その七
七
競羅は面白くなかった。せっかくの機会がふいになったからだ。彼女は天美をにらんだ。
「あんた、なんで、あそこで使わなかったのだよ?」
「それって、ちからのこと?」
「そうだよ。あんな群衆たちなんて、散らすことができただろ」
「それはそうだけど、あの人たち、何もわったしにしてないし」
「それでも、あんたが、あの中に入ろうとしたら、はじき出すために押してくるだろ。そのとき、使うこともできただろ」
「確かにそうなのだけど、そんなこと絶対にできない!」
天美はきつい眼で言い張った。そして、そのあと、
「それより、さっきの会場で、何か気になる人いたのだけど」
そう前置きを言うと、講演会が終わった後、加倉井をにらみつけていた女性について競羅に話した。その競羅の返答は、
「もしかしたら、ねずみ色の服を着ていた女性か」
「ざく姉も見てたのね」
「ああ、立ち上がって、異様な感じだったから覚えているよ。あのときの眼つき、きっと、あの女の身内も奴に何かされたのだろうね。もしかしたら、今、調べている事件の関係者の一人かもしれないね。あんたも、そう思っているのだろ」
「まあ、そうだけど」
「いずれ、機会があったら接触しなければならないかもしれないね。さて、それより、このあとは、どうするつもりなのだい?」
「まずは、数弥さんに報告しないといけないでしょ」
天美の言葉に競羅は宙をにらんでいたが、やがて、次の言葉を、
「そうだね。こっちも、聞きたいことがあるからね。報告しがてら訪ねるとするか」
夕方、数弥にアポイントを取ると、その数弥のアパートに三人は集まっていた。
数弥は天美に講演会での話を聞いた後、当然のことだが、いい顔はしなかった。そして、確認をするように尋ねた。少し呆れた口調で、
「なるほど、そうすか、だから、あのとき一度、テストは必要ないって言ったんすね」
「ああ、そうだけどね」
「それで、抜け駆けしようとして失敗したということすか」
「ああ、そうだね。せっかくの機会だったから、そこでけりをつけようとしたのだけどね」
その悪びれない一連の態度の競羅の言葉を、数弥は苦い顔をして聞いていたが、ここで、言い合いをしても、自分が押し切られることはわかっているので、
「もう、終わったことだからいいすよ。それで、こうなったからには、僕のたてた作戦の方には全面的に協力をしてくれるんすよね」
「ああ、むろんだよ。もう、それしかないからね」
「それなら、問題はありません。では、それで話を進めていきます」
数弥はそう答えると、そのあと、天美の方を見て言った。
「それで、天ちゃんは、あのとき、どうして動かなかったんすか?」
「ざく姉にも言ったけど、一般の人に、ちから使いたくなかったし」
「では、緊急的にスキルを使う必要がないと判断をしたんすよね」
「そういうことだけど」
「つまり、僕のたてたマラソン大会で使えばいいと思っていたから、自重したんすよね」
その質問に天美は無言になった。確かにそのような気持ちもあったからだ。やはり、アスリートとして走ることへの熱情か。ここで、競羅が口を開いた。
「結局、そういうことなのだよ。それより、昨日の一万メートルのことだけどね」
「ええ、完全に合格すよ。担当の佐倉さんも喜んでいました。でも、ちょっと」
ここで、数弥が言葉をにごし、競羅はそれに引っかかったのか、
「ちょいとって何だよ?」
「あれで、全力で走っているかなと、こぼしていたんすよ。そこが、気になって」
「そんなことを言っていたのか」
「ええ、佐倉さんは、スポーツ担当ですし、あちこちで選手を見てますからね。選手のコンディションは結構、観察してるんすよ。だから、出たと思うんすけど」
「そうだね、心に留めておくよ。さて、それよりも肝心な話に入らないと、例の千里が話していた三件だけど、調べがついているのかい」
「むろん、調べましたよ。ですが、事故死というのはなかなか難しくて、選手のことに関してだけは一件しかわかりませんでした」
「一件だけかよ。まあ、御雪も、今の段階では二件しかわからなかったみたいだし、過去の事件をほじくるのも、そんなに簡単ではなさそうだね」
「えっ、御雪さんからも報告を受けているんすか」
「そうだよ。あんたと同じように、中途半端な報告だけどね」
「教えてくれませんか」
