その三
報奨金のことは、今の世情とくい違いますが、動機とつながるので、書き直すことができませんでした。
三
翌日、午前十時頃、競羅は新聞社前の喫茶店スクープ内の個室で数弥と会っていた。二人は、きなくさい話があると、いつも、ここの個室を使うのだ。
「今、えらい大騒ぎすよ。沖元選手が亡くなったんすから」
「そうらしいね。ものすごい人気選手だったとか」
「ええ、マラソンで日本新記録を出しましたからね。もっとも、ドーピングのせいで、無効ということになりましたが」
「日本記録、そんなすごい選手だったのか」
「ええ、ハーフマラソンの方でも、二年前に国内新記録を出しているんすけど、姐さん、本当に、知らなかったんすか?」
「そういうこと、興味がなかったからねえ。それより、聞きたいのは今回の死因だよ。どうも、テレビによると、二人とも毒死みたいだね」
「ええ、アセトアミノフェンの過剰摂取による中毒す。それが、ワインの中に入っていて、二人で飲んだ後がありました」
「何か舌をかみそうな名前だね」
「お医者さんが、頓服として出している薬す」
「頓服か、高熱が出たときに飲む薬だね」
「ええ、店で売っている大抵の鎮痛剤や解熱剤には、たいてい、ごく少量、入っていますよ。ただし、高い度数のアルコールと併用をしたら、死を伴うとても危険なものす。だから、使用方法をうるさいぐらいに注意するんすよ」
「そんなに危険なのか」
「ええ、飲酒の上、十グラム以上一気に服用したら肝機能障害にかかって、よほど早く手当をしないと、確実に死にますね。それが、五十グラム以上混入されていたんす」
「それを二人で飲んだのか」
「ええ、結果的にはそうすけど、今、テレビでもやっていると思うんすけど、心中というよりも無理心中という感じみたいすね」
「ということは、千里は巻き添えをくらったのか」
「違います。姐さんには言いにくいけど、千里さんが沖元選手を巻き添えにしたんす」
「どうしてだよ?」
「姐さんも、わかっているんじゃないすか。千里さんは精神安定剤を常用してましたから、警察としては、千里さんが何も知らない沖元選手に毒を飲ませたことになっています」
「しかしね、それって苦いものだろ。相手はなぜ気づかなかったのだよ?」
「警察も言ってましたけど、ワインだったからじゃないすか。千里さんにすすめられて、多少、苦いと思っても、そのまま飲んだのだと思います。アセトアミノフェンは水には溶けにくいすけど、アルコールに溶けやすいすから」
数弥の説明を競羅はなんとも言えない顔をして聞いていた。そして、思い出したように次のようなことを言った。
「死因についてはわかったよ。それで、次に聞きたいのは遺書のことだけど」
「ええ、テーブルのノートブックに、鉛筆で書かれていました。むろん、彼女の筆跡す」
「それで、どういうことが書いてあったのだい?」
「その前に一つ確認をしておきたいことがあります。姐さん、千里さんから、沖元選手のドーピングの件についてのいざこざについては聞いていましたね」
「ああ、聞いているよ。加倉井の奴が仕掛けたのだろ」
「やっぱりすか」
「やっぱりとは何を言いたいのだよ」
「姐さんが加倉井会長のことを、のっけから奴とか呼んでいたからすよ。昨日は、そんなに気にならなかったのだけど、千里さんから、そう吹き込まれていたんすね」
「そうだったのだけどね、それが確認かよ」
「ええ、そうす。まさに遺書にはそのように書かれていたのです。正確には覚えていませんが、『加倉井会長にはめられた。あいつが、浩介君に薬を仕込んだ。そのおかげで、私たちは苦しんでいる。報奨金もパーになった。家もパーになった。すべてパーになった。一生うらんでやる。死んだら化けて出てやる』というような、殴り書きでしたかね」
「それが遺書か」
競羅は厳しい目をして言った。
「ええ、警察はそう判断をしました」
「それで、警察は奴のことについては捜査はしたのかい」
「関係者に、一通りの聞き込みはしたはずす。ですが、今の段階では、会長は何もおとがめがありませんでした。千里さんの思い込みということで」
「目撃者もいたのにかよ」
「ええ、その話がもとだったらしいすね。あとから、見間違いということになりました」
「ああ、千里はそれを悔しがっていたからね」
