せぬ。その二つは双頭の竜のごとく、威光は表裏一体となり、民の上にも平和を施すのものなのだ。それがヴィシュタイン朝二百五十七年の歴史であり、これからも、いや、未来永劫、燦然と輝き続けるであろう。
徳と威厳と品格――余はこれらのことを肝に命じて国を治めてきた。父君に王の位を譲られ早七年が過ぎようとしている。政治を行うとき、外国使節と会うとき、儀式のとき、片時も忘れず、これらのことは余とともにあった。余の名はハウプラルド3世。この国の若き王であり、人口十五万を誇る広大な大地に神アラヌスとともに誕生したドザイル地方の王である。今、都のハールングでは国政の時間の終了を告げる鐘が鳴り響き、西の空が染まり、レンガと石畳の町を赤く照らしていた。国政の終わりは市場の終わりとともにある。城壁の石門を閉め、夜に備えて王国は一時的な眠りにつく。忙しい朕の身にもほっとするひととき、休息の夕べが訪れようとしていた。
大臣のルクサが慌ただしく余の部屋にやって来た。
「申し上げます!陛下。グドリタス様が!新聞に大変なものを!」
グドリタスとは父の名である。今は余に王位を譲渡して奥の院で余生を送っているはずであった。たまに儀式に参加する他は、きままに忍んで旅行に行ったり、趣味のガーデニングを楽しんでいる。ちなみにこの国では引退した王のことを「院王」と呼ぶ。
「父上がどうかしたのか」
「はい。これでございます」
余がルクサからシュタット経済新聞を受け取り、ルクサの毛深い指の示す箇所を覗き込むと、【おいらの履歴書】という小欄があった。
「何だ、これがどうかしたのか」
「よくご覧になってください」
「おいらの履歴書」はシュタット経済新聞の名物記事で、新しいソーセージを売り出した老舗商家、外国産の野菜栽培に成功した有名農家、その道四十年のベテランの木こり、各国を渡り歩く人気旅芸人などの業界成功者の過去の半生を載せたもので、この国の経済がヴィシュタイン家の庇護の下、よく潤っていることを示す証左となっていた。
余が【おいらの履歴書】と書かれた小欄のすぐ横を見ると【グドリタス一世(ヴィリヒドヴァ・シュタット十三代国王)】と書かれていた。名前の横には顎まで伸ばした髭の顔写真が載っている。父は平民が撮る証明写真のように背広を着ていた。
「ち、父上‼何故紙面に⁉」
「内容も恐れ多いものとなっておりまする」
「何っ⁉」
余がそこに目を通すと以下の見出しが書かれていた。
【寛容で聡明だった少年時代】――オーマイッ、父上ーーーっ‼そういうことは自分で言うものではありませぬ!
余は続きが気になり、その下に書かれた文章を素早く読み込んでいった。
【朕はなさけぶかさでは誰にもまけねえ。神とかと同とうよ。マジで。あの界わいじゃ、ちっちぇ頃から「ほどこしの王」とよばれていたもんだ。王になる前から。いや、ほんとうさァ。】
余はここまで読んで思った――何だ、ひらがなが多いこの下品な文はー!?まるで庶民の口調ではないか。「マジで」?「ほんとうさァ」?いちいち繰り返すな。いや、実は父はもともと庶子で、普段話すときはこうなのだが、そういう言葉遣いをすることは我々だけの秘密で、外部には他言無用となっている。外交使節が来た時は極力しゃべらないようにしてもらっていたし、質問などには父の代わりにいつも大臣が答えていた。だからこの文章は「父丸出し」なのであった。
父の独白はさらに続いていた。朕は読むたびにツッコミを覚えた。
【朕の聡明さを示すこんなエピソードがあるぜ。朕がガキのころだ。朕はにんじんってもんが大嫌いだったー……。だけど飯のときにゃ、おふくろは必ずといっていいほどこいつを入れてくるのさァー。そして残せば災難でびんたが二~三発とんできたもんだ。】
――余はここまで読んで思った。おいおい、それ必要なエピソードですか。元王にふさわしい話ですか?庶民目線で考えましょうよ。威厳と徳が感じられる話かどうか。そして下品だよ!