「いいよ。照合することも必要だし、別に隠すことでもないからね」
競羅はそう前置きを言うと、
「では話すよ。最初の事件は、今から九年前、まだ奴が副会長のときだった話だよ。名前を仮にTとしておくよ。T選手、何かと奴にたてついていたみたいだね。ある日、山ごもりをしにいくと言って、そのまま、帰ってこなかったということだよ。その後、彼らしき死体が山で見つかったのだけど、転落死ということで決着がついてるね」
「そんなことがあったんすか。僕も、もう一度確認します」
「ああ、次に行くよ。二番目の事件は三年前だね、今度はKと呼ぶよ。K選手は、才能はあったのだけど、夜遊びや女遊びが好きで、酒での問題をよく起こしていたようだね。会長が自重をしろと言っても言うことを聞かなかったということで。ある日の早朝、路上で、ナイフで刺されて発見されたということだね。警察は女に刺されたのか、女遊びの結果、トラブルに巻き込まれたと捜査をしたのだけど、まだ、犯人はあがっていないね」
「それは、木崎選手の話すね」
「ああ、一件というのはそいつの話だったのか」
競羅は残念そうな口調であった。あわよくば、延べ三件が判明すると思ったからだ。
「ええ、その筋では、結構、騒がれた事件だったみたいすからね」
「しかしね。結局は、ひき逃げと海での話がなかったね」
「海ではないすけど、川での話はありましたよ」
「えっ、どういう意味だよ?」
「いや、選手ではないけど、川で溺れ死にした人はいたんすよ」
「それはまあ、川で溺れ死にというのは、そんなに珍しいことではないからね。奴に関係ない人物なら、いくらでもいるだろ」
「実は関係があるんす。会長が専務理事になったばかりの頃すか、ある新聞社の記者、その人深川といったんすけど、しつこく理事就任について攻撃していたんすよ。深川さん自身、昔気質で偏屈な頑固記者だったらしいすから、融通が利かなかったっていうか」
「そいつか」
「ええ、川で浮かんで発見されました。警察の見解では、酒好きで、その日も、かなり飲んでいたらしく、あやまって落ちたということだったらしいすけど」
「間違いなく、それだよ。これで、一応三件のメンツがそろったね」
「ですが、川でしたし、ひき逃げではありませんでしたけど」
「そのへんは千里だから仕方がないよ。思い込みや先入観がはげしい子だったから、今回だって、三人と聞いて、すべて選手と思ったり、殺された事件だと聞いて、ひき逃げを連想したり、溺れたと聞いて海を連想したのだろ。あいつらしいというか」
競羅は妙に納得していた。
「千里さんって、そそっかしい上、そういう思い込み激しい人だったのよね」
ここで、天美が確認するように声を上げた。
「そうだけど、あんた、何か言いたそうだね」
「もしかしたら、と思ってるのだけど、ざく姉にちょっと言えないし」
「なぜだよ?」
「だって言ったら、怒るでしょ」
「そんなのわからないだろ。言ってみろよ」
「では、話すけど、今回の事件のもととなったドーピング疑惑の話だけど、あれって、実は、千里さん、うっかりして市販の風邪薬、飲ませたのじゃないかな。会長さんも、ただ、ドーピング結果重んじて、それなりの処分しただけで」
「何だって! あんた、急に何を言い出すんだ!」
競羅は声を荒げた。
「ほら、やっぱり怒る」
「当たり前だろ! そんなことを言われたらね。そもそもあんた、奴に情が移ったのではないのかい。話も真面目な顔をして聞いていたし、その言葉も奴の受け売りだろうが」
「なこと、あるわけないでしょ。会長さん、ドーピング防ぐため、たえず、選手たちの家族、呼んだりして、いろいろな対策してるとも話してたでしょ」
「ああ、あの長々した対策話か、どうせ、口さきだけの」
「どうして、そんなこと言うの。だいたい、その家族、交えての幾度かのドーピング防止説明会っていうの、きちんと千里さん出てたの? 会長、毛嫌いしてたみたいだけど」
「いやなとこをついてくるね。それは、千里はあんな性格だから出てないと思うよ。だからこそ、奴が馬鹿にされたと思って、腹いせに仕掛けたという可能性だって大きいだろ」
「わったしは、絶対、そう思わない!」
「とは言ってもね。間違いなく奴が仕掛けたのだよ。プライドが傷つけられた恨みでね」
「ざく姉って、何、見てたの? 物腰低くて、プライドなんて関係ない人だったでしょ」