競羅はそう言うと、そのときの話について、数弥に説明をした。そして数弥は、
「つまり、姐さんは、会長が、関係者や選手の人たちに、沖元選手の個室に入ったという本当のことを言わせないようにしていると言いたいんすよね」
「ああ、そうだよ、力で押さえつけて、逆らえないようにしているのだろ」
「それは、あれほどの地位の方すから、協会の役員たちの中では陰口もたたく人がいますけど、昨日も話しましたように、選手たちには大変、評判がいい方す。現役時代から、面倒見がよく、人と話すときの物腰が非常に丁寧なお方すから」
「そういう人間こそ、怖いこともあるのだよ。表には出てこない不気味な圧力というか。まず、裏の顔があると思うね」
「裏と言えば、確か佐倉さんが」
「何か思い当たることがあるのかい?」
「性格には、まったく関係ない話です。組織の運営方法といいますか」
「ああ、ろくな運営をしていないのだろ。さて、次の話に移るけど」
「何でしょうか」
「警察のいう無理心中の動機となった報奨金のことだよ」
「それすか、以前から会長が、国内大会で優勝は出来なくても、日本記録を出した選手には特別功労金を与えると、全選手たちに通達をしていたみたいす」
「それを沖元選手が取ったということだね」
「ええ、エチオピアのベロン選手が、あまりにも怪物すぎて、惜しくも二位でしたが。日本記録を塗り替えたことは間違いありませんから、報奨金が入る予定でした。ですが!、実のことを言うと、会長は沖元選手に取ってもらいたくなかったんす」
数弥は大事なことなのか、ですが、に強いイントネーションをつけた。
「どうしてだよ」
「会長と真逆のタイプすからよ。沖元選手は練習態度は真面目だったんすけど、普段から、髪を金髪に染め、首に金のネックレスをしてましたから。報奨金も『約束だから出すが、協会の本部内に連れてきた彼女のために使うのは、けしからん』と言っていたようす」
「なるほどね、そういう背景があったのか」
「そこでわいたドーピング疑惑す。会長は沖元選手を国際規定により、二年間の出場停止にして、報奨金を与えることも中止としました。二位の賞金五百万円は認められましたが」
「五百万でも大した金額だけどね。それ以上の金がクスリでパーになったということか」
「いくらぐらいすかねえ」
「おや、わからないのかい」
「わかるわけないじゃないすか。いわば、裏金すよ」
「裏金か」
「ええ、陸連に、それだけの金があるわけないじゃないすか。会長が国の予算を裏から、引っ張ってきてるんすよ」
「確かに、表からは持ってこれないね。国民が、『なんで、そんな、スポーツみたいな道楽に、それだけの血税を使うんだ!』と、間違いなく騒ぎ出すからね。しかし、こっちが思うに、かなりの金額だよ。何て言ったって、千里はそのお金で、『調布に一軒家を建てるはずだったのに』といきどおっていたからね」
「えっ、本当すか」
「ああ、だからショックが大きかったのだよ」
「調布の一戸建てとなると、最低五千万ぐらいすか」
「そうだろうね。今回の事件には、それぐらいの金が動く背景があったのだよ。何にしてもね、気の毒な話だね。自分たちの幸せな経済設計が、俗物のご機嫌一つで吹っ飛ぶ何てね。やはり、スポーツだけで生きていくのは大変ということだよ」
「しかし、姐さんも、親しかった友だちが自殺に追い込まれた悔しさはわかりますが、かなり、辛辣なことを言いますね」
「ほおー、まだ、あんたは心中事件だと思っているのかい!」
競羅の目がこころなしか細くなった。
「だから、そうでしょう。警察もそう言っているのだし、遺書もありますし」
「遺書らしきものだろ。今まで、はっきりとした意見を言わなかったけど、動機らしきものが浮かび上がってきたからね、きちんと言わせてもらうよ。千里の性格を知っているからだけど、あれは、まったく遺書じゃないね。精神が不安定になったとき口惜しかったことを書き殴った文だよ。その紙を事件日までにテーブルの上に置いて、片付けなかったということだね。あいつは、けっこうずぼらだからね。これは心中にみせかけた殺しだよ」
「では、動機というのは?」