【さて、その日の夕飯にゃ、ホカホカのにんじんのグラッセが出やがってよ、朕はぶうぶう言ってそいつを半分ほど食っていたが、口ン中でむしゃむしゃしてるうちに とうとう げっそりいっちまって 食えなくなったんだァー。んでな、朕のとなりでいっしょに飯食ってた弟(のちのジクトヘツァ公)がいてよー。なあに、当時から奴はかわいげがねえったらありゃあしねえ。馬づらのそいつがよ、今日はバカに食欲があるみてえでよ、バクバク食ってんだ、馬が水飲むみてえに。】
――余はここまで読んで思った。品格がありませぬ‼父上‼「ぶうぶう」とか「げっそり」とか「バクバク」とか他に表現はなかったのでございますか…余計なこと書き過ぎです。それからご自分の弟を動物に例えるのはおやめください。御自身の品格まで傷つけまする。
【で、奴は皿がカラになると便所に行ったんだな、席をはずした。そのときはおふくろは台所よ。するってえと朕は持ち前の慈悲心が動かされたのか、自然に手が動いてな、腹をすかせている弟に朕のにんじんをほどこしてやった。ぜんぶ。なあに驚くことはねぇよぉ。朕はァ、このころから弟には寛容だったんだ。ついかわいくてな。施しと処分をいっぺんにやっちゃった。容量がいいよな、朕。一石二鳥。何つーかな、まさに王の器ァ?】
――語尾といい、句読点の置き方と言い、これらのいやにリアルな言い方を再現する意味は何だ?これは記者の書いた父の口述か?誰だ、父の言葉を聞いて書いた者は。なぜひらがなにする?
【朕は残りのもんを手早く胃の中にかっこんじまうと、遊びに行ったよ。まさに王の器ァ?そして、通りを歩いてると弟に会ったんだ。だからどうも便所じゃなかったらしいんだな。便所に行ったのかと思わせといて、ふらふら外歩いちゃってた。むゆう病か、ちゅういりょく散漫なんだな】
――みっともない話をぺらぺらとやめてください。ジクトヘツァ公がおかわいそうです。
【弟想いの朕は自分の皿のにんじんをほどこしたことを弟に教えてやった。弟は帰った。んで、朕が遊んだあと、うちに戻るとにんじんは弟が残したことになっていてな、それで、弟はおふくろに怒られていた。朕はすぐに止めに入り、おふくろが怒るわけを聞いた。すると弟がにんじんを残したというではないか】
――知ってるよ!二度も言わなくていいですから。父上が原因ですね。せめてもの償いとして謝ってほしいですね。
【そこで朕は弟のために「僕が食べるよ」と言って食べてみせた。そのあと誉められたもんだ、朕は(つづく)】
――そうそう。得意になってるあんたはいいけどな。
朕は新聞から目を上げ、ルクサを見た。朕の手の中で新聞がゆさゆさ揺れた。
「な、何と言うことだ。徳なく威厳なく稚拙極まる。この記事は国の威信にかかわる重要な問題だ」
「ははっ、仰せの通りでございます」
「今、父上は?」
「奥の院でございましょう」
「ちょっと行って来る…」
余は椅子から立ち上がり、奥の院へ向かった。
ペンキの禿げかかった赤茶けた壁に囲まれた奥の院の一室では父のグドリタス院王が一人でマスカットをさかなに、地酒のハールング酒を飲んでいた。その後ろでは宮廷大臣のメロオスが立って給仕していた。
「父上、何ですかこれは!」
「ん。息子か。何がだ」
「新聞ですよ、今日の「おいらの履歴書」のことです!」
余は右手の中の新聞をふりながら叫んだ。
「ああ、それか。なかなかよく書けていただろ?小さい子供でも読めるようにひらがな多めにして掲載してもらったんだぞ」
「よく書けていません‼こんなもの出したら我が国ヴィリヒドヴァ・シュタットの権威が、ひいては我がヴィシュタイン朝の栄華が、そして王の品格が問われますぞ!」
「はぁ……んなこと庶民は気にしていないって。朕は昔、庶民だったからよくわかるんだよ。そんなの言うのはいつも文化人どもだろ。あいつらはごちゃごちゃ言うのが仕事なの。だからお前、気にしすぎ。な?メロオス」
後ろの大臣メロオスは「仰せの通りにございます」と言った。イラッとした。メロオスは以前、財務大臣であったが仕事ができなかったため、余は宮廷大臣に左遷したのだった。そのことを根に持っているのかもしれなかった。今では父の腰巾着と化しているふうだった。
「父上が気にしなさすぎです!いいですか。まず………」その後、余は「おいらの履歴書」がツッコミ放題であることを滔々(とうとう)と語った。というか、さっき読んだときに心の中で思ったツッコミの内容を父に告げた。
途中から父は爆笑していた。
「いやいや、なかなかツッコミがうまいな。お前才能あるんじゃないか、面白かったぞ」
「面白くありませぬ、王の威厳がなくなります!今後はこんなものを書かないでいただきたい」
「わかったわかった、じゃあそうすっからさ」
「お願いしますよ」
余はまだ不満だったが、父が「そうすっから」と言ったので、その言葉を信じることにして部屋を退出した。それにしてもあの言葉遣いは何とかならんものか。
伝説や噂を考えるのが面白かったです
またあちこちにネタをちりばめてつくるのも楽しかったです
割と気に入っています