「それは、あんたこそ見る目がないのだよ! あんな大衆用のポーズにだまされて」
「それに会長さん、話の内容から、走ることすごく大事にしてるでしょ。それだけ、走ること大事にする人が、走る人にクスリ仕込んで、はめるなんて考えられない!」
「だから、それが感傷だよ。物事に詳しい奴は、その物事を使って、人をあやめたり、陥れるものなのだよ。だから、ばれにくいのだよ。なっ、数弥もそう思うだろ」
競羅は数弥に話をふったが、その数弥はなんとも言えない顔をしていた。どうも、天美の意見に賛同をしているようである。その顔を見ながら競羅は、
「もういいよ。これ以上、話し合っても平行線だからね。それよりもね、あんた」
そして、天美をにらみつけると彼女に向かって言った。
「どちらにしても、千里が奴に殺されたという考えは変えてないのだよね」
「まあ、今のところ、否定しないけど」
「それなら、やることは変わらないだろ。それまでの課程はどうであれ、奴は脅迫をされたことに腹を立てて千里たちを殺した。とにかくね、奴は証拠がないから捕まらないだけで、今までも、五人もの人間を殺しているのだよ。この世に、のさばらしておいてはいけない人間なのだよ。もう、わかっているよね、あんたが奴の罪をあばくのだよ!」
競羅に気迫に天美は思わず、うなずいていた。彼女も、もうスポーツ感傷とかに、ひたっている場合ではないと感じたのであろう。
「では、そういうことで決まりだね。では、数弥、このあとのことは頼んだよ。しっかりと、重要な作戦であるマラソン大会についての説明をするのだよ。こっちはね、何か気分がむしゃくしゃしてきたから、ちょいと、外の空気を吸ってくるよ」
と言って、彼女は外に出て行った。
競羅がいなくなったあと数弥が話しかけてきた。
「姐さん、どうも、気分を害していましたね」
「でも、どうしても、この考え、捨てきれないの」
「僕も天ちゃんの推理を支持します。疑惑は千里さんの不注意から起きたのでしょう。そのことは、きっと、姐さんも賛同してると思いますよ。表だって同意してないだけで」
「そうかなあ」
「ええ、最後の方、言葉が変わっていましたからね。気分を害したのも、信じていた千里さんに裏切られたというか、だから、外に頭を冷やしにいったんすよ。それより、確認をしますけど、そのあとに起きた事件の方は、絶対に千里さんの不注意ではありませんよ」
「それは、わったしもよくわかってる。殺されたことは!」
「でしたら、今度こそ、会長にスキルを使うことを、協力してくれますよね」
「その前に、もう一度、見たい物あるのだけど」
「見たい物って何すか?」
「この間、見せてもらったマラソンのビデオ、あの加倉井会長、何度も映ってる」
「あれすか、あれなら、今ここに持っていますから。この機械で見てください」
数弥はそう言うと、自分のノートパソコンを持ってきた。そして、封筒からディスクの入ったケースを取り出し、パソコンに入れて再生をし始めた。
天美は厳しい目をして、それらの再生された映像を見つめていた。特に加倉井会長が、ゴールに入ってきた選手たちを抱きしめている場面について!
数弥は、その天美の姿をうなずきながら見つめていた。これで、協力をしてくれる手応えを感じたからであろう。そして、口を開いた。
「では、当日の作戦について説明をしますね。その日、まず天ちゃんは・・・・・」
次の日、アポイントを取った天美は、単独で御雪の事務所を訪ねていた。講演会のお礼がてらの現状報告と、もう一つ、
御雪は天美の能力の一部、弱善疏を知っており、それを使って、依頼された仕事を幾度も解決しているので、その関係は良好であった。また、天美も苦手な絵里が不在ということで行きやすい環境でもあったからだ。そして、話を聞き終わった御雪は、
「さようで御座いますか。もう一件は新聞記者のお話でしたか」
「そう、ひき逃げなんて、なかったみたい、それで、お願いというのは」
天美はそう言うと、講演会で気になった女性について御雪に頼んだ。
「さようで御座いますね、確かに何か事件に関係がありそうなことですし、他ならぬあなたのご依頼ですから、お引き受けいたしましょう。ですが、貸しということになります」
御雪はそう答え、天美の頼みを引き受けてくれたのであった。