「だから、その本来なら沖元選手に渡るはずだった報奨金だよ。奴はそれが、千里の手に入ることが気に入らなかったのだと、あんた自身が説明していただろ。それにね、沖元選手の日本記録が取り消された今、次の日本記録が出ない限り、その金は宙に浮いたままだろ。つまり、次の選手が出なかったら、奴のふところに入るということだよ。まあ、こんなことは、今回が初めてじゃないだろうね」
「と言いますと」
数弥が話に乗ってきた。
「こっちが思うにはね、加倉井の奴、選手の育成とかごたくをぬかして、税金を強引に報奨金という名前に変えて、今までも私腹をこやしていたということだよ」
「そうかもしれませんね」
「おや、あんた、肯定するなんて、ちょいと前とは風向きが違うね」
競羅の言葉が皮肉っぽくなった。
「ええ、先ほど言い損ねましたけど、スポーツ担当の佐倉記者が言っていたという悪い噂というのは、まさに、そのことだったんす。会長は『何かと陸上の発展のためだと言って、政治家にかけより強引に予算を引っ張ってくると、選手たちにとってはありがたい話だから文句はでないけど、もとは税金だし、道義的にはどうなのか』ということすけど」
「噂ではなく、それが奴の本職なのだろうね。会長という地位を利用した」
「そうすね、物腰は丁寧だけど、キツネという人もいましたから」
「キツネかよ、まあ、太ってないからタヌキではないね。陸上の死神と言う人もいるしね」
「その言葉も、ある関係者から聞きました。まあ、人は色々と言うもんすよ」
「それだけかい、なぜ、死がつくか、そこまでは聞いてないのだね」
「そうすけど、姐さん、まさか・・」
「ああ、そのまさかだよ。実は過去に奴とかかわった三人の選手が、怪しい死に方をしていると、千里が話していたのだよ」
「えっ、本当すか」
「ああ、今から言うのは本当だよ。あんたが、あまりにも心中に話を持って行くから、話さなかったのだけど、あのとき、こういうことがあったのだよ」
と競羅を前置きを言うと、千里が精神安定剤を飲んだ後の、三人の選手の不審死と、沖元選手からかかってきた電話の内容について説明をした。話を聞いた数弥は、
「だから、姐さんは、千里さんと連絡が取れなかったのを気にしていたんすね」
「ああ、そうだよ。奴を脅迫しにいって、何かあったと思ってね。結局は、その予感が当たってしまったけどね」
「なるほど、わかりました。それで姐さんは、加倉井会長が今回の犯人だと」
「そういうことだよ。まだまだ、解明しなければならないこともあるけどね」
「そうすね、ぼくも会長が、二人を心中に見せかけて殺したのだと思います」
その数弥の変わりように思わず競羅は声を上げた。
「ちょい待ちなよ。あんた、ほんの数分前に、心中に違いない、と言っていただろ」
「だから、それは姐さんの今の話を聞く前す。聞いてからでは違いますよ」
「そんな一方的に信じて、千里の妄想とは思わないのかい」
「姐さんもそのように思わないから、僕に話したんすよね。正直いうと、僕も聞き込み中、ある程度おかしいなと感じていましたし」
「そういうことなら、急な方向転換もわからないでもないけど」
「それで、姐さん、このことをどうするつもりすか、僕が思うには、姐さんの証言だけでは、まず、警察は捜査をしませんね。こんな、楽に無理心中でかたづけた案件、むしかえすのは面倒すし、なんと言っても捜査対象が加倉井会長すから」
「だろうね、昨日の刑事の態度。こっちも、そんな感じがするよ」
「では、今回も天ちゃんを使えば、どうすか」
「また、あの子に頼るのかよ」
「そうす、加倉井会長自身に自白してもらわないと、何も進みませんから」
「けどね、それは、さすがに・・」
競羅の言葉をさえぎり、数弥は言葉を続けた。
「それのどこがいけないんすか。今回の事件をあばき、僕が特ダネをもらう、姐さんは千里さんの仇がとれる、お互いにとっていいことじゃないすか」
「そうだけどね。やはり、あの子を使うなんて」
「だから本人次第すよ。もし、本当に天ちゃんがいやがればやめますよ。ただし、会長の犯罪は表に出ず、千里さんは無理心中を起こした犯罪者のまますけど、それでいいんすか」
数弥の言葉を競羅は頭で考えていた。そして、結論が出たのか言った。
「そうだね、すべてはあの子の決断だよ。それでいいかい」
「ええ、僕に任せてください、天ちゃんの方お願いしますね。勘定は僕持ちでいいす」
そう言って数弥は、はずんだ足取りでスクープの個室を出て行った。